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第2話 宇宙郵便 ― 届かない手紙 ―

距離は、時間に変わる。

それでも、人は手紙を出す。

宇宙では、ときどき“記憶”が配達される――。


補給船〈シグマ12〉が、昼の光の中で静かに去っていった。

窓の外に残る航跡は、薄い銀の線。


〈コメット〉のカウンターには、積荷の伝票と、ひとつの古い金属ケースだけが取り残されている。

奥のテーブルでは、若い整備士ジロウがコーヒーを片手に整備記録を整理していた。

カップの縁から上がる湯気が、ゆるやかに光を反射している。


『受領品、最終確認。……

一点、宛先不明の付帯物があります』


AIバリスタのミナがケースを読取り台に載せた。


「宛先不明?」


『表示名:整備士ハル。——数年前に死亡記録』


「……師匠の名前だ」


金具を外すと、中からこぶりの通信ドローンが現れた。

艶の落ちた外装。型式は旧式、識別名は〈アリア〉。


『“遅配便タイムレイグ・メール”の管理タグを検出。

中継局の遅延と経路逸脱のログあり。

——推定配達遅延:五年』


「五年、か」


リクは指先でドローンのへこみを撫でた。


「こいつ、よく帰ってきたな」


耳元の端末が小さく鳴った。通信が入る。


『こちらカナ。補給便の積荷データを照合したけど、

 基地のストレージを経由せずに直接カフェに届いてる。

……宛先は、たぶんリクだね』


「助かる。……ありがとな」


『こっちでもバックアップ取っとく。

——なんか変な感じだね、五年遅れの郵便って』


「変じゃないさ。宇宙じゃ、それくらい普通だ」


通信が途切れると、カフェの空気が少し沈んだ。

ミナが音もなくケースを閉じる。


『データのCRC(巡回冗長検査コード/通信エラー検出用データ)、部分的に破損。再生には補間が必要です』


「やってくれ」


『完全補間は“当時の記録”を改変に近づけます。

推奨:原記録を最大限保持した部分再生』


「……分かった。壊すな。聞かせてくれ」


ミナが静かに演算を開始する。

店内のBGMがふっと下がり、空気が冷たくなった。


ノイズの中から、くぐもった声が立ち上がる。


『……リク、聞こえるか。

——お前は、まだ……宇宙で……コーヒー、淹れてるか……』


音が途切れ、代わりに微細なざらつきが耳を撫でた。


リクは無意識に息を止めた。

かすかに——何かが滴る音。

金属のトレイを打つ、水の粒のような響き。

胸の奥に、遠い記憶がかすめた。


「……今の、音……?」


『解析中。非言語成分を検出。周波数帯に——滴下音、

環境ノイズ、姿勢制御リレーのクリック等を検出』


「滴下音……」


リクはカウンターに置かれたドリップポットを見た。


『スペクトログラム解析を開始。

——店内の“今”の抽出音と、当時の環境音を相互参照します』


ミナはカウンター奥のドリッパーの下に小型マイクを置き、


『一杯、淹れてください』


と言った。


リクは無言で頷き、豆を挽く。

手が動くたび、細かな音が店の静寂に散っていく。

やがてポトリ、と一滴が落ちた瞬間、

ミナの演算波形に反応が走る。


二つのリズム――今と五年前の滴下音が完全に重なった。


まるで、それを待っていたかのように。


ノイズがふくらみ、やがて一本の細い線に整っていく。

そして、師匠の声がもう一度、わずかに笑って落ちた。


『なぁ、リク。道具は嘘つかねぇ。人の手で――味は、直る。

お前が淹れ直す限り、宇宙はまだ大丈夫だ』


リクはカップの上の蒸気を、少し長く見つめた。


「……らしいな、あんた」


カウンターの隅で、ジロウがコーヒーをすすりながら書類をめくっていた。

再生音が静まり返ると、彼は顔を上げた。


「……リクさん、それ、ハルさんの声ですよね?」


「聞こえてたか」


「はい。俺、ハルさんには整備教わったことないけど

……なんか、泣きそうっす」


「泣くほど上手い整備士でもなかったさ。

ただ、真っ直ぐな人だった」


「……リクさんも、似てます」


「やめろ、似合わねぇこと言うな」


短い笑いが交わり、静かな時間が戻る。


ミナは静かに記録を閉じた。

『記録、保存完了。——続行指示を』


リクはドローン〈アリア〉を持ち上げる。

金属の重さが、掌に確かだった。


「返事を出す。地球便に載せてくれ」


『宛先は?』


「空でいい。地球のどこかで、だれかが受け取る。

……あいつに届かなくても、届けばいい」


『了解。理由、伺っても?』


「生きてる証明だ。『まだここで淹れてる』ってやつを、

地球に向けて置いとく。

誰かが拾ったら、それで充分だ」


リクはカップを差し出した。


「この一杯の揮発成分、プロファイルできるか」


『可能です。香気成分スペクトル、温度カーブ、

抽出時間の揺らぎまで——全部、音といっしょに』


「頼む。言葉じゃ、香りは運べねぇ」


『了解。——“香りの手紙”を作成します』


ミナは嗅覚センサーとマイクを同期させ、

カップの上に立つ見えない“匂いの地図”を、

データとして編んでいく。


『完了。タイトルは?』


リクは窓の外を見た。

青い惑星が、雲の切れ間から顔を出している。


「地球は、今日も曇りか」


『天候データによれば、観測エリアの三割が晴れです』


リクは小さく笑った。


「……じゃあ、“晴れ、ときどき地球”でどうだ」


『すてきです』


通信端末にカナの声が戻る。


『地球便ルート、開通。遅配でもいつか届くよ』


『転送開始。……通信完了。宛先——地球』


ミナは一拍置き、やわらかく続けた。


『天気は……晴れ、ときどき記憶』


リクはカップを口元に運ぶ。

香りが、静かに胸に落ちていった。



その夜。


〈コメット〉の窓の向こう、青い惑星がゆっくりと回る。


『リク』


「なんだ」


『あなたの“返事”は、誰に届くのでしょう』


「さぁな。けど、届いたやつは、きっと少しだけ温かくなる」


『そのデータは、香りの効果ですか』


「それもある。——あとは、想像の力だ」


ミナは小さく頷くように、プロファイルを保存した。


『記録しました。“想像は、運べる”』


二人の前に、夜のカップが静かに並んだ。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


“遅配便=時間を超えて届くもの”として、

香りと音の手紙を書いてみました。


次回は、ミナが“お客の嘘”を見抜いてしまう話を予定しています。

ブクマや感想、励みになります。

晴れ、ときどき地球。


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