第15話 重力の乱流 ― コーヒー、傾く ― 【第2章:香りの記録】
宇宙の重力は、気まぐれだ。
でも、人の手が入ると――なぜか、少しだけ落ち着く。
〈セクター7〉、午前09時。
カフェ〈コメット〉の床が、ほんのわずかに傾いた。
最初に気づいたのはジロウだった。
「……あれ? 今日、地球の引力、強くないっすか?」
カップの中のコーヒーが、左側にゆっくり寄っていく。
リクは目を細めた。
「いや、カップのせいじゃないな。
ステーションの重力場が揺れてる」
『観測層より報告。重力制御ユニットに微小乱流を検知。
補正率、1.8%』
「1.8……嫌な数字だな」
カナの声が通信から入る。
『こちら観測班。〈コメット〉近辺だけ局所重力の
歪みが出てます。原因はまだ特定できず』
「カフェだけ?」
『はい。たぶんまた……あなたたちの機械のせいかと』
「心外だな。こっちは豆しか煎ってねぇよ」
その瞬間、店内の照明がふっと揺れた。
カウンター上のカップがカタリと鳴る。
ジロウが慌てて押さえた。
「ミナさん、重力補正入れられないっすか!」
『補正信号、遅延中。外部制御層との同期が不安定です』
「じゃあ、どうすれば――」
リクは立ち上がり、ドリップマシンを見た。
「……こいつだな」
「マジっすか!?」
『該当機器、重力波ノードに接続されています。確率72%』
「72あれば十分だ」
リクは袖をまくった。
「ジロウ、スチームラインを開け。
ミナ、ドラム回転を手動制御に切り替えろ」
『了解……ですが、理論的には非推奨です』
「理論じゃなく、経験で動くんだよ」
ミナの光がわずかに揺れる。
『……了解。制御、委譲します』
カナが慌てた声で割り込む。
『ちょっと待って! 重力をコーヒーマシンで補正する気!?』
「理屈は同じだ。ドラムの回転共鳴を逆位相に合わせりゃ、
場のうねりを打ち消せる。昔もやった」
『昔!? そんな“昔”があっちゃいけないんですけど!?』
ジロウが笑った。
「マジっすかリクさん! じゃあ俺、蒸気圧見てます!」
「頼んだ」
コーヒードラムが唸りを上げる。
湯が宙に浮き、カップの中で小さく渦を巻いた。
ミナの声が静かに重なる。
『逆位相、同期開始――安定化率、上昇中。』
「音を感じろ。ドラムのリズムが場のリズムだ」
『了解。感覚同期モード、起動します』
やがて、照明が静かに戻った。
ジロウがカップを見つめる。
「……コーヒー、まっすぐになったっすね」
「だろ?」
『重力場、安定しました。――お見事です』
「ふぅ……。やっぱり感覚だな」
『記録します。“感覚で宇宙を直す”』
「それ消しとけ!」
通信の向こうでカナの笑い声がした。
『まったく……あなたたち、本当にカフェなの?』
「たぶん」
リクは肩をすくめ、
安定したドリップの音を聞きながら言った。
「でも、今日の香りは悪くない」
トラブルのあとの静けさには、
いつもより深い香りがある。
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晴れ、ときどき地球。




