第12話 通信士の休日 ― カナの声 ― 【第2章:香りの記録】
通信がつながるのは、いつも偶然だ。
でも、たまにその偶然が――
小さな奇跡みたいに、心を温めることがある。
〈セクター9〉観測班の休憩室。
窓の外には、薄い雲のような太陽風が流れている。
通信士のカナは、珍しく午前の勤務を終えていた。
〈セクター7〉から一時派遣で来て、もう三週間。
観測支援の仕事にも、ようやく慣れてきたところだった。
久々に自由な午後。
だが、手は自然と端末に伸びていた。
「……コメット、応答あるかな」
呼びかける声が、通信層のノイズに吸い込まれていく。
返答は――なかった。
「まぁ、いいか」
彼女は苦笑して、データパッドを閉じた。
机の上には、小さな袋。
“地球便”と印字されたコーヒー豆のパッケージがある。
封を切ると、ほのかに甘い香りが広がった。
重力下では感じられない、少し重たい匂い。
「……やっぱり、地球の香りって違うな」
そのとき、端末が小さく点滅した。
『――こちら、コメット。通信回線、再接続しました』
「ミナ! つながったのね!」
『はい。少々遅延がありますが、通信安定中です』
「リクは?」
『コーヒー抽出中です。音声を中継しますか?』
「お願い」
――コトリ。カップを置く音。
それだけで、距離が縮まった気がした。
「ねぇ、ミナ。この豆、送るね。地球便の新ロット。
きっと香りの記録にも、いいデータになると思う」
『ありがとうございます。
地球由来の香気成分、前回とは分子構成が異なります』
「さすがAI。……でもね、これは“思い出”の香りでもあるの」
『思い出、ですか?』
「うん。前の班長――ハルさんが最後にブレンドした豆なの」
短い沈黙。
ミナの通信音声がわずかに揺れた。
『……届いたら、丁寧に淹れます』
「うん。ハルさん、きっと笑うよ。
“AIに味が分かるのか?”って」
『その質問には、次のように回答します。
“味は、感じるものではなく、共有するものです”』
カナは少しだけ目を細めた。
「それ、リクの受け売りでしょ?」
『……秘密です』
二人の会話が小さく弾けた。
そのとき、観測班の窓を光が横切る。
太陽風が揺らぎ、通信が再び微かにノイズを帯びる。
「ミナ、また電波が――」
『大丈夫です。香りデータ、受信完了しました』
「よかった……」
短いノイズのあと、通信が切れた。
部屋には静けさだけが残る。
カナは手元のコーヒー袋を見つめ、
ゆっくりと笑った。
「またつながるよね、きっと」
その言葉を残して、彼女は豆をひと粒、
掌の中で転がした。
そこには、太陽の匂いが少しだけ残っていた。
離れていても、
香りは届く。
それが、
この宇宙でいちばん不思議な通信だと思う。
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それが、次の“香りの記録”につながります。
晴れ、ときどき地球。




