第102話 午後三時、欠けた席 ― コメット、少しだけ静か ―
いつも当たり前にそこにある席が、
今日は少しだけ空いている。
大事件は起きない。
宇宙も壊れない。
ただ、いつもいる人が来ないだけ。
それでも午後三時はやってきて、
コーヒーは淹れられ、
〈コメット〉は静かに営業を続ける。
そんな「欠けた日常」の話です。
〈セクター7〉、午後3時。
カフェ〈コメット〉は、
いつもより一脚ぶんだけ静かだった。
カウンターの端。
いつもカナが端末を置いている席が、
今日は空いている。
リクは豆を量りながら、ちらっとその場所を見る。
「……今日は来ない、か」
ミナの光が、いつもより少し控えめに揺れた。
『本日は休養日です。
医療区画から連絡が入っています』
「風邪だよな」
『はい。
軽度ですが、念のため安静推奨です』
ジロウがエプロンを直しながら首をかしげる。
「昨日の閉店までは普通だったのに……」
「人間はな、
“なんでもない顔で限界に近づく”生き物なんだよ」
「それ、便利なのか不便なのかわからないっすね」
コーヒーを淹れる音が、
今日は少しだけ広く響く。
ぽと……
ぽと……
ピポが床を転がり、
空いている席の前で止まった。
「ぴ……」
「そこ、今日は空席だ」
ピポは一度だけ回転し、
その場で動かなくなった。
『行動ログ:
“いつもの配置に要素が存在しない場合、
待機挙動に移行”』
「ロボも察するんすね」
『“察する”というより、
“変化を検出している”状態です』
「それを察してるって言うんだよ」
リクはコーヒーを二杯分淹れ、
一杯をその席にそっと置いた。
「……香りくらいは、置いとくか」
『揮発成分は個室まで届きません』
「知ってる」
ミナは一瞬黙り、
それから小さく続けた。
『ですが、
“ここにある”という状態は維持されます』
ジロウがうなずく。
「なんか……静かっすね」
「一人いないだけでな」
「早く治るといいっす」
ミナの光が、少しだけ揺れた。
『わたしは、
“誰かが欠けている状態”を
まだうまく処理できません』
「それでいい」
「むしろ正常っすよ」
午後三時。
席は一つ空いたまま。
それでも〈コメット〉は、
いつも通りに営業している。
ミナが静かに記録を確定する。
『今日の香りの記録——
“一脚ぶん静かな午後”。』
⸻
一方、医療区画。
毛布にくるまったカナは、
端末をぼんやり眺めていた。
〈コメット〉の定時ログ。
短く、簡潔で、
いつも通りの記録。
「……ほんと、あの店」
ため息ひとつ。
でも胸の奥は、
さっきより少しだけ軽い。
「うるさいし、雑だし、
放っといてくれればいいのに」
そう言いながら、
口元がわずかに緩む。
「……でも、ありがとう」
端末を閉じて、
もう一度目を閉じる。
午後三時。
同じ時間が、
同じステーションで流れている。
今日も――
晴れ、ときどき地球だ。
人がひとり休むだけで、
空気は驚くほど変わる。
何もできないからこそ、
何もしないことを選ぶ。
それもまた、優しさの形なのかもしれません。
〈コメット〉は今日も少し雑で、
少し不器用で、
それでも誰かのことを気にかけながら回っています。
欠けた席が、
また戻ってくるまで。
今日も――
晴れ、ときどき地球だ。




