表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

第1話 重力コーヒー

宇宙でも、コーヒーの香りは人をつなぐ。

人とAIが共に働く軌道ステーションで、

今日も小さな“重力”が生まれる――。


地球を見下ろす低軌道ステーション〈セクター7〉。

その片隅に、小さなカフェ〈コメット〉がある。

窓の外には青い惑星。

ここでは、人工重力0.98Gが、わずかに軽い日常をつくっていた。


湯気が立ちのぼる。

AIバリスタのミナが、正確すぎる手つきでドリップポットを傾ける。


『本日の重力、0.98G。抽出条件、誤差±0.02以内です』


カウンターの奥で、整備士上がりの青年リクが苦笑した。


「誤差は人生のスパイスだ。そんなに気にすんな」


『スパイス……在庫にありません』


「比喩だよ」


ポトリ、と黒い液体が落ちる。

宇宙でも、コーヒーの香りは地球の記憶を呼び覚ます。


その瞬間、ドアが開き、若い整備士ジロウが転がり込んできた。


「やばいっす! 制御ユニット、またズレてました!」


「またかよ。で、直したのか?」


「なんとか。でも、センサーの挙動がちょっと変で……」


『変化の検知範囲を報告してください』


「うわ、AIさんに詰められてる気分っす」


リクが笑った。


「まぁ、ミナは根が真面目だからな。ほら、飲め」


ジロウはカップを掴んで一気に飲む。

「……うまい。でも行かなきゃ!」


『重力は逃げません』


「納期は逃げます!」


ドアが閉まると、カップの液面が微かに揺れた。

通信士カナが入ってくる。


「またジロウ、徹夜?」


「若いのは燃料投下しがちだ」


『投下は危険行為です』


「……だから比喩だって」


笑いが、軽い重力に浮かんだ。



翌朝、基地全体が震えた。

『警告:重力制御ユニット群、位相ズレ検出』


アナウンスが響く。

浮遊する工具。軋む床。

リクの胸が嫌な予感でざわめいた。


観景窓の外、補給船〈シグマ12〉がドッキングベイの前で静止している。その姿勢がふらつき、ドッキングアームの磁場が明滅していた。


「なんだ……船が寄れない?」


カナが端末を操作する。


「重力ドッキング・フィールドが乱れてる。

これじゃ艦が近づけない……下手したら激突する!」


リクが顔をしかめる。


「地面が歪んでちゃ、船も足場を見失うぞ」


『推測:ドッキング磁場の波形が崩壊しています。

 安定化しなければ、接触時に船体が損壊します』


リクは通信端末を開いた。

「おい、ジロウ。何やってる。応答しろ」


数秒のノイズ。

途切れがちな声が返る。

『……リクさん、俺のユニットが……ズレてました。すぐ、直します!』


「待て、ひとりで行くな!」


『俺がやります! 迷惑、かけません!』


通信が途切れた。


リクは工具箱を掴んで走り出した。

耳元の通信端末が点滅し、ミナの声が届く。

『……重力揺らぎ、閾値超過。対応策:未登録。代替手段を検索します』


ひとり取り残され、ミナ。

リクに伝えたあと、カウンター奥のドラムを見つめ、

湯気の残るカップをそっとよけた。


『該当あり。〈コメット〉の遠心ドラム制御アルゴリズムを、

重力安定ユニットに転用可能です』


走りながら、リクは息を整える。

「どういう理屈だ?」


『重力場制御は、共鳴波の位相を一致させることで成立します。回転の“リズム”を整えれば、場の乱れは沈静化します。

コーヒードラムの制御信号を模倣波として送信します』


「つまり、ドラムで宇宙を整えるってわけか」


『正確には“宇宙に一杯の調和を注ぐ”です』


リクは口元を緩めた。


「洒落てんな」



整備区画では、ジロウがユニットの巨大な円筒にしがみついていた。


「くそっ……止まれ……!」


表示パネルには“前回点検:ジロウ”。

彼の喉がかすれる。


そこへリクの声。

「ジロウ!」


ヘルメット越しに差し出された手。

リクがワイヤーで彼を引き寄せる。


「立てるか」


「俺のせいで……」 


「原因はまだ決まってねぇ」


「でも……」


「焦げたら、淹れ直せばいい」


「え?」


「コーヒーも人生も、だ」


通信が入る。

『リク、コーヒードラムの制御プログラムを重力安定ユニットに転送しました。現場ドラムの回転に同期中。——人の手による微調整を推奨します』


「了解。手で合わせるってわけだな」


『推奨されませんが、非効率な手法は時に有効です』


「気に入ったぜ、その理屈」


二人は巨大な重力場安定ドラムへ向かった。

軸が低く唸り、わずかに揺れる。

手袋越しに振動が伝わる。


「吸って、止めて、また吸う。呼吸を合わせろ」

「……はい!」

「重力も呼吸してる。乱れたら、聞いて合わせるんだ」


ドラムの唸りが静まり、波形モニターの位相が一致していく。

わずかな沈黙ののち、低い振動が途切れた。


『偏差、収束。擬似信号、同期完了。——安定しました』



重力が、ゆっくりと戻り始める。

漂っていた工具が、ぽとりと床に落ちる。

警報灯が一つ、また一つと消え、

窓の向こうで補給船〈シグマ12〉の姿勢が戻る。


金属のアームが伸び、ドッキングポートの光が青から白へ。

補助推進が静かに停止し、

艦体が〈セクター7〉に滑り込むように接続された。


その瞬間、管制全域に“GRAVITY STABLE”の文字が灯る。

沈黙のあと、小さな拍手が湧いた。



〈コメット〉に戻ると、漂っていたカップがそっとテーブルに落ち着いた。


ミナの声が静かに響く。

『任務完了です。コーヒーを、再抽出しますか?』


リクは笑って頷く。

「そうだな。焦げる前に淹れ直そう」


ジロウが照れ笑いする。

「俺、また失敗するかも」


「だったらそのたび飲みに来い」


『学習:再試行は、失敗ではありません』


カナが入ってくる。

「やったね、みんな。……それ、三人分?」


「いや、四人分だ。誰かが見てた気がしてな」


『常連ポイント、付与します』


「そんな制度、あったっけ?」


『今、できました』


笑いが広がる。



夜。

静まり返った店内に、コーヒーの香りだけが漂っていた。

窓の外には青い地球。


ミナがカップを見つめて言う。

『……香りは、重力がなくても残るのですね』


リクが頷いた。

「ああ。記憶ってのは、鼻からも心に入る」


『記録しました。“忘れない匂い”。』


しばしの沈黙。

リクが窓の向こうを見上げる。

地球の青がゆっくりと陰影を帯びる。


「なぁ、ミナ」


『はい?』


「……今日の天気、なんだと思う?」


ミナはわずかに首を傾げた。

『地球の観測データによると、晴れ、ときどき地球です』

リクは笑い、カップを傾けた。


「いい天気だ」


青い光が、ニ人の影をやさしく包んだ。


読んでくださり、ありがとうございます。

宇宙の静けさと、AIの優しさのあいだに、

人の香りのような“重力”がある気がしています。


次話「宇宙郵便」では、“時間”と“記憶”がテーマです。

感想やブクマで応援してもらえると嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ