空から降る鉄と、異世界の賢者 ~現代知識で始める村興しと建国記~
いくつか短編作品を投稿して反応のいいものを長編化しようと思っているので、
面白いと思ったらなにかしらリアクションしてもらえると嬉しいです
「鉄を、すべてだ。逆らう者は村ごと焼く」
鎧姿の騎士が吐き捨てた言葉が、ミストラル村の広場に氷のように突き刺さる。古びた鍬、錆びついた斧、なけなしの調理用ナイフまでが荷馬車に無造作に放り込まれていく。年に一度の「徴鉄税」。領主の気まぐれで始まったこの悪習は、村から生産手段とささやかな暮らしを根こそぎ奪っていく儀式だった。
村人たちの嗚咽が漏れる中、ただ一人、静かにその光景を見つめる青年がいた。名をカイという。一月ほど前に村はずれで倒れているところを助けられたが、素性は誰も知らない。
「……星が、降る」
カイの呟きは、絶望の空気の中ではあまりに場違いだった。村一番の猟師である快活な少女リアラが、訝しげに彼を見る。
「星? カイ、何を言っているの? それどころじゃ……」
「今夜、たくさんの星が降る。あれは鉄の塊だ」
脳内に響く冷静な声が、彼の知識を補強する。『マスター、本日23時よりペルセウス座流星群が極大期を迎えます。大気圏で燃え尽きなかった隕鉄の回収は、理論上可能です』
カイは村長であるギデオンの前に進み出た。
「長老。俺に今夜のすべてを任せてほしい。失われた鉄を、天から取り戻してみせる」
その夜。村人たちは半信半疑のまま、カイの指示通りに動いていた。村の西に広がる岩棚に、ありったけの防水布や大鍋を並べていく。
「本当に……星が鉄だなんて」
リアラが不安げに夜空を見上げる。彼女の手には、父の形見である大切なナイフも、もはやない。
やがて、その時は来た。
漆黒のキャンバスを切り裂くように、最初の光が流れる。一つ、また一つと、光の筋は瞬く間に数を増し、空は幻想的な光の雨に包まれた。
「うわぁ……!」
感嘆の声が上がる。だが、カイの目はその美しさではなく、別のものを見ていた。
『ソフィア、軌道計算を。地上に到達する可能性があるものをピックアップ』
『了解。エリアD-3、C-5に小規模な落下を予測』
「リアラ! あの岩の裏だ! 火の手が上がる!」
カイの叫びと同時に、遠くの茂みが赤く発光し、ドスン、と地を揺るがす音が響いた。リアラを含めた若者たちが駆けつけると、そこには赤熱し、奇妙な模様を描く黒い石が突き刺さっていた。
「これが……鉄?」
「ああ。ニッケルを多く含んだ、極上の鉄だ」
カイは携えてきた水で慎重に冷却させながら、確信を持って頷いた。その夜、彼らは大小合わせて10個以上の隕鉄を手に入れた。それは、領主に奪われたすべてを補って余りある量だった。
朝日が昇る頃、岩棚に並べられた黒い塊を前に、村人たちは呆然と立ち尽くしていた。昨日までの絶望が嘘のようだ。
「君は……いったい何者なんだ?」
ギデオン長老の問いに、カイは静かに首を振った。自分の過去の記憶は、なぜか曖昧だった。ただ、この世界の誰も知らない知識が、頭の中に洪水のようによみがえることだけが、確かな現実だった。
「ただのカイだ。この村に世話になった」
彼の隣で、リアラが興奮したように隕鉄を撫でている。その瞳に宿るのは、カイという存在への純粋な好奇心と、未来への確かな希望の光だった。
この日を境に、ミストラル村の運命は、そしてこの世界の常識は、一人の青年によって静かに、だが根底から覆されていくことになる。
◇
隕鉄の確保は、失われた生産手段を取り戻すきっかけに過ぎなかった。村の暮らしは依然として厳しく、現金収入を得る手段はほとんどない。痩せた土地では作物の収穫もたかが知れていた。
「何か、この村だけの特産品が必要だ」
カイは村の周辺を散策しながら、脳内のAI『ソフィア』と対話を重ねていた。そんな彼の目に留まったのが、川辺に自生する奇妙な植物だった。昼間は青々とした葉を茂らせ、夜になるとその先端についた綿毛のような部分が、蛍のように淡い光を放つ。
「光綿、か。燃料にするくらいしか使い道がないって言ってたな」
リアラが教えてくれたこの植物は、繊維が硬く、とても布にはできないというのが村の常識だった。
『ソフィア、この植物の繊維構造を分析。加工方法をシミュレート』
『分析完了。高圧蒸気による柔軟化処理、および特定のアルカリ溶液での洗浄により、極めて強靭かつ柔軟な繊維への加工が可能です』
「いけるな」
カイはすぐに設計図を描き始めた。必要なのは、安定的で強力な動力源と、精密な機械だ。
彼は村人たちを集め、宣言した。
「川に水車を作る。その力で光綿を加工し、今までにない布を作り出す」
彼の提案は、隕鉄の一件でカイを「賢者」と見なす者が増えた村でも、すぐには受け入れられなかった。
「光綿なんぞで布ができるものか」
「わしらは母から教わったやり方で麻を織ってきたんだ」
特に年配の女性たちの反発は強かった。伝統と経験こそが、彼女たちのささやかな誇りだったのだ。
カイは言葉を尽くすのではなく、行動で示した。まず、村の子供たちを集めて小さな水車の模型を作らせた。水路を掘り、歯車が噛み合い、小さな杵がリズミカルに動く様子に、子供たちは目を輝かせた。その楽しげな光景は、頑なだった大人たちの心を少しずつ溶かしていく。
ギデオン長老の後押しもあり、やがて村の男たちは川の流れを堰き止め、巨大な水車の建設を始めた。カイの正確な図面と指示のもと、作業は驚くほど順調に進んだ。水門が開かれ、轟音とともに水車が回り始めた時、村からは歓声が上がった。
次に、水車に連結された作業小屋で、カイは光綿を加工する機械――蒸気圧を利用した巨大な釜と、連続的に糸を紡ぐ紡績機、そして高速で布を織り上げる力織機――を組み立てていった。その複雑な機構は、村人たちの想像を絶するものだった。
数週間の試行錯誤の末、ついに最初の反物が織り上がった。
それは、絹のようになめらかな手触りと、麻のような丈夫さを兼ね備えていた。そして、夜の闇に置くと、まるで星屑を溶かし込んだかのように、布全体が優しく、そして気品高く輝いたのだ。
「なんて……綺麗なんだ……」
最初に声を上げたのは、最後まで反対していた老婆だった。彼女はその布をそっと手に取り、頬に寄せ、涙を浮かべた。
カイは、その奇跡の布を「ルミナクロス」と名付けた。
この夜、ミストラル村の家々の窓からは、ルミナクロスが放つ穏やかな光が漏れていた。それは貧しい山村に生まれた、新たな産業の黎明を告げる光だった。だが、その類稀なる輝きが、遠く離れた街の強欲な者たちの目を引くことになるのを、まだ誰も知らなかった。
◇
ルミナクロスは、村に初めてまともな現金収入をもたらした。行商人たちは、夜に輝く奇跡の布に目を輝かせ、競って高値を付けた。村の食卓は豊かになり、子供たちの顔にも笑顔が増えた。だが、幸福な時間は長くは続かない。
「ミストラル村の産品に対し、新たに3割の通行税を課す。領主様のご命令だ」
役人の高圧的な通達に、村は再び怒りと無力感に包まれた。稼いだ金のほとんどが、汗水たらさぬ領主の懐に消えていく。
「どうして……! 俺たちが命懸けで作ったものなのに!」
リアラの怒声が響くが、一介の村人に抗う術はない。
カイは冷静に状況を分析していた。問題の本質は、力の差だけではない。情報が支配されていることだ。領主は自分たちに都合のいい情報だけを流し、村はこちらの正当性を訴える手段を持たない。
『ソフィア、原始的な情報伝達ツールの最適解を』
『木版印刷を提案します。木炭と植物油からインクを生成。プレス機を用いれば、簡易的ながら大量複製が可能です』
「これだ。言葉を、情報を、武器にする」
カイは再び村人たちを集めた。今度の彼の提案は、布を作ることよりもさらに奇妙に聞こえた。
「紙とインクを作り、俺たちの言葉を遠くまで届ける」
幸い、この世界にも羊皮紙に似た筆記媒体は存在した。問題はインクと印刷技術だ。カイは良質な木炭を粉末にし、亜麻仁油と煮詰めて粘度の高い黒インクを開発した。その鼻を突く独特の匂いは、村人たちを困惑させた。
次に、彼は硬い木板に文字を左右反転させて彫る技術を教えた。村で手先の器用な若者たちが、カイの書いた手本を元に、一つ一つ丁寧に文字を彫り進めていく。そして、ブドウの圧搾機を改良した簡易プレス機が完成した。
インクが塗られた木版の上に紙を置き、圧力をかける。ゆっくりと紙を剥がすと、そこにはくっきりと黒い文字が並んでいた。
「文字が……写ってる!」
「すげえ! これなら何枚でも同じものが作れるぞ!」
こうして、週刊「ミストラル通信」の第一号が発行された。
そこには、カイの言葉でこう綴られていた。
* 見出し:『ルミナクロスは、我々の希望の光』
* 内容:
1. ルミナクロスは、ミストラル村の民が知恵と努力で生み出した正当な産品である。
2. 我々はこの布で得た利益で、村の暮らしを立て直し、領内の発展に貢献したいと願っている。
3. しかし、領主による一方的な重税は、我々のささやかな希望を打ち砕くものである。
4. 我々は、適正な価格で、より多くの人々にこの素晴らしい布を届けたい。
この「通信」は、ルミナクロスを買い付けに来る行商人たちに託され、近隣の村や町へと運ばれていった。最初は小さな波紋だったが、それは徐々に大きなうねりとなって広がっていく。領主の悪政を知る人々はミストラル村に同情的になり、領主の評判は地に落ちていった。
領主は激怒したが、情報の拡散を止めることはできなかった。カイの狙い通り、情報戦は村に有利に働き始めた。
だが、その頃。領主の城では、別の動きがあった。
「面白い技術を持つ者がいるようだ。印刷、か。金の匂いがするな」
豪奢な絹の服をまとった男――国内最大手、エルム商業ギルドの支部長が、指先で金貨を弄びながら不気味に微笑んでいた。
「領主様、その村、わたくしどもが買い取りましょう。鉄も、布も、その『印刷』とやらも、すべて」
ミストラル村の技術に目を付けたのは、強欲な領主だけではなかった。より狡猾で、巨大な組織の黒い影が、静かに忍び寄っていた。
◇
「ミストラル通信」による情報戦は、領主の圧力を一時的に緩和させた。だが、カイの視線はすでにもっと先を見据えている。ルミナクロスと印刷は村のソフトパワー。だが、共同体を守り、さらに発展させるには、強固なハードパワーが必要だった。
「もっと質の良い鉄が要る。今のままでは、隕鉄の性能を活かしきれない」
村の粗末な炉では、隕鉄を溶かして鋳造するのがやっとだった。より硬く、よりしなやかな「鋼」を作るには、根本的に熱量が足りない。
『最適な製鉄法を検索。現存リソースで実現可能なのは、木炭を蒸し焼きにしたコークスを燃料とする反射炉、および簡易的な転炉法です』
カイの脳裏に浮かんだ設計図。それを実現できる可能性があるのは、この地方で唯一人の人物しかいなかった。
「隣村のバルド……か」
リアラに聞くと、バルドは偏屈で知られる腕利きの鍛治師だという。弟子は取らず、自分の技以外は一切認めない頑固者だ。
カイはリアラを伴い、山を一つ越えた先にあるバルドの工房を訪ねた。火花と熱気が満ちた工房で、屈強な肉体を持つ初老の男が、黙々と槌を振るっていた。バルドだった。
「何の用だ。見ての通り、忙しい」
カイの来訪を一瞥しただけで、バルドは冷たく言い放った。
「あんたの腕を見込んで、頼みがある。新しい炉を作りたい。今よりもっと高温で、もっと良い鉄を作るための炉だ」
カイが懐から取り出した設計図を広げる。そこには、ドーム型の天井を持つ反射炉と、奇妙な卵型の容器(転炉)が描かれていた。
バルドは図面を一瞥すると、鼻で笑った。
「くだらん。こんな玩具で何ができる。鉄はな、長年の経験と勘で打つもんだ。小僧の絵遊びに付き合う暇はない」
「なら、勝負だ」
カイは静かに言った。「俺の設計した炉と、あんたの炉。どちらが優れた鉄を作れるか。もし俺が勝ったら、この炉の製作に協力してもらう。そして……俺の弟子になれ」
「面白い!」バルドの目に、初めて職人の火が宿った。「小僧が、この俺に弟子になれだと? よかろう。その代わり、お前が負けたら、二度と俺の前に現れるな!」
勝負はすぐに始まった。バルドは手慣れた様子で自分の炉に火を入れ、最高の鉄鉱石を選び、秘伝の配合で鉄を打ち始める。一方のカイは、村から持ってきた若者たちと共に、粘土と石で新たな炉の建設を開始した。
カイが作ったのは、木炭を蒸し焼きにして不純物を取り除いた「コークス」だった。それを燃料に、新設計の炉に火を入れると、これまで見たこともないような青白い炎が立ち上り、工房の温度が急激に上昇した。
「なっ……!?」
バルドが驚愕の声を上げる。彼の炉の火が、まるで子供の焚き火のように見えた。
カイは溶かした隕鉄を卵型の転炉に移し、底から空気を送り込む。ゴオオッと轟音と共に、激しい火花が噴き出した。鉄に含まれる不純物が燃焼する、ベッセマー法の原始的な再現だった。
やがて、炉から取り出された鉄塊は、今までの鉄とは明らかに輝きが違った。銀色に近く、澄んだ光沢を放っている。カイがそれを冷却し、大槌で打ち据えると、キィン、と高く澄んだ音が響き渡った。
バルドは呆然と、その鋼の塊を見つめていた。試しに自分の最高傑作である剣で切りつけてみるが、刃はあっけなく欠け、鋼には傷一つ付かなかった。
勝敗は、誰の目にも明らかだった。
工房に静寂が戻る。バルドはゆっくりとカイの前に進み出ると、その場に膝をつき、深く頭を垂れた。
「……完敗だ。約束通り、あんたの弟子にしてくれ。師匠」
齢五十を超える頑固一徹の職人が、二十歳そこそこの青年に頭を下げる。その光景は、一つの時代の終わりと、新たな技術の時代の始まりを象徴していた。
炉の中で燃え盛る炎は、二人の間に生まれたばかりの、奇妙で、そして熱い絆を祝福しているかのようだった。
◇
鋼の生産が軌道に乗り、村は活気づいていた。新しい農具は収穫量を増やし、ルミナクロスと良質な刃物は安定した収入源となった。人々は未来を語り、笑い合っていた。そんな希望に満ちた空気を、見えざる敵が蝕み始めた。
最初に倒れたのは、村の子供だった。高熱と激しい咳、そして体中に現れる赤い発疹。それは誰の知る病とも違っていた。一人、また一人と、病は瞬く間に村中に広がっていく。
「悪霊の仕業だ……」
「よそ者のカイが、災いを持ち込んだんだ!」
昨日までカイを「賢者」と讃えていた村人たちの目に、恐怖と疑念の色が浮かび始める。祈祷師が呼ばれ、意味のない儀式が繰り返されるが、病状は悪化する一方だった。
「違う! これは呪いなんかじゃない!」
カイは必死に訴えるが、パニックに陥った人々には届かない。
『ソフィア、症状から病名を特定』
『麻疹の可能性が極めて高い。感染経路は飛沫感染。衛生環境の劣悪さが感染拡大を助長しています』
カイの脳裏には、微生物、ウイルス、免疫といった言葉が渦巻いていた。この世界には存在しない概念だ。
「見えない敵……か。厄介だな」
彼はまず、行動を開始した。
「病人を隔離しろ! 健康な者と接触させてはならない!」
「飲み水は必ず煮沸してから飲むんだ!」
「手を洗え! こいつで!」
カイが村人たちに配ったのは、獣の脂と木灰から作った、粗末だが殺菌能力のある「石鹸」だった。しかし、目に見えない小さな生き物が病の原因だという彼の説明を、信じる者はほとんどいなかった。
「手を洗ったくらいで病が治るものか!」
「水を沸かすなんて、薪の無駄だ!」
抵抗は激しく、カイは孤立していった。ギデオン長老でさえ、彼の理論を完全には理解できずにいた。
そんなカイを、ただ一人、リアラだけは信じて支え続けた。彼女はカイの指示通りに隔離された病人の世話をし、石鹸の使い方を村人たちに根気強く教えて回った。
「みんな、怖いだけなんだ。カイの言うことは難しすぎるけど、私はあんたを信じるよ」
そのリアラの言葉が、カイの心を支えていた。
だが、その彼女が倒れたのは、病が発生してから一週間後のことだった。
高熱にうなされ、苦しげに息をするリアラ。その腕には、紛れもない赤い発疹が現れていた。
「リアラッ!」
カイの絶叫が響く。自分の知識の無力さを、これほど痛感したことはなかった。公衆衛生は予防にはなっても、治療薬ではない。最先端の知識を持ちながら、目の前で衰弱していく仲間を救う術がないのだ。
『マスター、落ち着いてください。対症療法に専念を。水分補給と体温管理が最優先です』
ソフィアの冷静な声も、今はひどく無機質に聞こえた。
カイはリアラの手を握りしめた。その手は、焼けつくように熱かった。
「死なせない……。絶対に、お前だけは……」
彼はすぐさま、村の地下を流れる水脈を利用した簡易的な上下水道の設計図を描き始めた。汚水と生活用水を分離する。これ以上の感染拡大を防ぎ、そして何より、リアラを救うための環境を作るためだ。
村人たちの抵抗など、もはや彼の眼中にはなかった。大切な仲間一人の命と、旧態依然とした村の因習。その二つを天秤にかけるまでもない。
賢者の目に、初めて怒りと焦りの炎が燃え上がっていた。
◇
カイの鬼気迫る努力は、少しずつ形になっていった。彼が設計した上下水道は、汚れた水を村から遠ざけ、清潔な水を供給した。石鹸による手洗いと水の煮沸も、リアラが倒れたことで、村人たちの間に恐怖と共に浸透し始めた。
幸い、リアラは持ち前の体力で峠を越した。病の流行も、新たな患者の発生が止まり、ゆっくりと終息へと向かっていく。村に安堵の空気が戻りかけた、まさにその時だった。
「大変だ、カイ! 町から帰ってきた行商人が……!」
血相を変えて駆け込んできた村人から、信じられない報告がもたらされた。
市場に、ルミナクロスが出回っている。それも、ミストラル村が出荷した覚えのない、おびただしい数の布が。
「偽物だ……!」
カイが見せられた布は、一見ルミナクロスに似ていたが、光は弱々しく、生地はごわごわしていた。だが、素人目には見分けがつきにくい。そして何より、本物の半値以下の値段で売られているという。
エルム商業ギルドの仕業だった。彼らはカイの技術を盗めないと見るや、力技で市場を破壊しにかかったのだ。村の信用は失墜し、最大の収入源が断たれようとしていた。
経済的な揺さぶりだけでは終わらなかった。
数日後、村を見下ろす峠に、領主の旗が翻った。整然と隊列を組む、百を超える兵士たち。先頭に立つのは、かつて徴鉄税を取り立てに来た、あの騎士だった。
【騎士・アルベリクの視点】
忌々しい村だ。最初はただの貧しい山村だったはずが、いつの間にか奇妙な布で金を稼ぎ、領主様に逆らうビラを撒き散らし、今度は質の良い鋼まで作り始めたという。そして、疫病の巣窟でもあると聞く。
我が主は、商業ギルドの支部長殿の甘言に乗り、この村を潰すことを決断された。「疫病を浄化し、秩序を取り戻す」という、大義名分を掲げて。
だが、どうにも腑に落ちない。あの村には何か、我々の理解を超えたものがいる。あの「賢者」と呼ばれる男……。斥候の報告では、村は奇妙な柵で囲まれ、見たこともない櫓が建てられているという。これは単なる討伐ではない。戦になる。胸騒ぎが、止まらなかった。
【カイの視点】
「疫病を口実に、すべてを奪う気か」
カイは丘の上に揺れる軍旗を、冷たい目で見据えた。最悪の事態が、最悪のタイミングで訪れた。
村はパニックに陥った。病み上がりの者も多い中、プロの兵士たちと戦うなど、正気の沙汰ではない。
「もうおしまいだ……」
「降伏しよう。逆らっても殺されるだけだ」
弱気な声が広がる中、カイは静かに、だが力強く言った。
「戦うぞ」
彼の言葉に、村が静まり返る。
「降伏しても、俺たちの技術は奪われ、奴隷同然の暮らしが待っているだけだ。だが、戦って守り抜けば、未来がある」
彼は村人たちを見渡した。恐怖に震える顔、不安に揺れる瞳。だが、その中には、決意の光も宿り始めていた。
「俺たちの武器は、剣や槍だけじゃない。知識だ」
カイは広場に大きな図面を広げた。
「バルドの作った鋼で、防具と槍を作る。リアラ、君には弓が得意な者たちを集めてもらう。ギデオン長老、あなたは残った者たちと食料と水の管理を。そして俺は、奴らを驚かせる『仕掛け』を作る」
図面に描かれていたのは、巨大な弩――バリスタと、てこの原理を応用した投石機だった。
内からは経済危機、外からは軍靴の音。共同体は、発足以来最大の危機に直面していた。だが、カイの目には絶望ではなく、闘志が燃え盛っていた。この村は、もはや単なる村ではない。彼が仲間たちと共に築き上げた、守るべき「国家」そのものだったのだ。
◇
「全軍、突撃ィィィ!!」
騎士アルベリクの号令が響き渡り、領主軍の兵士たちが鬨の声を上げて村への坂道を駆け上がってくる。鉄の鎧がぶつかり合う音が、地響きのように聞こえた。
村の入り口に築かれた、粗末だが頑丈な木のバリケードの裏で、村人たちは固唾を飲んで敵を待ち構えていた。その顔に浮かぶのは恐怖だけではない。自分たちの手で暮らしを守るという、固い決意だった。
「まだだ……まだ引き付けろ……」
櫓の上で、カイが冷静に指示を飛ばす。彼の隣では、リアラが弓に矢をつがえ、全神経を集中させていた。
敵の先頭が、カイの引いた目印のラインを越える。
「今だ! 放てッ!」
号令と共に、凄まじい音が鳴り響いた。カイが設計した二台のバリスタから、丸太のような巨大な矢が射出されたのだ。それは唸りを上げて空中を切り裂き、密集していた敵兵の列に突き刺さった。鎧など紙切れ同然に貫かれ、兵士たちが悲鳴と共に吹き飛ぶ。
「な、なんだ、あの兵器は!?」
敵陣から驚愕の声が上がる。だが、悪夢はそれだけでは終わらない。
「次、投石機! 狙いは敵の後方!」
村の後方に設置された簡易投石機が、唸りを上げて巨大な岩を放物線状に投げ込んだ。それは敵の後方部隊の真ん中に落下し、兵士たちを混乱に陥れた。
「弓隊、射撃開始!」
リアラの鋭い声に合わせ、数十本の矢が一斉に放たれる。バルドが鍛えた鋼の矢じりは、領主軍の盾を容易く貫いた。
初日の攻防は、ミストラル村の圧倒的な優位で終わった。領主軍は予想外の損害に混乱し、一度体制を立て直すために後退していった。村からは、驚きと興奮が入り混じった歓声が上がる。
だが、カイは決して油断しなかった。
「問題はここからだ。籠城戦は、兵站と衛生の戦いでもある」
その夜、カイは奇妙な指示を出した。昼間の戦闘で死んだ家畜の死骸を、風上である敵陣の近くに投棄させたのだ。
『ソフィア、腐敗による病原菌の発生と、風向きを計算。心理的効果も期待できる』
翌日から、領主軍の陣地には耐えがたい腐臭が漂い始めた。兵士たちの間には、「不浄の村の呪いだ」という噂が広まり、士気は目に見えて低下していった。さらに、カイが掘らせた井戸には汚物を投げ込ませ、敵の飲み水を断つという徹底ぶりだった。
数日後、痺れを切らした領主軍は最後の総攻撃を仕掛けてきた。だが、士気の低い兵士たちの動きは鈍く、村の防衛網を突破することはできない。アルベリク自身も、リアラの放った矢に肩を射抜かれ、ついに全軍に撤退命令を下した。
夕暮れの中、敗走していく領主軍の姿を、村人たちは静かに見送っていた。
「……勝った」
誰かの呟きが、やがて割れんばかりの歓声に変わった。人々は抱き合い、涙を流して勝利を分かち合う。
櫓の上で、カイはリアラ、バルド、そしてギデオン長老と共にその光景を見ていた。
「俺たちの、勝ちだ」
カイが言うと、リアラがその肩を力強く叩いた。
「当たり前でしょ! あんたがいたからね!」
バルドは無言で、自分が打った剣の切っ先を誇らしげに眺めている。ギデオン長老は、涙で濡れた皺だらけの顔で、何度も頷いていた。
この勝利は、大きな代償と、それ以上に大きなものを村にもたらした。領主の支配は完全に失われ、ミストラル村は事実上の独立都市国家「ミストラル市」として、新たな歴史を歩み始めることになる。
戦いの後片付けをしながら、カイはふと空を見上げた。
『ソフィア』
『はい、マスター』
『この世界の……「魔法」について、何か分析できるか?』
彼の問いに、脳内のAIはわずかな間を置いて答えた。
『……未知のエネルギーパターンを微弱に検出。解析には、さらなるデータが必要です』
カイは小さく笑った。商業ギルド、王国の存在、そして魔法。乗り越えるべき壁は、まだ果てしなく高い。
だが、もう一人ではない。信頼できる仲間たちがいる。共に笑い、共に戦い、共に未来を築く共同体がある。
これは、一人の男が世界を変える物語ではない。
知識と絆が、絶望の淵から一つの国を興す、始まりの物語である。
ミストラルの夜明けの空は、どこまでも青く澄み渡っていた。