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《あほあほ神社へ》その8

 それは、昨日の夕飯の時。奈々子に巻物を手渡したヨモギだったのだが…………。


「それと念のため、もう一本は充希さんに持たせてください」


 ヨモギはもう一つ、奈々子に巻物を手渡した。


「二本目?」


「奈々子さんが失敗した時の予備です。一度失敗したら姉も少し警戒するでしょうが、『視えない充希さんが二本目を持っている』なんて、流石に予測できないのではと」


「ほえ~なるほど。んじゃそういう事だから、充希も持っといて」


「え、いやどういう事?」


「あ、でもアンタじゃナズナを目視出来ないし。というか術を唱えるとかなんか危なそうだし二回目も使うのは私の方がいいか」


「分かりました。お願いします奈々子さん」


「と、いう訳だから。持っといて充希」


「いやだからどういう事―――⁉」



 ☆


 想定通りとはいかずとも、昨日の夜に話した作戦が、奇跡的にハマったのだ。

 長い長い巻物は奈々子をぐるりと囲うように開かれる。

 ひらひらと翻るその和紙には、筆で書かれた大量の文字。そして奈々子の瞳には狐の化物がしっかり映る。


 ――――術をかける対象を目視し、巻物を広げる。条件は揃った。後は呪文を唱えるだけ。


「……させない」


 ――――だが簡単にはいかない。ナズナはその大きな後ろ足で、抑え込んでいたヨモギを蹴り飛ばす。そして叫ぶ。


「〝突風〟‼」


 突然吹きあれる突風は、真正面から奈々子を襲った。

 足が、身体が浮かび上がったかと思えば、次の瞬間、あっけなく後方に吹き飛んだ。

 瞬く間に暴風は強引に奈々子を突っぱねて、押しのけて、飛んで、飛んで、とんで。


 …………バンッ‼


「……ヵァッ⁉」


 処刑場の鉄骨に、勢いよく背中を強打。打ち付けられて反射的に仰け反り、目一杯に瞼と口を開いて、そのまま鉄骨に寄りかかりながら、滑るようにしゃがみ込んだ。

 声にもならない声を。痛みを叫ぼうとして。しかし、


(い、息が、でき………)


 呼吸が出来ない。背中を打ち付けたせいで吸って、吐いてが出来ない。息を、空気を取り込めない。吐き出せない。これはつまり喉から声を発することが出来ないという事を意味し。


 ――――要するに、呪文が唱えられない。


 しかしこの瞬間にもナズナは奈々子を目掛け突進していた。奈々子を確実に殺すためにこちらへと向かってきている。


(ヤバい、呪文が……唱え…………)


 右手には広げられた巻物。目前にはナズナ。ならば後はヨモギに教わった呪文を唱えるだけ。

 だが出来ない。息が出来ない。声が出ない。発せられない。言葉が、のどから、でない。


(どう、する……どうする……)


 何かに触れて能力を使うか。呪文さえ唱えさせれば………いや駄目、発動しない。能力は使えないとヨモギに言われた。呪文は人間が、血の通った人間が唱えなければならないと。そこらの無機物じゃ駄目だ。


(どうするどうする……)


 考えろ考えろ。なにか策はないか。周りに使えそうなものはないのか。充希に巻物を投げ返す……余力と余裕はない。もうすぐそこまでナズナは来ている。すぐに殺される。

 まずいまずいまずい。どうすればいい。どうすればいい。声が出ない。息が出来ない。


(クソ、クソ……能力は駄目だ………クソッ)


 もうあと数メートルまで、ナズナが。


(人間じゃないと呪文は………)


 そこで、奈々子は閃く。


(にん、げん……の……ちがかよった……)


 閃いてすかさず、指を口の中に突っ込んだ。


 ナズナが大きな前足を振り上げて、鋭い爪を振りかぶって、次の瞬間には。


『―――――浄化されるは怨念から生まれし無念の邪気。解き放たれるはそこに眠りし真意』


 血液が絶えず流れている奈々子の()が、()()()()()()()()()()()()()


 するとナズナの足元に、〝浄〟の文字と、丸い陣が表れる。

 陣は、たちまちピカリと光り、


「う、うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 悶え苦しみだすナズナの体からドス黒い靄が噴き出し、次の瞬間には元の、幼い少女の姿に戻って。糸の切れた人形の様にばたりと地面に倒れた。


「……クッ、がはァッ! ごほ……ごほ……ッ!」


 やっと奈々子の呼吸が出来るようになり、落ち着いて深く吸い、深く吐いてを繰り返す。

 そして、そっと目の前を見た。

 いつの間にか人間の姿に戻っていたヨモギが、ナズナに歩み寄ってくる。


「ヨモギ君………」


 悲しそうな、しかしどこかスッキリした表情をしながら、目前に横たわっているナズナを労る様に抱きかかえた。


「姉さん」


「よ、ヨモギ……」


「これで終わりだ。もう人を、自分を苦しめるような事は終わりにしよう。二人で楽しい日々を、笑って暮らそう。姉さん」


「…………………」


 微笑むヨモギを見上げながら、ナズナは気を失う。その目からは一筋の涙が流れていた。

 そして、ヨモギは奈々子と充希を一瞥すると、


「ありがとうございます。それでは、また」


 言って、パッと消えた。


 間もなくして、街の姿は元に戻っており、二人は安穂神社の境内にしゃがみ込んでいた。

 空は晴れ渡り、二人の傷と服の汚れが無くなっていた。


 まるで幻覚でも見ていたかのように、いままでの経験の証拠が無くなっていた。


 ☆


 夕方、病院にて。


「ホント、なんにもなくて良かった~。てか日曜にやってる病院が近くにあって良かった~」


 診察を受けた二人は建物内を歩いていた。


「大げさだなぁ奈々子ちゃんは~。そんなに心配しなくても、傷はなんか治ってるしから大丈夫だってば! ほら、どこも痛くないし!」


「馬鹿、頭から血流してたでよ⁉ 頭の怪我はヤバいっての! あとで痛くなったら言ってちゃんと?」


「分かってるって。まあでもさ、これで一件落着ってことでいいのかな? ヨモギ君も、ナズナちゃん? 抱えて行っちゃったし。ハッピーエンドって感じかな?」


「さあ? ま、もうなんにも起こらないっていうなら有難いんだけど」


 元気そうに二人は窓口に向かう。あとは診察料を払うだけである。


「しっかし、ヨモギ君とナズナちゃんはどうなっちゃったんだろうねぇ? 突然いなくなっちゃって」

「知らないよ。どっか遠いとこ行ったんじゃないのー? そんで二人仲良くさ」


 充希にそう返しながら、奈々子は先程までの事を振り返る。

 ヨモギとナズナが消えて、奈々子達は何故か安穂神社にいた。


 あんなに綺麗だった境内はボロボロになっていて、本殿や鳥居といった建築物は老朽化が進んだように寂れていたし、落ち葉が地面を埋め尽くしていた。それから『社務所への出入りは自由です』の看板はなくなっており、そもそも社務所自体がまるごと無くなっていた。


 唯一同じなのは、大きな御神木ぐらいだろか。その立派な幹はしっかり立っていた。

 それから二人は取り敢えず、傷を診てもらうため病院へと向かった。

 向かう途中も、街の人々には特に異常は無かった。アホアホ言ってる人も全くいなかった。


 ナズナに付けられた傷や痛みは(そして服の汚れまでもが)完全に無かったが、まあ一応のために診察してもらった。当然何ともなかった。もしかしたらヨモギが去り際に治してくれたのだろうか。


「あ、ちょっとトイレ行ってくるから、ロビーで待ってて~」


 充希が駆けていく。奈々子は言われた通りロビーのソファに座った。


(二人の行方、かぁ)


 深く息を吐いて、天井を見上げる。

 日曜日にも営業しているからだろうか。ロビーには多くの人が行きかっている。

 人々の足音や、喋り声が、雑音が。辺りに響いて奈々子の耳に届く。

 奈々子は目を閉じて、思考を巡らす。


(結局、理解できない事が多かったな……)


 今回の騒動。ブイチューバー展覧会、斎藤との漫才勝負、そしてナズナとの対峙。

 科学では証明できないような非科学的な現象をいくつも体験して、奈々子は生き延びた。

 だが、それらの真相を理解出来たかというと、正直奈々子の脳では処理しきれなかった。


 一体何だったのだろうか、あのオカルト現象達は。本当に不思議な出来事だった。

 だがまぁ、一つ言えることがあるとするならば……………………。


(もう体験したくねぇ~~~~)


 ということであり、奈々子は思考を停止した。


 そう思った瞬間だった。()()()()()()()()()()()()()()()


「ふふふ、元気そうでよかった」


 ナズナの顔を見ず、俯いて動揺する奈々子。


「……………マジかよ」


「やっほ~。ちょっと話さない?」


「なんで……ここに?」


「いや、だからちょっと会話したくて。奈々子ちゃんと」


 ナズナは首を傾げて、奈々子の顔を覗き込む。反射的に奈々子は立ち上がって、数歩離れる。


「話すって……なにを?」


「いろいろだよ、いろいろ。少しの時間だけだけどね?」


「ッ。アンタ本当に何しにここへ、」


「というか良いの奈々子ちゃん? そんなに声出して」

 指摘され、ハッとする奈々子。周りを見渡すと、ロビーにいた何人かは不思議そうに奈々子へと視線を向けていた。


「私、人間には視えないし聞こえないんだよ? 今の状況だと、貴女だけが一人でくっちゃべってる様に見えるわよ? 周りの人は」


「……………………」


「さてさて、どうやって話す? どうやって話をしようか~?」


 ニコニコと、悪戯っ子のように笑うナズナ。完全に奈々子をおちょくっていた。


(こ、コイツめぇ)


 奈々子はもう一度、周りを眺めてから沈黙する。やはり人々は視線をこちらへ集めていた。

 どうしようと悩んだ末に奈々子は、ズボンのポケットに手を突っ込む。


「………外で、話さない?」


「あ~~~。なるほど頭いい、そう来たか~~」


 耳にスマホを翳して、まるで誰か電話をするようにする奈々子。

 ナズナは嬉しそうに笑っていた。

次回、アホアホ神社のラストです。

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