エピローグ【後半】
「他の人には秘密だよ」
混雑する休日のデパート内。ベンチに座る奈々子は静かに、優しく、隣りの少女へ呟いて、
「【ぬいぐるみさん、私達と少しお話ししよ】」
その少女が持つぬいぐるみに触れ、〝能力〟を使う。
もう一度説明すると、今話題らしいブイチューバー『うchu子』を模ったそれは、自称宇宙人の美少女幽霊という斬新な設定で、宇宙服に白い三角巾を頭に括り付けてある。SFとホラーを融合したアンバランスな見た目の、血の通わないぬいぐるみ。
本来なら絶対に喋ることのない柔らかな無機質。
『……うん、もちろん。何を話そうか?』
―――が、それがまるで魂が籠ったように声を発する。奈々子と少女に話しかけてくる。
「え」
突然のことに驚く少女は、ぬいぐるみと奈々子を交互に見る。奈々子はふっと笑いかけて、うchu子を指さす。
「何か聞いてみたら? そのブイチューバーのファンなんでしょ?」
「え、え⁉ い、いま、うchu子が喋って!」
『ふふ、なんでも聞いていいよ桜ちゃん! ボクの分かる範囲ならね!』
可愛らしいソプラノ声でうchu子は、少女に楽しそうに呼びかける。
状況に理解できないのか、少女は困惑しながら再び奈々子を見る。奈々子は「大丈夫だから」と肩をポンと叩いた。
少女は意を決したのか、震えた声で話しかける。
「ほ、本当にうchu子ちゃんなの?」
『もちろん! 今までぬいぐるみとして桜ちゃんと暮らしてきた、正真正銘、第三惑星出身享年369歳のうchu子だよ!』
「ぬ、ぬいぐるみとして?」
『そうだよ! いつもボクを大事にしてくれてありがとう! 優しくて、習いごとを頑張っていて、ボクの動画をいつも見てくれてる桜ちゃんの事。ボクはとても大好きだし、いつも誇りに思ってるんだよ!』
「………………」
『まぁ、大嫌いなピーマンは食べられるようにならなくちゃだけどねっ』
冗談っぽくうchu子は笑う。
それに釣られてか、大好きなぬいぐるみが喋ってからか。少女の顔が段々と明るくなっていく。そして奈々子も誇らしげに笑う。
「凄いでしょ? 実は私、『物を喋らせたり、命令する能力』があるのよ」
「物を、喋らす……」
奈々子の言葉を反芻する少女。奈々子は自分の右手を見つめる。
「大人になってから出来るようになったんでけどね? 今みたいにぬいぐるみや、目の前の靴屋のスニーカーや、桜ちゃんが着ている服や。大体の物質と意思疎通出来て、命令とかも出来たりするの。その物質ができる範囲の事は大体命令に従ってくれる。例えば……」
奈々子がうchu子に視線を向けた。
「うchu子だっけ? 試しに【早口言葉いってよ】」
『いいよ! 「ローマの牢屋の広い廊下を 六十六の老人が ロウソク持って オロオロ歩く」。どうよ?』
「え、あ、スゴ。めっちゃ活舌いいじゃん」
『ふっふっふっ、ブイは声が命ですから! ボクぬいぐるみだけどね』
自慢げなうchu子。この声からはなんだか胸を張っているようなイメージを想像させた。
「ハハハ。まあ、こんな感じで。パソコンのキーボード打たないで検索出来たり、自販機と交渉して当たりを引かせてたり、ライターの火力を上げさせたりとかも命令できるかな。ただ、ぬいぐるみに動けって無謀な命令しても無理だけどね。流石に」
『あーお姉さん残念。それはボクには出来ないねぇ』
「あとは、能力の応用で、物体に好きな声で好きな言葉を喋らせたりも出来るかな」
奈々子は鞄からメモ帳を少女に突き出して、能力を使う。
『こんな感じで、老若男女どんな声も好きな言葉で出せるよ』
メモ帳から、ハスキーな男の声がした。
なんの変哲もない。種も仕掛けもない。文字通りメモ帳は、声を発したのである。
「凄い……魔法みたい……!」
「へへへ、でしょお」
奈々子がまた自慢げに笑った。少女はじっと、感激と好奇心を含んだ眼で奈々子を見つめる。とても子供らしい、子供が持つべきである希望に満ちた目をしている。
奈々子はそんな少女の視線に安堵して前を向いた。
目の前を、買い物をする人々が慌ただしそうに行き交っている。
「まあ、さっきの話に戻るけどさ。こういう特別な力を持ってる私がいるんだし、気付かないだけで案外、貴女の身近な所に不思議な現象が起こってるかもよ?」
「そうかな? 宇宙人とか幽霊もいるかな? 不思議なこと、沢山あるかな?」
「あるかもよ? うchu子の設て……生い立ちみたいにヘンテコで、ちょっとアホっぽい怪奇現象が一杯あったりするかもしれない。正直私は御免だけどもね、そこそこ楽しく平穏に暮すのが一番だと思うし」
楽しそうに行きかう買い物客を、人々の何気ない日常を奈々子は眺めながら、結論を述べた。
「まあなんにせよさ。大切なのは、信じて諦めない事じゃないかな? 多分、大切なことだよ」
「諦めない事………」
「〝譲れないぐらい熱いもの〟なら尚更さっ」
奈々子は再び少女に向いた。その表情はまるで春の暖かい風のように優しさ溢れている。
その言葉は側から見れば、自分に言い聞かせているようだった。
奈々子が諦めなかった"平穏な暮らし"を十分に噛み締めるような、そんな話し方だった。
「あ、探すにしても怪しいな場所行ったり危険なことはしちゃ駄目だよ? 親、心配しちゃうし。いい?」
そして、今度は真夏の太陽のようにニカッと笑った。少女は「うん! 分かった!」と、同じ笑顔で応える。
(あぁ、そういえば)
ふと、奈々子はナズナについて思い返す。少女の笑顔が、あの子達の笑顔と重なったからだろうか。
―――もしかしたらまた、第二第三の双子達がまた、自身や充希が危険に晒されるのだろうか。あんな奇妙な体験をしなければいけないのだろうか。
不安であるが、対策法が無いので、どうしようもないのだが。
いろいろ考え込む奈々子だが、答えは出ない。正直それはひどく不安だが…………。
(まぁいいか、いま平穏な生活送れてるならならそれで良いよね)
―――――私も。もしそうであるならば、あの双子も。
「あっ! 桜! やっと見つけたぁ!」
奈々子が伸びをしていると、遠くの方から若い女性が、声を上げてこちらに駆け寄ってくる。少女もそれに気付くと意気揚々と立ち上がり女性に飛びついた。どうやら無事母親が見つかったらしい。
「いや~、見つかって良かった。キョロキョロしてるからもしやと思ったら、案の定桜ちゃん探してたみたいでさぁ。いやホント良かった~」
と、母親を探しに行ってた充希が奈々子の隣に立つ。奈々子は呆れながら溜息をついた。
「勝手に行動すんなってば」
「アハハ、ごめんごめん! 早く探さなきゃと思ってさぁ」
「いや、迷子センター行けば良かったっしょ……」
「え、あー確かに………ま、まあまあ! 見つけられたんだからいいじゃあーん! 結果オーライだって!」
「アンタねぇ」
その後、二人は少女の母親に大変感謝され、少女に手を振られながら別れた。
別れる時にはぬいぐるみは言葉を発しておらず、少女に大切そうに抱えられていた。
そして奈々子は「さっき話したことは他の人には秘密だよ」と少女に念押ししておいた。
「ねえ、さっき話したことって? あの子となに話してたの?」
再び目的地へ歩き出した時、充希が尋ねる。横を歩く奈々子は口をへの字に曲げた。
「話すとメンドそうだから内緒」
「えーなにそれ! 言ってよー‼」
「どーしよっかなー。話したくないなぁー」
「ちょっとーいいじゃあん別に! 気になる~!」
駄々をこねりだす充希。面倒くさくなったのか、奈々子が「能力の事を話した」と頭を掻きながら告げると、
「…………え、えっ⁉ ちょちょっと話しちゃったの⁉ 噓でしょなんで⁉」
驚愕しながら問い詰めてきた。
「あー、こうなるから嫌だったんだよ……」
「ねえ! ホントに能力の事、言っちゃったの⁉」
「いや~、だってなんか泣き出しそうで…………」
「なにそれどういう意味⁉ あ、もしかしてこの前起きた怪奇現象達も全部喋った⁉」
「あぁ~めんどくさ! ほらさっさと行くぞ絵画展!」
「あ、ちょっと! 待ちなさーーい!」
逃げるが如く走り出す奈々子を、充希も駆け足で追いかけていく。
そんな二人のその姿は、傍から見ればまさしく、人々の何気ない日常のそれだった。
奈々子が大切にしている、何気ない幸福な日常というべきそれだった。
練習用の作品です。書き溜めているので今日中にもう何本か出ます。
ぜひ感想をお願いします。