噂の転校生
「一本ッ!」
畳に肉体をたた付けられる音と叩く音がほぼ同時に道場に響く。
それは柔道の立ち技の1つ、背負い投げ。
投げられた男と、投げられた男は乱れた道着を治し、判定をしていた男の「元の位置に」という言葉と共に組手を始めた元の位置に戻る。
「お互いに、礼!神前に礼!」
「「ありがとうございました」」
ここはアマツ高校の柔道部。
ここには20人近くの部員がおり、中には全国大会優勝者もいる。
そんな中、1人だけ壁に向かってただ人すら正座している男がいた。
「彼また部長を怒らせたんですか?」
「怒らせたって言うか完膚なきまでに負かしたんだよね」
「綺麗な大外刈からの一本だった」
正座をしながら組手をする部員を横目に壁に向かって正座をする男の事をヒソヒソと話す。
彼はつい1週間前にこの道場の部長を瞬殺してしまい部長の面目を完全に潰してしまい、完全な言いがかりによりここ一週間の部活の時間は全て壁に向かって正座させられていた。
「それにしても馬鹿だよな」
「毛無しの猿が幻獣を怒らせるなんて」
「裸猿は裸猿らしく身の程をわきまえて欲しいよ」
この世界には種族ごとに階級がある。
中でも人、ホモ・サピエンスである人間達は家畜の次、知性ある種族の中では最も地位が低い。
空は飛べず、鋼の皮膚や盾を持たず、剛力無双の肉体を持たず、生まれ持った不死性もない。
脆弱な言葉を解すだけの猿。
それが他種族からの人間の評価だ。
故に毛無しの裸猿。
「そう言えば聞いたか?」
「なんだ?」
「噂の転校生の話」
「あぁ、中国から来た神獣の転校生か」
「それがすっげぇ美少女らしくて、自分の婿を探しに来たらしいんだ」
「この高校には神獣が数人いるからなぁ」
「それがな、その神獣には見向きもせず「自分より強い雄以外興味無い」て言って完膚なきまでにボコボコにしたらしいぜ」
「どんなバケモンだよ」
「您有什么不满吗?(文句あるか?)」
その場にいた全員が飛び跳ねた。
それもそのはず、そこには今話していた噂の神獣の転校生がたっていたのだから。
紅い瞳と枝分かれした角、白い髪を腰まで伸ばし、背中の尾骶骨から太い龍の角と腕に微かに見える鱗。
何より目に行くのは龍の一族でありながら五本の指。
龍の一族は基本三本指から4本指が基本であるが、五本の指は龍の皇帝の象徴でもあり最も位が高い龍の証。
道場に居る全員に緊張が走る。
神獣、しかも龍の一族と言えば中国でもトップに君臨する種族。
その中の長であり皇帝の証を持つ五本指の龍。
その龍が道着を着て道場にいる。その理由なんて1つしかない。
おそらく組手をしに来たのだ。
その場の全員が虎と同じ部屋に入れられた小鹿の気分を味わっている感覚だ。
「那是什么?(あれは?)」
龍は壁に向かって正座する裸猿の方を指さした。
「え、えぇっとアレはですね、部長に卑怯な手を使って投げ飛ばした裸猿を反省させてます」
「···············」
龍はジッと裸猿の方を見続けた。
「おい、スマホで中国語翻訳した方が良いんじゃないか?」
「あ、そっか」
そう言ってスマホを取りだして翻訳機能を使おうとしたが、それよりも早く龍が歩いて裸猿に近づき、真横まで来るとしゃがんで裸猿の横顔をガン見する。
「何やってんだ?」
「さぁ?」
「你很强吗?(お前は強いのか?)」
「···············」
───ツンツン
「···············」
───ツンツン
「···············」
───ツンツン
「···············スヤァ」
ズコォッ!と龍以外の全員がズッコケる。
龍は寝ている裸猿の頬を人差し指で頬を続くが、鼻ちょうちんを作ってそのまま寝続けている。
4、5回程頬をつつくと鼻ちょうちんがパチンと音を立て弾ける。
「んにゃ··········ぇ、誰」
裸猿が違和感がある右頬が気になって右を向くと未だ頬をつつく龍の姿にはてなマークを浮かべながら今の状況が未だに理解できない。
「わたし、龍旼アル」
「誰だよ」
まだぎこちない日本語ではあるが自己紹介をした龍旼に対し、物凄い辛辣な返しに、道場の全員が(コイツ日本語話せたんか)というツッコミも忘れて裸猿の失礼な態度に焦り散らかす。
「わー!バカバカ!お前本当バカ!龍の一族君主である龍旼様を知らんのか!?」
「ここら一体を塵にしたいんか!?」
「お前ら裸猿の長所は知性だろうが!それをとったらお前には何も残らんぞ!」
「わたし、そのくらい怒らないネ」
龍旼は(お前らの中で私はどれだけ沸点が低いんだよ)と思いながら道場部員に無理矢理頭を畳に押さえつけられている裸猿の姿を眺める。
「おまえ、組手するよろし」
「いや、俺今組手すんなって部長と顧問に言われてるから───」
「部長と顧問の先生が今日から組手していいって!」
「そもそもコイツ誰だよ」
「神獣で龍の一族君主様だボケェ!この方に何かあったら国際問題だからな!?この方がその気になれば日本なんて火の海だからな!?言葉は慎め裸猿!!」
「だから気にしないネ」
「やーいやーいトカゲ女ー」
「あ゛ッ?」
いい加減埒が明かないので龍旼は裸猿の首根っこを掴んで無理矢理道場の真ん中に投げ飛ばした。
「投げ飛ばさなくてもいいだろ」
頭から落ちて逆さまの状態で腕を組む裸猿。
「うるさい、早く組手するネ」
「いや、俺が神獣相手に勝てるわけないでしょうが」
「大丈夫アル」
そう言うと「バキッ」と音を立てて自身の赤い角を日本ともへし折った。
「ハンデ、つけてやるヨ」
「···············」
裸猿は立ち上がり、折られた日本の角を見た。
それは龍が龍たらしめる力の源、仙力を操るための部位。
その強大すぎる力は時に火を吐き、天候を操り、人智を超えた力を生み出す。
それの力を操る為の角を折れば、たちまち龍の力は失われる。
「懦夫」
その言葉は臆病者な男を意味する。
龍旼はどうせ理解できないだろうと、それでもこれが挑発であることがわかるように裸猿を見下したように笑う。
だが、そんな龍旼を見て裸猿は一言。
「傻女」
それは馬鹿な女という意味だった。
柔道とは相手を尊重する事。
柔道は競い合う競技や、自身の力を証明する為のものではなく、相手と自身が共に成長し、相手の存在を理解し、尊び合うものであり、また自身の身を守るための護身術でもある。
そして柔道は礼に始まり礼に終わると言われるほど礼儀作法を重視される。
それは相手を尊敬し、相手の胸を借りる意味も込められている。
普通ならば審判による掛け声によって開始されるはずの組手だが、この組手においてそんなお上品な理由は存在しない。
今から行われるのはもはや柔道とは呼べず、ただの力比べだ。
「お前、柔道のルール知ってんのか?」
「知らない、でも相手を投げれば勝つ。それで充分ネ」
「それじゃぁ勝てねぇんだよなぁ」
「なに?」
「教えてやるよ」
そう言って裸猿は黙って龍旼の方に歩み寄り胸ぐらと裾を掴む。
「まずは力を抜いて」
「···············これでいいか?」
「んじゃ、背負い投げえぇッッ!!!」
「は?」
そう言って一瞬で自身より小さい体の龍旼を背中に乗せて持ち上げ、そのまま龍旼を背中から畳に叩きつける
「やあぁッ!!」
「かッ!?」
そのまま畳にたたきつけられた龍旼は身体中が痺れ、内蔵がひっくり返ったような気分の悪さに目眩すら起こした。
「はい、一本。俺の勝ちね」
「お、おまえ··········ッ!」
「教えてやるとは言ったが組手を辞めるなんて一言も言ってないぜ、傻女」
「くぅ··········ッ」
勝ち誇ったかのように「ケケッ」と笑う裸猿。
龍旼は怒りにの形相となり、先程折ったはずの角が一瞬で治る。
全員がその光景を見て(あの裸猿死んだな)と確信した。
神獣の怒りを買うなど、自殺に等しい。
例えるなら冬眠出来なかったクマの目の前で全裸で鮭を体に括り付けながら裸踊りをするのと同じ行為だ。
「これに懲りたら二度と裸猿に関わんじゃねぇぞ。じゃぁなぁ」
「待つ、裸猿」
「あ?」
腕を捕まれ振り返る裸猿を龍旼の龍の尾で首を絞める。
「ま、待ってください龍旼様!そいつは卑劣で卑怯でどうしようもないクズですが!」
「そうです!そいつは確かに救いようもないカスですが!」
「裸猿のくせして知能も猿人以下のアホ野郎ですが!」
「ぶっ殺すぞボケナスどもが」
青筋を浮かべながらキレる裸猿。
「そいつは俺達の大切な仲間なんだ!」
「殺さないでくれ!」
「お前ら··········いつか必ずぶっ殺してやるよ」
涙を流しながら止める部員に、裸猿は清々しいほどの笑顔で答える。
「何言うか、殺さないヨ」
「じゃぁ何する気だよ」
「こうする」
そう言って尻尾を龍旼の方に近づけると、両腕を裸猿に回し
「ん」
「ふぁ!?」
そのまま無理矢理口付けをした。
それを見ていた部員はあまりにもあんまりな光景に顎が外れるほどあんぐりとする。
裸猿は突然の行為に完全に脳の情報処理能力がショートして動けなくなっている。
そして当の本人である龍旼は目をつぶりながら裸猿の身長に合わせるように背伸びをして、頬を赤くさせながら深く、強く口付けをしたまま動かない。
数秒か、数分か、数十分後か、数えてたものはいないが、短いようで長く感じた口付けをようやくやめ、尻尾と腕を解く。
「おまえ、今日から私の婿なる」
「···················」
「?」
反応が全くない。
裸猿はどこか道具を眺めて動かなくなっていた。
不思議に思い目の前で手を振ったり、軽く頬をつついてみたが、全く反応がない。
どうしたものかと考えていると、微かに裸猿の口が震え始めた。
「ふぁ··········ふぁ··········」
「ふぁ?」
「俺のファーストキスがああぁぁぁッ!!!」
「!?!?」
突然泣きながら叫び出した裸猿に龍旼は驚きながら飛び跳ね、裸猿は突然走り出し、目の前の窓ガラスを突き破り、外に逃走し始めた。
「まてッ!」
そう言って龍旼は裸猿の後を追いかける。
道場に残された者達はただ呆然と目の前の光景を眺めていることしか出来なかった。
「いやあああぁぁ!来ないでケダモノおぉぉぉぉッ!」
「違うッ!おまえの妻!子供作る!」
「何言ってんの!?日本語翻訳間違ってない!?」
「おまえ私に勝った!婿になれッ!」
「やだッ!」
必死で逃げる裸猿だが、様々な種族の中で上位種、神とすら呼ばれる龍の一族の君主でもある龍旼に逃げ切れるはずもなく、一種で距離を詰められ、そのまま押し倒される。
「なぜ逃げるッ!?」
「エッチな事するつもりでしょ!?エロ同人みたいにッ!エロ同人みたいにッ!!!」
「当たり前ネッ!」
「俺達自己紹介もまだなんだぞ!?まずはお互いのことを知ってからにしよう!俺の名前は八咫 龍一ッ!」
「私の名前、龍旼ッ!龍の君主ッ!番探してるッ!そして見つけたッ!子ども沢山こさえるッ!お前家族だッ!服脱げ!」
「ここグランド!ほらみんな見てるから!」
「見せつけてやるッ!」
「日本語通じてる!?」
必死で服を脱がせようとする龍旼に龍一はそれを脱がせまいと必死で服を抑える。
周りのもの達は何事かとゾロゾロと集まり出すが、龍旼が服を脱がせようとする手を緩めることはなかった。
「めんどくさいッ!」
───ビリビリッ!
「··········は?」
力任せに龍旼は龍一の服を掴むと、そのままパンツ以外全ての服を破り捨てた。
1種何が起こったのか分からず呆けてしまったが、すぐに自身がパンイチの状態だと理解した。
「い、いやあああぁぁぁぁッ!?!?」
「さ、子供作る。結婚する、お前家族ネ」
「いや意味わからん!?お前の種族はみんなこうなのか!?」
「私の家族、基本単為生殖」
「やっばァ」
「さ、子供作る」
「やだッ!!!」
「勝ったお前が悪い」
「や、やめてぇぇぇぇぇぇ」
「あてみ」
「ふぎゅッ!?」
突然短い断末魔を上げて気絶する龍旼。
その後ろには真っ白な髪に赤みのかかった長い髪が特徴的な小さな古龍が立っていた。
「誰だお前はッ!?」
「儂の娘が迷惑をかけたな婿殿」
「だから誰だよ」
「龍旼の母じゃ」
「お前がコイツの母親か!おたくの娘さんどう言う教育してるんですか!?危うく俺のチェリー食われる所だったんですが!?」
「儂の一族は代々『どんな卑劣な手でも負ければその者の嫁となり世継ぎを残す』と言う掟があっての、その掟にしたがったまでじゃ」
「お宅の一族性犯罪についてどう思います?」
「相手の尊厳を踏みにじる最低最悪の許されざる行為じゃ」
「警察署はここから5キロ先にあるぞ」
「家畜が合意無しで交尾した所で性犯罪等とのたまうか?儂らにとっては貴様の尊厳などその程度じゃ」
「知ってた」
そう言いながら気絶した龍旼を担ぐ古龍。
「儂の名は愛人じゃ、これからよろしくのぉ」
「宜しくしたくない」
「この場で即宜しくしてやろうか?」
「短い付き合いになると思いますがよろしく」
「それではのぉ」
そう言って愛人は消えた。
俺はまるで嵐にでもあったかのような疾走感に未だこれがタチの悪い夢ではないかと思っているが、グランドでパンツ一丁で周りの奴らの視線にこれ夢じゃねぇんだろうなぁと諦めながら剥ぎ取られた柔道着を回収して道場に向かった。
▶▶▶▶
『流石に公衆の面前で交尾迫るのはどうかと思う』
『すみません』
広大な土地に建てられた一軒の屋敷。
その屋敷の中で二人の龍が座っていた。
それはまるで親が悪さをした子供をきつく叱るような光景だった。
『で、負けたのか?』
『···············はい』
時に神として崇められ、今直各国にその力を警戒され、恐れられ、人々から数入れ続ける龍の末裔。
なんの混じりもない、純潔の龍の一族。
その龍の一族にはとある掟がある。
【龍の一族の長、負ければその者と子をなし、長の伴侶として迎え入れよ】というものだった。
これにより各国は龍の力と権力を欲し、各国の武術者、暗殺者、兵器を使い龍の一族に挑んだ。
結果は龍の一族が未だ純血なことから明らかだ。
そして今代の君主、龍旼は歴代の龍の一族君主の中で最も優れた君主である言われている。
それが負けた。
無名の柔道部員に。
どんな卑劣な手を使われようと、負けは負け。
敗北に覆りはない。
今までどんな兵器も、技も、力も、卑劣も、国すらも単独でねじふせてきた君主が、たった一人の人間に不意をつかれ負けた。
疑わしき結果だ。
若さ故の傲慢か、過ちか、それとも故意か。
かつての君主、龍 愛人に検討もつかなかった。
故に問う。
『なぜ負けた?』
龍旼は考えた。
実の所、龍旼にもなぜ負けたのか分からなかった。
不意打ちとはいえ裸猿の技、裸猿の不意打ち、反応するくらい造作もない事。
例え角がなくとも龍は龍。
手加減したとして神は神。
蟻に象が手加減するようなもの。
だが負けた。
もし自分があの時投げられた理由があるとすれば、心当たり程度に一つだけあった。
あの技を受ける刹那、確かに自分はあの男に───
『見惚れました』
『··········まさか、一目惚れか?』
『違います』
『若いのぉ〜』
『違いますッ!···············多分』
『今日は赤飯を炊かねば』
『お母さん!違うってば!』
全く聞く耳を持たない愛人に、顔を赤くさせながら怒る龍旼。
台所に向かう愛人はふと考える。
神とは崇拝されるもの。
畏怖され、羨望され、求められる。
人々は神を欲し続け、神の名を求め、力を求め、奇跡を求め、唯一を求め、だがそれが叶わないと知りながら欲し続ける。
故に、神とは平等なのだ。
一切干渉せず、ただ求められるだけの存在として、人々は神を使う。
あらゆる非道にも、あらゆる善行にも、神の許しを求め、そして平等に無価値であり続ける者。
その神が、一人の男を求めた。
求められるだけの無価値な神が、求めてしまった。
人々が、国が、種族が欲し続けた神が、自分たちには無価値で、平等だったはずの神が、不平等であり、価値あるものになってしまった。
人々はそれを堕落と言うだろう。
神とは干渉せず、平等で無価値であり続けるからこそ神なのだ。
その神が、ただ価値ある不平等なものになれば、神でなくなると、堕落したと罵るのだろう。
だからこそ、愛人は嘲り、蔑み、軽蔑しながら、心の中でつぶやく。
(くだらない)
自分の前にかつて夫と呼べる男がいた。
ただ普通に恋をして、普通に愛した。
たった一人を寵愛したが故、人々はその男を殺した。
また自分が神である為に。
神という存在を消さないために、男を殺し、また自分を神座へと戻した。
(···············八咫 龍一か)
卑劣な手を使って勝ったと聞いて耳を疑った。
龍旼はかつて様々な暗殺者や武芸者、兵器を使い昼夜問わず攻撃された。
その中には卑劣な手の数々もあったが、最終的にその全てを返り討ちにしている。
競技等、ルールに縛られた勝負でも、負けたことがない。
無論どんな卑劣なルールでもだ。
「わざと負けた···············?」
一瞬そんな疑問が頭を通り過ぎた。
案外本当に"一目惚れ"なのかもしれない。
自分も昔愛した男は完全に一目惚れだったわけだし。
「まぁ、若い子同士の恋愛に口出しするのは野暮ってもんじゃの」
そう言いながら赤飯を作り始めた愛人だった。