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ユルゲルトと可愛らしい女の子が抱き合っているのを見て、思わず思考が止まって。それから気づいたら魔法を使ってまで逃げて病院の私室にいた。
ああ、どうしよう。
デスクの上にある、金色の封筒を見る。これは皇帝から、ネームドの魔術師の出征を命じる手紙だ。西側の紛争が大規模化しそうだから、そうなる前に今いる敵を撃滅せよと。そう書いてある。
同棲する前はこっそり出征してもバレなかった。
でもいまは一緒に住んでいるから、あらかじめ伝えておかないと心配するだろうと思って。今夜には行かないといけないから急いでユルの職場に行ったけど、女の子と抱き合っているのを見て正気を失ってしまった。
そうだよね。ああやって素直に甘えられる女の子の方が可愛いに決まってる。
ああ、どうしよう。別れ話、されちゃうのかな。聞きたくない。今聞いたら戦争に負ける。確実に。それは多分良くない。だから無理やり心を殺して行かないと。だめだ。
「ライラ、彼氏に伝えられた?」
そう思った矢先に上司のハーパーが能天気に聞いてくる、やめてほしい。
「無理でした。すみません」
「同棲始めた時点で、いつでも伝えていいって言ってるのに」
「勇気が出ず。いえ、私の問題です。すみません。もしも私が不在の間にユルが訪ねてきたら、うまく誤魔化していただけませんか?今から準備していくと、もうちょっと話す機会がなさそうで」
「はあ〜〜〜〜、お前話しとけよ。お前の彼氏が可哀想だろ」
「すみません」
ハーパーは頭をガシガシと面倒そうに書きながら、それでも「わかった」と言ってくれる。
ごめんねユル。向き合う勇気がなくて。
私室のデスクの一番上を開けて、ユルからもらったドックタグを首にかける。
これはいつかの誕生日に私がねだったものだ。
師匠がつけていて、かっこいいと思ったから私も欲しい、なんて嘘をついた。
本当は戦場に行く時、ユルからもらったものを身につけたかっただけ。指輪やピアスは服で隠しづらいから、素性を隠しているネームドは外せと言われるから。
でもドックタグなら服の下に隠していける。だから欲しかった。私がもし、いつか致命傷を負って死んでしまっても、これがあればユルの元に戻れる可能性もある。
ユルは私が何も知らずに欲しがったと思ってるだろうな。
私がまさか戦場で戦ってるなんて知らないはずだ。
だって知ってたら私と付き合っているはずがない。
戦争が嫌いだと言ってた。人を殺すのも嫌だって。
誰かの役に立ちたくて、なるべく紛争を避けられるようにしたくて、でも治癒の特性がないから宮廷魔術師になるんだってユルは言ってた。
それを聞いて、ああ、私はじゃあユルの唯一にはなれないなって思った。
だってその時すでに数えきれないほどの人を殺してたから。命令だったけど。でもユルの嫌いな戦争で戦う魔術師だ。
それでもどうしてもユルの近くに居たくて、隠して、言えなくて、言いたくて、言わなきゃって思ったけど、やっぱり怖くて。
だからバチが当たったんだ。ユルは職場の女の子と抱き合ってた。
思い出すだけで涙が出そう。だめだ。考えるのをやめないと、戦場で魔力暴走でも起こしそう。
なるべく心を無にして出征の準備をする。
ネームドの魔術師は素性を隠していて、他の兵士たちと一緒に移動しない。素性を明かしているのは師匠くらいだ。普通は隠匿の魔法をかけて認識しづらくした上で、仮面も被る。
あとは変な異名で呼ばれる。
私の場合は「苦痛の魔術師」らしい。気に食わないけど素性を明かすわけにもいかないからしょうがなしに受け入れている。
ユルから手紙が届いている気配がしたけど、怖くて見れなくて通信箱は置いていった。通信箱はいっぱいになって、すこしメモがはみ出ていたけど。でも怖くて見れなかった。
別れようって言われたらどうしようって。
言われても仕方ない。戦争にでてたくさん人を殺しているし、ぶっきらぼうでユルにもらってる愛情の1/10も返せてない気もするし。料理もできないし。
ああ、考えてたらまた気持ちがおかしくなってきた。だめだめ、いまから戦うから。
気を引き締めて、軍部の一部しか入れない転送ゲートに向かう。仮面をつけて。
この仮面をつけると、心にも仮面をつけているような気持ちになれる。
珍しくそこには王太子殿下がいて「今回は相手が少し面倒なんだ、徹底的に頼む」と言われたので黙って頷いた。
あまり戦うのは好きではないけれどそう言われたらやらざるを得ない。
戦場に着くと思っていたよりも、緊迫はしていなかった。
それでも他の戦地よりは大変そうだけど。
負傷している兵士も多い。本当なら、負傷している兵士たちを治癒してやりたい。すぐに家族の元へ帰してやりたい。
でも今ここにいるのは治癒士のライラではなく苦痛の魔術師なのだ。
彼らの苦痛を少しだけ和らげる魔術をかけてその場を離れることしかできない。
「戦況は」
「あまりよくありません。長い間少しずつ領地に入り込まれていたようで。元々洞窟や遺跡の多い土地です。その中に身を潜めているようです」
そう言ったのは領主だった。
殿下は徹底的に頼むと言った。それは一人も逃さず潰せということ。
「価値が低い遺跡は出入り口を塞いで燃やせ」
自分でも引くほど非道な手段が口から出てくる。
「探知魔法が得意な魔術師はいるか?」
「はい」
「ではそいつと私で撃滅しよう。あともう一人、誰か案内役を頼めるか」
「わかりました。あと気になる点が一つあります」
「なんだ」
「敵がまるで怯みません。通常攻撃が当たれば怯みます。歩みが止まるか、隠れるか、逃げるか。ですが今回はなりふり構わず、前に進んできます」
「そうか…わかった、ありがとう。出撃は明日にしよう」
そう言って作戦室を出た。
歩みを止めない兵士は確実に私の魔術の対策だろうな、と思う。最近の大きな戦場には私が出ていたから。
私が「苦痛の魔術師」と呼ばれたのは、私が相手に痛みを与え戦意を喪失させるからだ。
私だって別に人を殺したいわけじゃない。
敵兵も国の事情でやむをえず戦闘に参加している場合があることを理解していたから。
だから戦場の全ての敵兵に、失神寸前の苦痛を与えて戦意を喪失させる。体に傷はできない。ただ痛みを与える。だから苦痛の魔術師。
いずれは今回のように苦痛に対する感覚を麻痺させた、ホムンクルスのような、あるいはアンデットのような兵士を用意してくるだろうというのは予想していた。
師匠もそう言っていた。
だけど実際にされるとやるせない。敵は痛覚を消された生者か、ホムンクルスか、アンデットか、どれだろうか。できればアンデットであって欲しい。
戦場にいる間は何をしても眠れない。
ハーパーに作ってもらった強制睡眠薬を飲まないと眠れない。ああ、ユルの腕の中にいれば眠れるのに。
ユルが今のこの私の状況を知ったらどう思うだろうか。
黙ってこんなところに来た私をどう思っているんだろう。
探してくれるかな。そしたら嬉しい、でも知らないでほしい。ああ、気持ちがぐちゃぐちゃだ。
二日目は案内役とともに洞窟や遺跡に潜む敵を掃討した。
出入り口を塞ぎ、それから火炎魔法を放った。燃え広がらなくていい。中の酸素がなくなればいいだけだから。
探知魔法で生存反応を確認して、ある程度減らして生き残りの気配がすれば、私が中に入り処理した。
心が痛い。でも、心を殺して、それから敵をたくさん殺した。
敵に苦痛の魔術が効かないことをある程度確認してからは、本当に、容赦無く。
苦痛の魔術師だけど、私が放てるのは苦痛だけじゃない。
むしろ本来は、屠る魔術の方が得意なんだ。
でもそれを使うとみんな怯えるから。みんなすぐに死んでしまうから。
でも徹底的にしないといけないから。ああ、どうしよう。つらい。
かえりたい。でも私に帰る家ってあるんだっけ。
ーーーおい!
思考がぐちゃぐちゃになった時、なんだか誰かの焦った声を聞いた気がしたけど、もう心を殺していてよくわからなかった。
心も死んで、敵も死んで、あれ、右腕が痛いや。