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9 ダンスパーティの相手役

「旦那様より、ダンスパーティに参加するようにとのご指示です、エミリアお嬢様。」


 エミリアの自室で、一人のメイドが丁寧に招待状を手渡しながら告げた。部屋は無駄のないシンプルな作りで、淡い色合いの壁と整然とした家具が静かな空気を作り出していた。床は磨き上げられ、整頓された棚にはわずかに並べられた本が静かに佇んでいる。窓から差し込む光が部屋を淡い明るさで包み込み、その清潔感にもかかわらず、どこか寂しげな印象を与えていた。メイドたちはエミリアに対して特別な感情を持たず、ただ自分の仕事を淡々とこなしているだけだった。


「……それ私が行かないとダメなの?」


「私は旦那様からそのように仰せつかったのみです。」


 メイドは冷たくエミリアに言い放った。エミリアの自室に響くその声は、感情をまったく含んでいなかった。

 通常、父が忙しい場合は義妹が積極的に参加することが多いため、エミリア自身はこういったパーティには普段参加しない。だが、手渡された招待状を見てみると、それはクリストフ家から送られてきたものだった。エミリアの家、レイヴェルク家は貿易事業を行っており、クリストフ家もまた貿易を中心に巨大な財閥を築いているため、レイヴェルク家とはパートナーシップを結んでいる。そのため、当然こちらにも招待状が送られてきたのだとエミリアは思った。


 そして、なぜ父が私に参加するように言っているのかについて、エミリアはおそらくアナバリスに所属するクリストフ家の長子が司令官に昇進したためだろうと推測した。彼は有名な人物で、エミリアもそのことは知っていた。だから、同じくアナバリスに所属する私が適任であると父は判断したのだろうと、エミリアは理解した。


「……私も話したことがないから、誰が行っても同じなのに。」


 エミリアは小さくつぶやいた。クリストフ家の長子ジルベールは同じアナバリスに属しているものの、エミリアは彼と直接話したことがない。そのため、彼女がパーティに出席しても、父や義妹が行くのと何ら変わりはないと思われた。むしろ、社交界で敬遠されがちな自分よりも、社交的な義妹の方がうまくやってくれるだろう。しかも、今回はダンスパーティだ。相手役を伴わなければならない。貴族の友人も恋人もいないエミリアよりも、恋人のいる義妹の方が圧倒的に適任だと、エミリアは心の中で愚痴った。


 しかし、ここ数年、父とはほとんど会話を交わしていない。エミリアの事情を知るはずもなかった。それに、姉としていつまでも義妹に頼り切りなのもどうかと思われた。


 エミリアはため息をつき、「わかったわ。」と仕方なく承諾した。それを聞いたメイドは、任務が終わったことに満足し、一礼してそそくさとエミリアの自室を後にした。


 招待状によると、ダンスパーティは3日後に開催されるとのことだった。


「あと3日……。」


 それは相手役を探すにはあまりにも短すぎる時間だった。彼女から盛大なため息がこぼれ出るのも無理はなかった。



 ――――――


「……リ……ん。……エミリアさん。」


「っ!?」


 エミリアがハッと我に返ると、グレンが心配そうに彼女を見つめていた。

 エミリアが招待状を受け取ったその日の午後、グレンとエミリアはあの図書館に併設されたカフェへと足を運び、一緒にお茶をしていた。


「大丈夫ですか?先ほどからボーっとされていますが。」


「え?あ……えぇ、大丈夫よ。心配かけてごめんなさい。」


 せっかくこの前友達になった記念にお茶をしに来ているというのに、これではお互いに楽しい時間を過ごせないと思い、エミリアは彼に申し訳なくなってしまう。明らかに様子がおかしいエミリアに、グレンは眉をひそめた。


「いえ謝らなくていいのですが、何か悩み事でも?良ければ相談に乗りますよ?」


 相変わらず微笑みを浮かべて優しく接するグレンに、エミリアは少しだけ心が軽くなるのを感じた。


「…………その、今日、父からダンスパーティに参加しろと言われて。」


「ダンスパーティ?」


 グレンがそう聞き返すと、エミリアは小さくうなずいた。ダンスパーティと聞いて、グレンは自然とクリストフ家の名前が頭に浮かんだ。そういえば、あの情報屋から受け取った資料には、クリストフ家が貿易を中心に財閥を築いていると書かれていたことを思い出す。そして、ここにいるエミリアの家であるレイヴェルク家も貿易事業を行っていたはずだ。


 そのことを考えながら、グレンはなんとなくエミリアが何に悩んでいるのかを思い当たったが、一応確認を取ろうと話を続ける。


「それで、そのダンスパーティがどうされたのでしょう?」


「ほら、ダンスパーティには相手役が必要でしょう?でも私、相手がいないからどうしようかと……。」


 実はグレンもその招待状を受け取っているのだが、エミリアには、他の身分があるかのように伝えてはいるとはいえ、現状自分の学者としての活動のことしか話していない。エミリアが自分がその相手役になれることを思いつかないのも無理はないと、グレンは察した。ここで「あ、私、その相手役になれますよ。」と伝えてもいいのだが、すぐに問題が解決してしまうのは面白くないし、何よりもっと多くの情報を知りたいし、エミリアの反応を見てみたいと思った。


 グレンは微笑みを絶やさず、エミリアに尋ねた。


「それはどうしても参加しないといけないものなのですか?」


「主催の家と私の家が同じ貿易事業を営んでいるのだけれど、そこと提携を結んでいるの。だから家の中で誰か参加しないといけなくて……。でも今回は父も忙しいみたいで、普段なら義妹の方に話が行くのだけれど、今回は私が適任らしく……。」


「それはまたどうしてでしょう?エミリアさんは、ああいった社交の場が苦手だと思っているのですが。」


「……主催の家がクリストフ家って言うんだけれど、そこの長子がアナバリスに所属してるの。だからよ。」


 資料に書かれていた内容が事実であることを確認し、その信頼性を確かめたグレン。また、レイヴェルク家とクリストフ家が提携を結んでいるという推測も正しかったことがわかり、やはりと思った。


「お父様にはそのことをご相談されないのですか?」


 エミリアは沈黙を保ちながら、ふと視線を落とした。思い出すのは、いつも忙しそうな父の姿。彼に相談する時間もなければ、迷惑をかけたくもなかった。


「…………言えないわ。忙しいし。それに、いつまでも妹に頼るのも、姉として立つ瀬がないもの。」


 エミリアが父親に相談できない本当の理由は別にあったが、その理由も事実の一部であったため、彼女はそのように答えた。

 

 グレンはうなずきながら理解を示す。


「なるほど。それでどうしてもエミリアさんが参加しなければならないのに、そのパートナー役がいないとなると、悩んでしまいますよね。」


 エミリアは深いため息をついた。


「それも、あと3日しかない……。」


「いっそのこと、バックレてはどうでしょう?」


「ダメよ!そんなことをしたら……。」


「したら?」


 エミリアは言葉を探すように視線を彷徨わせた。やがて、うつむきながら小さな声で答えた。


「…………せっかく父が今まで頑張ってきたものが、無くなってしまうかもしれないじゃない。」


 レイヴェルク家は近年事業を拡大し、伯爵の称号を授かったと資料には書いてあった。きっと彼女の父親はかなりの努力をして今の地位を築いたのだろう。彼女もそんな父親の姿を見ていたからこそ、それを無下にするような事はできないのだとグレンは理解した。


「…………そうですか。エミリアさんはお父様を大切に思っているんですね。」


「違うわ。そんなんじゃないわ。娘をずっと放置する父親なんて好きじゃないもの。」


 エミリアの言葉には、複雑な感情が込められていた。父親への尊敬や寂しさや怒りなど様々な想いが渦巻いているのだろう。彼女の声は、父親への複雑な感情をそのまま映し出しているようだった。

 

 グレンは一瞬の沈黙の後、話の流れを変えようと口を開いた。


「…………エミリアさん、実を言うと私も悩みがあるんです。」


「え?グレンが?」


 エミリアはグレンも悩むことがあるのかと驚き、思わず目を見開いた。


「えぇ、この前ある招待状が届いたんです。送り主の家とうちの家はその昔交流を持ったことがありまして。それで送られてきたのですが、いかんせんそれがダンスパーティなんですよ。私もエミリアさんと同じく相手が見つからないままでして……。そのうえ開催まで残り3日しかないのですよ。」


 仰々しくグレンは語る。その顔は困ったようにしていたが、どこか楽しそうである。


「…………ねぇ、その送ってきた家って。」


「クリストフ家です。」


 グレンはニコニコと微笑む。


「……………………。」


 まさか目の前に相手役となりうる人物がいたとは露も知らなかったエミリアは、ずっとグレンにもてあそばれていたのだと理解し、一瞬固まったのち、「グレン。」と姿勢を正して呼びかける。


「はい。何でしょうエミリアさん。」


「あなた本当に性格が悪いわ。」


 エミリアのその目は非常に冷たかった。

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