1.面接
絶え間なく大きく身体が揺れている。
軍用トラックの荷台の中に大量の荷物とともに寿司詰めにされている。
「お姉さんって呼んでね!」
そんな返答をされた。
名前は答えてくれなかった。
私とそんなに歳の差を感じない見た目だけど彼女自身は年上でありたいらしい。
私は彼女に命を救われた。
なす術なく死を待つだけの私を。
感謝の気持ちはもちろん強いが、あの悍ましい戦場から抜け出すことができた安心感はひとしおだ。
今私はお姉さんの手引きの元、特別捕虜という形で後送されている。
彼女は軍に兵力を提供している一派の傭兵的な立場らしく、彼女がバリケード前に立つ軍人に階級章のようなもの見せるだけで共に居た私も通してもらうことができた。
私の事についても深くは尋ねられなかった。
私の身柄は自国ではおそらく死亡扱い。
そもそも国の召集に応じた時点で取消線が名前に引かれているだろう。
そして敵国も私という存在を気に留めていない。
そんな宙ぶらりん状態になってしまった今、正直敵とか味方とかにあまり違いを感じない。
敵だった国はこちら側全部を殺そうとしたし、味方であるはずの自国に至っては敵国よりも直接的に殺されかけたし、こうなった原因そのものだ。
だけど私を戦地から連れ出してくれた彼女がいるだけでも暗い気持ちが少しマシになる。元敵国とは直接の関係は無いようだし。
彼女をはじめとしたその同輩は戦場で出た捕虜を取り扱う立場でもあるらしく、通常捕虜は折檻されるそう。
しかし彼女の計らいによって特別捕虜になった私は丁寧に輸送されている。
といっても手首から先を丸ごと覆うような物々しい手錠はしっかりと嵌められているが。
「ごめんなさいね。さすがに体裁は無視できないの。コレはしばらく付けておいてもらうわ。」
車での移動中、彼女は後の流れを丁寧に教えてくれた。
・私の身柄はまだ綱渡りしている状態である。
・私が唯一生き延びる方法があるとすれば、この国で合法的に市民権ないし人権を獲得すること。
・それを達成するためには彼女と同じ組織に所属し、新たに戸籍を作ってもらうほかないこと。
・組織に入るためには採用面談をパスしなければならないこと。
・そこで面接官のお眼鏡に叶わなかったら収容所送り。
そうなれば良くて一生収監、悪くて即処刑。
収監されるにしても他の戦争犯罪をはじめとした犯罪者と一緒くたにされ、過酷な労働環境に置かれる。
それも使い物にならなくなればすぐに処分される。
緩やかか急かという僅かな違いはあれど、収容所送りにされれば結局は死への直行便に変わりはないということ。
一通りの説明が終わったあとは泥のように眠った。
軍用トラックは戦地から小一時間走り、飛行場に到着した。
そこから小型の空輸機に乗り換え、さらに数時間フライトした。
到着先は空港ではなく、ヘリポートがいくつも並ぶ広場だった。
「さ、着いたよ。ここであなたの将来が決まるわ。」
到着した場所はどの町にもよくあるような
何に使われているかわからないような
無機質な四角いコンクリート建物だった。
建物自体は3階建てくらいの高さで、大きめの小学校くらいの大きさと広さだ。
大きいといえば大きいが、大手企業が入るようなタワービルなどと比べると小ぢんまりしているし、壁をよく見ると経年劣化により表面が粉を吹いていたり、ところどころ亀裂が入っていることがわかる。
「というか、私も大概だけど、貴女、酷い臭いね。洗浄室に向かうわ。」
「せ、戦場?!やだ、お願い」
「洗、浄、室。身体を洗うのよ、シャワー。んもう、逃げようとしないの。」
建物に入ってすぐの『洗浄室』とプレートの掛けられたシャワー室に入り、薄緑色をした薬液のシャワーで全身をくまなく洗われた。
「いたいっ!」
左耳に刺すような激痛が走ったことで漸く自分が怪我をしていたことに気づいた。
「ん、ちょっと見せて。
あら……耳、撃たれてるわ。返り血じゃなかったのね。
大穴空いてるわね。ひとまず綺麗にしちゃうから我慢してね。」
「イッ!……う、撃たれてたの……?」
おそるおそる痛みの元を撫でる。
私の左耳はほとんど消失してしまっていた。
全く自覚はなかったが、撃たれた当時は生きることへの渇望によりアドレナリンが大量に分泌されていたため、痛覚が完全に麻痺していたらしい。
ひとまず身体の洗浄を終わらせ、応急手当をしてもらい事なきを得た。
痕が大きく残ってしまうらしいが命には代えられないので正直気にはならなかった。
むしろ、この傷で済んだと前向きに考えるようにしたい。
替えに用意してもらった服は
白色無地の作業着のような、味気ない上下一体のものだった。
少なくとも自分が何者かを示すにはこれ以上無いものではあった。
着替えた後は窓の無い部屋に通された。
そこは扉の付いた箱のような造りで、洗面台と簡易トイレ、ベンチ、豆電球が一つだけの鏡すらない簡素で狭くて薄暗い部屋だ。
広いよりかは落ち着くが、犯罪者と変わらない立場なのだと否でも実感させられる。
「ここでちょっと待ってもらうわ。湿っぽいし辛気臭いけどすぐに出られると思うから。」
ベンチに座らされ、彼女から触診をされる。
未だに緊張感は強いが、改めて一息つけたことで全身から疲労感がどっと出た。
「今、私にできることはしたわ。何事もなければこのあと面談が控えてるんだけど、人事担当はかなりいい性格をしてることで有名なの。襲いかかったり取り乱したりせずに最低限、お行儀良くね。
じゃ、同僚になれるよう幸運を祈ってるわ。」
彼女は私の頭を何度も撫でて数秒ほど抱擁した。
「あの、その、こんなに助けてくれて本当にありがとう。
私、あなたにちゃんと」
彼女は私の頬を両手で挟むと一段と優しい顔を見せた。
「ああっと、続きは採用されてからゆっくり、ね?」
「……うん。」
「だぁいじょうぶよ!あなた良い子なんだから!
安心して!勝ち確よ!勝ち確!気をしっかり持ってね?
じゃあ吉報待ってるわ!」
最後に私に激励を送るように両手で肩を強めに一度叩き、部屋から出た。
「うん。」
離れ際の一瞬、彼女の表情が悲しさを堪えたように見えた。
コツコツと彼女の遠ざかっていく足音が心細く感じた。
ひとまず毎分毎秒の命の危険から脱したことに深い安堵の息を吐いた。
コンクリートでできた床と壁の冷たさが私の身体から少しずつ熱を奪っていく。
そこからひたすら静かな時間が続いた。
少し身じろぎする度、自分が着ている服の布擦れの音に一々驚く。それも酷く。前までこんな事無かったのに。
そこから体感時間にして丸1日くらい経ったころ、看守のような人が私の元に訪れた。
「君、ついてきなさい。」
「……はい。」
連れて行かれた先は無機質な白い壁と天井、床は薄紺色のカーペットが敷かれた会議室のような部屋だった。
そこには白衣を着たおじさん5人が横並びに簡素な長机と椅子を並べて座っている。
彼らと対面になる形で空いた椅子が一つ置かれている。
部屋はシンと静まっていて緊張感が張り詰めている。
「早く着席しなさい。」
「は、はい、すみません。」
真ん中に座っているメガネをかけた一番偉そうな人がドアの前に立つ私に対して口を開いた。それに続くように3人のおじさんが口々に呟く。
「チッ、臭うな。」
「洗浄済みらしいぞ」
「これだから戦争帰りは……」
「……」
メガネは彼らの言葉を気にする様子を見せない。私は恐る恐る椅子に腰を降ろしたが、パイプ椅子が軋む音がよく通った。メガネは私の着席を待ってから言葉を続けた。
「君は特別捕虜としてここまで連れて来られた。それと同時に調執部二課のミューバン氏による推薦も受け、この面談が緊急で設けられた。彼らも私も時間を削ってこの場にいる。それを理解した上で発言するように。ちなみにこの場では私一人が全ての質疑応答を担当する。」
「は、はい。」
なら、ほかの人は取り巻きということだろうか?
必要ないのでは?
私を威圧するためだろうか。
なんて言葉は思うだけに留めておく。
そして、ここで彼女の名が『ミューバン』というらしいことが判明した。
メガネがフン、と小さく鼻を鳴らすと口を開いた。
「××国◯◯出身、※※※※※※※ 14歳、孤児の出自か。
徴兵される直前まではずっと孤児院にいた、と。
目立った経歴は無いが、日ごろから同じ孤児院の子供たちの面倒をよく見ており、人格に問題は見られない、か。ふむ、善良そのものだな。」
驚いたことに、どうやってか私の来歴が嘘偽りなく暴かれている。
そして私に確認を取らず一方的に断定しているということはそれが事実だと確信しているということ。
書類が手元にあるようだが、メガネはそちらには一瞥もくれず、私の目を見て話している。
おそらく内容の要所はすべて覚えているのだろう。
取り巻きのおじさんたちは手元とこちらに視線を行ったり来たりさせているというのに、目の前のメガネは私の目から視線を外さない。
今までに生きてきた中でここまでの圧力を感じる人を見たことがない。
私はとんでもない場所に来てしまったのかもしれない。
「だが徴兵とはいえ一度は我らの敵として戦場に立っている。
そして君は元敵国の組織に属したいと。
フン、どうやらコロコロと立場を変えるのが好きなようだな。」
はははと取り巻きが愛想笑いをする。今のどこに笑い処があったというのか。気味が悪い。
私に対する心証は初めから最悪らしく、状況が好転する気配が微塵も感じられない。
「確かにウチで採用となれば君の個人情報は一から作り直され、戸籍も与えられ、大手を振って生活が送れるようになる。
通常、捕虜は真っ直ぐ収容所に送られるところだが君はミューバン氏の温情によって特別にここに寄り道できているだけだ。何か言いたいことは?」
「わ、わたしは、私の命を救ってくれて、この場まで導いてくれたミューバンさんに恩返しをしたい、です。そのためには彼女と同じ立場に立つ事が最善で最有力だと考えました。
戦争についてはよく分からないまま連れていかれ、放り出されました。決してスパイなんかじゃありません。どうか、雑用でも掃除でも下働きでもなんでもしますので、ここの皆様のお役に立てるよう、身を粉にして働きますので、どうかお願いします。」
「ふむ、なるほど。良い姿勢だな。私の部下にも見習ってもらいたいものだ。」
「じゃあ……!」
想定外の前向きな返答に思わず私の顔が綻んだ。
喜びとまでは言わずとも、間違いなく上向いた内心が顔に出た。
それを見たメガネは明らかに冷ややかな目を見せた。
「そのような無難な回答でこの場を乗り切れると。私も安く見られたな。」
私を弄ぶかのように、メガネは言葉を刺してきた。取り巻き達の嘲笑が漏れ出る。
「そ、そんなことは…!」
「ある。目で分かる。顔で全て分かる。仕草で要らん事まで分かる。
ここに来られた記念に採用するかしないかの基準を教えてやろう。
それは資質だ。
その人間の性質とも言ってもいい。
自覚があるかは知らないが君は何より自分が最も可愛い人間だ。己に迫る危険を何より厭う。
覚えはないか?平時ではない状況になると自分だけ逃げようとする瞬間は?」
その投げかけに私は口を噤んだ。喉が絞まった。何も言えなかった。
憶えがありすぎる。つい最近なんて特にその連続だったんだ。
そう言われても仕方ないじゃないか。
他人の事なんて考えるほど私は人間できてない。
今の私に人の命を守る事なんてできっこない。
「ああ。そうだろうな。自分以外を考える余裕なんてないだろう。
だがその行動は時に自分以外の何もかもを無下にしてでも安全を獲得しようとするほどの危険性を孕んでいる。
それが組織という集団の中で如何に障害となるかは想像に難くないだろう。
我々組織の構成員は己を捨て駒として、それを理解した上で課せられた仕事を冷静に全うできる人材でなければ務まらない。
その歳では人格の矯正すら間に合わない。
つまりは手の打ちようがない。」
ダメだ、ここまで来てしまったらどんなに口達者な人にバトンタッチしたとしても、この面談を突破することはできないだろう。
「言っておくが、君が私の管轄となった以上、採用する気は無い。
形式的に面接をしたという事実が必要なだけであって敵兵だった者を採用するなど前例がまず無い。
不確定要素の多すぎる人材をリスクを犯してまで採る理由もないからな。」
「そんな、私は危ない人なんかではないです!どうかお願いします。私はここの皆さんの力になりたい……です。」
言葉は尻すぼみに小さくなっていく。
顔は一段と熱くなっていくのに、頭から血が引くのを感じる。
水を掴むような手応えの無さだけが頭に残る。
「以上で面談を終了する。直ちに部屋から退出するように。」
面接官は胸に付けた無線のようなもので何かを伝えている。
入室した時の扉が開かれた。
そんな。
もう終わり?
もう、戦争犯罪者として死ぬしか無いの?
果てしない無力感がどっと襲い掛かる。立ち上がりようのない現状に目の奥が熱くなる。
「う、ふぐぅ、い、いや、お願いします。」
腰を折り、頭を下げる。下げる。下げる。
ボロボロと止めどなく溢れ出す涙で前が見えない。
せっかく拾ってもらったのに文字通り彼女に合わせる顔が無くなる。
もうどうにもならないの?
「言っているだろう。どう転んでも採用は無い。」
膝を床に付き、五体投地の姿勢をとり、しゃくり上げながら言葉を絞り出す。
「どうかぁ……!どうにか!」
「退室しろ。」
「お願いします……!」
「喚くな鬱陶しい。出せ。」
警備員に両肩を持ち上げられる。
「どうか……!」
メガネは既に私から興味をなくしたように手元の端末を操作している。
ダメだ、届かない。
取り巻きは揃いも揃って好奇の目を向けてきている。
いやだ。
このままじゃ、終わっちゃう。
こんなにもあっけなく?
死にたくないよ。
悔しくって、哀しくって。
でももう、どうにも……