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放課後。
本吉先生のうちは、学校からけっこう遠い。電車とバスを乗り継いでいかないとたどり着かない、小さな集落にある。ここからうちの高校へ通っている生徒もたくさんいて、友達も何人かいる。
あたしは全然違う方角だから、ちょっと遠回りすぎるんだけど……。
「なに、考えてるの? あーきこっ」
美弥子が話しかけてきた。
「え? あ、な、なんでもないよ」
「そお? なーんか、うわのそらっぽいわねえ。もしかして、彼のこと?」
……何にやにやしてるの。
「彼? 彼ってだれ?」
「ふ・み・ひ・ろ・くん♪」
「……えーと。だれだっけ」
本気で覚えてない。
「あらー、秋子って意外と冷たいのねえ。本吉くんよお」
「う……な、なかなか名前なんて覚えられないよ」
「ふふーん、そうかしらあ」
わ、まずい。話題をそらさなきゃ。
「……で、なんなの、美弥子ちゃん。何か用事?」
「うん。もう放課後だよね。秋子、用事あった?」
「別になかったような……」
「よしよし。じゃ職員室にいこっ」
「え? 何だっけ」
「あぁーっ、もう忘れてるし。ほら、そこの傘持って。さあさ」
「……あっ」
そ、そういえば昼間、本吉くんのうちへ行く話になってたんだっけ。
「逃がさないわよ」
「……はいはい」
逃げられるとは思ってなかったけど、やっぱり美弥子、楽しんでるよね。まったく、他人事だと思って……。
がら。
「本吉先生。秋子、引っ張ってきました」
「美弥子ちゃん……。ひとりでも来れるってば」
意地を張るも。
「ふふーん、はたしてそうかなあ。意図的に忘れようとしてなかった? さっき」
美弥子にあっさりかわされる。
「え、あ、あれは……」
「おお、結城、石上。うし、行くか」
先生が立ち上がる。
「え、行くかって……」
「今日は先生の車に乗っけてやる。とっとと靴かえてこい」
きょう、二回目のまさか。
「はあい。さ、秋子、行くわよ」
美弥子も動き出す。
「あ、美弥子ちゃん、ちょっと……きゃあっ」
そ、そんなに引っ張らないでー……
車に乗せられて、なんだかぼんやりしているうちに、先生のうちについたらしい。
「ここですか……」
「まあ適当にあがってくれ」
そんなに簡単に言われても困ります。
はあ。ここまで来たら、覚悟決めるしかないよね。すう。はあ。
「……はい。おじゃまします」
「おじゃましまぁす」
美弥子ちゃん……。やっぱり楽しんでるでしょ。
「さてと。史裕の部屋は奥の方だが……」
「だってさ。さ、行ってらっしゃい」
「え!?」
ちょ、ちょっとそこまでは……。できないよ。
「……叔父さん、お客さん?」
ふと見たら、廊下の奥に、パジャマ姿のだれかが立ってた。……本吉くんだ。
「お、史裕。いたのか。ちょうどいいや。お見舞いだぞ」
先生が答える。
「あ、そう……どうもわざわざすみません」
本吉くんはぺこっとおじぎをした。
「おじゃましてます」
美弥子は他人事だからか、きちんと挨拶をしている。
「あ……もう、いいの?」
昨日の今日。大丈夫だった? 心配は心配だよ。
「ええと、一日寝てましたので、すっかりよく……って、あ。結城さんに、石上さんだったんだ。ありがとう、うれしいよ」
そういうと本吉くんは微笑んだ。
「ん? 本吉くん、あたしたちがだれだかわからなかった?」
美弥子が答えた。
「すみません、実はよく見えなくって。とにかくありがとう。ごめんね」
「ううん、いいよ、クラスメイトだしさ。……秋子」
「え?」
あれ、何のことだっけ。
「ほら。傘」
「あ……」
そうだった。傘、返さなきゃ。わざわざここへ来た目的って、それだもんね。
「あ、えと。昨日、傘借りちゃったままだったね。返す」
「石上さん。わざわざありがとう。明日、学校でもよかったのに」
「ほんとーかなあ? うふふふ」
美弥子。本吉くんまでからかわないの。
「え……いや、ほんとに。何にしても、わざわざありがとう。石上さん」
「え、うん、いいよべつに。こっちこそ」
ともかく、傘は返した。やることはやった。これでいい、はず。
「なんか……なんか、傘押し付けちゃった形になったけど。役に立ちました?」
「あ、うん」
気にはしてたんだ……。でも、役には立ってくれたし。
「そっか。よかった」
「でも、そのせいで風邪ひいちゃったんでしょ? そこまでしなくてもよかったのに」
「石上さん……気にしすぎですよ。風邪をひいたのは……調子が悪かったから」
本吉くんがうつむく。
「でも。結果的に風邪ひいたのにはかわりないよね」
「うん……。ごめんなさい、心配かけて」
……なんですって? 心配かけて、ですって?
「心配かけてなんていうくらいなら、最初からそんなことしないでよ!」
「……えっ」
「バカ! 本吉くんのバカ!」
「あ、秋子……」
「帰ろ、美弥子ちゃん! こんなのほっておこうよ!」
「あ、秋子……。先生、ここは失礼させてもらえますか」
「困ったな。……遠いからな、送るぞ」
「あ、はい。お願いします」
……。
……そのあと、車の中でも、先生に何度か、いろいろ聞かれたけど、
「……」
あたしは何も答えなかった。
あたし、どうかしてたのかもしれない。あんなに怒っちゃうなんて。
でも、許せなかった。人の心配するくらいなら、自分の心配しなさいよね。なんで、なんであたしなんかかまうの。それがわからなくて、許せなかった。