3
男の子とあたしたちは、職員室へ戻ってきた。本吉先生はまだいた。
彼が職員室のドアを開く。ちらりと中を覗いて。
「ども。本吉先生は」
「ここだ。……ずいぶん濡れたな」
本吉先生があごを撫でる。
「ははは。覚悟の上でしたけどね」
彼が頭を掻きながら言うと、
「よく乾かしていけ」
と先生が答えた。
「はい。では失礼します」
ぺこっと彼が頭を下げた。
そのとき。
「ちょっと待った」
美弥子が割って入った。
「はい?」
男の子が小首をかしげる。
「先生。こいつ、だれです?」
美弥子が男の子を指さしながら言った。
「こいつって、これ?」
先生も指さす。
「そー。この男」
「あー、こいつか」
納得したらしく、先生は男の子のほうに向き直った。
「史裕、自己紹介してやれ」
……ふみひろ? ふみひろって名前なのかな。
「そうだね。じゃあ自己紹介しましょうか。わたしは本吉史裕。明日から、この学校の二年生に転入することになりました。よろしく」
そういうと彼は、また軽く頭を下げた。
「よろしく……」
「本当は明日からなんですけど、今日は手続きの関係で登校してたら、こんな目にあっちゃって……。初対面が印象悪くて、ごめんなさい」
……そんなことないよ。と言おうとしたら、
「ううん、助かったよ。結局あの箱、あんたに持ってってもらっちゃったもんね」
美弥子が先に答えてくれた。
「お、史裕。いきなりポイント稼ぎか?」
先生がにやける。
「叔父さん、それはなしですよ」
彼がちょっと渋い顔をする。
「ごほん。学校では『叔父さん』はナシ」
「あ、すんません。先生」
「……とゆーことは、あんたと先生は親戚ってこと?」
美弥子、するどい。
「バレちゃしょうがないな。叔父と甥っ子、ってところだ」
先生が答えを出してくれた。
「ふーん、そうなんですか。あ、あたしも自己紹介したほうがいいかな」
美弥子もわかった顔をしている。
「そうだな。明日からおまえたちともクラスメイトだ。早めに知っておいても損はないだろ」
あ、そうなんだ。明日からクラスメイト、かあ。
「……って先生。いきなりネタばらしてどうすんですか」
彼がやや口をとがらせて言うと、
「あ。いらんこと言ってしまったかな。内緒のほうがおもしろかったか」
先生がにやにやと笑う
「うっかり本吉の面目躍如ですね、先生」
美弥子がつっこむけど、先生のあだ名、出しちゃダメだよ。
「こらっ、結城」
ほら怒られた。
「あ、というわけで、あたしは結城美弥子。よろしくね。そっか、同級生になるんだね。ほら、秋子」
美弥子? なんであたしにふるの?
「え? あ、あたしはいいよぉ」
「何言ってるのよ。べつに減るものじゃなし」
「だって……」
何を言えばいいのかわからない。
「もう、しょうがないなあ。えと、こいつは石上秋子。小学校からの腐れ縁で、どういうわけか小学校からずーっと同じクラスなのよね。高校までひきずるなんて、なんかもう陰謀めいたものまで感じちゃうわ」
な、なんてこと言うのよ。
「あ、美弥子ちゃん、ひどい」
美弥子が追い打ちをかける。
「秋子が自分で言わないからよ」
「うー」
それはそうなんだけど……。
「……仲がいいんですね」
本吉くんがぽつりとつぶやいた。
「え?」
いま、何か言った?
「いやあ、まあ。仲よきことは美しきかなへくし」
あ、くしゃみしてる。
「あ。大丈夫?」
「ええ、まあへくし」
あ、あらあら……
「もう、大丈夫じゃないじゃない。とっとと乾かしてきなさい。風邪ひかないのよ」
美弥子がお姉さん風吹かせてる。初対面からさんざんだね。
「は、はいはい。では」
がらがら、ぴたん、と扉を閉めて、本吉くんが出ていった。
「なんなんだ、あいつ」
美弥子がぼやく。
「なんだろね……」
わたしも。よくわからない子だったな。美弥子もそう思ったのかな。
「ははは。飄然としたやつだろ。まあ、ああいうやつだ。とりあえず、クラスメイトとして迎えてやってくれ」
先生がいつもの笑顔で言う。
「はい」
「……はい」
……なんか、釈然としない。
その日は、結局美弥子と帰った。
「秋子。あいつ、変なやつ、だったね」
「うん」
「でも、悪いやつじゃなかったよね。あしたからクラスメイトかあ」
美弥子はそんな風に言うけれど。
「……なんか、やだな」
わたしはうつむいてしまう。
「どうしたのよ秋子?」
「だって、なんか。裏がありそうなんだもん」
あの雰囲気にのまれちゃダメだ。
「いくらなんでも、それはないでしょ」
美弥子はまだピンと来ていないみたい。
「美弥子ちゃん覚えてる? あいつが何て言ったか。『見覚えはあっても名前は知らない』って言ったんだよ。まるであたしたちのこと知ってるみたいに」
そう、何かあるはず。
「そ……そんなこと言ってたんだっけ」
「そうだよ。なんかいやな予感するんだよね」
何かが。
「でもさあ。いきなり人を疑うのはどうかと思うわよ。そりゃあ、あんまり信じるのも良くないけどさ」
「そうじゃなくて。なんか、わけわかんないんだけど……」
何かが……。
今にして思えば、それがあいつとの出会いだった。