スターリンの綱渡り
こうして世界がその勢力図を少し組み替えたところで、ヒトラーが動いた。
昭和十六年(一九四一年)六月二十二日、ドイツ軍は東部国境を突破しソ連への侵攻を開始した。ユーラシア同盟の夢に踊らされていたスターリンはその報告を受けると茫然自失となって自室に引っ込み出られなくなるほどのショックを受けたのである。全く不意をつかれたソ連軍は各所で簡単に崩壊し、戦線はずるずるとソ連領内への後退するばかりとなった。
前回、領土を奪われたフィンランドはこの時とばかりにソ連に宣戦を布告、スターリンに奪われた旧領地を早速占領した。
そして唯一、この報せを喜んだのはチャーチルである。
共産主義との妥協など一切ありえないほどの保守派であり、開戦時のポーランド分割の時にはスターリンをヒトラーに組みする罪人呼ばわりしていたこともあっさりと引っ込め、敵の敵は味方とばかりにソ連を利用する手を打ったのである。
イギリスソ連の間には何らまともな国家間の約束も存在していなかったにもかかわらず、即座にスターリンに武器を提供するという電報を打たせたのだ。
その頃日本では、独ソ不可侵条約を破棄しドイツ軍がソ連に攻め込んだことに当惑していた。
なにしろ独ソが不可侵条約を結んだから、日本も慌てて日ソ中立条約を結んだのに、二ヶ月もたたないうちに、その意味がまたしてもひっくり返されたのである。さすがにユーラシア同盟のヨタ話でスターリンに地獄を見せることになった張本人である松岡外相は辞表を提出していた。彼もまたヒトラーに裏切られたのである。
赤坂宮は、スターリンの次の手を考えていた。
独ソの融和を一時的なものと最初から受け取っていたのか、それとも本気で独ソ接近を容認していたのかが分かると思ったのである。
が、もたらされる報告は、ドイツ軍の優勢とその驚異的な進軍速度を伝えるものばかりだった。
赤坂宮は自分の期待が裏切られたことを感じていた。
わからないのである。
もしスターリンが欺瞞と知りつつ不可侵条約を結んでいたのなら、ドイツ軍に対する備えは万全だったろうし、いかに優秀なドイツ軍と言えど苦戦するはずだ。
もしスターリンらしくなく、ヒトラーを信じていたのならば、ソ連軍は早々に退却し自国領深くに防衛戦を築くはずだ。
なのでもたらされた情報からすると、スターリンはヒトラーに完全に欺されたように見えるのだが、ここで疑問が浮かんだのである。
要するにドイツ軍の進撃スピードが速すぎ、しかもソ連軍が多大な被害を出しているという両方の情報が赤坂宮の考えるどちらのストーリーにも適合しないのだ。意図的に敵の兵站を叩くのであれば、撤退でむやみに損害を出すような撤退はしない。適当に抵抗するだけしてさっさと逃げるだけである。が、ソ連軍の人的被害、物的被害は多少の誇張があるにしてもあまりにも大きすぎたのである。
これはどういうことなのか。
かつて北陸の北之庄に強固な防衛戦を築き立てこもった朝倉を叩くのに苦労した時、秀吉がわざわざ必ず負ける戦さを仕掛け、ほうほうの体で長駆、近江長浜まで逃げ帰ったことがあった。
まさに秀吉のサル知恵の本領発揮である。朝倉の先鋒はこれにまんまとひっかかり、朝倉の主力軍は長い直線状に伸びきる形になり、織田主力軍と遭遇した途端、雲散霧消してしまった。僅かな手勢だけで北之庄に逃げ帰った朝倉にもはや抵抗できるだけの戦力は無く、あえなく滅亡したのである。
スターリンが本気でドイツ軍を叩くつもりならこの作戦しかないはずである。だから報告された現実の戦況は半分正解で半分誤答に見えたのである。
彼の頭の中ではとんでもなく長く伸びきった補給線を晒したドイツ軍の姿が思い浮かんだ。
これは大軍であるドイツ軍を叩くためのスターリンの策略ではないかと疑ったのだが、それにしては、ドイツ軍の戦果イコールソ連軍の損害が大きすぎるのである。
その一方で、陸軍の戦いに馴れているはずのドイツ軍がこんな基礎的なミスを犯すのだろうかという疑問もまた持った。
だから判断ができなかったのである。
果たしてこれはスターリンの死んだふり作戦なのか、それともドイツ軍が致命的な軍事的失敗を犯しつつあるのか、その判断がつかなかった。
ひょっとしてどちらも打ち間違えたのか?
真実はスターリンは死んだふりどころか、不意をつかれて死にそうにされていた、が正しかった。そしてドイツ軍についても、赤坂宮の読みが正しく、大きな戦略的失敗を犯していた。
すべては石油に目のくらんだヒトラーが参謀本部を信用せず、作戦にしゃしゃり出過ぎたことから引き起こされていたのだった。
藁をも掴みたいスターリンはチャーチルの申し出をもちろん歓迎したものの、その中身には正直失望せざるをえなかった。イギリスの物資不足は深刻であり、食料、医薬品、燃料はアメリカから届いていたが、肝心の武器などはアメリカ中立法の制約があり含まれていなかったのである。
ソ連自体が各種の資源国であり、ドイツ空軍の航続距離の外となる、ウラル山脈以東の工業地帯は当面維持できたし、生産能力自体はあったがそれでも広汎な下請け工場が沢山無いと作れないようなもの、エンジンなどはレニングラードなどバルト海沿岸で生産活動が維持できないとどうにもならなかった。
石油も同様で、ドイツ軍がコーカサス油田に急速接近していたので、供給不安が現実のものになりつつあった。
旧ポーランドからモスクワに至るまでの広大な平原は、ドイツ軍の機甲師団を阻むものは川以外無い。せいぜい橋を落とすぐらいしか進撃の速度を落とす方法はなかった。
このため北から南に至る全戦線でソ連軍は防御力を維持しつつ後退をする、というよりは我先に逃げようとするのを後方から督戦兵が銃で脅しながら、なんとか敗走を食い止めているという程度の退却になっていた。
そして、コーカサスの油田地帯の一部をドイツ軍に奪われると、ナポレオン戦役の際、ロシア防衛に当たったクゾートフ将軍の焦土作戦に倣い、自軍の物資に火を放っては逃げるというのが常態化していった。結果全ての町はドイツ軍が接近するだけで焼き払われることになった。
この結果、ソ連領に入ってからドイツ軍は食料燃料の補給線を整備できるまではそこで進撃を止めざるを得なくなり、その進軍速度は急速に遅くなっていった。
ヒトラーは当初の速度が遅くなっていくことにイライラを募らせていった。陸軍参謀本部の指揮能力に対する疑いを深め、参謀本部の進言をしばしば無視するような命令を発出するようになり、なおさら進軍速度が低下することになった。
スターリンにはドイツ軍の動きが停滞したことで、少しばかり余裕が生まれた。
そこでスターリンはチャーチルに大陸側に西部戦線を作れとさんざん催促をした。が、チャーチルの手元に西部戦線を作れるだけの戦力は無かった。
結局チャーチルはスターリンをなだめるために、イランのアングロイラニアンオイルをソ連に融通する内陸ルートを切り開いたりした。
しかし何をするにしても武器が無いことには始まらないという状況を覆すことはできない。
アメリカは全くアテにならず、チャーチルはいくら言っても西部戦線を作ろうとしない。スターリンは真綿で首を絞められるように刻々と追い詰められていた。
苦悩に沈むスターリンの脳裡に閃いたものがあった。日本である。例のユーラシア同盟を吹聴して回った外相松岡洋右のことだ。最初は自分が欺かれた気になっていたのだが、よくよく考えてみれば、単純に松岡もヒトラーに欺されていたのではないかと気になったのである。
すぐにモロトフ外相を自室に呼びつける。
「お呼びでしょうか、我が同志スターリン閣下」
「うむ、同志モロトフ、君は日本の外務大臣、松岡に実際に会っていたな」
「はい、おっしゃる通りです。それが何か?」
「君は今回のドイツ軍の我が国への侵攻を日本はどう見ていると思う? あの松岡という外相はドイツは三国同盟に我が国を加えるつもりだ、などと語ったと言っていたな」
モロトフは焦った。スターリンがスターリンの判断を誤らせたのは自分の報告が原因だと、言い出したのではないかと思ったからである。スターリンに疑いを持たれることはそのまま死に直結していた。が、下手に自分の報告を無かったことにするような発言を出せばそれこそ粛清対象だ。
モロトフは背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、慎重に言葉を選びながらゆっくりと返答した。
「同志スターリン閣下。その通りでございます。私はあの松岡も我々同様ヒトラーに欺されていたと判断しております。松岡は今月、外務大臣を罷免されました」
「何、それは本当か?」
「例のゾルゲ経由の情報ですから、間違いないものと」
「ゾルゲか……。そうなると日本もヒトラーの動きは知らなかったと……、まあそうだろうな。知っていたら日ソ中立条約は無かった。ゾルゲは日本とドイツの関係については何か言ってきていないのか」
「それは我々も気にしていましたが、ゾルゲのレポートによると日本政府の外交軍事関係の重要な部分は内閣ではなく、天皇直轄の幕府なる組織で策定されており、全くアクセスができない、ということであります。日本の内閣と軍部はこの幕府の指令に基づいて動くだけだと」
「では、ジューコフの動向がつかめなかったのも、それが原因なのか?」
「おそらく」
「その幕府という組織の概要はつかめているのか?」
「トップが皇族であること以外、ほとんど何もつかめておりません。残念ながら。一般に関係する内政関係とは無関係なため、その活動についてほとんど何も発表されていないのです。ですから例のノモンハンでの衝突の件についても、ジューコフのことも一般の日本人は全く知りません」
「何、そうなのか? ではゾルゲに日本軍を南進させるよう働きかけさせるというのは」
「幕府が設立される前まではそれなりの影響はあったようですが、今は無力です。それにこのゾルゲルート自体ももう使用不可能です。実は近衛首相のブレーンであり、ゾルゲのオルグであった尾崎秀実が日本の官憲に昨日逮捕されました。おそらく近日中にゾルゲのオルグは全員摘発されるでしょう。このルート絡みでの工作は無効化されたと判断するべきかと」
「そうか、どっちみち幕府相手で役に立たなくなった機関などに用はない。今まで役だったことでよしとしよう。……なるほど、だからオーストラリアからの鉄輸入になったのか。だとすると、では日本外交はその幕府のトップの意思で回っていると考えて間違いないのだな?」
「そう考えるのが適切だと存じます、同志閣下」
「するとそのトップは我々の動静を見て、その裏を掻けるほどの知恵者ということになるな。ジューコフの使い方を見ても……。ヤツは今一体何を考えているんだ……。なぜジューコフ達はヤツの手下になった……何を報酬にした……ジューコフに何をやらせるつもりだ……」
スターリンはいろいろなことを小さく漏らしつつ、机の上で両肘で自分のあごを支えて、沈思黙考し始めた。その様子をスターリンの机の前に立ち見下ろすモロトフ。それほど広くもない執務室の壁に掛かった時計の秒針が三回ほど完全に回りきった後、ポツリとスターリンが漏らした。
「同志モロトフ、君が日本の指導部だとしたら、ドイツとの同盟とソ連との中立条約、それとイギリスとの通商条約の重要度はどんなふうになっていると思う? 早い話、日本にとってどんな順番で重要になるんだ?」
「日本は元々はアメリカ依存が高い国で、それに連なる形でイギリスとも関係が深い国です。ですからイギリスとの関係は、我々やドイツよりは高いのではないかと愚考致します」
「ほう、イギリスなのか。ドイツとはそれほどでもないのか?」
「はあ、なにしろ元々はイギリス同様島国です。最近でこそ大陸に領土を持ったせいで我々との交流もできましたが、やはり交易の主体は海を通じたものでしょう。ドイツとの協同というのは幕末の一時期、ビスマルクに軍と法律整備で近代化の助けを求めた以外は、今回が初めてでしょう。ロシアは過去日本と戦争をやりましたが、ドイツも第一次世界大戦では日本とは敵味方となっています。友好の歴史はそれほど長くありません」
「現時点では我がソ連とドイツ、日本から見てどちらに価値がある? ノモンハンのことはとりあえず無かったことにしてだ」
「私がもし日本の指導者ならドイツよりソ連との友好を重視します。なにしろ長い国境線で接した隣国ですから。大した恩義も無いのなら、国家の安全保障に大した貢献も期待できない遠く離れたドイツのことなどどうでもいいと思います」
「それは君がソ連に愛国心を持っているからではないのかね? 彼らにソ連への愛国心などあるまい」
「であったとしても、日本人がヒトラーを気に入るとは到底思えません」
「それは何故かね」
「ゾルゲからの報告によれば日本人の多くはヒトラーのことを何も分かっていません。単に強いリーダーだというムードだけで見ていると。ヒトラーの著書は日本語にも訳されているそうですが、日本人を劣等人種と書いている下りは翻訳されていないそうです。ですが、もし彼の人種差別意識を日本人が知れば、相当憤慨することだけは間違いないでしょう」
「では日本のその幕府指導部はどうなんだ?」
「そういう類いの人間ならジューコフを外国との交渉に使ったりはしないでしょう」
「だがドイツがソ連に攻め込んでいる今、ソ連に侵攻するチャンスだとは考えないのかね。我々がドイツと一緒にポーランドに侵攻したように」
「もし日本が太平洋に脅威を感じていなければ、ありです。しかし現在アメリカとの関係が最悪だと考える必要はあります。イギリス、オーストラリアに擦り寄ったのも対米関係が悪化したことの余波とも見れます。こんな時にわざわざ我がソ連邦と事を構えたいなどとは思わないでしょう。だから彼らも日ソ中立条約に同意したわけですから」
「分かった、モロトフ同志、すぐにチャーチルに連絡し、日本との間の仲介を依頼し我々に武器援助をするようにもちかけさせろ。とりあえずやってみないと何もわからない」
「かしこまりました、スターリン同志閣下。ですが、日本側には何を対価として差し出すおつもりですか? ノモンハンの一件は決着済みですから、あの件絡みの話は持ち出せません。今のままでは日本が動くとは思えませんが……」
「日本が欲しがるものか。何かあるかね?」
「私に思いつく候補は二つだけです。一つは極東地域の市場を日本に解放すること。物資不足の地域ですから日本製品を売りさばくにはいい市場になるでしょう。しかし、我々にとってのリスクはかなり大きい。民心が我々から離れ、日本による支配を望みかねない。そこまでいかなくても我々中央の指導は弱まるでしょう。国土は小さくても日本経済はそれなりに大きいですから。もう一つは領土ですな。具体的にはサハリンの北部を割譲し、サハリン全島を日本領と認めると。我が国と日本本土が直接接する陸上国境が消えるのは、我が国としてもメリットはありますし、こちらは政治的な後腐れが少ない」
「広すぎる領土、長い国境線、これが我が国の深刻な悩みだな……。分かった、サハリンで手を打とう。だがそれで日本人は乗ってくるかな」
「領土で釣られない君主はおりますまい。しかし肝心の提供の中身は?」
「とにかく武器だ。ドイツ軍を叩ける武器ならなんでもかまわん。日本が望むならその対価としてカネでも人でも出してやる」
「それは相手側がどんな武器を用意してくれるのかも見てから考えればいいでしょう。戦艦などまったく用はないわけですからな」
「よろしい。それで進めたまえ。とにかく時間が重要なんだ。春になる前に武器を揃えたい。今すぐ何が提供できるのか、それが重要なんだ」
チャーチルはスターリンの要望をこころよく受け入れ、駐日英大使クレイギーにスターリンを救済するように日本政府に働きかけるように訓電を打った。
松岡の辞任によって近衛内閣は再び改造を余儀なくされた。
後任の外務大臣になったのは海軍大将の豊田貞次郎だった。クレイギー大使から持ちかけられた話は、元々海軍、つまり英国贔屓の団体出身の大臣には聞きやすい話だった。
が、豊田は近衛首相がこの話を簡単には認めないだろうともすぐに思った。
自らが仕上げた三国同盟に対するこだわりも大きいだろうし、それ以上に近衛自体が、ヒトラーとナチズム、つまり国家社会主義、全体主義というものに心酔していると知っていたからである。
そこで一計を案じた。
近衛首相に知られないように話を通すことにしたのである。途中で政治家を絡ませるとややこしいことになる、これが豊田の判断だった。
それでクレイギー大使には、このように伝えた。
新京の満州国軍総司令部にソ連側が直接コンタクトすることを交渉の条件としたのである。満州国派遣関東軍参謀本部は幕府からの指示で動く機関である。
つまり政治ルートではなく軍部ルートだ。これで近衛首相も政府も内閣も知らないところで実質的な話し合いが可能になるのである。
結果的に外務省が公式ルートで入らなかったおかげで、外務省公電を盗聴しているアメリカ陸軍にもこの動きを察知されないことになったのは単なる偶然である。
五日後、満州国新京のホテルの一室にソ連の全権代表となったモロトフを迎えたのは、他ならぬ赤坂宮本人であった。
話を聞いた赤坂宮は、この会談にかけるスターリンの意図をすぐ理解はした。そしてこの交渉では、どんな返事を出すにしても赤坂宮以外には即答できる者はいないだろうと考えたのである。
また日本の保護下にある満州国という国を是非一度見てみたいともかねてから思っていたという個人的な動機もあった。
もちろん全ての行動はお忍びである。東京から陸軍の連絡機に乗せてもらったのである。もちろん初めての飛行機だ。これも赤坂宮が望んでいたことだった。
ソ連側でも、実際に誰が交渉につけるかという問題では、日本と同じようなものだったのだろう。交渉相手がスターリン側近になったのは、下級官僚に任せられるような話ではないからである。スターリンの意図を汲み、即断できる人物はほかにいなかった。
首脳会談の開催場所としては、ホテル自体もそれほど高級とは見えない地味なホテルであった上に、おそろしく簡素でこじんまりとした部屋が用意されていた。すべては人目を避けるためである。
新京は満州国の首都であり、それなりに国際都市でもあった。各国の情報関係者がひしめいていたのである。
赤坂宮は、どこかの金持ちが休暇を愉しんでいるかのように、イギリス風のチェックが派手にあしらわれた揃いのデザインのベレー帽とマントを羽織り、手にステッキを持っての登場となった。成金趣味丸出しの大陸成金は多かったので、こういうファッションの方が目立たないのだ。
モロトフの方はグレーの地味な背広姿で、どちらかと言うと商社で働くビジネスマンと言う出で立ちである。二人が並んで立っていても、まるでアメリカの会社のセールスマンが日本の成金に何かを売りつけようとしている図ぐらいにしか見えなかった。
会談もおよそ外交の会議らしくなく、定形的な外交辞令は一切抜きで簡単な自己紹介の後、すぐ本題に入った。先鋒を切ったのは赤坂宮である。
「我が国にドイツを裏切れ、というお話、という理解で間違いありませんな」
「その通りです。是非」
「そちらの望みは?」
「来年の春までに用意できる、我が国に侵入してきた敵をたたける武器ならいくらでも欲しい。代金は後払いということで」
「それで我々が受け取れる報酬は?」
「領土の一部割譲ということでいかがでしょう、もっともそちらがどんな武器をどれだけご用意できるかによりますが……」
「なるほど。ではこちらの考えをご説明しましょう。まず武器そのものを提供することはいたしません」
「それでは全くお話にならない。この交渉は無かったものとして頂きたい」
「果たしてそうでしょうか。話はお終いまで聞くものです。だいたいソ連軍と我が日本軍では装備が違い過ぎます。そのままソ連に引き渡しても日本軍の戦術戦法を知らない者が本来の性能を発揮させるのは難しいでしょう。かと言って小火器などをいくら大量に我々から譲り受けたところで貴国に入り込んだ強大な敵には抵抗の足しにもなりますまい」
「……それで?」
「この写真をご覧頂きたい」
赤坂宮は手札サイズの白黒写真を一枚ポケットから取りだし、机の上に置くと向きを変え、モロトフへと押し出した。
身を乗り出しそれを訝しげに見るモロトフ。そこに映っていたのは戦車である。日の丸が見えるが、その戦車のデザインはモロトフの知る日本軍の戦車とは全く違うものであると同時に、モロトフにとって非常に見慣れたものであった。
「これは……。確か我が軍の……」
「さよう、ノモンハンで当方が鹵獲した貴軍のものです。いやあ大変素晴らしい戦車ですな、これは。これに比べたら我が国の戦車はおもちゃでしたよ。それで、我が国はこの戦車を研究し、これに少しでも近づけた戦車を作ろうとしていたわけですが、ようやくこの戦車に搭載されていたエンジンをお手本にしたエンジンの工場が出来上がったところです。もちろん戦車だけでなく、飛行機や船舶にも搭載できる派生型も開発しています。どうでしょう、武器の代わりにこのエンジンを最大月一万機、ご提供するということで。これを戦車や飛行機に仕立てるのは貴国にて対応して下さい。下手な小火器などよりもずっとお役に立つものと思いますが。いかがですかな?」
「その、貴国で作られたエンジンは、失礼ながらガラクタでは無いのでしょうな?」
「本日、見本として一機持参しています。納得のいくところまでそちらでお調べ下さい。我々にはこの交渉を急ぐ理由は全くありません。お返事を楽しみにお待ちしておりますよ」
赤坂宮とモロトフの間で行われた新京会談はこうして終わった。
モロトフとサンプルエンジンはすぐに空路モスクワへと飛んだ。
モロトフから交渉の中身を聞くとスターリンはすぐに技術者にそのサンプルエンジンの調査を行うように命じた。
「全くノモンハンでこんなことになっていたとは……」
「本来ならば悔しがるべきところでしたが、今回は助かったと言うべきでしょうな」
サンプルエンジンを調べた技術者からの報告を聞いたスターリンとモロトフは安堵していた。
日本のエンジンは、オリジナルと全く変わらない設計であるため、性能は若干劣るものの、戦車への搭載には全く問題が無いという結論が出たのである。ソ連軍の主力戦車はノモンハンで鹵獲されたT32からドイツ軍の強力な火砲に対抗するためさらに装甲板が強化されたT34へと進化していたが、両者はエンジンを含めた基本設計については共通で変更点は僅かだった。従って純正エンジンの代わりとして日本製エンジンはすぐに使えたのである。
同じエンジンの派生航空機用ガソリン仕様エンジンも合わせ、翌年三月までの四ヶ月間、合計三万八千台のエンジンが日本からソ連に運ばれるということで両国の合意はなった。代金は金塊で支払われることになった。もちろん一切合切は極秘のままである。近衛首相にも知らせず、幕府と外相海相陸相だけがこのことを知っていた。
見返りはサハリン、日本名樺太の引き渡しである。が、これに少しおまけをつけるように要請があった。
新京の司令部で引き続き両国の交渉を担っていたのはトップの意向を受けた日ソ両軍の参謀同士である。
「おまけ? はていったいどんなことでしょう。もうあまり差し上げられるものはありませんが」
「我が国は極端な人手不足なのです。貴国で拘束されている政治犯、不良外国人など、貴国が必要としていない人々を広く受け入れたい、というのが我が殿下の意向です」
「にわかには信じがたいお話ですな。貴国は狭い国土に人がひしめいているというイメージがありますが」
「私個人としては貴官の意見には全く異論はありません。ですが、これは我が殿下の強い希望なのです。貴国のスターリン閣下にとって邪魔となっている者が多いのは貴国の負担であるに違いないであろうから、それを引き取って活躍の場を与えたいと」
「それは後々、彼らを扇動して独立運動や反ソ運動などをやらせるおつもりということではないのですかな」
「その点は、我が殿下がこのように申しているとスターリン閣下にお伝え下さるように、お願いいたします。即ち、我が殿下の希望をスターリン閣下がお認め頂ければ、後日スターリン閣下が我が国のみならず貴国の国民、それ以外の国の国民すべてから賞賛されるように彼らを用いると約束するとのことです」
「……本官には今一つ理解できないお話ですが、伝言は確かに承りました。早急に同志スターリンに伝えるように手配いたします」
この要請はたまたま日本製エンジンを搭載した第一号T34の完成式典に立ち会っていたスターリンの元にもたらされ、すぐに同意するという返事を得て、実現することになった。
この結果ソ連国内各地の設けられていた政治犯収容所からおおよそ一万人の政治犯が、シベリア鉄道でサハリンへと輸送された。言葉通りに島のおまけにされたのである。
ドイツ軍は北、中央、南の三つの進撃コーズでソ連領に入っていたが、北方軍は開戦から僅か三ヶ月後、即ち九月にはソ連第二の都市レニングラードを包囲することに成功していた。レニングラード周辺はソ連有数の工業地帯であった。ここを遮断されたことは兵器用のエンジン生産が完全に絶たれたことを意味していた。スターリンの機転は間一髪で最悪の事態を避けることになったのである。
さらに言えばイギリスからの援助物資はスカンジナビア半島の北をまわり白海に面するアルハンゲリスクで陸揚げを行っていた。しかし冬期は流氷もあり、同じペースで援助が来ることを期待するのは難しかった。その点日本からのシベリア鉄道は冬の影響をほとんど受けなかったのである。
他の進撃ルートでも一応順調に進撃は続いていた。中央はモスクワへと迫り、南部では油田地帯に向かっていた。
しかし、その各方面のドイツ軍前線部隊の実態は、そうそう手放しで喜べる状態とは程遠かったのである。
ソ連軍の焦土作戦のせいで、占領地での物資調達はほぼゼロとなり、広大な占領地を獲得したにもかかわらず、どの部隊でも本格的な冬の訪れの前に、苦境に陥り始めていたのである。
あまりにも進撃速度の早い電撃作戦を長い距離に渡って行った結果、補給線が伸びきっただけなく、道路、橋梁、鉄道設備そのものの復旧が追いつかなかったことのつけが突然回ってきたのである。輸送に使える生き残った僅かな道路に全ての物資と車両が集中し、至る所で輸送トラックの身動きが取れなくなっていた。
作戦計画が無謀すぎたのである。ドイツ軍のみならず、ドイツ勢力下に入った東欧の諸国軍まで動員し、総数で三百万などと膨らみきった数で、長い距離を電撃作戦で侵攻させる、などという作戦は冬が来ようが来まいが兵站補給にかかる負荷が大きすぎたのである。
すべてはヒトラーが独ソ戦を政治ショーにしようと企てていたことが原因だった。
どこの前線部隊でも、燃料、弾薬、食料、防寒装備すべてが不足する事態に陥っていた。
とにかく全部隊は補給が届くまで現在地を維持し待機しろ、という命令がヒトラーから出され、軍の再集結もできなくなっていた。
しかし、この場に及んでもなおヒトラー始め、ドイツの首脳部は誰もドイツの勝利を疑っていなかったのである。
春になり冬が去れば、再びドイツ軍の大攻勢が始まる。
これはもはや信念を通り越し宗教になっていると言っても良かった。
つまりは膠着状態はすべて冬という季節が原因であり、冬が終われば膠着も終わると思い込んでいたのである。自分たちはナポレオンのフランス軍とは違う、という自負と言っても良かった。
一方、日本との交渉を仕上げたスターリンは着々と反撃準備を進めていた。
まず手をつけたのは軍の人事である。ジューコフなどの新世代を排除し旧世代を重用していたのを見直し、左遷していた新世代をトップに置き直したのである。そして彼らに作戦指導を大幅に任せた。これによりドイツ軍の兵装と戦術を知り尽くした者が反攻作戦を立案するという体制ができあがったのである。
スターリンは次にチャーチルにまた新たな協力を要請した。北大西洋の気象情報をもらえるように頼んだのである。ドイツが得ている気象情報の西端はスペイン止まり、それに対しイギリスは北米までの気象情報をつかめていた。それはつまり天候を織り込んだ軍事作戦が立てやすいことを意味する。東部戦線についてドイツ軍は三日先の天気予報しか使えなかったが、ソ連軍は一週間先までの予報が利用できるようになった。
そしてウラルの東ではシベリア鉄道がフル稼働し日本製エンジンを次々と工場に運びいれていた。
大量のT34戦車の生産が始まり次々とモスクワ前面の戦線や、コーカサス方面の戦線へと送られていった。
飛行機については、ソ連では戦車と飛行機のエンジンの設計共通化は行っていなかったので、このエンジンをすぐに使える設計のものは無かった。そのため既存の飛行機の設計を手直しし、その飛行試験結果を待ってからということでおよそ三ヶ月は生産が遅れるということになっていたが、とにかく、雪解けが本格化する五月までにはドイツ軍の航空部隊を迎撃できるだけの量を確保できそうな見通しがなんとか立った。
ドイツ軍の航空偵察の目をかいくぐりながら、北、中央、南、三つに分かれたドイツ軍の息を根を止めるべく、ソ連軍の集結を密かに続けていた。
その頃、イギリス植民地オーストラリア連邦自治政府と日本派遣調査団代表ジューコフとの会談がパースで始まっていた。
いざ会談が始まってみると、オーストラリア連邦は日本側のこの計画の壮大さに驚き、単に鉄鉱石を輸出するだけの商談と考えていた自分たちの考えの浅はかさを思い知らされていた。
ジューコフは日本側の鉄需要の大きさを説き、これにより拡大する産業によって得られる利益からこの程度の資本投下は全く問題無いと、日本の投資計画が妥当であることを強調していた。
その主張はすぐに報道され、全オーストラリアの住民が知ることになった。
市民の反応は概ね好評と言えた。それはオーストラリアが豊かになる話であることには違いないからである。もちろん写真で紹介されたジューコフの外見が見かけ上、自分たちと変わらないコーカサシアン(白人)であったことも決して小さくは無い。
しかし一部には、それだけの工事をどうやってやるんだ、という懸念、あるいは日本には何か魂胆があるはずだと猜疑心に捕らわれた意見、あるいは、大量の日本移民がやってくるのではという懸念を示すなど、非好意的な意見も少なからず存在していた。
とにかく一応公式には受け入れをすでに表明したからやってきた調査団の、これまたこれまでの主張通りの説明なのだから拒める理由は無く、計画はすぐに具体化されていった。
連邦政府は工事計画が具体化される度に、雇用を自国民に限定しろ、あるいは使う会社はオーストラリア人と資本の会社だけが参加できるようにしろとオウム返しに主張した。
ジューコフはそれらを拒むのではなく、そのまま受け入れた。その代わり、計画が要求するスケジュールと資源確保責任を一部連邦政府が担うことを求めたのである。
つまりは人出不足、工事資材不足が発生したら連邦政府で責任を持てよ、と言いだしたわけだ。
そして公開入札が公示され人員と作業会社の募集が始まってみると充足できたのは僅か三〇パーセント程度に収まっていた。着工できるレベルではないのである。
ジューコフは強硬にオーストラリア政府の怠慢を詰った。この報道が行き渡ると、連邦政府に対する批判が世論の中で高まることになった。しかし畜産と農業が主な産業の国オーストラリアではもともと移動できる人口など限られているのである。初めから日本の計画に応えられる人的資源はオーストラリアには存在していなかった。
アメリカ資本がこの話を聞きつけ、連邦政府に英米連携の形でこれを請け負うことはできないかという打診があったことが報道された。
するとオーストラリア世論はここで沸騰したのだった。
今まで植民地を放っておいた宗主国イギリスが加わること自体面白くない、という気持ちと、そこに加わったアメリカへの反感である。
独立戦争を起こしてわざわざイギリス連邦から独立したくせに、何を今更という気持ちが反感を呼んだのである。
イギリスアメリカから人を呼ぶくらいなら、この話を持ってきた日本がまず優先されるべきだろうと正論を言い出す勢力、そして東洋人が入るのを好まない白豪主義勢力と、議論は議論を呼ぶことになり、連邦政府は強いリーダーシップを発揮しにくい状況になってしまったのである。
ジューコフは、全体の方向とか方針とか枠とか言う話は一切しないまま、スケジュールの目先の一歩に必要な作業に当たる不足分の人員がこれだけいる、という人員リストを渡すというやり方で日本人の渡航ビザ発給を連邦政府に毎日のように要求し、なし崩しに認めさせていった。
結果的に計画の大部分はほとんど日本人の手で進められることになっていったのである。
やがて日本からの客船輸送船が人員と資材を乗せて次々とパースに到着した。
人口が数万に満たないパースの通関当局に一度に到着した大量の人員と貨物を厳密にチェックできる能力など備わっているわけはなく、ここでもジューコフの計画の遅延は連邦政府の責任だ、というにらみがモノを言って、ほとんどチェックらしいチェックも行われずにスムーズに入国が認められることになった。
パースの市街地から離れた場所が連邦政府から認められた計画用地で最初の仕事は全作業員とその家族が住める町の建設だった。
そして第二陣、第三陣と現地での工事能力の増強は続いていた。
チャーチルは、連邦政府の懸念があるのを知ってはいたが基本的にこれに賛成していた。いやそれどころか、期待していたと言ってもいいだろう。
ドイツとの戦争はまだ何年もかかるはずだったし、鉄はいくらでも必要なのだ。それがイギリスの植民地で作られる限り、自国の戦争継続能力の向上であることは間違いないのである。従ってアングロイラニアンオイルを西オーストラリアに回し、製鉄所の運転に支障が出ないように発電所を作るという計画にも同意したのだ。
チャーチルはスターリンから対日交渉の経緯について詳しい話を聞かされたことは無かったが、少なくともスターリンが静かになったことで、日本から何某かの援助を引き出したことは間違いないと読んでいた。
なので独ソ戦の今後が今まで通りに推移するかどうかは分からないと判断を保留することになったのである。
東部戦線でスターリンがヒトラーを足止めできるなら、オーストラリアから運ばれる鉄で軍備を整え、ドイツに向けた西部戦線を作ることも可能になるとも考えていたのだ。
ジューコフがオーストラリアにやってきて早一年が過ぎようとしていた昭和十六年(一九四一年)十月、待望のパース製鉄所が一部完成し高炉に火が入れられ製鉄が始まった。
そして日本ではエンジン工場が稼働を開始し、ウラルの工場へと向けて大量のエンジンの輸送が始まっていた。もちろんそこで必要となる鉄はこのパース製鉄所から運ばれていくものも使われる。製鉄所に必要なエネルギーはイギリスから回されたアングロイラニアンオイルとオーストラリアで産出する石炭が充てられている。
日本はアメリカのくず鉄の対日禁輸を完全に克服したのだった。
そしてさらに事実上、日英が協調してスターリンを援助する形が完成することになっていた。
さらに日本では予想していなかった恩恵があったことが間もなく判明する。
諏訪の工場で大量のエンジンが次々に生産されるとエンジン一機当たりの生産コストがみるみるうちに下がっていくことがすぐに分かったのだ。
今までの手作りエンジンではとても考えられないほど安くエンジンが手に入ると分かり、エンジン自体の研究も、エンジンを利用する研究も大幅に参入ハードルが低くなったのである。
かねてより、幕府から内示されていた戦闘序列で要求されていた兵器、すなわち、戦車、航空機、船舶の研究はこれがきっかけとなって急速にスピードが上がることになったのだった。