ヤルタ会談
スターリンが思わぬところからの手紙を受け取ったのはこの頃である。
差出人はほかでもない、赤坂宮である。
例によって、極秘の連絡ルート、新京の満州軍司令部とのホットラインを通じた特使がわざわざ手渡しで持ち込んだものだという。
封を切り、中身を改めるとロシア語のものと日本語のものが各一葉収められていた。確認用ということだろう。
何事かと思えば、それは会談申し込みであった。
赤坂宮がスターリンと直接会って話がしたいと言っているのである。
お礼を言わねばならないことと、罵りたいことと両方ある相手だが、とにかく一度どういう男なのか、実物を見ておきたいという気持ちはスターリンにもあった。
が、躊躇いもあった。それにいざ会うとなるとどこで、という場所が無視できない問題だった。
この時代の常識として、国のトップが相手国の首都訪問というのは普通はありえない。
会談をしていることを特定の誰かに見せつけたいという意思がある場合だけ行われる。
そうでなければ何かあった時のリスクが大きすぎた。
戦争の口実になるのは間違いないからだ。
それにお互いに暗殺を警戒しないわけにはいかない。
今回の場合はそもそも会っていることを知られることがまずい、という事情もあるようだった。
この手紙の文面には非公開で会いたいともあったのである。
つまり結果が合意であれ分裂であれ、それは情報公開すれば敵が増えるものだ、ということを意味する。一番それに該当する話は縄張り協定だ。
現地にとって無関係なところで運命が決まるのだから公開することなどありえないのである。
そしてトップ同士が顔を合わせないとどうしても決着がつけられない問題でもあった。
こんな話を委任できる代理人などどちらにもいないのである。
しかしスターリンは好き好んでトップ会談をやりたいなどとは思っていなかった。
何しろついこの間、ヒトラーに煮え湯を飲まされたばかりなのである。
トップ会談なるもの自体を胡散臭いものと思うようになっていたのだ。
スターリンは自室にいつものようにモロトフを呼びつけた。
「同志スターリン、お呼びと伺いましたが……」
「うむ、入りたまえ。で、これの扱いを君に相談したかった」
スターリンは自分の執務机に向かって腰掛けたまま、今まで手に取り読んでいたその手紙を机の前に立つモロトフへ読むのを促すように机の前へと押し出した。
訝しげな表情を浮かべながら手紙へと手を伸ばすモロトフの表情を追うスターリン。
モロトフは静かにそれを読んだ。
「これは、日本からの会談申し込みですか。相手は赤坂宮ですか。まさにキーマン直々というわけですか。それでこれをお受けになられるので?」
「どう思うかね、君は。そもそも何を議題に持ってくるのだと思う?」
「心当たりになる場所がいささか多すぎますな。今や日本の勢力圏内に入らない国境を探す方が難しくなってきていますから。ただこの場に及んで人の少ない地域、極東やモンゴル近辺を問題にするとは思えませんな。するとバルカン、黒海近辺の話、ではありませんか?」
「だろうな。黒海か。日本艦隊はやはり来ているのか?」
「確認が取れました。やはりダーダネルス海峡を通過したようです。大型戦艦二隻に護衛空母までつけている大艦隊だとか。ブルガリアのブルガス港に入港したようだ、との報告が来ています」
「ブルガス港、聞かん名前だな。どこだ?」
スターリンは立ち上がり、壁に掛かった大きな地図の元へと足を進めた。モロトフもそれに従った。
「黒海の南の端、イスタンブールにも近いのか。よくトルコが海峡通過を容認したな」
「それがトルコは日本海軍が来るというので大歓迎だったそうです。なんでもトルコの学校では日露戦争のことを詳しく取り上げていて、トルコが三十回も戦って一度も勝ったことのないロシアに勝った日本の海軍ということで、元々好意的だったとかで」
「ふん、敵の敵は味方か。しかし、これは厄介だな。黒海艦隊で浮いているのはほとんどいないんだろ」
「確か、そういう報告でした。生き残った水上艦は全艦ドッグ入りです。小型の魚雷艇が少しあるような話でしたが、魚雷が全然無い、と言っていましたな」
「弾薬関係は陸軍最優先だったからな。これでは日本と話合いをするしかない、ということだな」
「となると場所と時期ですな」
「ああ、その通りだ。わしはこのクイビシェフからあまり離れたくない」
「かしこまりました。早速検討します。時期は年内ということでよろしいですか?」
「うむ、やむを得んな。先方も移動距離が長くなる。それぐらいの時間的余裕は必要だろう。それと連絡は例のルートからだ。公式ルートにはするなよ」
「それでこちらからの議題は何かありますか」
「いや、無いはずだ。まあ、だから先方は会議をしようと言ってきたのだろう。今までは話のネタがあったから意思疎通のチャンネルが辛うじて維持できていた。が、このままではそれが消えてしまうからな。同志モロトフ君。君が日本の立場なら、何を議題として持ち出すと思う?」
モロトフは首を傾げた。日本の戦略が分からないということと、この質問をするスターリンの意図もよく分からなかったからだ。
ソ連から見た時、日本という国は一言で言えば太平洋への出口を塞ぐ重石のような国だ。
そしてもう一つの別な面は潜在的強国である中国を牽制するための布石でもある。
人のいない沙漠地帯、ツンドラ地帯、高原地帯とはいえ、ソ連の南の国境は長い。ここが火種になるとソ連にとっては厄介だった。その意味で東の海上に位置し中国にちょっかいを出していた日本は中国牽制の意味では非常に有用だった。
ゾルゲを使い、日本に中国への南進を進めさせたのはこれが理由だった。
しかしウィグルが日本の勢力圏に入った今、その中国牽制という意味は大きく失われた。
むしろ中国の影はもうほとんど見えなくなった。ソ連のほとんどの国境は日本勢力圏に囲まれているのである。
カールマルクスの提唱で始まった共産主義運動によって生まれたソ連は、国際共産運動を世界に広め、革命政権を世界中に樹立する使命を負った国である。
本質的には立憲君主制の日本とは相容れない関係だ。
しかし共産党の発展は日本の援助が無かったらありえなかった。日露戦争時の反政府運動であった共産党はこれで勢力を拡大できたのである。
理念など関係無く、自分の都合のいい駒として相互に利用しあった仲、というのが適切な表現だろう。
今まではソ連は対ドイツ戦略の上から、日本は対米戦略の上からお互いの利益のために手を握っていたに過ぎない。
が、いまやその構造は根底から崩れている。
国家理念同士がぶつからざるを得ない局面が訪れたのである。
だが、日本に勝てるのか?
そう、スターリンはそこをどう見ているのかがモロトフには分からなかった。
陸軍で力押しするような場面ならきっと赤軍は強い。それはモロトフにも分かる。
同じような強さを持ったドイツ軍をはね返したことでもそれは証明されたと言えよう。
が、今の日本軍はそんな普通の戦い方をしそうにない、ということもノモンハンで経験済みである。
ジューコフは絶対の自信と最新の戦略と兵器でハルハ川に布陣したはずだ。
それが激戦にもならず、あっさりとほぼ全軍を捕虜にされてしまったのである。
兵器は徹底的に調べられあげくの果てにはコピー製品まで作られてしまった。
いったい、どんな手を使ったらそんな勝ち方ができるのか、未だにソ連には解明できていない。
従軍した兵士の話では、先頭の障害物を取り除くために四苦八苦していたらいつの間にか司令部が日本軍に奪取され、しかも包囲されていたというのである。
ほとんどの兵は日本軍の姿を見ることも無く、いきなり捕虜にされたのだ。
なので負けたとは言え、怪我人も死人も驚くほど少なかった。
司令部要員以外はほとんどの者がソ連帰還を果たしたのである。そして何がどうしてそういう話になったのか、その司令部要員だった者は全員オーストラリアにいることは確認済みだ。
最初からジューコフたちと日本はグルだったのではないかと疑いもした。
が、当時の状況を知った者たちへの聞き取りを綿密に行っても、作戦準備の段階では日本の介入は全く確認出来なかったし、ジューコフはむしろ必勝の念を固めていたことは間違いなかったようだ。
結局ノモンハンの話は、何をいくら聞いてもどうしてこうなったのかが理解できなかった。
ドイツ軍には苦戦はしたが、そんな気味の悪い負け方をしたことはない。
逆に言えば、日本軍は、ソ連およびロシアとの戦闘で敗戦らしい敗戦をしたことが無いと言える。ソ連を甘く見ていてもおかしくはない……。
それ以外にも、いつの間にか、ウィグルとチベットを手懐け、バルカンを落とし、ベルリンを陥落させた手腕。積み重ねられた実績が何よりも不気味だった。
今の状況は、勝ちには勝ったがソ連軍は疲弊しており、ほとんど戦闘らしい戦闘をしていない日本軍と戦うのはあまりに不利だ……。
「まさか、領土要求とか……」
「ま、そういう可能性もあるな。だが、いったいどこを? ウラジオストックでも寄越せと言い出すと君は言うのかね?」
「いえ、東アジアでは日本の場所というのはいろいろと恵まれた場所で、それに比べたら我が国の土地は彼等からはそれほど魅力のある土地には見えません……。ですが、例えば石油が出るカスピ海沿岸ということなら」
「そうか、黒海まで勢力範囲を伸ばしたら、その先にあるのはカスピ海か……。これは気がつかなかった。確かにあいつなら、その辺りまで考えている可能性は高いな。やれやれ、やっとドイツ軍を追っ払ったと思ったら今度は日本軍か」
スターリンは疲れ切ったような表情を浮かべ、自分の机の椅子に力なく腰を下ろした。
その後、モロトフと満州国軍参謀本部の間で細かい打ち合わせが行われ、最終的に十二月に、クリミア半島のセバストポリ港にも近いヤルタにて赤坂宮とスターリンのトップ会談が実現することになった。
スターリンのソ連から出たくないという希望に対し、赤坂宮の方はバルカン半島と黒海視察に乗り気という希望が合致した結果だった。
ドイツでの残務を終えた石原とコウノトリ隊は、ベルリンを撤収するとハンガリーのブダペスト郊外に設けた日本バルカン半島総督府という名前の軍事基地に移動していた。
そしてここを赤坂宮が訪れるのである。
従ってスターリンとの会談はそのついでに、帰りに立ち寄るという形で行うことになっていた。
さすがにベルリンで派手な活躍をしたおかげで、コウノトリという兵器システムは、多くの国でマネされることになった。
空を高速で移動させる機甲部隊の有用性が高く評価されたのである。
またジャイロコプターの対地戦闘能力にも注目が集まり、対地攻撃用では急降下爆撃機ばかりに関心が向いていたことが反省され、様々な対地航空機の研究が始まっていた。
ジャイロコプターそのものは、さすがに貧相に見えるのでそのまま採用を考えた国は現れなかったようだ。
いずれもこの時点ではまだ来ぬ未来の話である。
現役運用しているコウノトリ部隊を持っているのは、まだ日本だけだ。そしてその最大の基地がこのバルカン半島総督府なのである。
もちろん初代バルカン半島総督には石原がそのまま着任ということになっていた。
バルカン半島諸国は、今までのドイツ、ロシア帝国あるいはオーストリーハンガリー帝国などとは全く違うタイプの支配下に置かれたのである。
つまりふだんはその姿をほとんど見ることはないのに、事が起これば、数百両もの戦車隊が突然目の前に現れる、という潜在的な脅威にさらされる支配である。
大軍に迫られるとか、あるいは各地に外国軍が駐留しているというのなら今までも何度も経験してきたが、こういうのは全く初めての経験だった。
規模は小さいのにその打撃力は大軍並みに大きいというのもミソである。
赤坂宮がここを訪れた理由は、バルカン諸国を完全に支配下に置くため、ということになる。
ただ従来の帝国がこの地域の国々に課したような税収権やら行政権やらに直接手をつけるという意味の植民地、あるいは属国にするというのではなかった。
元々争いの絶えなかったバルカン半島の治安維持の名目の下、言わばバルカン半島内の国際紛争の裁定者が今後は日本になるということを認めさせるというものだった。
天皇の日本支配と似ているとも言える。つまり正当な政府と認められるためには、天皇に認められる必要があるということをオブラートに包んだ言い方にしただけなのである。
ヨーロッパで言えば、かつてのローマ帝国が行った皇帝属領の扱いに近い。
皇帝属領では税収の一定額を納める義務があったが、日本のこれにはそういう縛りが無い分、緩やかな支配ということになる。また防衛力の整備も含めて内政についてはほとんど現地任せである。
ただ支配のキモは他にあったのである。
まず一定の広さ以上の土地を持つ地主の家から十五才以下の男子を各国千人程度人質として日本が預かること、さらに各国政府には今後国民全員への義務教育を行うよう義務付けるが、そこには外国語として必ず日本語を含めることというのが入っていた。
さらに今後の双方の理解が正しく行われるように、各国に自国の歴史を綴った日本語の本を献納する義務を負わされたのである。そして同時に日本の歴史書を各国語に翻訳し普及させろ、というのも入っていた。
ある意味税収を迫られる方がまだ楽なぐらいの義務である。
これは日本語という言語の国際社会での価値を高めるための幕府発案の戦略だった。
とにかく日本語の蔵書を世界中で増やせというのである。
また日本人に世界の隅々のことまで知らせることで国際社会での日本人の活躍の舞台を拡げやすくするという意味もあった。
ブダペスト郊外の総督府に集められた各国政府の使節団は、これらの占領政策を赤坂宮から説明され、その直後、即時了承するように迫られた。
外交儀礼も何もあったものではない。
了承しなければ直ちに潰しに掛かるという宣言までされては、了承するしかなかった。
コウノトリ部隊だけでなく、現在黒海にはとんでもない規模の日本艦隊が遊弋しているということもよく知られていた。
現在日本はバルカン半島に、決して大軍というわけではないが海空陸に十分過ぎる打撃力を置いていることはわかっていたのである。
さすがに幕府のスタッフたちが、人質という文言については、留学生と言い換えていたが、十年間の日本留学が義務付けられた領主あるいは大地主の子息の留学生と言われたら、どういう意図なのかはだいたい理解できたようだった。
ただ日本でどのように彼等が扱われるのか、ということについて、決して牢獄のようなところに放り込むつもりはなく、日本の同世代の子と一緒に学校に通わせるという説明を聞いて、まあ、それならというふうに態度を軟化させた。
この会議に集められた各国代表は赤坂宮の言う通りこの日本提案に同意させられた。
これによってハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、セルビア、コソボ、マケドニア、スロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、モンテネグロ、アルバニアは日本連邦の一画に組み込まれることになった。
使節団はそれぞれの国に戻り、すぐに日本に送る留学生のリストを作り始めた。
セルビア王がこの時ゴネた。
王子を日本に出したくなかったらしい。
それで重臣を石原の元へ派遣し、王族の目こぼしを願った。
が、石原の答えは、王政の廃止が条件だったのである。
それでは何の意味も無いとなり、結局王も王子の日本行きを了承せざるを得なくなった。
で、何故かこの話は噂話としてバルカン半島一帯に広まった。
セルビア王はもちろん事実無根だとことあるごとに否定して回ったが、一度生まれた猜疑心のこもった目というのはなかなか収まらないものらしく、陰口はかなり蔓延っていた。
この様子を見たリストに上がった者の関係者は以後不平不満を一切言わなくなったという。
こんな三文芝居を後に残し、赤坂宮は会議の翌日にはクリミア半島のヤルタへと向かった。
コウノトリに搭乗し、一度黒海にいる空母鳳翔に立ち寄り、そのまま機動部隊ごとセバストポリ港へと向かったのである。
戦艦を先頭に単縦陣で進む日本艦隊の姿はまさに圧巻だった。
ヤルタで待ち受けていた、スターリン、モロトフは、自国領にいるはずなのに、まるで日本の観艦式を見学させられた気分になった。
巨大戦艦も空母もソ連には全く無いシロモノである。
しかもその空母鳳翔から飛び立ったコウノトリが直接ヤルタの会議場まで赤坂宮を届けてきたのだ。
「砲艦外交」という言葉をスターリン、モロトフは頭に刻む込むことになった。
ヤルタは黒海に面した保養地だ。それで滞在型のリゾートホテルがあり、今回の会議はそのホテルが会場となっていた。
自国で相手国を恫喝できると踏んでいたスターリンは、赤坂宮の到着を待たされた時点で、交渉の負けを悟った。気力がもたない、と自覚していたのである。
予定時刻を十分ほど過ぎて現れた赤坂宮は、厳しい表情をした長身のやせた男だった。スターリンはいつぞや見かけた日本のサムライの写真を思い出していた。
なんとなく、それが赤坂宮のイメージとしてピッタリの気がしたのである。
会議は細長いテーブルに両国代表が向き合って座るスタイルで始まった。
空気は張り詰め、友好的という雰囲気は全く無かった。
双方ともテーブルに着いたのは、主賓を入れてそれぞれ五名ほどである。
通訳を除けば実質、それぞれトップ2までのミーティングだった。赤坂宮の隣に同席したのはもちろん石原である。
儀礼的な自己紹介、挨拶など一通りのプロトコールが終わり、いよいよ本題にという時間に入った。
すると赤坂宮が冒頭スターリンとの一対一の会談をしたいと言い出したのである。
ナンバー2の同席も認めないという話は極めて異例だったが、スターリンは承知した。
そして双方の通訳だけを残し他の者は別室に待機ということになった。
「で、ここまでしてどんな話をしたいのですかな、宮殿下」
「手間を取らせたことは謝罪します。ですが普通はこういう発言はできないことになっていますので……。が、やはりどうしても言葉にしておかないとなかなか伝わりにくいということが世の中にはあるものですからな。はっきり言いましょう。来年早々にも貴国に宣戦布告をするつもりでおります。これをまずお伝えしたかった」
スターリンは通訳の言葉を聞くと目を大きく開いた。だいたいスターリンのまわりに直言するような人物はいない。昔はいたが、皆収容所に送りこんだか粛清したからだ。
スターリンは腫れ物に触られるように扱われることにすっかり慣れていて、こういう直球型の申し入れには全く対応ができなかったのである。
スターリンは思わず立ち上がった。
そしてロシア語で大声で「好きにしろ」と言って部屋を出ようとした。
「今部屋を出たら、あなたはおそらく首都まで無事には帰れませんよ」
赤坂宮のドスの効いた床を這うような低音の大声がスターリンの足を止め、通訳が慌ててそれをスターリンに伝える。
スターリンはなんとか自分を抑え、黙ったまま自分の席へと戻った。
目の前の海にいるはずの日本艦隊の威容を思い出したのである。
「我が国の何が不満なんだ? 何故宣戦布告をする?」
「どうやらこちらの話に聞く耳を持って頂けたようですな。何よりです。そう、お伝えしたかった本当の中身はそちらのことです。貴国は共産主義革命なるものを世界中に広めたい、という趣旨のお国でしたな」
「ああ、その通りだ」
「それでは、もし私がその共産主義なるものに賛同し、我が国を共産国家にしたとしましょう。そうなった場合、貴国と我が国はどういう関係になると思いますか」
「それは同じ理念を持った同志として歓迎するさ」
「国益を違えていても、ですか?」
「何?」
「つまり共産主義を世界に広める役割を日本が担う場合は、貴国もそれに倣えと我々は考えます。ロシアの共産主義ではなく日本の共産主義をね」
「バカな。我々のやっていることだけが共産主義だ」
「誰がそう決めたんですかね」
「……」
「理念が同じだからと言って領土や領海が自分の思うとおりになると思ったら大間違いですぞ。ついでに言えばおそらく日本人の考える共産主義の解釈と貴国での解釈は同じものになることは決してない。日本人はロシア語なんか習いたいと思うことは絶対ないでしょうし、貴国にしても日本の共産主義を学びたいとなることもないでしょう。私が何を言いたいかおわかりですかな」
「お前は、我々を愚弄しているのか」
「いいえ、貴国は結局看板はどうであれ、他国を侵略することしか頭にない侵略者だと言っているだけですよ。こういう存在は世界にとって迷惑この上ない。必要ないのです。だから宣戦布告しなければならなくなる。共産主義であろうとなかろうと、貴国の意図通りに動かない国は自国に組み込みたい、それがあなたの考える外交ということになる」
「そこまで言われる筋合いはないと思うのだがな」
「世界最大の領土を確保し、それでいてなお、領土を求め膨張を指向する国、率直に言って国際社会における貴国のイメージはこれしかないと思いますが。共産主義などと言ってもしょせんは大義名分だ。これは決して私だけの認識ではありませんよ、イギリスやブラックアメリカやイタリア、フランスなどもほぼ同じ見方をしている」
「何故だ」
「それはお国がいろいろと金の動きや人の動きを厳しく統制しているからでしょう。あなたに反対すれば生きて行けない。ジューコフはそんなことを言っていましたよ。つまり自己正当化は領土だけに限らずあらゆる分野にわたっている。これに反する者はすべて敵認定する。これがあなただ。社会の規範を一切認めずすべて自分の都合で判断する。私からするとヒトラーとあなたはそっくりだ。いや事実として、今あなたはたまたま勝利者の地位にいるが、この大戦の初頭では共犯者だったことを世界は忘れてはいない。人民の命を軽く扱うことに関してもヒトラーと大した差がないこともまた明らかだ。ヒトラーを排除できた今、世界全体にとっての次の大きな課題は、あなたの排除だ。これが道理というものなのですよ」
まるで裁判での検事のように赤坂宮の鋭い舌鋒が続いた。
スターリンはなんとか興奮を抑え、頭の片隅では対日戦の戦略をイメージしようとしていた。
しかしこの三年ドイツと死力を尽くして戦ってきた今のソ連と、逆に力を蓄えるだけ蓄えたような日本との戦争などそもそも戦略として選択できるシロモノではなかった。日本からのエンジンが無ければ、工業もまともには回復させられそうにないのである。
また過去の日本とのトラブルの記憶もロクなものではなかった。
なにしろ日露戦争とノモンハンである。いいイメージが全く浮かばなかった。
それがスターリンの心に焦りを呼んだ。
「では、どうすれば、我が国は信用されるようになるというのかね」
「そうですな、端的に言えば、水に流せ、というのが一番でしょうかね。貴国が全てを水に流すということが出来る国だと分かれば世界はかなり安心するでしょう」
「水に流せ? どういう意味だ。まったくわからん」
通訳同士がまずここでお互いに意味を確認しあった。どうやら日本語の「水に流す」という言葉に含まれる意味はロシア語には存在していないということが分かった。
それで通訳がスターリンに、日本は水害多発国で、どんなに人同士が相争っても、一度洪水や津波、高潮などの水害に襲われてしまうと、何もかもが流され、畑や田も家も土地の境界も何にもない場所に変わってしまうことから生まれた言葉で、争いによって生じた損得恩讐のすべてを無かったことにする、という意味だと伝えた。
「なるほど、面白い比喩だな。確かに我が国には全く無い発想だが、それだけが言いたいわけではあるまい。共産主義の何が気に入らんのだ」
「別に共産主義を捨てろとは言いませんが、金を求めて取引する民衆を自由にしてやれ、ということです。それでほとんどのことは丸く収まる。領土なんて利用価値も住民もいないところをいくら集めても、管理が大変なだけだ。それよりも金が豊かに回る国を作った方が国益としてもはるかに大きい。共産主義の優れた点とか資本主義の悪いところみたいな話は私にはよくわかりませんがね、金をやって喜ばない人間がいないということだけは確実に言えますからな。そこはまず理解すべきでしょう」
てっきり領土要求が出てくるものとばかり思っていたスターリンに、この赤坂宮の話は新鮮なものに映った。
「しかし日本だって領土が欲しいからドイツに参戦し、バルカンに入ったんだろうが」
「いや、別にバルカンを植民地にするつもりはありませんよ。ただ、何かと火種を起こす場所なので、統制だけはちゃんとかけることにしましたが。今後もしバルカンで戦火が上がるようなことがあればそれは日本の不行き届きと見なして頂いて構いません」
「あの、厄介な連中を抑える? どうやって?」
「日本の昔ながらの手法です。関係国からこどもを人質として日本で預かることにしました」
「嘘だろ……」
「十年も日本で預かれば、親の国同士の仲が悪かったとしても、こども同士ではもうわだかまりは消えるでしょう。世代が変われば世は変わる、それだけのことです。が、貴国との関係というのは断絶の未来しか見えない。つまりヒトラーではありませんが、貴国との共存は未来永劫不可能という結論になる。あなたはこの先も第二第三のヒトラーからの挑戦を受け続けることでしょう。私はね、ヒトラー打倒のためとはいえ、半分後悔しているのですよ、あなたを助けるべきでは無かったと。まあチャーチル閣下から頼まれたのでやむを得なかったのですが。もしそれが無ければとりあえずは日ソ中立条約を破棄していたかもしれませんな」
スターリンはほんの数ヶ月前まで、首都クイビシェフへの入り口とも言える、スターリングラードまでドイツ軍に攻め込まれ絶体絶命のピンチに置かれたことを思い出した。
恫喝だ……。これは恫喝そのものだ……。
しかもこの男はヒトラーがやったようにその意思を隠し欺そうとするのではなく、わざわざ敵地に出向いてその敵意を通告しているのである。それはまるで戦争になったら必ず勝つという揺るぎない自信を誇っているかのようだった。
スターリンがドイツ軍に恐怖したのとは全く対称的に、この男は戦争を楽しみにしているとしか、思えなかった。
この男は、どんな戦争でも必ず勝つつもりでいる……。
根拠は全く無いが、スターリンの頭でそういう考えが浮かび、そしてそれがスターリンの頭全体各所で次々と肯定されていった。そう考えると何故こんな話をわざわざしにきたのか分かったような気がしたのだ。
「お、お前はいったい何者だ!」
スターリンの心の声のようなものが、そのまま言葉になって飛び出してしまった。
言った本人もそれを聞いた通訳も、思わず顔を見合わせた。
通訳が確認する。
スターリンは自分でも何故そんな質問をしたのかよく分からなかったが、それを聞いてみたいという自覚はあった。それでそのまま訳せと通訳に促した。
赤坂宮は通訳されたスターリンの質問を聞くと、口元を歪めた。いや、ニヤっとした、という表現の方が正確だ。
「ほう、そういう質問をされるのですか。あなたは私が考えていた以上にいろいろと修羅場を掻い潜ってきた方のようですな。よろしい、改めて自己紹介をし直しましょう。ただこの話は荒唐無稽な話だと初めにお断りしておきますよ。もちろん信じる信じないはあなたの自由だ。……私は今からおよそ三百五十年前、日本が戦国時代と呼ばれていた時代に生きた織田信長と言う者です。それが何故か、七年ほど前に今の天皇の秘術で現代に呼び出されまして、日本が生き残れるようにしてやってくれと頼まれましてな、このように軍を動かし、外交を仰せつかっている次第です。ですから私がどういう人間か、もっとお知りになりたいということでしたら、一度日本史の資料で私のことをお調べになられることをお勧めします。これでも私は日本史の中でもっとも有名な武将の一人ということになっているらしいので、歴史書、研究書の類いならロシア語になったものも、いくらでもあるはずですからおそらく簡単ですよ。いかがでしょうか、あなたの質問に対する回答として、これでご納得頂けましたかな?」
赤坂宮の発言が終わると、日本側ロシア側双方の通訳がまず大混乱した。
何度も発言の意味を確認し、両方の通訳が赤坂宮にいちいち言葉の意味を何度も確認させ、スターリンに伝える文章を二人で練り上げていく。
スターリンは何かとんでもないことを赤坂宮が言ったらしいことは分かったが、何もできず、通訳の作業が終わるのを待つしかなかった。
ようやく通訳二人が納得した様子で、改まってスターリンに赤坂宮の言葉を伝え始めるまでたっぷり三分はかかっていた。
聞き終わったスターリンは無表情だった。
何をどう考えたらいいのかが分からない。
過去の歴史上の人物を現代に甦らせた? そんなバカな……
が、織田信長がどんな人物なのか、スターリンはもちろん知らなかったが、歴史に名を残した人物であるなら、只者であるはずがない。それにこの答えは、まさにスターリンの発した質問に対する、ドンピシャな答えでもあった。
スターリンは無意識のうちに口調を一転させて、話し掛けた。
また通訳が混乱することになった。
「ご丁寧なお答えありがとうございます。他人にはともかく、少なくともあなたのお答えは十分私の疑念に答えたものでした。それで貴国と敵対しない未来にするためには、我々はどうしたらよいのかお示し頂けませんかな?」
「ほう、どうやら私の話を信じて頂けたようですな。我が天皇以外にそういう方がいらっしゃったことは驚きです。結構です。では私の方から一つ提案しましょう。このクリミヤ半島を手放しなさい」
「手放す? 日本に割譲しろという意味ですか?」
「いや、そうではありません。仮に日本であろうとイギリスであろうと、貴国の領土をもらっても貴国に対する認識が変わることはありません。閣下の気まぐれ程度にしか思わないでしょう。むしろ裏に何かあるのではと警戒を深めるだけです。しかしヨーロッパユダヤ人が入植する国として割譲されるということなら話は全然別の話になります。そちらでもナチスのユダヤ人の扱いについては既に報告を受けているのでしょう? ウクライナやポーランドにもユダヤ人収容施設は作られていたようですからな」
「ああ、かなりひどいものらしいですな、人を家畜のように扱っているようだと」
「ナチスのレニングラードの扱いととても似ていると感じませんでしたか?」
「何ですと? うむ、まあ確かに似ている……」
「私はキリスト教徒ではない。だからこの問題を客観的に見ることができる。そして私の目には、あなたの共産主義もしくはロシア人、そしてユダヤ人もしくはユダヤ教、どちらも特にキリスト教徒に忌み嫌われた存在というレッテルが貼られているように見受けられる。要するに嫌われ仲間だ。特にヨーロッパでは。そういう見方があったから、ヒトラーとナチスが生まれた。つまりヒトラーとナチスがやり始めたことではなく、彼等は元々あった流れに乗っかっただけだ。ポーランドやウクライナではユダヤ人が元々かなり居た上に、現地住民、つまりキリスト教徒との諍いが絶えなかったそうですな。だからナチスの収容所が数多く作られることになった。何故そうなったかはこの際、問題ではありません。こういう流れを見ると、他の誰よりもユダヤ人たちはあなたにとって一番信頼できる友好国を作ってくれる可能性があるから他の誰でもないあなたが手助けするべきだと申し上げている。今のままではどちらにもロクな未来はないでしょう。またイギリス、ブラックアメリカ、メキシコのいずれもキリスト教徒ばかりの国だ。ところで聞くところによると、共産主義というのは宗教を麻薬扱いしているそうですな。キリスト教徒から見ればとんでもない主張ということになる。そして同時に、もしそうならば、そこにはあなたがこだわりを感じる理由は全くないことになる。別にユダヤ教を認めろとかキリスト教をやめろとか言えというわけではない。単純に貴国には現在真の友と呼べる国はないのだからそれを作れと言っているわけです。この認識が大事です。普通の領土割譲ではない。ユダヤ人に故郷の地を与えるということは、ユダヤ人をあなたの味方、手駒で使えるかなり有能な部下にするのと同じだ。そしてユダヤ人は、ヒトラーも怖れたほどの資本を世界で動かす存在でもある。それを庇護下に置くメリットはかなり大きいですぞ。ついでに言えば、ここがユダヤの国となり、交易の拠点となれば、黒海が紛争の発火点になることはまずない。周囲のどの国もここに手を出すと世界中からしっぺ返しを食らうのが見えていますからな。従って我々もここに艦隊を止める理由もなくなる、もちろん貴方にも黒海艦隊は不要になる。それに何よりも世界の目があなたとあなたの国を見直すことにつながる。ま、逆に言えば、私からすれば今ほど貴国を潰しやすい時期はない、ということになるのですが。いかがですかな」
「……考えさせて頂きましょう」
「結構。ではもう私の方から話すことは何もありません。この回答は貴国のこれからの行動で見せてもらうことにしましょう。これ以上そちらからお話が無ければおいとまさせてもらいたいと思いますが如何ですかな」
スターリンは今まで聞かされた話を熟慮するための時間が欲しかった。
そのまま椅子から立ち上がると、握手の手を差し出した。
「今日のお話し合いはとても有意義だったと思います。お気を付けてお帰りを」
とだけ言った。
赤坂宮もそれに応じ握手を交わし、二人は別れた。
別室で待機していた者は、結局何の役回りも与えられず、会談は終了、撤収とだけ告げられることになった。
ホテル前の駐車場に駐機させていたコウノトリは、その周囲を興味深そうに眺める赤軍の兵士によって警備されていた。
ホテルから出た赤坂宮一行がコウノトリへ乗り込むと、赤軍の兵士がすぐにランプウェイへの道を空けた。
着陸を見ていたのでコウノトリがどう飛び立つのかも予想がついたのである。
ホテルから道路に出るランプウェイは、幅はともかく長さはたかだか六十メートルぐらいしかなかったにもかかわらず、その僅かな距離でこの機体はいきなり着陸してきたのである。
案の定、駐車場からランプウェイに出たコウノトリは、僅かな距離だけの滑走で見事に空中へと舞い上がった。そしてまるでスターリンたちに挨拶でもするかのようにホテルの上で一回旋回すると、沖に待つ日本艦隊空母鳳翔へとまっすぐに去って行った。
そのコウノトリの姿をスターリンは窓からずっと見続けていた。
その横にはモロトフがいる。
「同志スターリン、あの飛行機は便利そうですな、たったあれだけの滑走路で舞い上がれるものとは」
「ああ、そうだな。面白い機体だ」
「あれを使って戦車を運んだらしいですよ」
「ほう、そうなのか」
モロトフはコウノトリを見たスターリンの関心が予想外に低いのに内心訝しさを覚えた。
「それで、赤坂宮との会談は最終的にどのようなお話になったので?」
「結論は……、いやちょっと時間をくれ。私ももう少し頭の中を整理したい。あ、それと誰かに言って、日本の歴史を解説した本を何冊か持ってこさせてくれ」
「何かをお調べになりたいので?」
「ああ、ちょっとヤツが語った話の中身が気になった。織田信長という武将がいたらしいな。そいつが何をやったのかを知りたい。それからもう一つ、まあバカなことを言うと思うかも知れんが、念のためだ。死んだ人間を生き返らせることは科学的に可能なのか、専門の研究者の意見を聞きたい。それともう一つ、時間を遡って過去に戻ったり未来に行く技術についてもだ」
モロトフも日本の歴史などと言われてはサッパリである。とりあえずスターリンの出した織田信長という名前だけを頭に刻み込んだ。後のSFじみた話などどうにでも答えは作れるので重要な質問とは判断しなかった。
「わ、わかりました……。それだけでよろしいですか」
「ああ、いや、ちょっと待て。このクリミヤ半島を我が国から切り離したらどんな問題が起きるのか、それも大至急検討させてくれ」
モロトフはスターリンが依頼した話の中身にもちろん驚いていたが、むしろそれ以前に、モロトフに向けられたスターリンの顔の方に驚かされていた。
スターリンとはかなり長いつきあいをしていたが、これほど弱気になった顔のスターリンというのを見たことが無かったからである。
スターリンは自ら鉄の意志を持つ男だと標榜するために、わざわざ本名を捨て、鉄にちなんだスターリンという名前を自分につけたほどの男だ。だから仮にも人前で弱気になった姿などただの一度たりとも晒してはいない。ヒトラーが不可侵条約を破り、独ソ戦が起こった時は、すぐに自室に隠れ、自分の姿を誰にも見せようとしなかったほどだ。それほど自分の物腰態度に気を使っていたのに、今のスターリンはまるでモンスターにでも出会ったかのような顔に見えたのである。
「納期はどれぐらい頂けるでしょう?」
「急がせて中身が薄っぺらいものになっても困る。一週間でどうだ?」
「かしこまりました。それだけあればかなりしっかりしたものが作れると思います。ところで会食用の食事が余ったのですが、食べませんか?」
「いや、わしはいらない。お前たちで好きにしろ」
スターリンは疲れた顔をしたまま自室へと戻っていった。
食事に興味を見せないスターリンというのもまた珍しかった。




