赤坂宮の下問
その頃アメリカにとってドイツ敗戦は困ったニュースになりつつあった。
ブラックアメリカ、メキシコの名が上がることで、相対的にアメリカが踏み台的に比較対照され、評価を下げられるだけならまだしも、それ以上に金の流れからどんどん遠ざけられていたからである。
言うまでもなくアメリカは資本主義国家である。
資本主義ということは金が無ければ社会が回らない。
金があるから人が集まるのだ。その金が流れ込まなくなったら何が起こるのか、ということをアメリカは経験することになったのである。
つまり戦争中の武器などの物資需要から遠ざけられていただけではなく、復興需要からもつまはじきにされることがほぼ確定した、という立場というのが問題だった。
アメリカに本社を置いていた企業の多くが、雪崩を打ってブラックアメリカに本社を移転しはじめていた。いまや、欧州ーブラックアメリカ・メキシコー日本が大きな金が流れる大河となっているのに、アメリカに留まっていては、その流れに触ることもできない、という状態だったからだ。
また、古くからの企業はイギリスが大きな取引相手だったが、そのイギリスがアメリカにそっぽを向いていたというのも大きい。
民間企業の動きは住民の動きや、州政府にも影響していく。
ブラックアメリカに接する州の各所でブラックアメリカへの編入替えを求める声が高まっていった。
アメリカの溶解はいよいよ激しくなっていったのである。
チャーチル、スターリン、赤坂宮、ロンメルの間で今後の日程について大まかな合意が整ったのは、戦闘が終わってから一ヶ月も経った頃だった。
講和自体を会議の議題にすることは避けた。ベルサイユ条約の二の舞になるのがオチだからだ。
従い、各国がまず、どういう未来展望を描いているのかを示し、現実的な落とし所を探すという方法で講和の道を模索することになった。
そんな中で、赤坂宮は幕府内部での部員会議を招集した。
幕府の会議はかなり変わっていた。
皆が意見を戦わす場ではない。
基本は、赤坂宮とその他大勢の会話の場なのである。
多数決が全く意味をなさない世界であり、赤坂宮の意見が会議の結論になるのだから当然だ。
ただ、自分の意見を赤坂宮に言うのは自由である。しかし、他の部員が意見を言うのを妨げてはならない。しかし事実ではない、と思えた場合はこのルールは適用されない。
正しい事実に立脚して出された意見ならば、どんなおかしな意見でもいいのである。
要は赤坂宮が受け入れるかどうかがすべてなのである。
このような会議は今までも数回行われていた。しかし事前に会議の主題が明らかにされたことはない。赤坂宮が自分から議題を持ち出すのだが、それが何なのかは全く知らされることは無かった。
なので初めから会議の中身を誘導しようとしても無駄だった。
また事務局という立場に置かれた井上がいつも困ったのは、時間がいつ終わるのかさっぱり予想がつかないことだった。
とりあえずはいつも会議時間を二時間として招集をかけていたが。
会議に集まるメンバーに決まりはない。幕府の職員であれば誰でも参加できる。逆に参加しなくても罰則などもない。言いたくない、聞きたくないなら、それもよし、というのが赤坂宮のスタンスである。
赤坂離宮の敷地は元々はかなり広かったのだが、職員の数がかなり増えたため、建屋をちまちまと敷地内に増築した結果かなり手狭な感じになってきていた。
ただ人数が増えた割には会議への出席者の数はそれほど増えなかった。
会議に出席したい人間と出席したくない人間に分かれるのは世の常というところであろう。
会議室の収容能力から言えば最大で二百人ぐらいまでなら入れるのである。
しかし実際は、だいたい五十人前後ぐらいの数で収まっていた。
赤坂宮の隣で開催時刻になったことを確認した井上が立ち上がり開会宣言をする。
「時間になりましたので、会議を始めます。では、殿下どうぞ」
赤坂宮は、転生した当初、おかしなことをやるものだと思ってこの会議の始め方を見ていた。
正確に時を刻む時計というものが昔は無かったからである。
が、結果から言えば、会議の始め方の意味を知ることで時計の持つ重要性が分かった。
多人数が予め時間を正確に決めておくことで挟み撃ちを仕掛けたり、遠く離れた軍同士の連携を図れることに気がついたからである。
信長が知っていた戦さのほとんどは違う。
敵との会合は偶然任せ、つまり遭遇戦なのである。
なので武器、兵糧の準備なども現代に比べればはるかに杜撰である。
まして、遠く離れた軍部隊同士で連携を取りながら長時間にわたって敵と対峙などということは夢物語だったのである。
もっとも、一人だけ例外がいた。
例によって家康である。
あれだけは、戦さの時に、自分の軍の速さやら、距離やらを元にして計算を行い、どこでどんな局面になるのか、どれだけ武器兵糧が必要になるのかをそこから導いていたのだ。もちろん時を正確に測れる機械があるわけもなく大雑把なものだったのだが。
そんな結果を信じて、それに生真面目に対応しようとする家康の姿は涙ぐましくもあり、滑稽にも見えたのだが、結果から言えばやっておいて良かったことが多かったのは事実である。
秀吉はこれとは対称的で、イチかバチかの危ない橋をいくつも渡る場面が多かった。
その代わり行動に遷るスピードは家康、いや他の誰よりも比べものにならないほど早い。この早さがあったので、失敗してもそれを取り返す時間的余裕を持っていた。
危ない場面に陥っても、その都度いろんな人間を言葉巧みにたらし込み、窮地から逃れるのである。
逆にいつも時間に追われることになる家康は滅多なことでは頭を下げない男だった。
頭を下げずに済ますためにあわてず騒がずいろいろと時間を含めた計算をし尽くすのが家康なのである。
信玄もだから家康の守る浜松城には攻めかからなかった。そこに万全の備えを見たからである。
信玄はわざわざ浜松城の目の前を武田軍に素通りさせたのである。
その姿は、こう語っていた。
お前など眼中には無い。
さすがに慎重な家康もこれほどの挑発を受けては頭に血が上らずにはいられなかった。
家臣が止めるのも聞かす、すぐさま追撃命令を出し、自分も城から出撃したのである。
武田軍を追い丘陵となった三方原の上に出た家康が見たものは、きれいに魚鱗の陣を作り待ち構えていた武田軍だった。
万全の迎撃態勢を取った大軍に攻めかかった少数の追撃軍の運命がどうなるのかは自明である。
信玄は家康の計算のさらに上を行ったのである。
それでも、家康が助かったのはこの緻密な計算で守りを固めた浜松城の存在が大きく貢献したことは間違いない。
三方原からなんとか脱出した家康は僅かな敗残兵とともに辛うじて浜松城に逃げ帰った。
この時の浜松城にはほとんど戦力は残っていなかった。
しかしその直前の浜松城を見ていた信玄はそこにも罠が隠されているのではないかと疑ったのである。
藁をも掴む思いで、家康はあえてそれを臭わせる演出、空城の計を行った。あの諸葛孔明の故事に名高い策だ。
これが見事にはまったのである。
信玄はいよいよ警戒を深め、余計な損害を避けるため浜松城への攻撃を中止させたのである。
つまり家康の計算高さを見抜きそれを警戒していた信玄が相手だったからこそ、空城の計は成功したのだった。
家康がもし今のような正確な時計というものを知っていたら、伏兵を二十も三十も用意しそうだな……
時計の持つ価値には感心していたものの、会議でのこの時間管理は正直、赤坂宮には苦痛だった。昔だったら、自分が現れれば会議の開始であり、いちいち時間になるのを待つ必要は無かったからだ。
とにかくやっと出番が来た、とばかりに赤坂宮は思いの丈をぶつけ始めた。
「皆も知っての通り、第二次世界大戦は我が軍のベルリン占領をもって終結した。これもここに集まった皆の努力のおかげだ。改めて感謝する。それで本日、こうして皆に集まってもらったのは、三つのことについて皆の意見が聞きたいからだ。
一つはソ連のことだ。ヒトラーのドイツが倒れ、ソ連の西にはソ連の脅威となる国は消えてしまった。いずれはドイツも国力を取り戻すだろうが、それまでが危険だ。一応バルカン半島に橋頭堡は確保したが、これだけで万全とはとても言えない。この国が国際共産主義革命なるものをかかげ、全世界の人民を一つの共産党で支配するという野望を公に明らかにしている以上、放置すればいずれ戦さとなることは避けられない。なので、ソ連をどうするのか、というのが一つ。
第二の点は、ローマ、バチカンにいるカソリックの教皇のことだ。
教皇の存在はイタリアに数々の困窮をもたらした元凶でもあり、またそれによってファシズムを生み出した一因でもあったので、当初は廃止、無力化を基本に考えていたのだが、ナチスドイツを倒す上ではこの上無い影響力があることを見せつけ、大いなる助けとなってくれた。ヨーロッパの多くの国はもはやカソリックではないとはいえ、キリスト教徒にとってはやはり精神的な支柱として巨大な存在なのだろう。
影響が大きいとなると、放置もできない。今後の不安定要素にもなる。この教皇、いやバチカンという組織を諸国民の信頼を損なわぬ形で、危険な勢力となることを未然に防ぐ方策、こういうものが欲しい。もちろん今現在、ヨーロッパに出征中の者にもいろいろと考えるようには言ってはあるが、同じ事を諸君らにも考えて欲しいのだ。
最後の一つは、お上のことだ。お上は、日頃から我が国の国家主権者という立場が重すぎるとお考えだ。お上の理想はどうやらイギリスの王室のような、君臨すれども統治せず、というスタイルをお望みと見受けられる。そのためには現在の憲法を改正しなければならないわけだが、我が国がイギリス王室のような皇室を頂くにはどのような政府、議会を用意しないといけないか、ということだ。もちろんこれについては現在は全くの白紙である。政府にもこの話はまだしていないからな。今日のところは、軍事外交を預かる者としての、皆の意見を聞きたい」
赤坂宮の行う会議冒頭の説明は、いつも職員の想像を超えているので、職員はある程度、何を言われても慌てない、という免疫を獲得していた。
しかし、さすがに最後の話の衝撃は大きかったようだ。会議室全体がどよめいた。
その様子を見た赤坂宮が言葉を続ける。
「我が国の存在が、ここまで世界に広がると、どっちにしてもお上を前面に出すことは、我が国に対する反感を高めかねない。お前たちなら、それがどういう危険につながるかわかると思うが」
赤坂宮の発言が始まった瞬間、ざわめきはピタッと止まり、そして発言が終わった後も沈黙が続いた。各人各様にその言葉の意味を考えていた。
しかし見渡す赤坂宮に対し、発言をしたいという意思表示、つまり挙手をする者は出て来なかった。何かを言うには時間が足りなさすぎる、ということだろう。
「一日で全部という私が間違っていたようだな。仕方が無い。今日はソ連の話だけにしようじゃないか。残りのことはまた後日、改めて話を聞くことにする」
部屋の空気が少し和らぎ、ポツリポツリと発言を求めて部屋の奥から手が上がり始め、ようやく会議は始まった。




