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変容する日本社会


さて、世界はこのように日本の次の動きを固唾を飲み注視していたのだが、肝心の日本国民の大部分は、そのように視線を浴びていることには気がついていなかった。

例によって、幕府が報道管制をかけていたからである。

つまり日本人はドイツの敗戦をまだ知らされていなかったのである。

赤坂宮の外交、軍事関係の報道についての管制指針は、幕府の戦略で判断する、ということになっていた。つまり国民を喜ばすのも悲しませるのも、その結果が国家戦略に合致しているならOKにするということになっていた。

真実を常に国民に知らせる必要など元々ないと割り切っていたのである。

現憲法は欽定憲法で主権は天皇にある。天皇の政権に都合が悪くなることを国民に知らせるのは百害あって一利無しということになる。

将来、もし日本が天皇主権をやめ、国民主権の憲法にする、という場合、もっとも心配なことは、国民に世界のずる賢さを見抜く目があるかどうかだった。

現状、赤坂宮の目に映った日本国民は、戦国時代よりはいろいろな意識が進んではいたが、アメリカやソ連の政治家の作り出す政策の意味をくみ取れるとはとても見えなかったのである。

マスコミが本来ならその役割を補わなければならないのだが、マスコミは、いやマスコミこそ、常に外国勢力の影響に一番晒されるものなのである。

なにしろ赤坂宮こそ、自分の戦略に都合のいいように外国のマスコミを散々利用しているのだから、もはや確信犯としての実勢判断である。

しかも戦国時代よりもはるかに影響が大きいのだ。こんなに簡単に世の中が動かせると知ったら、それこそ秀吉など、本気で世界征服を言い出していただろう、とも思うのである。

なぜ日本人はこうも国際的に幼い存在なのか、と言えば、端的に言えば国全体の人が良すぎるのである。

歴史的に外国の侵略、策謀に晒された経験がなさすぎ、免疫がないのである。

しかも統治者である天皇が、一種の神聖システムで、俗世の穢れから距離を置かれた存在になっていて、そういう俗世にまみれたような人間が政権中枢にいづらい、という日本独特の問題もあった。

無法者、ヤクザ、チンピラが政治の実権を取った、という経験歴史が少ないことが問題なのである。

別な言い方もある。

もし元々がこのような簒奪者だったとしても、領民を徹底的に絞り上げる、ということ自体が難しかったのである。

国土が持つ生産力、この場合は土地が持つ植物や動物を育む力を指す、が小さく、飢餓の危険にいつもつきまとわれ、為政者と言えども、そうそう無茶を言うことができなかったのだ。

水資源以外、耕作条件に適していなかった国土のせいで食糧不足は長い日本史の相当部分に常に存在していた大きな課題だった。食糧不足は領民の数の慢性的な不足状態に繋がり、領主の一番の悩みの種でもあったのである。

この厳しい生存環境が生み出した持ちつ持たれつの関係が世界的にも稀な日本という「優しい封建社会」を作ったのである。

それは身分制度を見ただけでも容易に確認できる。

日本の身分制度は士農工商だった。

が、欧州のそれを例えるなら、士商工農の序列なのである。

日本では農の位置が異常に高いことが分かる。食料生産に苦しんでいた証拠である。

このような関係だったので支配階級と被支配階級の分化が日本社会はもともと未発達だ。

人が簡単に死んでしまう、という状況では階級の固定なんてやったらすぐに社会機能が止まるからである。

なので日本では勢力争いはあったが、支配者を倒す革命は起こりようが無かったのである。


現在強国と呼ばれている諸外国はそうではない。

力さえあれば、どんな無茶なことでも国民に押しつけてきた政権とそれに抗ってきた国民が血で血を洗う階級闘争を豊富にやってきた国ばかりと言っていい。

階級の固定も限度がない。

王族は王族同士、領主は領主同士という形で国境を越えてつながりを拡げる一方、自国内での他階級との交わりはどんどん希薄になっていったのである。

上が上なら下も下でやることは同じである。

同じ階級同士、つまり利害関係が同じになる者同士でのつながりばかりが広がる傾向が強いのだ。

だから自由都市やその同盟、あるいは強力な職人組合などまで生みだしたのである。

こういう階級に分かれて反目を繰り返す歴史が積み重ねられた結果、国民の政権を見る目がどんどん鍛えられていくことになった。

それが誰であっても、他人の言葉を鵜呑みにしない社会の発展である。

権力者が権力者を相互に牽制し合う政府が整備された。

皇帝であっても王であっても教皇であっても決して万能ではないのである。

東洋のように忠や孝を徳として尊ぶという価値感とは無縁の封建社会である。

階級差のある者、つまり利害が一致しないことが分かっている者同士を結びつけるものは契約しか無かった。主従関係も契約によってのみ成立しているのである。

常に何らかの干渉を周囲から受けるのが当たり前で、一人一人が常に自己の権利を主張し義務と抗いながら生きる社会なのである。

こういう環境があったから、誰しもが常に自分の利益を意識せざるを得ず、表面の美辞麗句に欺されにくい本質を鋭く見抜く目というものが国民の間で広く培われることになったのた。

それがまず哲学という学問分野を異常に進化させることにつながる。

次にこの哲学が引き金となって、神様の威厳とそれにぶらさがる宗教から物理学ほかの科学を解き放つことにつながった。

つまり、すべての近代科学は哲学者が創始したものなのである。

いわば生き残る知恵の体系科学化だ。

これらのことが、誹謗中傷、風評に強い耐性を持った社会を育てることになったのである。


そんな国民が作る国と同列にされて日本が敵うわけがなかった。

持ちつ持たれつ助け合い前提のお人好しばかりの国と階級闘争を繰り返し、誰も信用しないと言う常識が定着した社会の国が戦争をしたらどうなるか、ということである。

これこそが昭和天皇の抱えていた最大の懸念だったのだ。


日本という国、日本という社会、日本人という人種は田んぼ作りによって生まれた、と言っても過言ではない。

太平洋の縁にあってしかも大陸とは隔絶された島国のモンスーン気候は、世界でも稀な多雨地域を作り出した。

新鮮な水には事欠かないが、土地からありとあらゆるミネラルは水に流され、地力は極端に弱い。そんな中で、収量が計算できる貴重な穀物が稲だったのだ。

しかも稲を水田で栽培すると土地が痩せないのである。

これは浅い水たまりに日光が当たると微生物の働きによって有機化合物が植物の養分となりうる単純な構造の物質へと分解されるからだ。

ところが水田を作るためには、土地を完全に水平に整地し、しかも水が逃げないように大量の粘土を敷き詰めなければならない。

さらには、水源から水を引くためには、土木工事によって地形を変化させ、季節の状況に合わせて量を調節できる機構を持たせた、高低差を十分考慮した水路を引かなければならない。

いずれも一人、あるいは少人数でできることではない。

巨大な完成図に合わせて大人数を管理し、さまざまな作業をタイミング良く計画に沿って行わせる共同体を作らなければならなかった。この作業が日本と日本人を作ったのである。

稲さえあれば、とりあえず一年を通して供給可能な食料の備蓄ができ、住民の必要カロリーやら最低限の栄養素の維持ができたのである。

そして西日本では二期作が可能だった。一年に二度収穫できる、という効果は大きく、これが稲作を行った地域で人口を倍増させたのである。

人工的な水田を作らなかった縄文時代と比較し、弥生期に爆発的に人口が増えたのはこれが原因だ。

共同体はいよいよ巨大化し、やがて国家が発生するのである。

ヨーロッパのように狩猟ステージの次に開始された最初の農業が牧畜だったところとは社会の仕組みが違うのである。


巨大な田んぼシステムに繋がった共同体の意思は個人の意思よりも優先する。

これが日本人の底辺にある意識だ。

つまり個人の自由な意思のぶつかり合いとそこで起こる相互牽制が全体システムのスタビライザーの役割を果たすことを期待した民主主義との相性はもともとよくないのである。

なので赤坂宮は国民の判断材料となるニュースを厳選していた。

人の意見に左右されやすく、右へ倣えとなりやすい民だと見切っていたからだ。

結束しやすいのはもちろん強みとなる場合もあるが、利用される危険もまた大きいのである。


明治維新によって日本はようやく「優しい封建制度」から脱却した。

そして富国強兵の名の元に、脱農業国、工業化へと大きく踏み出した。

それは当然従来の「身分制度のある横並び社会」からヨーロッパのような「階級闘争のある社会」へといろいろなものが変わることを意味する。

大きな問題は、国民がその変化を自覚していないことだ。

だから情報統制をしなければならないのである。

とにかく外交軍事ニュースには厳しい報道管制がかけられた結果、その穴を埋めるべく、芸能や娯楽関係、芸能人の話題が提供されることになった。

それに誘導されて、日本人の関心の多くの部分は、そういう事柄へと向くことになった。元々江戸時代に花開いた庶民文化という、欧米には無かったベースもあったのである。

文化人や芸術家にとっては決して悪い話ではない。

このような直接生活につながらない、娯楽や文化活動の方から、日本とは異なる世界の事を学び始めていたのである。

日本社会は少しづつではあったが、多様な価値観に対し徐々に寛容になり始めていた。

いつまでも隠してはおけないとばかりに幕府が第二次世界大戦終結と日本の勝利について、極めて淡泊、しかも控え目にイギリス、ブラックアメリカ、メキシコ、満州国の名に隠れるように、発表したのはその頃だった。

もちろん石原の部隊や黒木、瀬島の動きがその発表の中に含まれることは無かった。

記事だけ読めば日本の参画は、主にイギリス、ブラックアメリカ、メキシコ、満州国に対する武器援助が主なものだった、としか見えないようになっていたのである。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 勉強になるなぁ
[良い点] 現代にも続く日本人国家観の未熟さ幼稚さを地政的歴史的に分析され分かりやすく秀逸です。 [一言] 狭い視野での知見、幼稚な願望と御都合主義で溢れる歴史改変が溢れるなろう歴史物で一番秀逸な作品…
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