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黒海進出


ロンメルはドイツに入り、日本軍に守られる形でドイツ政府を作り直すとともに、在外ドイツ軍の復員を急いでいた。とにかく混乱を一刻も早く収めないと今後の話はできないのだ。

隣のフランスではドゴール将軍が同じようなことをパリで行っていた。

それを脇目に見ながら、各国の軍隊が撤収していく。

それが今のヨーロッパの一般的な風景となっていた。


が、ある意味大方の予想通り、そういう流れの外側にいたのが、ソ連軍と日本軍と日本の息のかかったブラックアメリカ軍とメキシコ軍、さらに名目上の満州国軍である。

ソ連軍はポーランドの東半分での長期駐留を決め込んでいた。

日本軍は、ベルリンに進出した部隊も、バルカン半島にいる部隊もそこで動きを止めていた。

要するに日ソがにらみ合いをして、お互いに相手を縛っているようなものだ。

そしてスターリンが部隊を東へ、満州やモンゴルの防衛強化に回したのと同様に、赤坂宮は、石原が乙部隊をベルリンに移動させたのを知ると、オーストラリアパース沖にて待機中だった遣外軍第二陣の空母二隻(これは乙部隊に徴用されていた)を除いた護衛空母一隻だけを随伴させた形で甲装備部隊を黒海に向けて発進させていた。

黒海に入るためには途中中立国トルコの管制するダーダネルス・ボスポラス両海峡を通過しなければならないが、第二次世界大戦の終結によって、日本軍は交戦国では無くなったので、表向き中立国トルコに海峡通過を拒否する理由は消えていた。

もっとも赤坂宮はそもそもトルコ政府の了解などいちいち確認する必要もないと考えていたのだが。

黒海に向かわせた理由は、黒海に面したブルガリアのブルガス港をこの艦隊の母港にすると赤坂宮が勝手に決めたためである。もちろんブルガリア政府の了解など全く取っていない。

ブルガリア政府はもはや日本に何をか言わんや、である。降伏する、服従するなどと言った覚えは全く無かったが、ソ連軍以上にヤバそうなのが目の前にいるという状況になったからである。

首都ソフィアの目の前でドイツ軍を壊滅させた訳の分からない軍が相手なのである。

そして近隣のハンガリー、セルビア、コソボ、マケドニア、ルーマニアも日本に抑えられているとなった今、海から日本海軍に迫られて何ができるのか、ということだった。

希望はソ連軍よりはマシかもしれないというところにあった。

黙って受け入れる、というのがもっとも賢い選択と思ったのか、艦隊がブルガス沖に姿を現わしても、ブルガリア政府は全く何のコメントも発表しなかった。

黒海における最強のシーパワーは、ソ連黒海艦隊であり、その母港は黒海に突きだしたクリミア半島のセバストポリだった。

が、この時期、黒海艦隊は有名無実状態だったのである。


黒海という海もまたバルカン半島同様、世界史において激戦区である。

ローマ帝国から始まり、アケネメス朝あるいはササン朝ペルシャ帝国、モンゴル帝国、ロシア帝国、オーストリーハンガリー帝国、オスマントルコ帝国などなどと帝国と名が付くところの影響を必ず受けてきた。

その海にはドナウ川も流れ込んでいる。狭い海の割には陸地の事情で重要にならざるをえない海だった。

その黒海に突き出した大きな半島がクリミア半島である。

当然ながら黒海の支配権を目指すものは必ずこの半島に目を付けることになる。

第二次世界大戦の独ソ戦でも、ヒトラーの狙いの一つがカスピ海近くの油田地帯の奪取であったことから、その進撃路上にあるクリミア半島も独ソ戦の舞台となった。

陸の戦いで圧倒的に優勢だったドイツ軍は黒海の北岸地帯のほとんど、つまりウクライナを占領し、クリミヤ半島のセバストポリ港を母港とするソ連黒海艦隊が、陸のドイツ軍を攻撃するという状況が現れたのである。

ソ連の黒海艦隊は戦艦一、巡洋艦六、その他多数の小型艦を抱えた本格的な艦隊だったのだが、何しろ陸の補給拠点をことごとくドイツ側に抑えられた状況が続いたため、徐々に戦力が無くなっていったのである。

スターリングラード攻防戦終了時には、黒海艦隊の戦力というのはほぼゼロになっていた。

要するにバルカン半島同様、黒海も戦力の空白地帯になっていたのである。

ドイツ側についていたルーマニア、ブルガリアも小規模な海軍を持っていたが、独ソ戦初期にソ連の黒海艦隊にほぼ壊滅させられていた。

スターリンの危惧は冷徹な現実認識に基づいていた。

トルコは唯一、出入り口を押さえていた関係上、その侵入を阻止する機会があったわけだが、国際条約上も、そして実力上も、それを実行できる状態では無かった。

この黒海支配という赤坂宮の置いた石の重みは、その後周辺国にジワジワと効くことになっていくのである。

スエズ運河を通過する際、日本のこの動きはチャーチルにも報告されていた。

赤坂宮の意図を黒木に説明させたチャーチルは、赤坂宮のヤバさを再認識することになる。

ようやくスターリンの状況判断にチャーチルも追いついたのである。

チャーチルは、スターリンが東部戦線でソ連軍をヴィッスワ川の線で停止させた真の理由は赤坂宮にあったのだと正確に見抜くことになった。

この部隊と入れ替わりに、アドリア海で待機していた遣外軍第一陣の赤城以下七隻の空母を含む部隊は赤城に三分の一だけ残っていた護衛航空部隊だけに守られる形でパースに向けて帰途についていた。


ロンドンの黒木、ローマの瀬島、ベルリンの石原はなおもその地を動かず、戦後処理の下準備をそれぞれが行っていた。

満州国新京にパットンと一緒に滞在していた赤坂宮は、スターリンがおとなしくソ連軍の侵攻を止めたという報告を受けるとパットン共々東京へと帰還していた。

パットンは満州での戦車訓練に非常に満足して、このアジア旅行を終え、ロサンジェルスへと戻っていった。



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