終戦処理
ヒトラーと入れ替わりにブダペスト郊外からベルリンに駆けつけたのは石原である。
先に乗り込んだ部隊がベルリンのシェーネフェルト空港を制圧したので、四式戦闘機隊も赤城から移動してきた。
これで空路の安全を確保できる目途が立ったのでコウノトリでベルリン入りしたのである。
日本軍が総統官邸に到着したのは、ヒトラーが地下通路から外に出た頃だった。
衛兵もいなければ職員らしい者もいない、
日本軍は内部に入るのに全く抵抗を受けなかった。
すぐに行われた簡単な内部の捜索では、誰もいない、完全な無人と判断された。
破壊の後も、荒らされた後も一切無いのが逆に不気味で、捜索途中で本当にここは総統官邸で間違い無いのか、と疑問の声が上がるほどだった。
後に石原が到着し総統官邸に入ると、ただちに建物外壁に手持ちの一番大きな日の丸を掲げさせ、ここを占領軍司令部とした。
前に掛かっていた第三帝国旗に比べるとミニチュアのように控え目な日の丸だったが。
これは数日後ようやく駆けつけてきたベルリン大使館の大島大使の手配ではるかに見栄えのする大きなものに取り替えられるまで使われた。
さて周辺にいたドイツ兵がおとなしく帰順したのはいいものの、彼等に所属部隊や上官のことを聞いてもはっきりしない。そう、要するにステータスとして言えば脱走兵のようなものなのである。
ただ通常の脱走兵とは異なり、どうも指揮官の号令一下、一斉に全員脱走となったらしく、現状、組織的な軍と呼べるかどうかも怪しい状態だった。
そこで石原は帰順兵をとにかく一カ所に集め、元の地位などによって、とにかく組織的秩序を回復させていくことにした。
ほおっておいたら犯罪者の温床になることは目に見えているからである。
帰順兵はとりあえず、一九三六年のベルリンオリンピックの開会式会場だった、ドイチェシュターディオンへと集めることにした。何をやるにしてもドイツ兵同士の地位関係や、能力の相関関係が分からないと困るからだ。
ドイチェシュターディオンの入り口にはドイツ語で大きく、「ドイツ共和国軍 集合地点」と書かせた。
そしてヒバリ隊に命じてベルリン全域で、共和国軍としての扱いを望む者はドイチェシュターディオンに集まれと、記載したビラを散布させた。
同時に、ベルリン市民に対し、ベルリンは現在日本軍によって治安維持が行われており、ヒトラーは逃亡したこと、さらに、マスコミに対し、司令官が記者会見を旧総統官邸で行うので、ただちに旧総統官邸に集まるように、と記載したビラも配布させた。
日本大使館の大島大使は、いったいどうして日本軍がベルリンを占領することになったのか、飲み込めてはいなかったものの、とにかく石原司令官の言うままに、大使館の中にあって、壊さずに残していた通信機を使い、ロンドンの黒木宛にベルリン占拠がうまくいったので、ロンメル元帥を可及的速やかにベルリンシェーネフェルト空港へ移送して欲しいと依頼した。
翌々日、P51の大編隊に護衛されたロンメル元帥はイギリス軍モントゴメリー将軍、自由フランス軍、ドゴール将軍に伴われる形で、無事にシェーネフェルト空港へと降り立った。
昭和一九年(一九四四年)八月六日、第二次世界大戦は日本軍のベルリン占領という形で事実上終結したのである。
石原がまだブダペスト郊外からローマの瀬島、ロンドンの黒木に指示を出した時点に話を戻す。
じっくりじわじわ急がず慌てず、東部戦線をゆっくりと西に向かって押し返していたソ連軍が、バルカン半島の異変に気がついたのはこの頃だった。
きっかけは南部方面ウクライナで対峙していたドイツ軍の一翼が突然消え失せたことだった。
それはハンガリー兵かルーマニア兵か、クロアチア兵が寄せ集まったような軍だったらしい。
つまりスターリングラード戦の生き残りたちである。
部隊全員で戦線離脱した、ということらしかった。
ドイツ側の防衛ラインにぽっかり穴が空いたので、これは絶好の攻撃ラインになるかも知れないと、威力偵察が命じられた。
それで敵伏兵を警戒しながら、黒海に沿って南下した偵察隊がモルドヴァで発見したのは、日本国旗だった。
モルドヴァとウクライナの国境には一応対戦車用とみられる掩蔽障壁なども設置され、一目で相当な防御陣が作られていることが見て取れた。
ドイツ軍旗あるいはルーマニア国旗が掲げられていれば、小規模な部隊なら一ひねりにしてやろうと思っていたソ連軍指揮官は予想外の事態に困惑した。
日本がドイツに宣戦布告したことは知っていた。
が、まさかバルカン半島の奥深く、ウクライナと接するところまで日本軍が進出してくるなどとは夢にも思わなかったのである。
この指揮官だけでなくソ連軍はスターリンも含めて、日本軍の戦いは、イギリスかフランス近辺の海の上だろうと無条件に考えていたのである。
が、予想外に身近なところに日本軍がいた。
スターリンは報告を受け、警戒せざるを得なかった。
真っ先に考えたのは中立国トルコが黒海への日本海軍の侵入を許した、ということである。
とすれば黒海に強力な日本海軍がいると考えなければならない。
黒海となるとバルカン半島どころではない。
ヒトラーの狙ったウクライナの油田地帯、というのはカスピ海沿岸であり、ドイツ軍が陸路で迫った最深部と比べても黒海は距離としては大して変わらないのだ。さらに言えばスターリン本人がいる臨時首都クイビシェフまでの距離も近いのである。
今まではドイツを押し返すことだけに集中し、その後に軍がいなくても脅威にはならなかったが、今後はウクライナに軍事的空白を作るわけにはいかなくなったことを意味する。
あの、日本のやり手が火事場泥棒をやらないとは言い切れない。
猜疑心の強いスターリンは、ドイツ南方軍と対峙している部隊の一部戦力を黒海の東側に回させた。もちろん黒海から上陸されカスピ海沿岸の油田地帯を奪取される危険に備えたのである。
従ってバルカン半島には深入りするなと伝えた。
万一日本軍と交戦でもしたら、それを口実にカスピ海に進出してきかねないと危惧したのだ。
スターリンも頭の中にあるのはいまやヒトラーを倒すことよりもヒトラー後のソ連の勢力図の方がより重大な関心事になっていたのである。
多少ドイツ軍の打倒が遅れても、それはいつでも取り返せると読んでいた。
悪くても終戦時のソ連の西の国境はライン川ぐらいにはなっているだろうと考えていたのである。
それよりも何かの間違いで黒海が日本の勢力圏内に入る危険は、とてつもなく大きい。ウクライナに迫ったドイツ軍以上なのである。
この結果、ドイツ南方軍は一息つくことができた。
しかしスターリンを驚かせるニュースは続いたのである。
ヒトラーが暗殺されかかったが生き残ったこと
ヒトラーがラジオで勝ち誇ったこと
ローマ教皇がヒトラーを破門し悪魔認定したこと
ロンメルがいきなりドイツ共和国の建国宣言をやり、ドイツ国民とドイツ軍に対し、ヒトラーを倒せと呼びかけたこと。
そして最後に訪れたニュースは、ヒトラーが逃亡しベルリンが日本軍に占拠され戦争が終わったというニュースである。
チャーチルは夢物語と内心小馬鹿にはしていたが、一応日本の作戦計画として聞かされていたが、スターリンはそうではなかった。
スターリンの読みでは、西部戦線が作られ西からドイツに迫ってもベルリンには達するまでには後一年はかかるだろうと思っていたのである。
従って東側のドイツ軍がある程度手を抜いて西側に救援に行けるように、ソ連軍の進撃を必要以上に遅らせていたぐらいなのだ。
もちろんソ連軍の被害を極小にし、ドイツ敗北後の形勢をソ連に有利にするためである。
ドイツ軍戦力の撃破はできるだけイギリス他の軍隊にやらせ、東がスカスカになったら一気にベルリンに迫る。
ドイツ軍の戦力が完全に殲滅された時点では、西部戦線の連邦軍が戦力を使い切り疲弊しておりドイツ本国の占領が困難になる状況で、強力な残存戦力を残したソ連軍がドイツ全土を占領、これがスターリンの描く理想的な終戦だった。
もちろんドイツの大部分をソ連邦に組み入れてしまうつもりであった。
そしてその目論見は準備として見ればほとんど完成していた。
この時点での東部戦線では、ソ連軍が約二百二十万の戦力であるのに対し、ドイツ及び枢軸国軍はわずか五十万程度と見積もられていたのである。
イギリス他の連邦軍もすべて集めても八十万にはとても満たないと見られていた。海から侵攻しているので補給が難しいからである。
つまり普通に考えれば、ドイツが最後まで戦えば笑うのはソ連という構図になっていた。
敵軍が自軍の三分の一を下回った状況というのは軍略の常識に照らせば、いつでも殲滅可能になったことを意味する。
スターリンは第二次世界大戦の幕を下ろすのは自分だ、と既に信じて疑っていなかったのだ。
というわけで、ドイツがソ連に占領される前に降伏する、というのは想定外であり、彼の意識で言えば最悪の部類に入る未来なのである。
スターリンの全身の血液が逆流した。
突然出現した日本軍はスターリンの描く未来図をめちゃくちゃにしてくれたのである。
しかもその邪魔者が日本というのが大問題だった。
ドイツ方向に二百二十万も軍を集めたということは何を意味するのか。
ソ連の東、日本の方向がスカスカになっているということである。
どんな手を使ったのかは分からないが、いきなりベルリンを落としたということは、当然ソ連に対する真逆の方向の備えもあるのではないか。
いや、あの男なら必ずやる。見逃すはずがない。
スターリンは少なくともチャーチル以上に、日本軍を陰で操る存在のことに詳しくなっていた。
ノモンハンでは煮え湯を飲まされたが、その後はスターリンの窮地を救ってくれた。
同盟を結んでいたドイツを裏切ってソ連を援助したのは、ドイツを処理させる役割をソ連に押しつけたかった、ということに違いない。
ドイツが倒れたらソ連の役割も終わる。それがヤツの考えに違いない。
だから着々と対ソ包囲網を積み上げているのだ……。
ウィグルとチベットを手中に収めた鮮やかな手際。
バルカン半島の制圧。
黒海での日本海軍の展開。
一つのシナリオとして完璧に筋が通っているのである。
即ちソ連の長い南の国境のほぼ全域に日本は攻撃の起点となれる場所を確保しているのである。
しかも臨時首都クイビシェフ(現サマラ)や油田地帯も射程に入れている。
これと衝突することの危険を意識しないわけにはいかなかった。
そう言えば、ヨーロッパには日本のほかにメキシコとブラックアメリカも駆けつけていた。
なんでこの間まで戦争をやっていたのにこんなにすぐヨーロッパに来ることになったんだ?
普通なら、大西洋の向こう側の戦争に首を突っ込むとも思えない……。
チャーチルか?
いやチャーチルなら、アメリカのルーズベルトをまず引っ張ってきていただろう……。
何故、こうなった?
スターリンは外相のモロトフとコーネフ元帥を呼びつけた。
「同志モロトフ君。君はこの日本軍の動きを知っていたのかね?」
「いえ、全く。日本軍がベルリンに現れたと聞いて驚きました」
「そうか。聞いていないか。では、イギリスにいたロンメルのことは?」
「いえ、全く承知しておりません」
「そうか。では、話を変えよう。コーネフ元帥、西の連邦軍の装備についてなんだが、何か情報は入っているかね」
「は、一応、ロンドンに潜ませた諜報員にはチェックさせています、が何か?」
「結局チャーチルはどこからか武器を輸入したのかね?」
「ああ、それでしたら情報が入っています。航空機はブラックアメリカからのものがほとんどでそれ以外に日本製が少々……」
「日本製? そうかやはりな……。他には?」
「戦車についてはアメリカ軍のM4戦車が少しとそれの改造版、後は日本製の戦車が多数と」
「日本製戦車、となるとあれだろうな」
「ノモンハンでの戦車のコピー品ですか……」
「イギリスが喜んで買うとしたら、それしかあるまい。やれやれ、あのノモンハンの代償は大きかったな。ま、我々もそれに救われたわけだが……、それでベルリンへ侵攻した日本軍はどこからどうやって来てどんな兵器を持っているのかは?」
「申し訳ありません。情報が全くありません」
「大軍であるはずはない、とは思うものの、バルカン半島とベルリンに突然現れた日本軍が謎のまま、というのは少々怖いな、いろいろと……。モンゴル、満州では、日本軍の動きは何かあったか?」
「それでしたら、報告があります。満州国の北で、日本軍、満州国軍合同の大規模な演習が行われるということで、日本軍の最高司令官とみられる赤坂宮、ブラックアメリカ軍の将軍でパットンという男が現在新京に滞在中とのことです」
「何、満州だと? まさかそんなところまで……。やはりか。西で何かあれば、こっちは準備をしてるぞ、ということだな……。相変わらず抜け目がない。それにしてもブラックアメリカと日本、これはいったいどういう関係になっているんだ?」
「確認を取った情報ではありませんが、キング大統領のもともとの出身団体の教会を日本企業が支援していた、という情報があります。表沙汰になっていないので詳細は不明です。ただそう考えれば、この団体がいつの間にかブラックアメリカ独立を成し遂げるほどの組織を急成長させた謎の理由という意味で、いろいろと辻褄が合うということは言えます」
「もしそうなら、ブラックアメリカは日本の手足か? メキシコも同じなのか?」
「第二次米墨戦争が引き金になってアメリカに攻め込んだはずのメキシコ軍がブラックアメリカ軍に変わった、ということは初めから誰かによって計画されて第二次米墨戦争とブラックアメリカ独立は起こったと見るべきでしょう。そしてアメリカからブラックアメリカを独立させて一番得をしたのは日本です。ルーズベルトが対日禁輸を発表した石油、その油田はすべていまやアメリカではなくブラックアメリカのものですから。私はすべての黒幕は日本だと考えています」
モロトフの説明にスターリンは、大きく頷いた。
「ということは、我々も含め第二次世界大戦の関係国には全部日本の武器という糸が繋がっているということか。ここまでやっているとは思わなかった……。仕方が無い。現時点の位置をもって全ソ連軍の作戦行動を中止、各部隊は占領地の治安維持を行いつつ、次の命令を待て、と発令しろ。それから念のためた。予備兵力をただちにモンゴルへ移動させておけ。まさかとは思うが、ヤツのことだ。もし西の連邦軍と我が軍が戦火を交える事態にでもなったら、ウラル山脈まで押しかけてくる可能性がある」
「日本が、ですか? 今まで我々を支援していたのに?」
「ヒトラーがいなくなれば、彼等にとって我々の役割は終わりだ。つまり我々は邪魔者に見えているはずだ。しかも我々はもう三年もヒトラーと戦っている。今は優勢だからドイツ軍に比べれば戦意は高いだろう。しかしこの三年、軍を全く使っていない日本がもし東、南からソ連に攻めかかってくるとしたら、我が軍は、この広い国土を短時間で西から東へ引き返し、その戦意旺盛な日本軍に対応しないといけない羽目になる。武器食料兵員をロシアの端から端まで移動させるだけで我々は窮地に追い込まれるぞ。しかも西にいる連邦軍も日本の仲間のようなものではないか。そこまであいつが読んでいるとすれば、モンゴルはおいしい獲物に見えると思うんだがな。ウィグルに手を出したのもその準備だとしたら、納得できるだろ」
コーネフ元帥はスターリンのこの説明を聞くと顔色を変えた。
慌ただしく敬礼をするとスターリンの部屋を出て行った。
スターリンは、結局バルカン半島支配、ポーランド全域支配は諦め、そこで軍を止めた。
ビッスワ川がソ連勢力圏の新しい西の境界になったのである。




