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敵はユダヤ人


石原は出撃準備中の第二陣に対し目標座標を発出した。


アドリア海のクロアチア沖に到着していた第二陣、すなわち加賀、飛龍、蒼龍、翔鶴、瑞鶴、龍驤の六隻の空母はおよそ三百機ものコウノトリを夜明け前に発進させた。

もしロンメル確保ができなかったら選択されていた甲装備は乙装備よりもはるかに大編成で、空母は三隻、搭載するのはコウノトリではなく艦上爆撃機とP51艦上戦闘機、戦艦長門と陸奥の二隻、巡洋艦四隻、駆逐艦六隻、ワニ母艦十隻で目的地をアドリア海ではなく、エーゲ海から中立国トルコのダーダネルス海峡ーマルマラ海ーボスポラス海峡を抜けてブルガリア、ルーマニア方面へ黒海側から上陸する計画になっていた。

海から陸の敵を攻撃するなら砲艦の出番だ。

このため沿岸砲撃を想定し、戦艦巡洋艦を揃えることにしたのである。

強力な打撃力を見せつけるような戦力を出すことで、嫌が応にもドイツ東部方面軍の一部をバルカン半島におびき寄せ、これを叩きつつ、ソ連軍にかかるドイツ軍の圧力を減らす、という側面支援がこの部隊の主要任務となる。なので乙装備のようにドイツ政変は想定していない。

それでも赤坂宮の言うバルカン半島確保はちゃんとプロテクトしていた。

この場合、第二次世界大戦は、ソ連軍イギリス軍ブラックアメリカ軍がドイツ全土を制圧し占領して終了するというハードクラッシュシナリオにならざるをえない。

うまいことバルカン半島を日本の占領下にできたとしても、ドイツ本国まで含めて東部ヨーロッパの平原はすべてソ連となる可能性も残る危険な選択だった。

ソ連とドイツの工業力が一緒になる、というだけで脅威の度合いは倍増するのである。

ヒトラーの夢見たソ連を滅ぼして全部ドイツというのと結末においてはあまり変わらない。

ヒトラーがスターリンに替わるだけだ。

そんな形での幕引きはなんとしても避けたかったのである。

そのため、ロンメルの価値は、赤坂宮にとってはこの上も無く大きかった。

が、いかに価値があると言ってもロンメルを確保できるかどうかはイギリス次第だった。

それで優先順位としては甲乙が逆転していたのである。


第二陣のコウノトリ部隊には一応オーストリーアルプスまでは赤城の四式戦闘機が護衛についたが、ドイツ軍機は全く上がってこなかった。

部隊はオーストリーアルプスを越え無事ドイツ領内へと侵入した。

コウノトリ隊は、青緑の上半分、灰色の下半分という日本機独特の塗装に真っ赤な日の丸を目立たせ縦列編隊を作った。

ただコウノトリはどう見ても不格好で、速そうにも見えなかったしスタイリッシュでもなかったので、絵面としては冴えないものだったが。

また航路の決定は地面を見ながら行うので高度を上げるわけにはいかなかった。

つまり何もない平原だらけの国なので現在位置を特定する目印が限られるのである。

イギリス空軍のような高度な電波管制装置も持っていない。結局肉眼頼りなのだ。

地図と見比べ道路や川、鉄道の線路を目印にしながら低いところを進む。

しかも速度は元々出ない。どれだけ低い速度で大きな浮力を得られるか、が課題で開発された機体なので、揚力への変換効率が大きすぎ抵抗が大きく初めから高速は出せないのだ。

その代わりに自転車よりもちょっと早いぐらいの速度時速二十五キロで離着陸が出来た。向かい風ならこれより遅くても可能である。

一昔前の複葉機のようなものである。

アウトバーンを進むクルマよりもちょっと早い程度ののろい飛行機が地面近くを隊列を作ってぞろぞろ飛ぶという、普通は何かの式典の時ぐらいしかやらないような飛び方をするかなり変な編隊だった。

が、悪いことばかりではない。

高度が低すぎて高射砲では狙いにくいし、そもそもレーダーで発見されにくいというメリットもある。


ベルリン市内各所では敵味方がはっきりしない中で小規模な銃の撃ち合いが起こっていた。

だから飛行場が稼働できず飛行機が飛び立てないのだ。

軍だけでなく、ドイツ国内は言わばゼネスト状態なのである。

様子が落ち着くまで家に留まる。これがほとんどのドイツ人の取った行動だった。

その中でヒトラーを擁護すべく街頭に繰り出しデモをやりかけていたのは、ナチス親衛隊の一部である。決して全部ではない。そしてこのグループと戦闘をやり始めたのも同じ親衛隊が多かった。要するに内ゲバである。

ヒトラー擁護グループは自分たちの運命はヒトラーについていくしか開きようがない、と分かっている者たちであり、それを標的に攻撃を始めた方は、いわば寝返る姿を見せることで、国民からの責任追及を逃れたいと考えた連中である。

そんな連中のどちらにも加担したいと思う者はいなかった。

いまや親衛隊の制服組は避けられる存在になっていた。いや正規陸軍から見れば目の敵である。

が、秘密警察ゲシュタポがまだいるかもという不安があり、それが多くの人に極端な行動を取らせることを躊躇わせていた。

一方ドイツ軍内部にいたナチス政治将校の多くは、事実上任務放棄をしていた。というか、制服を捨て、真っ先に軍営から姿をくらましていたのである。

ヒトラーの権威が失われたら、数で国軍に抗えるわけはないのである。

自分たちが虎の威を借る狐だと自覚していた。

軍内部の最大の邪魔者が消えたので、時間が経過すれば、共和国軍同士の縦横のつながりが編成され、軍として統一した行動が取れるようになるのだろうが、そうなるまでにはまだもう少し時間が必要だった。

ドイツ社会にとって、秩序崩壊へと繋がるもっとも危険な時間帯にあったと言うことができる。


このように地上が混乱していたおかげで、コウノトリ隊は、時間はかかったが対空砲に見舞われることも無く、無事にベルリン上空へと達した。

ベルリン市南の郊外で警戒にあたっていたドイツ兵は道路に沿って設けられた検問所の頭上を次々と通過していくコウノトリの列を呆然と見守ることしかできなかった。

もしかしたらあまりにも大胆すぎて敵機ではない、と誤解されていたのかもしれない。

指揮官は、鈍感力においても達人だった。

ベルリン市のど真ん中ブランデンブルグ門周辺には都合良く大きな広場と道路があった。そこへ全機強行着陸を指示したのである。

時刻はベルリン時間で午後三時を回っていた。真夏なので日はまだ十分高い。

機体はそう大きくはないが数が多い。それが広場に向かって一斉に着陸してきたのである。広場周辺に居た者は建物の中へと避難し、様子を伺うことになった。

水鳥が羽根を拡げながら降りてくるように、およそ三百機のコウノトリが大きなフラップを広げ地表に次々と降り立つ。

コウノトリの滑走距離は極端に短い。

どれだけ低い速度で離着陸ができるか、という課題に応えた機体なので着陸時の速度も極端に遅いのである。停止までの距離は三十メートルにも満たなかった。

そのため、数が多くてもそれほど空間的にも時間的にも間隔をあける必要がなく、続々と降りられるのである。

少し滑走しただけですぐに停止すると、お尻から次々と五式戦車を吐き出していく。

彼等は敵認定するべきかどうかから悩まなくてはならなかった。

そしてその戦車出現の後、機体から続々と飛び立っていくオートジャイロ、ヒバリの群れ。

戦車だけならともかく、上空に上がられては地上の歩兵に勝ち目はない。

武器を捨てて両手を挙げて抵抗の意思がないことを示しながらビルから出てくる者が続いた。

戦車を見慣れていたドイツ人も、オートジャイロを見るのは初めて、という者ばかりだった。

建物の四、五階ぐらいの高さから周囲を警戒するヒバリは、時折り、ビルの窓から銃口を向けようとした親衛隊を見つけては容赦なく機銃掃射を浴びせた。

遊牧民の抵抗排除を目的に開発されただけあって、地上の歩兵を掃討するのはお手の物である。


乙装備を使うもともとの作戦では、ベルリンは目的地では無かった。

前線に近いヒトラーの籠もる総統大本営を発見したらこの第二陣で急襲し、ヒトラー殺害を行うつもりだったのである。

ところが瀬島の思いつきで急遽行ったローマ教皇の悪魔宣言の威力が想像以上に効いた。

教皇の宣言のおかげでヒトラーの国民と軍人を縛っていた魔力は封じられたのだ。

それで本来ヒトラー暗殺後に行うつもりだったロンメルのドイツ共和国建国宣言を急遽繰り上げたのである。

結果大部分のドイツ軍一般将兵はロンメルを支持していることがはっきりした。

こうなればヒトラーの命など後回しで良かった。

軍の支持を失った独裁者など怖くないのである。

先に首都を攻略してしまえば、ヒトラーがどこに隠れていようと掃討するのは容易い。

もしベルリンにヒトラーがいるなら一石二鳥だ。

それで石原は第二陣の攻略目標をベルリンに変更したのである。

東西両前線から遠く離れた首都ベルリン近辺で稼働している機甲部隊などほんのわずかしかいない。

そこにコウノトリによって運ばれた戦車三百両と武装オートジャイロ九百機は首都制圧のためには十分以上の戦力だった。

しかもドイツ軍もナチス親衛隊もヒトラーユーゲントの大半も戦意を既に喪失していた。

ヒトラーという巨大な催眠装置が壊れた結果である。

日本軍がヒトラーとナチスを狩りに来たとわかると軍も住民も協力してくれたほどだった。


ヒトラーはベルリンの総統官邸にいた。

教皇の演説が流れた時、ヒトラーは本気で打ちのめされていた。

自分が破門される、などとは夢にも考えたことはなく、その効力が自分に対する忠誠を尽くすという宣誓が無効とされたことが、どんな事態を招くのか、というところまですぐには思い浮かばなかったほどだった。

それでもゲッベルスと共に放送局へと走り、半ば売り言葉に買い言葉という調子で思いつくままに教皇を詰った。

が、内心では分かっていたのである。自分の負けだということが。

ヒトラーは本質的には人一倍臆病だった。

その臆病さが人一倍の猜疑心を培った。

そして地位が上がることと反比例するように、転落への恐怖が言動、行動を過激にしていった。

虚栄と猜疑心、これがヒトラーの処世術の基本である。

ヒトラーは常に自分自身を演出する人間だった。

ところが教皇という、神との仲介者という存在はヒトラーの描いていた世界にはいるのは分かっていても存在は希薄だった。

だから持ち前の猜疑心が働かなかった。

大きな不意打ちとなった原因である。


ヒトラーのまわりの人間は、それ以上に動揺していた。

従者の多くが欠勤なのか病欠なのか、現れなかった。

自分を護衛しているはずの衛兵や、親衛隊の兵士がまず姿をくらましたのである。

気がつけば自分以外、官邸には誰もいなくなっていた。

密かに官邸に部屋をあてがっていた愛人エバブラウンもである。


いつもならヒトラーの側を片時も離れようとしない親衛隊隊長ハインリヒヒムラーを筆頭にナチスの重要人物たちも、すなわちヘルマンゲーリング、ヨーゼフゲッベルス、ヨアヒムフォンリッベントロップなどの姿もいつの間にか官邸からも公邸からも消えていた。逃げたのか、隠れたのか、それとも既に誰かに殺されたのかすらもわからない。


ヒトラーは完全に孤独な存在になっていた。

が、まわりにまったく人がいなくなったことで、ヒトラーは妙に落ち着いた、冷静さを久しぶりに取り戻すこともできたのである。

独裁者になってからほとんど持てなかった時間、つまり人の目を全く気にする必要がない時間をようやく手に入れられたのだ。


ふと我に返ると、外からの音が全く聞こえないことに気がついた。

ベルリンは異様に静まりかえっていた。


ヒトラー自身の勘が告げていた。

すぐにベルリンを、ドイツを離れろと。

ヒトラーが辛うじてまだ信用できる軍人、となれば海軍しか無かった。

以前から秘密裏に国外脱出用の潜水艦をキール軍港に待機させていた。

いまとなっては、それに乗るしかなかった。行き先は南米パラグアイである。


ヒトラーは賢明にも車ではなく、飛行機でも無く、総統官邸地下に作られた秘密の脱出用の地下壕を歩いてベルリンの外へと向かった。

地上に出るとそこはシュパンダウ要塞近くのハーウェル川の岸辺の公園だった。

官邸のある方向を振り返ってみると、おかしな物体がいくつも低い空中を飛び交っているのが見えた。

自分が見たことのない乗り物、ということは敵に違いなかった。

が、市街地上空から外へと出てくる気配は無い。

辺りには歩行者もクルマもいない。

岸辺に放置されていた手漕ぎのボートがあるのを見つけた。

官邸の地下でひげを剃り、二等兵用の制服一式に着替えていたヒトラーはボートに乗った。

のんびりとしたよく晴れた昼下がり、わびしさを漂わせた老兵が一人ボート遊びをしている風景を見事に演じていた。

ドイツの真っ平らな平原を流れる川の流れは遅い。

ゆっくりと進むボートの中でヒトラーは何故こうなったのか、何故誰も彼もが自分から離れていこうとしたのか考えた。

理由は一つしかない。

ローマ教皇の言葉である。ナチスのシンパは何故かクリスチャンとしても敬虔な者が多い。カソリックでないとはいえ、教皇に破門されるのは恐ろしいのだ。

ヒトラーは政治家になる前、売れない画家だった。そのせいで、絵のテーマになりやすい神の物語や教会の語る物語には詳しい。いや詳しいだけではなく思い入れも激しく、今で言うところのオカルトは大好きだった。

そしておそらく後にユダヤ攻撃に傾倒したのはキリストを断罪し処刑したのがユダヤの王でありユダヤ教の司祭だったから、というのが最大の動機だった。

あとのことは自分の頭の中で組み上げられた後付けなのである。

なので、ユダヤ教を信じるユダヤ人を敵にして戦うヒトラーはキリスト教を擁護する者であり、聖人に列せられてもおかしくない、と本気で思っていた。

それなのにキリスト教の敵認定されたのである。

何故だ?

と思った瞬間、自分でその答えを見つけてしまった。

何で今までこれに気がつかなかったんだろう、と逆におかしさがこみ上げてきたほどだ。

そう、例え神の子であろうと、キリスト本人もマリアもユダヤ人だったのである。

ヒトラーはローマ教皇を潰しておかなかったことを素直に後悔していた。


夕暮れになるとさすがに距離が離れてベルリンのシルエットもすっかり見えなくなった。

ボートを岸につけ、陸に上がった。

ベルリンの異変がキールへとまだ広がっていないことを祈るばかりだった。

通りかかったトラックをヒッチハイクの要領で止めると、キール軍港に軍務で向かっていると軍人の言葉で頼んだ。

幸い、運転手はまだあどけなさの残る少年のような男で、愛想良くヒトラーの言葉を信じ、ちょっと遠回りになるけど、などといいながらもヒトラーをキールまで送ることを承諾した。



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