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バルカン半島


石原莞爾遣外軍総司令官は、ジブラルタルを出発した空母赤城に座乗し、アドリア海の入り口、すなわちイタリア半島のかかとの後ろの沖に停泊していた。

その作戦室に拡げられた海図ならぬ大きな欧州の陸地の地図で石原は計画を再確認していた。

飛行甲板には常に四機ほどの戦闘機が待機し、上空にも四機ほど常に飛んでいるはずである。

晴天で波は穏やかで、飛行機の爆音を除けば真っ青なアドリア海は平和そのものだった。

日本軍と満州国軍(という名前の日本軍)を率いていることになっているが、実際のところ、他の正面部隊に比べたら貧弱な部隊である。今石原のまわりにいるのは、対潜警戒用の駆逐艦二隻と例のワニの母船が十隻だった。この母船にはワニが一隻につき五隻格納されている。車両が全部戦車なら、母船一隻で戦車三十五両、十隻で三百五十両ほどの戦力ということになる。

空母赤城には制空用および偵察用の四式戦闘機二十機のほかにはコウノトリを五機搭載していた。爆撃機や雷撃機はいない。敵に海上戦力はいない、というイギリス海軍の報告を信用していたのである。

開戦初頭のドイツ軍にとってはゴミのような戦力だったろうが、今、ソ連軍と対峙している中でバルカン半島にこういう戦力を投入されるのは対応策を考える側にとって相当厳しいものになるはずだった。

もっともドイツ側にそもそも日本軍がこんな攻撃を計画しているなどと想像する人間がいるとも思えなかった。この作戦はそれほど非常識なのである。

石原でさえも、作戦概要を聞かされた時は無茶だと思ったぐらいなのだ。

が、赤坂宮はある意味強硬だった。

他の攻撃目標なら遣外軍を出す意味が無い、全部イギリスとブラックアメリカ、メキシコにやらせればいいとまで言ったのである。


赤坂宮がこのバルカン半島にこだわったのはその地勢にある。

ドイツとイタリアをスイスで南北に分けたアルプス山脈は、その東、オーストリアで南方へと向きを変え、アドリア海に沿ってギリシャへと続く。そこでギリシャ手前をまた東へ向きを変えブルガリアを経由して黒海で終わる。ギリシャは半島の先にあるが、山脈によって半島内部とは遮断されていた。

では、その山脈を越えた向こう側はどうなっているのか。

基本はドイツからロシアまでずっと続く平原なのである。

このとんでもない地形があったから、ドイツ軍はあんなに早くソ連に攻め入ることができたのだ。

スロバキアとルーマニアのトランシルバニア地方だけが山地だ。このトランシルバニアの山塊はほかの山地とは繋がっておらずポツンと孤立している。

ハンガリー、セルビア、ルーマニアは巨大な平原であり、真北をトランシルバニアの山塊で遮られているため、その左と右に北へ向かう回廊が出来上がっているのである。

トランシルバニア地方と言えばドラキュラの伝説で名高い。

ドラキュラのモデルになった男は、この地方で敵をたくさん殺した英雄として知られていた。

平原にポツンと存在する山塊は、そういう要塞としての適地だったに違いない。

山塊によって分けられた東の回廊の向かう先はソ連であり、西の回廊の先にはオーストリア、チェコを経由しドイツに至るのである。

西の回廊は、トランシルバニア山塊とオーストリアアルプスに挾まれていた。つまりオーストリアは平原に対し半島のように突出した場所なのである。

ここもドイツとハンガリー双方にとって戦略拠点だった。

オーストリアを抑えた者が軍事的に圧倒的に有利になるからである。

かつて、ここにオーストリーハンガリー帝国が栄え、今のドイツが神聖ローマ帝国で四分五裂していた時代、常にオーストリーハンガリー帝国の干渉を受けていたことやオーストリーハンガリー帝国がドイツ帝国を抱き込んで第一次世界大戦で戦ったのもこれが理由だし、ヒトラーがオーストリア併合にこだわったのも同じだ。

オーストリア併合はバルカン半島全体をドイツの支配下に置くのとそう変わらないのである。

距離はあっても、行き来はしやすい。そして平原には大軍を阻む障害は少ない。

だからドイツとバルカン半島の結びつきは強い。この辺りの国の学校で習う第一外国語と言えばドイツ語だ。

この時代、北のドイツおよびソ連が強国であり、バルカン半島には強国は無い。

ヨーロッパの中心がローマやコンスタンチノーブルだった時代はこちらが先進地域だったのだろうが、産業革命以後は、北方のイギリス、フランス、ドイツ、オランダが先進地域となったのである。

バルカン半島は第一次世界大戦の発火点である。

セルビアを訪問中のオーストリーハンガリー帝国皇太子をバルカン民族主義者が暗殺したことで、オーストリーハンガリー帝国がセルビアに対し宣戦布告したことが発端だった。

これはつまり、金の流れの変化、経済構造の変化が呼び起こした戦争なのである。

経済格差の逆転が起これば戦争につながる。

ある意味当然の帰結でもある。

ヨーロッパは火薬庫同様の状態であり、小さな火でもすぐ大戦争に発展する下地があったのだ。

ドイツは本来ならば勝ち組にいなければならなかったはずだった。

しかしビスマルクやモルトケが健在だったら絶対にやらなかっただろう失敗の数々を皇帝ヴィルヘルム二世がやってしまい、ドイツ帝国の立ち位置を狂わせ、しかも東西に同時に敵を作ってしまったのである。

大戦の最終盤ではドイツ海軍水兵の反乱に端を発した革命によって、ヴィルヘルム二世はオランダへと亡命し、ドイツはドイツ帝国の解体と敗戦とを同時に経験することになったのである。

戦勝国となった連合国、英仏露他(日本も入っていた)がまさに勝ちに乗じたような賠償とドイツの非武装化を進めるヴェルサイユ条約を結ばせたのである。

ドイツ国民は、この連合国のやり過ぎに激高することになる。

これによってベルサイユ条約体制打破がドイツ国民を結束させ、祖国復興とともにそれを公約にしたナチスに大幅な躍進を許すことへと繋がったのである。

本来の流れとしては北方が豊かになる時期だったから、バルカン半島の国々よりも元々ドイツはイギリスに近い分だけ有利であり、ナチス党の挙国一致政策が始まると、たちまち高度成長を始めた。

その結果、かつてのドイツよりも先進的だったはずのオーストリーハンガリー帝国などのバルカン半島諸国よりもずっと強力な国に生まれ変わり、今度はそのドイツの配下のような立場に落とされたのである。

バカを見たのは第一次世界大戦で勝ち組にいたバルカン半島国である。

つまりルーマニア王国、セルビア王国、モンテネグロ王国は、戦争に勝ったにもかかわらず、もっとヤバイのを相手にしなければならなくなったからだ。

チェコズデーデン地方とオーストリアをドイツが押さえれば、ハンガリーとその周囲からなるバルカン半島内陸は軍事的にドイツの生存圏に組み込まれてしまうのである。

ミュンヘン会談でこの状況を全く分かっていなかったのは仲介者となったイギリスのチェンバレン首相だけだった。

独ソが不可侵条約を結び、ポーランドを分割占領した流れで、バルカン半島諸国は半ば強制的にドイツの縄張りに組み込まれることになった。

逆らえばこうなる、といういい見せしめがポーランドである。

ドイツにとってあえて警戒しなければならないとすればソ連だが、それを不可侵条約で動きを縛っていたのだからまったく障害ではなかった。

西側のアドリア海側はアルプス山脈、さらにその先の海の対岸はドイツの盟邦イタリアである。また東はソ連だ。初めからよそからの救援が全く望めない袋小路のような場所と言って良かった。

バルカン諸国は、青酸カリとヒ素どっちが飲みたいと迫られたようなものだった。

この結果が半ばやけくそ気味に誕生したバルカン枢軸国組合(仮)だ。

もとより戦力として期待はできなくても、枢軸国の世界での広がりをアピールするにはもってこいの材料とばかりにゲッベルスが国威高揚の材料としていろいろと利用することになる。

そして前述の通り、これらの国々はヒトラーによってスターリングラード攻防戦に駆り出され、国軍の大半を喪失してしまっていた。

こうなったのはイデオロギーや思想の問題ではない。

軍事力という実力の差がこの構造を作ったのである。

とにかくいろいろあった結果として、バルカン半島は軍事的にはほとんど空白地帯となっていたのだ。

それだけアルプス山脈が大きな障壁だということでもある。

紀元前、ローマがまだ共和制だった時代、第二次ポエニ戦争で、カルタゴのハンニバルはアフリカ大陸からスペインでヨーロッパに上陸、陸路を東へ進み、アルプスを越えて北からイタリア半島に侵入、首都ローマへ迫った。

この話が長く故事として語られるぐらいアルプス越えは陸軍にとっては冒険なのである。

他の人物ならともかく、赤坂宮がドイツ軍、いやヒトラーの「障壁としてのアルプス山脈」に対する盲目的な信頼を見逃すことなどありえなかった。

ここは敵に襲われる心配がない安全な場所だとドイツは信じているのである。

この日本が選んだ戦場はドイツにとっては決して外部の客を招き入れることのない、プライベートの内庭のような空間だった。

このドイツの内庭を外部から隔離している、盆地の西、アドリア海に面した海岸地帯は、複雑な山岳地形のせいでスロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、アルバニア、モンテネグロ、コソボ、マケドニアと小国が乱立していた。谷ごとに国に分かれたようなものだ。それぐらい交通が限られている、という意味でもある。

初めから軍を配置する必要を感じさせないような天険の場所なのである。

共和制ローマの時代、ユリウスカエサルは、逃れた元老院派を追って、この辺りに上陸しギリシャの平原で元老院派と決戦を行ったが、それは歩兵主体の軍だから可能だったのだ。

現代の機甲師団が中心となる陸軍がこの海岸に上陸できるわけがない、と高をくくっていた、と言ってもいい。

普通の舷側の高い輸送船で、かつ平地用に設計された兵器でならそうだろう。

が、地中海という内海の中の内海であるアドリア海は、ベネチアを見れば分かる通り、干満の潮位差は小さい。だから、海水面と沿岸道との高低差は大きく取られていない。ワニでの上陸作戦にはうってつけだった。


石原の目に映った、赤坂宮という人物はまさに戦さの鬼だった。

地勢を読み取り、敵指揮官の考えを読み取り、彼の中にある兵装の向き不向きの常識まで読み取る。

このように相手の考えを読み取って、その隙を突くことにかけては一種の天才と言っていいだろう。

そういう能力があるから、普通では考えないようなおかしな兵器のパッケージを用意するのである。逆にそういう発想が出来るから、常識的判断なら実現不可能な作戦も可能にしてしまうのだ。

しかも直接戦闘を担った相手だけでなく、その組織の頂点の人間の心理ですら、把握してしまうのである。

瀬島から話を聞かされていた時は、赤坂宮の人物評には瀬島の買いかぶりがかなりあるのだろうと瀬島の判断を甘いものと判断していたのだが、いざ実際にその指示を受ける立場になってみると、考えが甘かったのは自分の方だったと反省することになっていた。

未登頂の峰に出会えば、登頂への欲が湧くのが道理だ。

石原は久しく忘れていた、敵以外の誰かに対する敵愾心的なものに突き動かされるように、この作戦に没頭していた。

提示された目標はいずれも困難なものばかりなのである。

だからこそやりがいを感じていた。


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