「ホトトギス」発動
北の西部戦線の集積地点はもちろんイギリス本国である。
日本からの物資、ブラックアメリカからの兵員と物資がすべてイギリスに集められていた。
南側の集積地点は、地中海の出口にある、スペインから南に突きだした半島の先端にあるイギリス領ジブラルタルである。地中海にいる少数の枢軸国側の海上勢力が大西洋に出て来ないようにしていたイギリスの海軍基地である。
スペインのフランコ政権が親独だったため、大戦勃発時にはジブラルタルが危機に陥るのではないかとも見られていたが、フランコ総統は慎重だった。
スペインは大陸にあるとはいえ、三方を海に囲まれた半島国である上に、長い国境線で接する隣国ポルトガルはイギリスの同盟国だったのである。
つまり下手にジブラルタルへ手を出そうものなら、北側から首都マドリードに向けて侵攻される危険があった。フランコはこのいわば首に刃を突きつけられた状態、ということを正しく認識していたのだ。
さらにイギリス艦隊にはもうずっと前からトラウマも持っていた。
かつての無敵艦隊の偉容などとっくに失ったスペインに海上でイギリスに対抗できる手段は無い。
結局、ドイツ外相リッベントロップがあの手この手で焚きつけたのだが、フランコは全く動かず、中立を守ったのである。
このためジブラルタルはイギリス海軍の地中海出口を押さえる拠点として今も機能を維持していた。
こうして戦争の準備が慌ただしく進められている時、イギリスの秘密諜報部隊が、チャーチルの密命を帯び、イタリア国内で暗躍していた。
北アフリカのドイツアフリカ軍団への物資補給は地中海を渡る形でイタリアからリビアへ送られていた。が、イタリアは地中海の制海権をしっかり握っているわけではない。度重なるイギリス海軍の攻撃で、イタリア海軍などとっくに無力化されていたのである。
補給がない北アフリカで、ロンメルがどんなに奇策を駆使してイギリス軍を翻弄しても、戦略的には全く脅威ではなかった。
だからチャーチルは放置していたわけだが、日本の殿下はその使い道を見つけたらしかった。
いったいどんな使い方をするつもりなのかはさっぱり分からなかったが、ドイツを倒すのが早まることなら何でもやるというのがチャーチルである。
それで難易度はかなり高いと考えつつも、モントゴメリー将軍には黙って、ロンメル捕縛を諜報機関に命じ、黒木との約束を果たしたのだった。
諜報員たちはとにかく、うまくやったようだった。
ベルリンからの帰還命令で秘密裏にドイツ本国へ戻るべく、商船に偽装した連絡船でイタリアへ渡るはずだったロンメルは、船の到着地が何故かジブラルタルだったことに、船を下りた時に初めて気がついたのである。
ロンメルはロンドンへと連行された。
チャーチルからロンメル確保の連絡を受けた黒木は、イギリスの諜報能力をさらに駆使し、ヒトラーの居場所を随時追跡してもらえないかとチャーチルに依頼した。
「要するに日本は、ドイツの政変を画策したいのかね?」
「それがもっとも犠牲が少なく、かつ戦後の処理が簡単で、かつ危険が少ない、というのが殿下の判断なので……」
チャーチルはその意見には納得した。
確かにそれが出来れば一番いい。ヒトラーが死ねば、ナチス党などあっという間に消滅してしまうだろう。あの男の魔力のような力がすべてを狂わしている……。
だからあれを始末できればこの戦争は終わる。
が、それは他ならぬヒトラー自身が深く意識しているはずである。
それだけに自分の安全には徹底した注意を払っているはずだ。
「君のところの殿下の判断はさすがだとは思うが、それは極めて難しい」
「ですが、可能性はあると思います」
「何かあるのかね、考えが?」
「ヒトラーはこれまでの状況を見ると、軍の作戦を信用していないと見受けられます」
「まあ、そうだろうな。正攻法というのをそのままやっているところは少ない。ヤツが首を突っ込んでる、という可能性は高いと、うちの将軍も言っていた」
「閣下の将軍たちは守勢と攻勢ではどちらを指揮したがりますか?」
「攻守に好き嫌いを言い出すようなやつを将軍にはしたりせんが、まあ、本音なら攻勢だろうな」
「独裁者、いやヒトラーが自分が指揮をしたいと望むのは?」
「攻勢しかないな。攻勢なら主導権を握れる。作戦の自由度が高い。攻勢での失敗はその場ではなかなかわからない。終わってからあれやこれや批判が出る分なら、独裁者ならどうにでも処置できるだろう。守勢ではそうはいかん。目の前ですぐ結果が出る。誰かに指揮を任せて失敗したら責任を取らすのが適切だろう」
「とすればです。ドイツ軍が攻勢に出る時、あるいは画期的な新兵器を使う時には、前線に近いところに必ずヒトラーはいる、これがドイツ軍のルールになっているはずです。前線でありながら国の唯一の独裁者の安全を確保できる施設、となれば相当大規模な要塞になると思います。我々が西部で攻勢を企画していることは当然ドイツ側も分かっているでしょう? ならばきっとその侵攻を食い止めるための強固な防衛線を想定し、総統が使うための指揮所をその防衛ラインに近い場所に用意すると思うのです。それを事前に見つけられませんか?」
「なるほど。それを見張れというのか。空軍が航空偵察をやっている。そんなものが見つかるかどうかわからんが、一応探させてみよう。だが、仮に見つかったとしても手出しをするのはかなり難しいぞ」
「どんなに難しそうでも一つ一つ丁寧に問題を解決していけば必ず道は開ける、というのが我が殿下の対処方針でして。まずはそれを見つけましょう。その後の話はまたその時に」
ヒトラーが生きている限り、絶対政変などの事態にはならないわけだが、偵察や諜報だけならイギリスのリスクは小さい。
とにかく話をつなぐだけなら安いものと、チャーチルは一応この工作を承認したのである。
一方、ロンメルの身柄をイギリスが確保したという連絡は、南大西洋に入ったばかりの石原にもすぐに伝えられた。
石原は日本で待機していた第二陣に対し、乙装備での出撃を命じる「ホトトギス」を発した。
スターリンに、西部戦線の計画は特に説明していない。
赤坂宮の判断では説明の必要など全くない、ということになっていた。
宣戦布告の時点で、スターリンはそれがあるものと、すでに考えてソ連軍の反攻作戦を準備しているはず、と見ていたのである。さらにチャーチルが気象データをソ連に流しているのなら、どういうタイミングで作戦が発動されるか、は十分予測可能のはずとまで考えていた。
現実に、五月後半、東部戦線は大きく動いた。
ソ連軍が反攻作戦を発動したのである。
ただ開戦時のドイツ軍のような派手さはない。
慎重なスターリンはドイツの二の舞は冒さないとばかりに、前線部隊の進行速度が補給部隊の速度を超えないように、ゆっくりと前線を押し上げていったからである。
そして独ソ両軍とも、開戦初期とは違って、機甲部隊はほとんどおらず、歩兵と砲兵主体になっていたのだ。つまりあまりに大規模な潰し合いを長期間繰り広げた結果、機甲部隊の数がどちらも激減してしまったのである。もちろん平時が二年も続けば元の状態に戻せただろうが、休み無く戦争を続けながら回復を図るのは不可能だった。
作戦期間を六ヶ月しか見ていなかったバルバロッサ作戦の主旨からすれば当然の帰結である。
枯渇した資源をやり繰りしながら無計画に戦争を進めた結果だ。
それでも数としては、僅かなものだが、ドイツ軍は次々と新型の戦車を投入していた。
それらはT34の装甲を簡単に破壊できる主砲を装備し、T34の主砲では打ち抜けない装甲を備えていた。
しかしいかにドイツ軍新鋭戦車が優れていても数の劣勢は覆せない。
数に優るソ連軍は数両が連携してドイツ軍戦車を一両、また一両とゆっくりと丁寧に処分していった。補充が十分できないドイツ軍とソ連軍の間の数の差はいよいよ開くことになっていった。
ヒトラーはこの頃から言動が相当怪しくなってきていた。
現実を無視した命令を頻発するようになってきたのである。
こうなると一般将兵の間にむしろそれを知られないようにする配慮が上層部に求められることになる。
かくて、総統指令は途中で改竄されたり、勝手に解釈が変更されることが急激に増えていくことになった。
じわりじわりと東部戦線が西に移動しはじめて十日ほど経とうとした六月六日、フランス北部ノルマンディ海岸への上陸作戦は予定通りに決行された。
そしてそれに遅れること三日、地中海の入り口ジブラルタルのイギリス軍基地に終結していたブラックアメリカ軍とメキシコ軍は、イタリア南部シチリア島を目指し、そして日本軍と満州国軍はアドリア海の一番奥、クロアチアを目指し、次々と発進していったのである。
空、海、陸、どの戦場でも、いまや数で上回ったのはイギリス軍ほかの連邦軍である。
ちなみにイギリスと英連邦、日本と日本連邦が提携したこと、さらにソ連邦をも含め、この勢力をまとめて連邦軍と呼ぶのがマスコミで定着していった。
緊迫の度合いを深める欧州とは対称的に、全く真逆な光景が東京に出現していた。
ブラックアメリカから訪れたジョージパットン将軍が国賓として東京を訪れた、という催しである。
実のところマスコミはこの人物が何故国賓なのかよく分かってはいなかった。突然宮内省が天皇陛下によって招かれた賓客、と発表したのである。
そして大国の元首でも迎えるかのような大がかりな歓迎式典が用意されることが明らかになっていた。
もちろんパットンも瀬島も知らなかった話である。
瀬島とパットンはアトランタでの会談を最後に別れたわけだが、その後のパットンの処遇について、東京から特別仕立ての客船をサンフランシスコへ回すという連絡が来たのである。
そして正式に日本政府からのブラックアメリカ合衆国軍ジョージパットン将軍ご夫妻宛とした招待状が手渡され、国賓としてお迎えすると明記してあったのだ。
パットンは、そもそも自分はブラックアメリカの軍人として正式に認められたわけではないし、何故そんな厚遇を受けるのか、心当たりは全く無かったが、日本はアメリカの情勢をいろいろと誤解しているのだろうと、軽く考えた。
パットンの頭の中では、日本政府はメキシコと同等かそれ以下程度の国と位置づけられていたのである。
パットンが乗せられた船はパットンの期待に反しワニではなく、大型の客船の最上級のスイート船室が割り当てられてあった。
そして横浜港へ入港すると、歓迎の人だかりである。
初めて見る日本だったが、そんなことをじっくりと観察する心の余裕は全く失っていた。
パットンの歓迎を画策し準備をしていたのは、赤坂宮と井上である。
陛下との謁見、宮中晩餐会の開催、勲章の授与を行い、陸海軍指導部との親睦座談会までスケジュール化されていた。
閣僚や高級軍人などの要人との面談、写真撮影、東京銀座でのパレード、記者会見、宮中晩餐会とさすがのパットンも疲れ果てることになった。
まるで王侯貴族に対する扱いである。
そしてセレモニーとして天皇陛下に謁見し、挨拶を行った後、ようやく赤坂宮との会談が行われた。
「パットン将軍、遠路はるばるお越し頂き、恐縮です。お会いできることを楽しみにしておりました。私が陛下より征夷大将軍を任じられ、日本の幕府を預かっております赤坂宮と申します」
通訳は、パットンの知識を補完するつもりで、征夷大将軍を次のように訳した。
「大日本帝国軍最高司令官」
「帝国の」プラス「最高司令官」という単語は、パットンにとって、ユリウスカエサルを指す言葉として以外、存在していなかった。
アメリカにはもちろんそんな役職名は存在していない。機能としては大統領が該当するのだが、プレジデントなどという恐ろしくお手軽な名称ですべて済ましている。他の諸外国でも同じである。
それぐらいユリウスカエサルは西洋史にとって巨大な存在だった。
欧州各国語の最高の地位を表す多くの単語の語源は、実はユリウスカエサルの名、または彼が担った役職名に由来しているほどだ。
そんなすごいのが日本にはいるのか……。
生粋のミリタリーおたくのパットンを痺れさせ、瞠目させ、感涙させるほどの役職名である。
そしてそれに続いて、赤坂宮という名が、自分宛に出された招待状の署名者であったことを思い出した。
いくぶん声を上ずらせながら、パットンは答えた。
「お目に掛かれ大変光栄に存じます。早速ですが、甚だ不躾な質問をいたしますご無礼をお許しください。なぜ、小官がこのように招待、歓迎されることになったのか、私自身よくわかっておりません。ご説明頂けると助かるのですが……」
パットンがまさか役職名で感動しているなどとは全く思わず、赤坂宮はパットンがこの場の雰囲気に飲まれているものと解釈し、興奮したこどもを落ち着かせるように話を受けた。
もっとも赤坂宮本人は、パットンが感動していた役職名を聞く度に、足利義昭の顔が思い浮かぶので、どっちかというとあまり聞きたくない役職名となっていた。信長の中にある義昭のイメージはほぼ最悪の部類だ。小心者、嘘つき、裏切り者、見栄張り、無能、義昭を罵倒するための適切な罵倒語がなかなか見つからずにイライラするほどだった。
「私はあなたの行動については、最大限に調べさせて頂いたつもりです。第一次世界大戦に従軍し、ドイツを相手に戦い、ヨーロッパでの戦車戦の方向を見極め、アメリカ軍の戦車のあり方を根本から正した。これだけでも大変な功績です。さらにメキシコの異変を察知すると、それに備えてアメリカ政府よりも早く対応を取ろうとし、実際に実効性のある対策を数多く実施された。さらに、メキシコとの戦争のはずが、ブラックアメリカとの戦いに変わったとみるや、戦争の意義そのものを考え、無益な戦いはしないと、ブラックアメリカに投降された。戦さの根本を正しく捉えていなければなかなかできないことです。それにこれは我が国の目線で言えば、ブラックアメリカの存在を最初に公に認めて頂いた行動です。これは北米に渡っていた多くの日系移民にとって、大きな救いでした。もしあなたがブラックアメリカを認めず、あの地で徹底抗戦をしていたら、大勢の日系移民もアメリカ中で命を失っていたでしょう。当時のルーズベルト大統領は日本からの移民に決して優しい存在ではありませんでしたからな。従って、優れた軍人のあり方であり、しかも人間味にもあふれ、広く有色人種の立場まで考慮を頂いた方と我々が認識しても少しもおかしなことはないと考えますが、いかがでしょう? 私は少なくとも並みの軍人にできることではない、と考えたのです」
「私のことをずいぶんと高く買って頂いていると分かり恐縮です。それにしても私のことをよくお調べになっていたのですね。意外です」
「いえ、別にあなたに限らずです。アメリカ合衆国の高級士官の方々については、調べられる限り、調べていましたから」
「それは、警戒していたということですか」
「少なくともルーズベルト大統領の我が国に対する政策ば、どうしても我が国との間で戦争をするつもりでいるように見えた、ことは間違いありませんから。しかも、真っ正面から戦争となって、我が国がアメリカに勝てる可能性は全く無い、と言ってもいいほどでしたからね。鉄も石油も食料も日本はアメリカからたくさん輸入している国です。工業生産力にしてもケタ違いです。初めからまともな戦争をできる相手ではありません。ですからどうしても日本を敵視しないでいてくれるもう一つのアメリカを用意する必要があったのです。そういう視線で見た場合、あなたは、広く世界に名を知らしめるべきもの、と映りました。日本にとっての恩人として」
「なるほど日本が私に感謝している理由は納得しました。ですが、軍人としての私はメキシコ軍に負けています」
「いやいやあれはメキシコ軍の勝ちではありません。あなたとの決戦を避け続けたから、戦争の陰で行われた政治活動でたまたまあなたは負け側に立たされただけですよ。もしどこかであなたが指導する主力と決戦をしていたら、コテンパンにされたのはメキシコ軍だったはずです」
この赤坂宮の言葉が届くと、パットンは胸のうちに抱えていたいろいろなモヤモヤが一度に消え去ったように感じた。すべての状況が自分の中でやっと整理できた、という思いと、自分のことをこれほど正確に理解している理解者が目の前にいる、という悦びの感情が溢れてきた。
「いいえ、私の見るところ、あのメキシコ軍の戦車、聞くところによるとソ連戦車を参考に日本で作られたものだそうですが、あれは相当手強い相手だと思います。決戦となっても勝てなかったかもしれません」
「兵器の性能がいくら良くても、結局は指揮官以下将兵の質が問題ですからな。戦車を使った実戦をやったことのある人間が一人もいないメキシコ軍など張りぼてのトラです。この点は日本軍も同じようなものですが。なにしろ今まで中国でデタラメな戦争ばかりやっていたせいで、すっかり近代戦とは程遠い戦い方ばかりやるようになっていましたからな。そうそう、ご帰国のスケジュールが許せば、一度、日本軍と満州国軍の戦車部隊の教練を見て頂いてご助言など頂けると嬉しいのですが……」
親睦会やパーティ、謁見などは苦手でも、軍事教練は大好きなパットンがこの赤坂宮の提案を拒否できるわけが無かった。
翌日、パットンと赤坂宮は共につれだって、満州国新京へと陸軍の連絡機で旅立ったのである。




