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カティサークとムスタング


西部戦線は北一方面、南二方面で戦線を作る計画となった。

黒木との打ち合わせにより北側はイギリス軍とダンケルクから撤退した時に一緒になった自由フランス軍が主力で、その補助にブラックアメリカ軍が、南のイタリア戦線へは主力のブラックアメリカ軍をメキシコ軍が補助し、そしてバルカン半島へは日本軍と満州国軍が担当するとされた。こっちの部隊は中身は百パーセント日本軍なのだが看板としては満州国軍もいることになっている。

海上戦力の主力はもちろんイギリス軍であり、南部の作戦では一部日本軍がそれを補助する。航空戦力の主力はイギリス軍とブラックアメリカ軍となっていた。

もっとも兵器の中身を見るとその中身は一部の国にだいぶ偏っていた。

陸上戦力の主力兵器である戦車ついては、イギリス軍がちょうど速度重視思想に偏っていた時期にあたり軽装甲の高速巡航戦車ばかりになっていたためイギリスの戦車は主力として使えなかったのである。ドイツ軍戦車の火力に対抗できないからだ。

それでイギリス軍は火力と防御力を重視した新型戦車の開発を急いではいたが、艦船と爆撃機生産を優先せざるを得なかったので数が全く揃えられなかったのである。このため、主力は日本から輸入した五式戦車、ブラックアメリカ軍が持ち込む五式戦車とM4戦車、M4をイギリスで改造し火砲を大幅に強化したファイヤフライ、メキシコ軍の五式戦車と、全体の約七割以上が日本の五式戦車となっていた。

戦闘機についてはそれとは違い、機体はアメリカ、エンジンは日本製の飛行機が他を圧倒していた。

ブラックアメリカからノースアメリカンP51ムスタングを新たに主力戦闘機として調達することになったのである。

これはイギリスの主力機スーパーマリン・スピットファイヤがその設計者であるレジナルドミッチェルが大戦勃発前に早逝したため、ずっとドイツの新鋭機に対抗する改良が手探り状態で手こずっていたことが大きい。オリジナルのことを知り尽くした人間がいない状態での改良は、たくさんの人員を貼り付けて、あらゆる可能性を吟味しないとできないからだ。ライバルのドイツのメッサーシュミットが次々と改良型を投入してくるのに追いつくのがやっとだったのである。

従っていつまで経ってもそのスピットファイヤを上回れる後継機開発ができず、チャーチルは実のところ相当焦っていたのである。

黒木がドイツのジェット戦闘機のことをチャーチルに吹き込まれたのはそれが理由だ。

日本はすでに国防軍主力戦闘機として配備していた四式戦闘機を百機ほどイギリスに売り渡していた。イギリス人はこの機体にカティサークというニックネームをつけた。

スピットファイヤ(唾まき散らし女)の後継なのだから、カティサーク(あばずれ女)がふさわしいというのがイギリス紳士の普通の発想らしかった。

イギリスから技術導入した排気過給器付き轟エンジンを搭載したカティサークは、メッサーシュミットBF109、フォッケウルフFW190相手なら互角以上に戦えていた。

ちなみにこのエンジンは日本からソ連にも輸出されていてヤコブレフYAK3の性能を飛躍的に向上させ、東部戦線でもドイツ軍を苦しめる存在になっていた。

カティサークは実用上昇限度、最高速度、上昇力で彼等を上回り、武装は20ミリ機関砲四門と後期型のFW190を除けば圧倒していた。

が、上昇限度以外はその差は小さく、ジェット戦闘機ME262には対抗できなかった。

ドイツはその飛行機が日本製であることにはまだ気がついていなかった。カティサークをイギリスの新型戦闘機と認識していたのである。

カティサークのイギリスでの組み立て作業が軌道に乗り稼働機数が増えると、イギリス空軍が空中戦で優位に立つことが多くなった。

が、それに対応するためドイツはME262を増やしてきたのである。

しかし、その増え方はカティサークの増え方よりはずっと目立たないものだった。

というのもME262に搭載されたユンカースジェットモーターは、新品でも僅か十時間、以後は稼働五時間おきに分解整備が義務付けられたシロモノだったのである。

数回実戦に出したら、工場に戻して数日お休みとなる機体だったのだ。

ジェットエンジンの実用化を急いだものの肝心の実用化に十分耐えられる材料開発は出来ていなかったのだ。

従って実際に配備機数が増えても上空に上がって来られたものは限られていたのだ。

しかしもちろんチャーチルもイギリス空軍もドイツ軍のそんな内部事情は知らなかった。ジェットエンジンのとんでもない速度は脅威と判断していたのである。

日本の宣戦布告直後に始まる西部戦線への航空戦力について、黒木からのチャーチルのコメント報告とカリフォルニアからもたらされた報告を聞いた赤坂宮はそれで四式戦闘機の新西部戦線投入をキャンセルさせたのである。

いくら数で上回っていても一対一で勝てないものを本国から遠く離れたところで戦わせるのは、下手をすれば援軍が実は弱点と敵に判断される危険を産む。

そうなったら、日本の権威は地に落ちかねないのである。それぞれの国だけの威信で済むのならまだマシだが、日本にも連邦の盟主という立場があった。

わざわざ出向いて敵地で戦う以上、被保護国に笑われるような結果を出すわけにはいかない、だから万全を尽くせとなったのである。

そしてアテが何もなければそんなことをわざわざ言う必要も無かったのだろうが、アメリカからの報告はそのアテとなりうるものだったのである。


そのアテはカリフォルニアで接収した工場にあったノースアメリカンP51の出荷前完成機の仕様にあった。

幕府から派遣された技術者がそこで発見したものは機体に使われていた未知の金属だったのである。

それは鉄ではなく、アルミと銅と鉄の合金、ジュラルミン、より正確に言えばスーパージュラルミンで作られていたのである。

ジュラルミン自体は古くから知られた合金で強度がありながら軽いという魅力にあふれたものだったが、同時に数々の欠点があることも知られていた。

まず合金としてムラの無い、均一な品質のものに仕上げることが難しかった。

これに起因し、非常に歪みやすく、加工段階での精度を高めることが難しい、変形しやすい、割れやすい、腐食しやすいなどの現象が起こった。

また、手間暇かけて均一な品質のものを大量に作ろうとすると、非常に生産性が悪くなり、高価過ぎて工業製品の材料としては使えなかったのである。

従って信頼性の求められる航空機に使うことはずっと避けられていた。

が、アメリカのアルコア社は、完全に均一な品質のものを大量に作る方法を見つけ出していたのである。その結果ジュラルミンの航空機への使用を阻んでいたさまざまな欠点が消滅した。それこそが、このスーパージュラルミンと呼ばれた新合金だった。

それは比重で鉄の半分以下でありながら強度は鉄並みという夢の金属だったのである。

さらに全くさびないので、塗装も省略できた。塗装工程が無くなったので生産時間が短くなり、塗料の分だけさらに軽くなった。

米墨戦争の最中にカンザス州ウィチタの破壊された工場で製造が進められていた新鋭のB29爆撃機ももちろんこのスーパージュラルミンが採用されることになっていた。

いわばアメリカ軍のすべての航空機の性能を飛躍的に向上させる、勝負下着的な金属素材だったのである。

すぐにこの機体を製造していたアルコア社の工場、これは組み立て工場に隣接していた、も接収され、P51の生産は継続されることになった。ただしエンジンは変更されることになる。

完成実機に搭載されていた過給器付きのアリソンエンジンは過給器付き轟エンジンと同じV型一二気筒液冷であり、サイズ的に近く、この機体に轟エンジンを搭載することは小規模な設計変更だけで十分可能だと、結論づけられた。

元のP51のためのアリソンエンジンはインディアナ州で生産されたものがカリフォルニアに運ばれていたのである。

今やインディアナ州が外国になってしまい調達ができるかどうかは不透明となったので轟エンジンに換装する仕様変更の実施がすぐに決定された。

鉄よりもはるかに軽い機体に高性能なエンジンを積めば、どういうものが出来上がるのかは素人でもすぐ分かる。

既に完成していた四式戦闘機と仕様変更したP51は同じエンジンとなるのだが、重量差がある分、他の設計がどんなに優れていても四式戦闘機よりもP51の方が高性能になることは間違い無かった。

推力ではジェットエンジンに及ばなくても、ジュラルミンの軽量機体を持ったこの戦闘機ならドイツのジェット戦闘機と互角以上に戦えるだろうと期待をかけたのである。

轟エンジン自体もいろいろと改良が加えられ性能も初期型よりも大幅に上がっていた。

もはやソ連のT32搭載エンジンと共通の部品はほとんど無くなっていて、轟という名前以外、初期生産型とは、全ての部品が何らかの設計変更で新しいものに変わっていたからである。

排気過給システムもイギリスから輸入したものに対し、より耐久性のあるもの、より高圧縮できるもの、より吸入温度を下げられるものを目指したシステムが研究され、二段過給や、予備圧縮冷却機構なども試験運用に入っていた。

全く新しいものを構想しモノにするのはまだ難しかったが、既にあるものを改良するのならもともと日本人は得意なのである。

いまや航空機用、船舶用、魚雷用、陸上車両用、発電機用など用途自体が大きく広がり、納入国もメキシコ、イギリス、ブラックアメリカ、満州と増え続けたので、そのうなぎ登りに増えた需要に応えるため、民間の会社への委託生産が大規模に行われていた。これにより諏訪が量産を減らせたので、こういう改良に力を注ぎ込むことができるようになったのである。

エンジン単体として言えば、最新モデルの轟エンジンは名機と呼ばれたイギリスロールスロイスのマーリンエンジンにはまだ及ばないものの、アリソンエンジンの性能なら完全に凌駕していた。


テストした結果、最新の二段過給轟エンジン搭載P51試作機は四式戦闘機を大幅に上回る数字を記録していた。イギリス空軍推定のドイツのジェット戦闘機の数値をも上回ったのである。しかも単に速いというだけでなく、機体各部の重量低減効果のおかげで、操縦桿の動きに機敏に反応する敏捷さも備えていた。四式戦闘機の整備重量のほぼ半分という重量のおかげである。

すぐに量産が決定し、渡欧するブラックアメリカ軍とイギリス軍向けに優先的に配備を進めることになった。

輸送機と爆撃機についても同様でテキサス州ダラスにあったB17の生産工場を接収していた。

これにより大量のB17がブラックアメリカからイギリスに提供されることになった。もちろん新たな生産に必要なエンジンはムスタング同様轟エンジンに変更されていた。

ただこのB17は現役現用のものであったため、機体にはスーパージュラルミンは使われていない。



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[気になる点] 日本にはエクストラスーパージュラルミンが在ったはず
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