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フィデレーションズ


昭和十九年(一九四四年)五月二十日、大日本帝国、満州国、メキシコ合衆国、ブラックアメリカ合衆国は、ドイツの進める民族浄化政策に強く抗議するとともに、ドイツ並びにドイツと同盟を結ぶ全ての国に宣戦を布告する、と発表した。

チャーチル、スターリンは祝杯を上げて歓迎する一方、ウォレスは苦渋の思いに囚われ、ヒトラーは激怒することになった。

翌日、これに呼応するかのようにイギリスが満州国を承認すると発表した。

黒木がチャーチルと交わした約束を履行したのである。

するとその翌日、今度は日本がウィグル共和国、チベット王国を承認すると発表した。

チャーチルはこれを知ると一言、「やられたわい」と言ってその後爆笑し、毛沢東と蒋介石は舌打ちをし、そしてスターリンは、毒気を抜かれた顔になって、こう言葉を漏らすことになった。

「容赦ないな、こんな図々しいヤツ、初めて見た……」

つまり彼等の間では、ある国家を最初に承認する、というのは自国の勢力範囲だから手を出すなよ、という縄張り宣言と理解されていたのである。

ウィグルとチベットについては、満州国が条約を結んだ程度なら、それはまだ日本の勢力範囲には入らないと、チャーチルもスターリンも毛沢東も蒋介石も理解していたのだ。

そしてウィグルもチベットも地名としては知られていたが、ウィグル共和国もチベット王国も国際社会で国家として全く認知された存在とはなっていなかったのである。つまり空き地だ。

その空き地の国家を認めたということはまさに縄張り宣言なのである。

要するにイギリスが満州国を承認する、つまり日本の勢力範囲として満州国を公認してやる、と言った瞬間、日本は、そんならついでにウィグルとチベットも日本の勢力範囲にするんでよろしくね、と宣言したのに等しいものと理解されたのである。

領土に目がないスターリンですらも出し抜いた手際の良さと言っていいだろう。

しかしいろいろ思うところはあっても所詮は些細な問題と、スターリンもチャーチルも考えざるを得なかった。ドイツの敵が増えたことは歓迎すべきことなのである。


ドイツは、いやヒトラーは日本など四国の宣戦布告など、意に介していない、という姿勢をアピールするつもりなのか、完全にこの宣戦布告を無視していた。

実際、独ソ戦の戦場でも空を巡る英独の戦場でも、北アフリカの沙漠の戦場でも四カ国参戦による影響は全く無く、いつも通りの戦闘が続いていたのである。

が、実は、大きく変化している戦場があることにドイツ側はまだ気がついていなかった。

この変化にドイツが気がつくのはずっと後のことである。

インド洋のアフリカ大陸沖にあるマダガスカル島は、当時フランス領だったが、フランス植民地の中で確認されていたものとして唯一、この島は亡命したドゴールの自由フランスではなく、ペタン元帥のヴィシー政権に残ることを選択していたのである。

そして、宣戦布告とともに、日本海軍の急襲を受けることになった。

何故わざわざマダガスカルを狙ったのかと言えば、ちょっと前まで日本は恩恵を受けていてその価値をよく知っていたからである。つまりマダガスカル島はインド洋にまで進出するドイツの通商破壊作戦を担う水上艦やUボートの補給拠点だったのである。

今までは日本船は中立国の船としてドイツ艦の標的となることは無かったが、今後はそうでなくなる。これを放置しておいては、欧州派遣軍の補給路が危険になるのは明白だった。

マダガスカル基地を守るフランス軍を殲滅しその基地機能を破壊するとともに、インド洋および南大西洋で活動するドイツ海軍艦艇の掃討がドイツに対する初めての日本の戦闘行動となった。

また、これを日本が引き受けることで、それまでこの任についていたイギリス海軍はイギリス近海での作戦行動に集中できるようになったのである。


激しく動く世界情勢を関係者でありながら一番理解していなかったのは、日本の市井の人達であった。

なにしろついこの間までドイツ万歳、ヒトラー万歳とやっていたのである。

それが、レニングラードの報道以後、マスコミも世界の裏事情に気がついたのか、あまり積極的に世界情勢について語らなくなったのである。軍や政府は、幕府から指示されない限りものを語ることは無かった。

赤坂宮がいろいろと変えた軍の空気は、世の中全体に広がり、かつての大正デモクラシーのような世情が続いていた。

生活の上で庶民が実感していたのは、海外からの輸入品がいろいろと増えていたことである。

食料品、衣料品初め、安価なものがいままであまり聞いたことの無かった、中南米の国から運ばれているようだった。

もちろんそれが戦車や飛行機、エンジンなどの輸出によってもたらされたモノであることを理解している者はほとんどいない。

また日本、朝鮮半島、満州国では道路、鉄道などの交通インフラの整備が急速に進められていた、工業生産力が上がり、そういう分野にも鉄製品を気楽に使える状況に入ったのである。

工作機械、輸送機械、建設機械の生産が急拡大していた。

これがやがて自動車の個人所有という新しい生活への入り口を開くことになる。

欧州、北米が戦火で揺れていたたった三年の間に、日本は最先端の国の一角に辿り着いてしまっていたのだった。

従って、多くの人々の関心はまず景気であり、流行の服装や娯楽芸能、スポーツの話題に向かっていた。日中戦争のせいで中止が決まった東京オリンピックをなんとか開催できないか、などもしばしば話題に上がるようにはなっていた。

北米で大きな戦争があったり、欧州ではまだ戦争が続いているとあっては、まだまだ難しいだろう、などと著名な識者がまじめに解説を吹聴していたのである。


とにかく日本はまるで世界から切り離されたように平和を満喫していたのだ。


ところがそんな中での突然の宣戦布告発表である。

市民もマスコミも不意を突かれた、と言って良かった。

何故アメリカではなくドイツなのだ、などと騒ぐ一周遅れた評論家も沢山いた。

とはいえ、日中戦争をやっていた時のような戦時色、戦争ムードを盛り上げるような政策は一切無く、一部にはこの宣戦布告は何かの間違いではないか、と語る向きもあちらこちらに現れていたのである。


日本、ブラックアメリカ、メキシコ、満州国の対枢軸国宣戦布告発表は、アメリカにも重大な影響をもたらすことになった。

ブラックアメリカと日本が歩調を合わせたことを明確にした最初の事件であり、しかもその宣戦布告文にはアメリカ人の心の傷に塩を刷り込む一文が入っていた。

世界人民に対し、絶対正義となる理念の旗を掲げることでアメリカに対抗する。

この赤坂宮の戦略を具現化していた。

「人種浄化政策は断固許さない」

この理念への賛同者はアメリカにも多かったのである。

そしてその先鋭的なグループであった、ウィスコンシン州の知事、保護領ハワイ共和国大統領は翌日、ブラックアメリカへの編入替えを発表した。

単に州が所属する国を変えただけ、ということならともかく、これにはさらに尾ひれがついていた。

なんとハワイにいたアメリカ太平洋艦隊のニミッツ司令、さらにフィリピンにいたアメリカ陸軍マッカーサー大将が相次いでアメリカ政府の指揮を離れ今後はブラックアメリカ軍として行動すると表明したのである。

つまりこれらの軍は第二次世界大戦に参加するということになる。

ブラックアメリカ誕生直後、ハワイの太平洋艦隊もフィリピンのアメリカ陸軍もその戦力をかなり削られ、相当部分が本土防衛に回されていたが、それでも日本を威圧するには十分な戦力があった。それがこともあろうにブラックアメリカ側、つまり日本に同調する側に寝返ってしまったのである。

東条、板垣、米内などなど、ルーズベルト政権時代にいろいろとその重圧に抗っていた者たちは、みなキツネにつままれた思いに囚われることになった。

栗林だけは、何も起こらなくてよかったと、一人胸をなで下ろしていた。

石原はブラックアメリカ独立プランが満州国建国プランよりもはるかにスケールの大きな計画に仕立てられていたことに舌を巻いていた。

それとともに彼独特な感性で、固有民族の属性によらない、純粋な民主主義だけで作られた人造共和国の弱点というべきものを見せつけられた気にもなっていた。言い換えればもしアメリカが立憲君主制のイギリスのような政体だったら、こうは絶対にならなかったのである。

兵や政府職員の忠誠は国家元首である王個人に向けられているからだ。

議会を率いる首相、あるいは共和制の大統領は職制上の命令者という役職であるという認識しかしてもらえないのである。個人名の持つ意味は薄い。

だから国家理念への信頼が揺らぐと自動的にその忠誠の対象としての価値も揺らぐのである。

それが分かっていたから、人一倍猜疑心が強く保身に敏感なヒトラーは組織図による指揮命令系統を信用せず、兵士一人一人にまでアドルフヒトラー個人への忠誠を誓わせたのである。

このことは精密に技巧を積み重ねて集約された「多数派の意見=公論」がいかに大きくても、根源的な理念に反したところでは、民主的要素を完全に排除しない限り、個人の意見を完全に封殺することができないことも合わせて示していた。

もっとも石原にはこの問題をさらに深く考える時間は全く無かった。

まわりの雑音から逃れるように、欧州方面派遣軍旗艦となった空母赤城に座乗していたのである。もちろん乗船中も頭の中はドイツに対するこれからの作戦計画の事で一杯であったことは言うまでもない。


アメリカという国はいまやゆっくりと溶け始めていた。人々を集める求心力を失っていたのである。

ハワイ以上にウィスコンシン州の離反は周辺の州へ大きな影響をもたらすことになった。先住民インディアンの心に火をつけたのである。

結局その後の一年の間に、ワシントン、オレゴン、モンタナ、アイダホ、ユタ、コロラドがブラックアメリカ合衆国への所属替えを決めることになる。

結果、アメリカは太平洋への出口を失った。

日本にとって「危険性の少ない」アメリカの完成だった。

将来的にもしアメリカとブラックアメリカが再び一つのアメリカに戻る時が来ても、これまでのように特定の民族を目の敵にするような選択をすればアメリカが割れるという教訓を残すことになった。



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― 新着の感想 ―
[一言] こうして(無印)アメリカ合衆国は歴史上の概念へとなっていくのかもしれませんね。
[一言] 毒気を抜かれたスターリンというのは仮想戦記でもなかなかお目にかかれないシロモノですね(笑)
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