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人と軍備

陸軍首脳、あるいは首相にとっては青天の霹靂と呼んでもさしつかえないほどの大変動であっても、国民視線から見るとその変化は意外と小さかった。というのも、内閣も、閣僚も誰も替わったわけではないのだ。陸軍大臣、海軍大臣、参謀総長、軍令部総長いずれも変わらなかったし、外務大臣もそのままだったからである。

だが、チームが同じ顔ぶれでも仕事が同じというわけではなかった。

仕事の中身を彼ら自身に任せるというスタイルが消えたのである。

いまや外交・軍事政策は幕府が決め、内閣も軍もそれを忠実に実行するだけとなったのである。

その変化に真っ先に気がつくことになったのは、日本人ではなかった。蒋介石であり、ルーズベルトであり、スターリンであった。

ルーズベルトに率いられたアメリカ政府は、天皇が実務には元々ほとんど携わっていなかったので、赤坂宮の征夷大将軍拝命と幕府の設立、大本営の廃止を軽く見ていた。しかも内閣には全く変更が無いから、単なる国内向けのパーフォーマンスと理解していたのである。従って、対日政策を変更する必要無しと、早々に判断していた。

が、変化は二週間もするとあちこちからワシントンに届けられてきていた。

そして今、オーバルルームに隣接する会議室では閣僚出席の下、閣議が開かれていた。

「駐満州日本軍が増強されている? どこから?」

「中国で作戦中の部隊を撤収し移動させたのではないかと……。蒋介石から日本軍がいなくなったとの連絡が入っております」

「新京の関東軍の一部が東京に移動という情報も入っています」

「つまり何かこれから大規模な軍事行動でも計画しているのか? それにしても蒋介石に向けた軍を引いたのはどういうことだ? ソ連? それともフィリピンか?」

「いえ、大統領。もし指揮官会合を大規模に行うのならそういうこともあるのですが、今回の動きは何もかも異例です。どうやら先日の幕府創設と関係があるもののようだと判断します」

「ふーむ、ウッドリング君。幕府を任された皇族という者は何と言った。どういう人物だ」

「私のところには……。ハル長官、君のところなら?」

「公式に明らかになった情報では、孝明天皇の子で仏教の僧侶であった者ということで、特に公職の記録などはないそうです」

「それじゃ何にもわからんじゃないか」

「その通りです。ですが、先日大統領閣下の行った日本非難演説の効果で日本が政策を変えたということはありませんか?」

「あれは君が日本は絶対に軍を引かないと確約したから出した声明だったんだぞ。素直に軍を引かれては、こちらの意図とは正反対になる。日本には、世界の悪者になってもらわんと、イギリスが危なくなる」

「ヒトラーですか。ですがミュンヘン会談で危機は去ったものと」

「君は甘いな。チェンバレンもだ。ヒトラーのわが闘争を見たか? ヤツは狂人だ。本気でユダヤを絶滅させるつもりでいる。が、今のままでは中立法のおかげで我が国がイギリスとともにヒトラーと戦うことはできない」

「そのための日本ですか。蒋介石に肩入れするのもそのためと」

「まあそういうことだ。日本は石油も鉄も我が国に依存しっぱなしの貴重な敵国だ。潰すのは容易いが、ドイツはそうではない。ドイツを倒すためには、ドイツ側に日本を追いやる必要がある。アメリカ世論を納得させるためだ。多少蒋介石に足元を見られているところがあるのは私も決しておもしろくはないがね。が、大衆向けのアピールは重要だよ。中国民衆のために抗日を続ける蒋介石の支援、これは民主主義の守護者たる合衆国にふさわしいとは思わないかね」

「つまりどの外国よりも厄介なのはアメリカ世論ということですか」

「諸君らがヒトラーのような独裁政権を作ることを僕に望むというのなら考えを改めるがね。現実にはあの忌々しい中立法を骨抜きにすることもなかなかできない、というのが実態だ。私は外国と事を構えるためにはまずアメリカ世論を味方につけないと何もできないんだよ」

「確かにやっかいですな。アメリカが直接攻撃されない限り、戦争をすることができない、というのは」

「現状、ドイツがイギリス攻略前にアメリカに攻撃をしかける可能性はまずない」

「なるほど、日本ならそれがありえると。石油、鉄、ゴム、鉛、大豆に小麦、工業機械、我が国に依存しているものはかなりありますな。それを止めれば日本は座して死を待つばかり。サムライには耐えられないでしょうな」

「その通り。日本は我が国の民衆世論を誘導するためにかけがえのない駒なんだ」

「しかし、それでいくと先制攻撃をどこかで我が国が受けることになります。いくら日本でもその被害は小さくはありますまい。仮にそこまで日本を追い込んで連中が攻撃をしかけてきて、その損害があまりにも大きすぎたりしたら、世論は戦争反対に走るということにもなるのでは?」

「その点は私も気になっている、が、どう思うね、スワンソン長官。日本の攻撃を我が合衆国は受け止められそうかね。君のところが一番大きな影響を受けることになるのだろう」

「それに関しましては、ご安心頂けるものと。まず日本からの攻撃が予想されるエリアですが、ハワイ、フィリピン、グアムがまず考えられ、次にこれは日本側から見ればかなり無謀となりますが、サンフランシスコ、パナマ、シアトルというところが狙われる可能性があると考えております。我が国の工業中枢たる五大湖地方にまで到達できる攻撃機は世界のどこにも存在していませんから、そこは除外しています。そしてイギリスと共同開発している最新鋭のレーダー装置と防空迎撃部隊をそれらに配置し、いかなる奇襲に対しても万全な対応が取れるようにしてあります。そもそも兵装から見て、現状、アメリカにとって脅威となりえるのは、日本の海軍力ということになりますが、日本の戦艦は速度も遅く、我が方の高速魚雷艇のいい的になるでしょう。高速魚雷艇は速度も速く、戦艦からは非常に攻撃しにくい相手です。それと航空兵力を日本は強化していますが、我々の検討では航空機による艦船の攻撃ではあまり大きな戦果をあげることができないと見積もられています。つまり戦艦の装甲甲板を航空機の投下する爆弾で貫くのは命中精度が低いことからも非現実的だと。爆弾そのもののサイズも戦艦の主砲弾と比べたらかなり小さいですから。制空権に関しては、航空機用のエンジンは、イギリス、ドイツと比べると我が国が見劣りすることは否めませんが、少なくとも日本に遅れをとることはありません。従い、速度で圧倒することが可能ですから、日本軍機が脅威になることはないと考えております。ですから我が軍が仮に日本軍の直接の攻撃対象に選ばれたとしてもそこに大きな痛手を被る可能性は極めて小さく、最小被害だけで日本軍は我が軍の総反撃を受けて退散せざるをえなくなる……というシナリオが現実的だと考えております」

「たいへん結構だ。スワンソン君。ウッドリング君、まだ何か言いたいことがあるかね」

「いえ、私からは何も」

「実はドイツと日本を叩く準備なら秘密裏にだが、既にいくつもさせておる。日本本土を直接攻撃できる超遠距離渡洋爆撃が可能な爆撃機の開発にも先日着手させた。だから日本をこの敵役のキャスティングからはずすわけにはいかんのだ。それなのにまるで舞台を下りるかのようにも見える日本軍の行動。これは困る。断じて困る」

「とにかく日本で今何が起きているのか知らないとどうしようもありませんな」

「全くその通りだ。とにかくもっと情報を集めてくれたまえ、ハル君。新しいその幕府という組織とそのトップに立つ男のことをもっと詳しく知りたい」

「かしこまりました」

翌週再び、本件に対するフォローアップミーティングが開催された。

「日本軍のほとんどが中国領内から撤退してしまいました。上海も南京も放棄しています」

「東京からは全国に発令されていた総動員令を解除したとの報告で、それに従うかのように関東軍も縮小され、大陸に出陣していた内地部隊の撤収が続いているようです」

「閣僚の動きは」

「今のところは何の動きも見られません。以前の情報では陸軍が大陸進出に熱心だったものですが、今はまるで大人しくなったと日本人の間でも不思議に思っているという人間がいるようなのですが……」

「うん、何かひっかかるのかね?」

「いや、そもそも、この大陸を放棄した日本軍の動きについては一切公式発表がされていないようです。ですから大半の日本人はまだこの事実を知りません。外国人の方があたふたとしているというのが東京の実相のようです」

「どう思う? ハル君」

「何らかの欺瞞だとは思うのですが、目的が分かりません」

「例の幕府については何か分かったのかね?」

「残念ながらお手上げです。リーダーの赤坂宮という男についてはちょくちょくと中央省庁を訪問している姿は確認しております。これがその写真で、この中央の男が赤坂宮です。この名前は元々皇居のすぐ外側に位置する皇室の使用していた離宮の名前で、現在彼の公邸であると同時に、彼が長を務める幕府の施設にもなっています。ですが、家族構成ほかは一切不明。一方、幕府の構成人員については、就任する組織名役職名など一切不明のまま個人名だけが発表されております。内容は陸海軍だけに留まらず、他の中央官庁、国立大学などかなり幅広いところから異動させるものになっており、陣容から察すると軍事と外交、それに国防絡みの技術開発を専門に行わせるようなものと察しますが、逆に言うと、政党人は全く含まれておらず、内政には関わる気がないのだろうと推測しています。ヒトラーが作った総統大本営に近いと言えば近いのかもしれません。赤坂宮の就任した征夷大将軍という地位は通常の軍隊の階級とは全く別なもので、元々はサムライのトップという意味の官位です。よって彼は天皇の名代ということであり、日本の憲法では政府も軍も彼に対抗できません。しかし幕府が政府や軍を差し置いて国民の前に出る、ということでもないようです。軍を直接指揮指導するつもりもないようで、護衛部隊を除けば直営部隊などはおりません。おそらく研究した結果をレポートのような形で軍や政府に渡すような活動に専念するつもりなのではないかと考えております」

「要するに日本は今までよりも賢くなって扱いにくくなる、とこういうわけかね」

「今まではVIPの言動分析で先の行動がある程度予測できていましたが、今後はそういうわけにはいかなくなる、と考えた方がよろしいでしょう」

「すると日本を駒に使うのは諦めるべきか。どうする?」

「まだイギリスが苦境に陥っているわけではありません。まだしばらくは様子を見るということでよろしいでしょう」

「ヒトラーの様子は?」

「ポーランドでドイツ系の住民をたきつける工作をやり始めたようですな。まだポーランド政府は動いてはいませんが。それとリッベントロップがモロトフと接触したという情報があります」

「まさか? ありえんだろ。共産党をあれだけ激しく弾圧したドイツが? よりによってソ連と接触? それこそスターリンが承認するとは思えん」

「ま、可能性はゼロではない、と考えておくべきですな、外交の世界には道理も理屈も通らないところがありますから」

「仮にドイツがソ連と結んだらどうなる?」

「ポーランド、いや、それだけではなく東からの大きな牽制勢力が無くなるわけですから、工業力の劣る欧州諸国は相当ドイツにやられることになるでしょうな。ただその場合でもイギリスは持ちこたえるでしょう。ドイツにはまともな海軍はありません。対して英海軍は我々を大きく超えます。制空権を失うようなことがあっても上陸は容易ではありますまい」

「独ソの接近が現実にありえるとすると日本が駒から落ちるのはいよいよ痛い。日中の対立を続けさせたいところだが、何かいい手はないのかね」

「あまりやり過ぎると気づかれて逆効果になりかねませんが、まあ、常套手段として言えば住民が日本軍の被害を受けた、というような事実を国際社会に積極的に広めていけばそれなりの効果はあるでしょう。中国は何も無くても蒋介石、毛沢東、その他軍閥といろいろありますんで、日本軍が引いたところで争いがきれいに収まるとも考えにくいのですが。ところで日本軍が引いたこの機会に逆に蒋介石に満州や遼東半島に攻め込ませるという方がよろしいのでは? 元々は彼らの領土ですから」

「上海や沿岸部での我々やイギリスの権益がどうなるか、を考えるとそっちに旨みは感じないということもあるが、それ以上に満州はともかく、遼東半島になると我が国も承認している日本領だからな、今度は我々が侵略側を支援している形になる。それは世論工作上、極めてまずいよ。今日本と結んでいる通商条約の期限は?」

「おお、それは名案ですな、確か来年が最後の年です。つまり来年中に次の条約を決めないと日本との通商関係は無くなります」

「よろしい。予告期限が確かあったはずだが?」

「はい、条約期限到来の六ヶ月前までに相手国への予告が義務づけられています」

「それでは日本の対応にかかわらず、来年七月には日本に通商条約の破棄を正式に予告してくれたまえ。たぶんこれで、さ来年末までには日本は手を挙げざるを得なくなる。ヒトラーがどんなに仕事を急いでも、イギリスが崩壊する前までには合衆国も支援に回れるはずだ」

こうしてホワイトハウスで対日戦略の見直しが進んでいる頃、赤坂宮は幕府の組織作りと業務の割り振りに頭を捻っていた。

新たに陸軍大学校、海軍大学校も幕府の傘下に置くことにしたため、要員がいくら増えてもそれ以上のペースで仕事が増え、赤坂宮自身も不眠不休の状態が続いていた。

何故軍の教育機関を傘下に置いたのかと言えば、軍人の教育に問題がある、と板垣や東条を見て思ったからだった。視野が狭すぎるのである。軍事のこと以外のことを知らなすぎるのである。それで彼らの今まで受けてきた教育がどんなものだったのかつぶさに調べさせた。すると二人とも、陸軍幼年学校ー陸軍士官学校ー陸軍大学校とまるで生まれてこの方、陸軍以外の世界をまるっきり知らない者だったということが分かったのである。それが国を導く? そんなことができるわけがない、というのが赤坂宮の結論だった。

新たに獲得した領地に対し検地をやれと初めて命じた時、その意図を正しく理解し実行できたのはずっと侍であった古参の家来ではなく、長く俗世にまみれた経験をしていた新参の秀吉や光秀たちであった。検地が正しく行えなかったら泣くのは領民なのである。戦さバカは領国経営に向かない。昔の経験がそう物語っていた。

しかし今更軍の人間を中央から軒並み排除することはできないし、また彼らをゆっくりと再教育する時間も無かった。やれることは簡単で一般の大学の出身者や中央省庁から異動させた者たちとセットで仕事をさせるようにしたのである。その一方で、陸軍大学校、海軍大学校のカリキュラムを見直させ、国の根幹、経済学や政治学など、平和時での政治のあり方も学ばせるように手を入れ始めたのである。

陸軍士官学校や海軍兵学校などの下級校については、出身者が国家の中枢に大学校を経ずに来ることはまずないという話を聞き、そのまま陸軍参謀本部、海軍軍令部の所管のままとした。

このように足元を固めることも行っていたが、時局が非常に厳しい状態にある、という危機感を失ったわけではない。日本の多くの産業も軍事力もアメリカ一辺倒と言っていいほど、アメリカ頼りなのである。そして蒋介石政権に対するアメリカの過剰とも見られる肩入れは、理由は定かではないものの日本を敵視していることは確実であった。そう、黒木の懸念は赤坂宮の懸念にもなっていたのである。アメリカやイギリスという相手は、地図を見れば海での戦いになることは間違いなかった。陸の戦いについては兵器や戦術が進歩したとはいえ、三百五十年前の経験や知恵が活かせたが、海となると勝手が違うことはすぐに理解ができた。兵装理解も含め、海軍のことは何から何まで一から学ぶつもりで話を聞いていた。また自身も鎮守府と呼ばれる海軍基地や、新造された航空母艦、竣工したばかりの飛龍やドッグで建造中の蒼龍などに赴き、詳しい装備や兵器のことを聞きただしていた。無論、日本と対峙しているアメリカ太平洋艦隊、イギリス東洋艦隊の中身についても情報を集めることも怠らない。

空を自由にできる飛行機が軍事面に与える影響はすでに第三師団でも学んでいたが、この航空母艦という海上を移動する航空基地というものにはかなり強く興味を惹かれた。目下海軍部内でもこれからは飛行機の時代だから航空母艦を増強すべきだ、という意見と大型の砲と強力な装甲を持つ戦艦を主力とすべきかの議論が巻き起こっているという説明も聞かされた。

殿下はどちらが正しいと思われますか? という質問が出た。赤坂宮は即答した。

「決闘するわけじゃない。これは戦争をやるための道具だ。攻撃する相手によって何を使うかを決めればよろしかろう」

戦争イコール主力部隊同士の決戦である、と無意識に考えていた海軍関係者にとっては極めて新鮮な発想と受け取られた。

同じようなことは潜水艦という兵器の存在を知らされた時にもあった。水の中に潜み、そして敵を攻撃すると聞き、どんなものなのか見たいと言い出し、潜水艦基地へとすぐに出かけたのである。そして船体に潜り込んで中を見て、乗組員を捕まえてどのような兵器があって、どのように攻撃をするのかなど、ありとあらゆる話を聞き出していた。

その様子を見ていた艦長が、こういう小説があるのですが、いかがですか、と差し出したのはジュールベルヌ著の「海底二万里」という一冊の本であった。もちろん赤坂宮は潜水艦が主役と聞いて喜んでそれを受け取り持ち帰ったのである。

そしてその結果がすぐに出た。海軍の整備計画に大きな見直しが加えられたのである。

巡洋艦や戦艦が大幅に削られ、戦闘艦として魚雷を搭載した高速の小型艦と潜水艦が大幅に増強されることになり、これに付随して乗組員の要員育成計画も見直されることになった。ほかにも高速輸送艦、高速補給艦など、今まで聞いたこともない艦種の船も多数要求に入っていた。軍令部からは驚きの声が当然上がり、海軍大臣、そして海軍次官、さらに海軍軍務局長、そして付き添い役なのか首相と首を揃えて赤坂宮に面会を求めるということになった。

首相の近衛とはすでに顔を合わせていたが、海軍首脳とはまったく初めての会見である。赤坂宮は念のためということで、天皇にも出席を求め、前回同様、御前会議の場でこの訪問を受ける形にした。

会議の冒頭、口火を切ったのは近衛首相だった。

「陛下、並びに赤坂宮殿下には突然のお目通りをお許し頂き、ありがとうございます。本日は先日幕府から政府海軍に通達された海軍力整備計画についてなのですが、今まではかなり内容が異なるということでして、これはいかなることかと是非ご説明をして欲しいとここに控えております海軍を任せている者たちにせっつかれまして、こうして参上した次第でございます」

近衛は押しかけてきたのは海軍であって、自分ではないとひたすら強調するように語った。

天皇は無言のまま、天皇を見ていた赤坂宮に頷きを返した。その様はあたかも依頼を受け、答えることを許す、とまるで天皇が語っているかのように、四首脳には映った。

事実は命令の中身を事前に天皇に説明したことは一度も無い。すべて赤坂宮にお任せというのが天皇のスタイルだった。

そんなこととは全く知らない四首脳はそうは取らない。天皇が承諾されていることなら、ひっくり返すことは不可能なのである。徹底的に論破し撤回させようともし誰かが意気込んでいたとしても、会談が始まる前にその野望は木っ端微塵に砕かれたはずであった。

そして満を持して赤坂宮が口を開く。

「私が赤坂宮です。ご覧の通り陛下のお許しも出ました。何なりとご質問ください」

すぐに反応するのは海軍大臣かと思われたが、違った。末席に座った男が真っ先に反応した。

「海軍省軍務局長の井上です。早速お伺いしたい。殿下は我が海軍にどこと戦わせるおつもりなのかと」

その質問を聞き、赤坂宮はにっこりと微笑んだ。

「非常にいい質問ですな。実は私も従来の整備計画を見た時に、同じことを考えました。差し支えなければ、教えて頂けますかな」

「それは……」

と言いかけた井上を制し、隣の男が代わりにその発言を引き継いだ。

「海軍省の次官を務めております山本です。日本は四方を海に囲まれておりますれば、四方いずれの国からの侵略をも阻止することが海軍戦力の整備の上で重要と考えており、特定の国を意識しているわけではございません」

「なるほど。ではどのように戦力の整備量を適当と見積もっておられたので?」

「それは、日本と国境を海で接している国の海上戦力を調べ、量的にバランスを取るという観点から、決めておりましたが」

「そんな数字の量で表された戦力が実際の戦さで役に立つものと本気でお考えで?」

赤坂宮は口元に相手を見下したかのような微笑みを浮かべた。井上軍務局長は一瞬、怒りの表情を浮かべたが、次の瞬間、きょとんとした表情に変わっていた。それを見て赤坂宮はむしろ感心していた。

最初は単なる猪武者かと思っていたが、案外計算高い男なのか……

やや時間が空き、部下達が助けを求めるように視線を向けた海軍大臣がようやく口をゆっくりと開いた。

「海軍大臣を拝命しております、米内と申します。我々は、本日は海軍軍人と言うよりも、海軍という組織を維持運営する官僚としてここに参上しております。軍人として意見を述べるのであれば、殿下のご指摘はごもっともでありますが、組織としての維持運営という面からは、このような数字もないがしろにするわけにはまいりません」

「わかりました。ではこういうことですな、とりあえず、総戦力として他国と並べた時、見劣って敵に侮られない程度を保つことは重要であり、かつ過大と見られないレベルを維持するよう、心がけて整備計画を練ったと。具体的な作戦運用はその際、考慮していない、こういう理解でよろしいですかな」

米内は黙って頷いた。おそらく山本はそれとは違う意見を腹の中にもっていたようで、何か言いたそうな表情を浮かべていたが、ボスが承知と意思表示をしたのを見て、おとなしくなった。

「では、皆さんが今まで作られてきた整備計画が私からどう見えていたのかを説明しましょう。確かに例えば海の上での最強の仮想敵となりそうなアメリカ海軍と比べた場合、皆さんの整備計画は立派なものです。まるでアメリカを写し取ったように。しかしこれは、アメリカから見るといつでもアメリカに喧嘩を売る気でいるつもりだ、とも見えますな。我が国は必要資源の大半、石油、鉄、ニッケル、鉛、ゴム、工業機械など数多くの品をアメリカからの輸入に頼っている国です。そんな国がアメリカに警戒されてどうするのです」

この赤坂宮の発言に一番狼狽したのは近衛首相であり、海軍省の三人は完全に力が抜けたようにお互いの顔を見合わせる事態になった。そして山本がやっとの思いで弱々しく反論を出した。

「しかし、そうは言いましても、アメリカでの排日運動、大統領演説などを見ましても、日本を敵視する風潮は拭いがたいものと見受けられます。アメリカにその気が本当にないのかどうか疑わしい現状ではそれを無視するわけにはまいりません」

「まあ、良いでしょう。それでは軍人としてお答え下さい。アメリカが日本に侵攻してくる、という場合、どのような作戦をとると想定されていますか?」

「それはもちろん首都東京に戦艦、空母からなる機動部隊を突入させるものと」

と山本が語った時、米内が手でそれを遮った。

「いや、それはないよ。アメリカは世論を気にする。直接の人員被害をどこよりも怖れる。もっとも死人が少ない作戦ということになる」

「……、そうか、通商破壊作戦、ですか。ドイツが世界大戦で行った潜水艦による輸送船攻撃。卑怯なやり方ですが、確かに日本には相当有効な手になります。しかしだからこそ、開戦劈頭に敵戦力を徹底的に叩ける能力が重要だと思いますが」

山本の意見を赤坂宮はまた鼻で笑った。

「たかだか一日二日で行った攻撃いや、仮に開戦した途端にアメリカ軍全部を葬れたとしても、その損害を回復させられないと思いますか? そんなものはアメリカのほんの一部にしか過ぎない。国家予算の大半を軍事につぎ込んでいる日本ではないのです。数字を見るなら、こういう数字も見ておくべきでしょう」

赤坂宮がテーブル越しに指し示した紙に書かれていた文字は、海軍首脳が日々見慣れていた数字だった。国民総生産から始まり、国家予算、国防予算、粗鋼生産量、船舶生産量、工業機械生産出荷高など、数々の数字の日米比較である。その差は倍、三倍というレベルではない。十倍、百倍、千倍というスケールで両者には差があった。

「それは重々我々も承知しています、いますが、それでも戦わないといけないと常に考えておりました」

「それについてはご安心下さい。私はそんな無茶を貴官たちにお願いするつもりは毛頭ありません。いかかでしょう? 本件については今後も私と幕府にご一任頂けませんかな?」

山本、井上はすぐに米内を見た。それを確認した上で米内が短く言った。

「我が海軍は常に殿下とともにあります」

この光景を見て、近衛首相は腹の中で辞意を固めることになった。

近衛文麿という人物は、もしその政治思想が広く知られていたら、まず要職につくことは無かった。皇室に極めて近い藤原氏の血を引く家系出身だが、思想的には国家社会主義に心酔しているところがある、という外見と中身が大きく乖離する人物だったのである。現実にはよい育ちであるところが幸いして決して過激な言動には走らず、さまざまな勢力から勝手な誤解をされて妥協点として最適という希有な外見を獲得した人物だった。

従ってもとより強力なリーダーシップなど持ち合わせてはおらず、それが自覚されるシーンが増えるに従い、自分自身にむなしさを感じないわけにはいかなかった。

対して、あれほど手がつけられなかったわがままだらけの軍部、陸海軍を、続けざまに手懐けてしまった赤坂宮の手腕を見せつけられてはリーダーとしての自負が傷まないはずがない。

大陸からの軍や居留民の撤収もかなりの困難が予想されていたため、自分が必要とされる場面はまだまだあるはずと思っていたが、実際には板垣や東条が率先して在留日本人の説得に当たり、聖断であると語ってまわり、大した混乱も起こさず順調に引き上げは進められていたのである。

近衛が、寂しさを感じつつも身を引く覚悟を固めたのは自然な流れと言えただろう。

こうして昭和十三年(一九三八年)の終わりに近衛文麿内閣は総辞職した。変わって翌年、一月、司法官僚出身の元司法大臣平沼騏一郎に組閣の大命が下り平沼内閣が発足した。が、その中身は近衛が個人的に下りただけであり、閣僚のほとんどは近衛内閣の顔ぶれがそのまま残り、政策にも大きな変更はなかった。

幕府発足以来、かつての大本営のような頻繁な輝かしい勝利と軍事的成功の発表は一切なりを潜め、軍の動きや戦況については内地にいる庶民には分からなくなってきていた。しかも総動員令が解かれ、一頃高まりつつあった、戦時ムードも薄らいでいたのである。

新任の首相となった平沼はこのことを危惧していた。

それで就任後すぐに赤坂宮にもっと国民に緊張感を持たせた方が良いのでは、と談判に訪れた。

赤坂宮はきさくに平沼首相の面談に応じたが、この平沼の話にはついていけなかったらしい。

「なぜそんなことをしなければならないのですか?」

と逆に平沼が問われることになった。

が、何をどう説明すれば良いのか咄嗟に思いつかない。平沼はどちらかと言うと皇道派の思想に近かった。つまりは神がかり的に皇室に心酔しているのである。なので皇軍たるもの、かくあるべし、でこういう談判に及んでいたのだが、よりによって宮様がそれに乗ってこないということになるなどとは予想だにしていなかったのである。

結局、そんなふうに臣民を萎縮させたり、余裕が全然ない状態にしたら、それこそ外国につけ込まれることになりますよとあべこべに説得されることになった。

以後、緊縮的な政策はなりを潜め、議会からも社会からも戦時色は薄れていくことになる。

実際、中国戦線からの復員兵や、予備役に退いた人が増えたおかげで、町の景気はよくなりつつあり、町の雰囲気は明るかった。

これはつまり中国の占領地を維持することは内地の国民には重荷だったことがはっきりしたのである。

日本軍が大陸から撤収した、という報道は、確かに多くの臣民を一時的に憤慨はさせた。だが、経済面や人的損害を最小限にとどめたことは間違いなくプラス評価に繋がることになった。

またそれを後押しする報道もあった。

日本が去った後、中国の混乱にはさらに拍車が掛かっていたのである。蒋介石から汪兆銘が抜け、新たな勢力を作り、毛沢東の共産党と合わせ三つ巴の元日本占領地奪い取り合戦を始めたのである。この混沌とした状況が徐々に報じられるに従い、大陸から手を引いたことが臣民の間でだんだんと高く評価されるようになってきたのだった。

赤坂宮の方は、世間とは全く逆に日夜今後の戦争に備える計画に勤しんでいた。

別に侵略戦争をやるつもりでいたわけではない。しかし近い将来において日本が戦争と距離を置いたまま存在を維持することはもはや不可能と結論づけていたのである。

できれば勝者として、もしくは国土と国民を大きく失わない程度の敗者として、とにかく生き延びるためには何をすればよいのか。

それこそが赤坂宮の考える戦争計画立案の目的だった。

いまや幕府のスタッフは百名を超える大所帯である。元の軍人は当然だが、外交官、教授、大学生、官僚とさまざまな場所からさまざまな特技を持ったさまざまな年齢の者を集めていた。

しかし官僚型の組織にはしていなかった。上司部下という形の組織は存在していない。幕府全体が赤坂宮個人と等距離の関係を持つブレーン集団なのである。

一つの課題に対しその都度必要な人材が集まるサークルが基本だった。ここにいる者は、放っておいても勝手に情報収集をしてくるような人間ばかりだからこそ、成立する運営方法である。

課題は最初は赤坂宮から出されたものがすべてであった。それらのリストから取り組みたい課題をスタッフに選ばせて担当させていく。同じ課題を選んだ者がそのままサークルを作っていくわけである。あとはサークルの自主性に丸投げだ。勝手気ままにやらせた。

赤坂宮にとって重要なことは結論そのものとその結論がいつ出るかだけで、プロセスは興味の対象外だったのである。

実際には一つの課題を解こうとするとその前に解決をしなければならない課題が発見されるため、課題自体がどんどん自己増殖していくので、最初からいつまでに結論を出す、などと言えることはほとんどない。そのため、結論に向かってどのような活動を行いいつ頃ならば結論に至りそうかというラフな見積もりを先に赤坂宮に提出するというやり方が標準的な業務スタイルとなった。

もっとも課題の増え方が予想を上回り、このラフスケージュールを何度も書き換え、その修正報告に冷や汗を掻くというのも見慣れた光景にすぐなっていった。とにかく最初は多いと思われた人員もいざ課題解決作業が始まると、どのサークルでも人手不足の問題に苦しめられることになった。

この結果市ヶ谷や霞ヶ関などの国の研究機関に幕府の人間が出張っては、人狩りの如くスタッフを連行していくという事件が重なり、密かに誘拐犯として幕府は怖れられるようになった。

外部にその専門家が見つかれば、臨時雇用でも引き抜きでも構わないからどんな手段を使ってもとにかく連れて来い、というのが赤坂宮の指示だったのである。

こういう課題解決方法は赤坂宮にとって手慣れたやり方であった。言わば大課題とも言えるテーマが赤坂宮本人の頭の中にはあったが、それを解く者は赤坂宮本人であると自ら規定し、そこに至る部品となるような課題を部下たちに振り分けて解決させていくのである。

もっとも大課題については一切語らずとも中にはそれに気がつくカンのいい者も中にはいる。赤坂宮にそれを語った者は、例外無く特別課題が割り振られることになった。一つはそこから興味を逸らすためであるとともに、赤坂宮の内部で既にいくつか作られていた仮説を検証させるための課題をこなさせるという意味でもあった。それが意味するところは、その計画の実行段階において、責任者とするための人材育成である。

これらもすべてかつての織田信長としての経験で培ったものだ。

信長の歴史は甲子園を頂点とする高校野球のようなものである。尾張の守護代の座をめぐって、身内が相食む内部抗争に明け暮れそれで守護代の座を勝ち取ると、今度は守護代の敵対勢力潰しに奔走する。そしてようやく尾張の代表となった途端今度は襲いかかってきた今川を討つ、というように戦争はまさに生活の一部になっていたのだ。一生の間の戦争の数で信長を上回る戦国大名はいない。常に敵を警戒し、自国の問題を片付けることから目を離せなかったことが、このような仕事のスタイルを生み出したのである。

だから時間は重要だった。間に合わない策ではダメなのである。逆にどんなに突拍子が無いように思える策でも具体的に実現可能性が示せるものならどんどんやらせた。

美濃攻めでは舅である斉藤道三を討った子、斉藤義龍-龍興親子に翻弄され、なかなか美濃攻略は進まなかった。

それを乗り越え、稲葉山城を攻略するため、細かい問題を掘り起こし一つ一つ丁寧に解決していったのである。

こういう作業をやらせた時の優等生が秀吉だった。信長の意図を察するや必要となる情報や人物を捜し当てる能力がバツグンであったのである。

このすぐ後に登用され頭角を現していく光秀と合わせ、祖先伝来の古参の家来を押しのけ、この二人が重用されていくのは自然だったのである。

幕府におけるこの計画作り作業は一ヶ月もするとおぼろげながらゴールイメージ的なものを描き始めていた。

研究されている新兵器は構想としては素晴らしいものが多いが、話を聞けば聞くほど信頼性の面では問題が多いことが分かった。むしろ今ある兵器の欠点をすでにある技術でいかに克服するかの方が結果的には合理的と思えるものが多かった。そのため数多くの分野で目的が似通った全然違うものを同時並行で研究開発すべしということになっていった。

兵器に国の運命を預けることなどできない以上、敵を打ち破る策はいくつあってもこれで十分とは言えなかったのである。

そうは言っても最後の最後では一番確率の高いところに賭けるしかないのだが。

秀吉は、こういう場面では強かったよな……

おそろしく強運の持ち主がかつて部下にいたことを思い出した。

さてここで具体的にはどのような課題があって、それがどのように解決されていったのかを見てみよう。

大きな課題の一つは、大日本帝国に必要な資源をアメリカとの交易を一切行わずに調達するにはどうするか、であった。

この課題に取り組んだのは、陸海軍出身の軍人のほか、商工省、外務省、鉄道省などの人間が関わった。最初はまず資源の中身のリストアップを行い、それぞれの必要とされる量、さらにそれらが地球上のどのあたりで産出されるものかを探り、平和的手段、あるいは軍事的手段を用いて確保できそうかどうかを見極めるというようなステップで検討が行われたのである。

無論これはデータも豊富にあり、大した時間もかからずすぐに結論が出ていた。

平和的手段ではまず不可能。軍事行動を伴うならば、相当部分は解決可能とされ、資源別にその対象地域が列挙される構造になっていた。

そのリストを目にしたスタッフ全員が意外と思ったことが一つあった。あれほど苦労して手に入れた、満州や中国大陸には鉄と石炭、それと農産物ぐらいしかないのである。軍が喉から手が出るほど欲しい石油はアジアオセアニア地域では全くといっていいほど無かった。これには中国でさんざん戦ってきた軍出身のスタッフも苦笑するほかなかった。さっさと大陸から戦力を引き抜いたのはこちらの意味でも正しかった。

アメリカ以外のめぼしい大油田としてすでに知られていたのは、コーカサス、そしてそこと南に隣接する中東のイランしかない。

コーカサスの石油は欧州に広く輸出されており、この後、ヒトラーがスターリンと手を結ぶことになるのも、これが原因と言ってよかった。スターリンはヒトラーに必要資源を提供した代わりに安全を手に入れたのである。

イランのアングロイラニアンオイルは宗主国イギリスとイギリスのアジアオセアニアにおける植民地、つまりインドやビルマ、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポールなど、向けであり、イギリスはこの他にも、アフリカでも油田を確保していたし、日本同様アメリカからも輸入していた。

日本の石油は百パーセント、アメリカの内陸油田で生産され輸出されたものであり、現段階ではアメリカは自由に石油を日本に売ってくれていた。しかしこれが止められた時は、このイギリスが確保している油田を奪う以外選択肢がない、という論理的帰結を確認したわけである。つまり全世界で産油国と呼べる国というのは現時点ではアメリカ、ソ連、そしてイギリスの三カ国だけしかないのだ。

同様な検討で、鉄やニッケル、コバルト、スズ、タングステンなど金属資源の多くは、英領オーストラリアの西岸部を抑えればほぼ何とかなる、ゴムと硫黄ならアジアでも大丈夫という結論が出ていた。

これにより、チームの中に一つの共通の発見が生まれた。

現在はパックスブリタニカと呼ばれる時代であり、地球上で一番多くの資源を手にしているのは間違いなくイギリスなのである。

かつて存在していた日英同盟は、日本の存立を安定させる上で、非常に意味があったのである。

がその日英同盟が、アメリカの働きかけによってイギリスに延長を拒まれた、という事実は、アメリカに何らかの隠された意図がある、ということの裏付けでもあったのである。

とはいえ太平洋にある日本にとってイギリスはアメリカほどの存在を感じていなかったが、改めて資源を抑えているイギリスの巨大さを幕府スタッフ全員が悟ったのであった。

このような結論が一つのチームから出されるとすぐにその結果は他のチームにも知らされた。結果として一つの検討結果が別の検討結果の解決を促す連鎖反応が産まれるのである。

真っ暗闇の中で、小さなスポットライトの日だまりが一つまた一つと増えていくように、自分の立てるべき計画の輪郭が、赤坂宮の脳内では姿をはっきりと現しつつあった。

技術開発を促す課題もある。

その課題は、敵航空機による攻撃からいかに日本国土を守るか、であった。

現状最も優れた航空機の飛行高度と速度から、その接近に対し、どれぐらい前にそれを捕捉し、どれぐらいの時間で迎撃できる体制を作れるかを具体的に示せ、ということになる。

現実の、日本の持つ技術レベルをこれに当てはめると、そこには至るところに対応不可能の文字が現れた。つまりそんな攻撃をされたら全く守れないということを意味する。

では、技術がどういうレベルになれば、なんとかなるのかを出せとなり、そこからレーダーと迎撃戦闘機の必要な仕様が導き出されることになるのである。

さらに一歩進んだ未知の新兵器、たとえば自動的に敵航空機を追尾し敵機を破壊できる砲弾、というようなアイデアもここで生まれた。

もちろんそれらは技術開発を行う機関へ諮問されることになった。当然軍関係の仕事に飢えている会社は多い。巨額の受注を夢見て、各社が密かに競争を始めたのである。

例外的に一切合切を秘密にされたチームが一つだけ存在していた。

それは情報通信分野である。つまりありとあらゆる暗号を解読する方法と、ありとあらゆる解読方法を無効化する暗号の開発という全く矛盾する二つの課題を与えられたチームだった。

このチームについては初めから人選が固定されていた。二十人ほどの人間が集められていたが、ほとんどは数学の研究者で、残り数人が軍人や外交官出身者だった。

検討すべきサンプルはいくらでも手に入った。

東京に置かれた各国の大使館、あるいは中国軍、ソ連軍、アメリカ軍の通信傍受をすればいくらでも意味不明の通信を捉えることができたのである。もちろん日本軍も外務省もそれぞれ暗号を使っていたが、どれぐらいその暗号強度があるのか、正確なところを掴んでいたわけではない。そういう意味からもこのチームは軍部、政府、大学の垣根を越えた本格的な共同研究となっていたのである。

ほとんどの幕府スタッフはこのように何らかの課題にぶら下がり、一匹狼はほとんどいなくなった時期、作業室が並んだフロアに出てきた赤坂宮の前に陸軍軍装に大尉の襟章をつけた若者が進み出た。

たまたま各部屋の様子でも見てみようかと出てきた気まぐれの行動であったため、従者はおらず、またフロアの廊下にも人影は見当たらず完全に一対一の状況だった。

青年の顔に見覚えはあった。赤坂宮が陸軍大学校を訪れた際、首席で卒業予定と紹介されていた若者だった。もちろんそんな逸材を見逃すことはなく、即座に幕府へと招いていたのである。

当初の予定では参謀本部の作戦課に勤務する予定であった若者は瀬島龍三と名乗っていた。

瀬島は赤坂宮の姿を認めると、すぐに近寄って陸軍式の敬礼をした。

赤坂宮は答礼はしない。したことがない。形式ばったことに捕らわれるのは好きでは無かった。

なにしろ若い時から型破りのことばかりやってはうつけと罵られてここまできたのだから直しようがなかった。そういうことを惜しまずにやる相手は天皇だけにしていた。

答礼抜きで質問を放つ。

「私になにか用かね? 瀬島大尉」

瀬島大尉と名前を出されたこと、答礼無しにいきなり話し掛けられたこと、そのどちらかなのか、あるいは両方なのか、やや舌がもつれたような上ずった声で答えが放たれた。

「あの、殿下と一度ゆっくりとお話がしたいと思っていました」

「そう言えば君は課題解決のチームでは一度も見たことは無かったな。今何をやっている? 興味を惹くような課題が見つからなかったのかね?」

「は、はい。自分は陸軍大学校で用兵、作戦を重点に研究しておりましたので、殿下が示されたような分野にはあまり詳しくはないものでして」

「なるほど、いかにも陸軍のエリートの集まる大学だな。それで私と話をしたいというのはどういうことなのかな。君のその専門と関係がある話になるのかね」

こう赤坂宮が話し掛けると瀬島は顔に満面の笑みを浮かべて答えを語った。

それが耳に届いた時、赤坂宮の方は、もしこの時お茶か飲み物を口に含んでいたら、確実にその全てを吹き出していたに違いないほど、息を吹き出すことになった。

「殿下は、織田信長みたいだ、と自分はかねがね思っていたので、それでお話をしたかったのです」

というのが瀬島の返事だったからだ。

一瞬頭の中が真っ白になりかけた赤坂宮であったが、なんとか表面上の冷静を取り繕い、質問を重ねた。

「私が織田信長? はて、肖像画に似ているなどと言われていたことは一度もないが」

苦笑混じりに赤坂宮は答えた。

この時代に伝わっている、自分の肖像画とされるものを見た時、思わずなんだこれは、と誰かをののしりたくなったものである。秀吉や家康が結構、本人の面影を残した肖像になっているし、光秀に至っては、実物よりもはるかに若々しく美男子に描かれている、というのに、自分とされるものは何か癇癪を抱えたかのような神経質そうな、それほど格好良くも無い、少なくとも自分の目で見た限りはどこが自分なのか全く理解できないものだった。

もっと絵師を大事にしておけば良かった……

というのは赤坂宮の隠された反省の弁である。

「いえ、お姿やお顔のことではありません。自分は主に戦国大名の戦さと用兵を専門に研究していたのです。その中でも織田信長は、それまでの常識とされていたことをいくつもひっくり返し、実に理に適った新しいやり方を創造していた、という意味で重要な研究対象でした。それ以前に実際に行った戦さの数でも他のどの大名よりも多いので注目せざるをえないのですけれども。今回、この幕府に務めるようになって、殿下の仕事のやり方を拝見させて頂いたわけですが、それがその、信長のやり方とそっくりだな、と思った次第で。因みに信長は自分の卒業論文にも取り上げ、それで御前講演の栄誉も賜りました」

信長の話を陛下の前で語った? そりゃあ陛下もさぞかし愉快だっただろうな

というのは赤坂宮の心の声である。こんな時はどんな表情を作ればいいのかと悩みながら適当に言葉をつなぐ。

「……信長のどんなところが私のやり方に似ていると思ったのか、参考までに教えてもらいたいものだが……」

「はっ、織田信長の軍は農地を持たない傭兵の足軽で、この足軽という身分そのものも信長が作り出したものだと考えられていますが、とにかく他国の兵が古参の土地持ち侍であったのに対し、金で雇われただけですから、危険を感じればすぐ逃げてしまう頼りない存在と考えられます。実際、上杉謙信が織田の兵は弱卒ばかりで呆れた、などと語ったというような話も残っております」

謙信め、そんなことを言っていたのか……。下手に出てればつけあがりやがって。

「ほう、なぜそれで他国との争いに勝てたと?」

「本当のところは確かめようもありませんが、二つ大きな理由があると自分は考えております。一つは、敵の戦力の中身に注目し、その武器を研究して弱点を探りそれを打ち破る武器を作らせて足軽に持たせた。有名なのは長槍と鉄砲、それと鉄甲船です」

ふんふん、確かにそんなこともやったな、よく調べているじゃないか。

「それと、足軽は確かにすぐ逃げるし弱かったかも知れませんが、一つ優っていたことがありました」

うん? そんなもん、あいつらにあったかな……

「他国の兵は基本的に土地持ちで、戦さの無い時は農作業をやっていた、つまり戦さに出られる期間は冬とか農作業が無い時期に限られていた。しかし足軽にはそういう制約はありません。だから一度負けても簡単に退却しない。延々とそこに居座り続けるから、それで敵は戦意を失う。ちょっとズルい感じもありますが、実に合理的です。殿下もちょっとそんな風に見える時があります。いろんなところを見ていて、新しい勝ち方を探しているかのような」

ズルい、ってのはちょっと癪に障るよ、それ。もし信長本人なら間違いなく首をはねていたぞ、刀持っていたら……。ま、今ここには刀持ちなんていないわけだが……。お前良かったな、死んでなくて。

こんな先の未来で、しかも若い世代に自分がそれなりに有名人であると認識されているのは嬉しいことだが、こんなふうにある意味科学的に分析されているとなると後々こちらの手の内を読まれてしまう危険が増える。

そういう損得計算がすぐに働き、赤坂宮は、瀬島を自分の子飼いにすることにすぐに決めた。

一匹狼は優秀であればあるほど野に放つと危険になるのだ。

「なるほど君の見方は興味深いな。用兵については私自身でいろいろと考えをまとめているところでもあるのだが、今後は是非君の意見も参考にしたい。今度そっちのチームを新たに立ち上げるから君にも是非参加して欲しい」

「わかりました。お誘いをお待ちしております。今日は突然お時間をお割きくださりありがとうございました」

赤坂宮と話せたのがよほど嬉しかったのか、瀬島は頬を紅潮させて再び敬礼をし、その場から退出するようにくるりと背を向け、逆方向へと立ち去っていった。

唐突に現れ唐突に立ち去った瀬島を見て、赤坂宮はその最適な使い方が理解できたような気がした。


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― 新着の感想 ―
[一言] 満州油田…!
[良い点] 読んでてこれほど痛快かつ納得のいく架空戦記は古今東西見たことがない・・・! [一言] まだ読み始めて途中も途中ですが居ても立っても居られなくなったので一言。 戦争が始まってもいないのにオペ…
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