珍兵器
佐渡の北の端に、幕府が最近設けた実験場があった。
狙いは、殿下の構想に向けて開発された各種体系化された武器が構想通りに使えるかどうか、またそれらを使った戦術研究のためである。
海上で使うものならともかく、陸上用のものとなるとやはり人目につかないところを確保するのは難しかったので、人里から遠く離れ、しかも面積もそこそこあり、山も谷もちゃんとある場所として佐渡が選ばれたのである。
また物資、人員の輸送が比較的簡単にできるという意味でも評価されていた。
もっとも実験場と言っても建物とか設備とかがあるわけではない。
人の手の入っていない自然の状態の山、平原、砂浜、灌木林、森、そういう地形があるだけだった。海からの強い風が冬場に吹くせいで、日本には珍しく、草原的な場所もあるのが、あえて言えば特別なことであった。
その何も無い一角に、数台の車と、それから降り立ったと思しき男たちが、よく晴れた北の水平線に近い青空を見上げていた。
一人が大きく腕を伸ばして叫んだ。
「あ、アレじゃないですか、あの白い点」
「お、アレか……」
一人が小さく呟いただけで、後の者たちは、そこに見えた白い点を見つめ続けた。
かすかにエンジン音も響きはじめ、白い点はみるみるうちに大きくなり、大きな飛行機の姿を現し始めた。
その飛行機の発する音は、ずいぶんと低音が響く音だった。
排気過給された轟型エンジン四機を翼にとりつけた四発機である。
胴体は飛行機のかっこいいイメージをぶち壊すほど、太く作られていた。
「あんなものが、ここにちゃんと降りられるのか? まともな滑走路があっても難しそうに見えるが……」
「一応、計算上は、大丈夫なはずです。ただ降着装置の強度がちょっと心配なんですけど」
「重い荷物を積み込んでいるからな……。だが、成功すれば画期的だ」
飛行機は自らが降り立つ地を見定めるように男たちの上空を低く一周した後、草原に向けて海から降下姿勢に入った。
機首、主翼からかなり重そうな束になった車輪を下ろすのが目に入る。
主翼からフラップが伸ばされ、さらにそれが下を向いた。
飛行機とは思えないほど、速度が落ちる。
草原は厳密には平地ではなく、なだらかに傾いている。そしてあちらこちらには岩も顔を出している。普通の飛行機ならそれに躓いただけで横転してもおかしくない。
が、その飛行機は、まるで車輪の束が、そういう邪魔者を蹴飛ばすかのようにはねのけ、巨体を揺らしながらも、見事に短い距離を走っただけで停止した。
車輪で胴体は浮かされているとはいえ、その高さは大したことはない。実際、滑走状態では、胴体は地面と時折り接触し、石を跳ね飛ばしていたのが見えた。そして停止した状態で見れば、地面との隙間はほんの少ししか見えない状態だった。
着陸が終わっても、男たちは誰も動かない。まだ試験は終わっていないことを物語っていた。
胴体が地面すれすれになっているところの一番後ろの部分から尾翼に向かって伸びている胴体の一部が剥がれるように地面に向かって降り始めた。荷物室のドアなのである。
そしてそれが完全に地面にまで横たわると、飛行機はエンジンを止めた。その代わりに胴体内部から別のエンジン音が響く。
中から姿を現したのは、五式戦車である。
荷物室からのスロープをゆっくりと下った五式戦車はそのまま草原の上で停車した。
「これだけじゃなかったよな。何かまだ書いてあったと思うが……」
「ほら、出てきましたよ、アレ」
「あんなもの、使い物になるのかね」
どよめいた男たちが見たのは、奇妙な物体だった。
リヤカーのような、パイプで組まれた枠に椅子があり、両側には小さめの車輪がついていて、椅子の後ろから上向きに伸びた短い棒があり、その先端からは今度は別な長い棒が後ろ方向へと伸びているのである。
椅子の後ろの垂直の棒のさらに後ろには、これまた後ろ向きに取り付けられたプロペラがついていた。
プロペラの根元には小さなエンジンらしき機械の塊が見えた。そしてその下から左右に小さな飛び出しがあり、そこから真上に向かってこどもの背ぐらいの高さの羽がエンジンの両側に突っ立っていた。
二人の搭乗員がそのリヤカーもどきを手で押して草原の上へと出す。
周囲に邪魔が無いところまで移動させると、椅子の両側に上向きに固定されていた左右の翼をそれぞれ倒す。
そして椅子の真上にある支点から後ろへと長く伸びた棒を結わえていたひもをほどいた。
棒は二本に分かれ、そのうちの一方を前側へと垂直棒を中心に回していく。
垂直棒を挟んで一直線になったところで、中央のレバーを倒した。棒は長さが二倍になった形で固定されたようだ。
「あれがオートジャイロ? ほんとにあんなもので空が飛べるのかね」
「竹とんぼをつけたリアカーみたいなものなのか? だが、あのエンジンと回転翼は繋がっていないようだが……」
「あの上の翼は風を受けて勝手に回るだけの翼なんですよ。要するにタコです。操縦席後ろのプロペラをエンジンで回すと前に進もうとします。すると前側から風を受けて回転翼が勝手に回ります。が、回転自体で上昇力を産むのではなく、回転する翼が普通の飛行機の翼のように風を受けて空を舞うというものなんです。竹とんぼが手を離れても回り続けるのとまったく同じです。飛行機みたいに大きな固定翼が無いので、あのように折りたたんで小さくしまえます。輸送機に積むにはもってこいの翼なんですよ」
搭乗員がエンジンをかけると、その小さなエンジンはすぐに甲高い音を発し、椅子の真後ろのプロペラが勢いよく回り始めた。そして一人が操縦席に座りこんだ。
エンジン音が一段と高くなり、推進プロペラも勢いを増す。
オートジャイロが前に向かって走り出すと、説明の通り、操縦席の男の頭の上で少し後ろ向きに傾いた状態のまま回転翼が回り始めた。
そして前進速度が自転車ほどになったかな、と思った瞬間、全体が空中に浮いた。
「おう、ほんとに飛んだ。あんなものでもちゃんと飛ぶのか。この目で見るまではとても信用できなかったが……」
オートジャイロは、男たちの上、ほぼ十メートルぐらいのところをあっちへふらふら、こっちへふらふらと散歩でもするようにしっかりと飛んでいた。
「タコとはいえ、自由自在に動けるものなんだな。操縦はどうやっているんだ?」
「飛行機と同じです。エンジンの下から左右に伸ばした翼に昇降舵とエルロンをつけています。で、プロペラ後ろに小さな方向舵。これらをパイロットがラダーとペダルで制御しています。上昇下降はエンジンスロットでの出力調整ですね。速度の方は風次第ですがあんまり変わりません。それと回転翼は浮力そのものを作り出しているのではないので、空中の一点に留まるホバリングということはできません。あと、固定翼と違って宙返りのようなことはできません。回転翼が止まってしまうんで」
見上げる男たちを中心に円を描いて二周ほど回った後、上り坂の稜線に沿って上昇していった。それからUターンをして谷に向かって進むと今度はそのまま谷を横切り反対側の山腹に向かっていきなり発砲した。操縦席の真下に機関銃を備えているらしい。
「あの武装は?」
「戦闘機用の七、七ミリ機銃を一機床下に仕込んでいます。操縦桿とは別の方向舵があって、一定の範囲、上下左右に七度以内ならジャイロの進行方向と射撃方向を変えられるのが戦闘機とは違います。歩兵の動きぐらいなら簡単についていけますよ。歩兵狙いに七、七ミリはちょっと大げさですけど装甲車ごと狙うならこれぐらいは欲しいということで。それと四発ほど、手榴弾も下向きになった筒に格納していて、小規模なから一応爆撃もできます」
「どれぐらい飛んでいられる?」
「だいたい二時間ほどが目安です。燃料消費が結構大きいので。これも風向き次第で,風が良ければもう少し長く飛んでいられます」
「高度は?」
「一応数百メートルっていうレベルぐらいなら問題無く上がれますが、必要ないでしょ。地上攻撃用ですから。あんまり高く上がると戦闘機のいい餌食になります。速度は比較にならないほどノロいですからね。敵がいないところでの偵察任務というのならわかりますが。逆に言えば、低高度、たとえば地上から三十メートル以内のところでは高速の戦闘機であれを狙うのはかなり難しいと思いますよ。地上に激突する一歩手前の高度で低速の飛行体を視認すること自体がかなり難しい上に、回転翼って普通の翼のようにははっきり見えませんからね。的として非常に見にくいのです。特に地面がバックになると」
「地上からの攻撃に対して防御ってのは?」
「防御装備は特にありません。ですが当分は大丈夫でしょう。歩兵や戦車が持っている武装にとってはちょうど盲点になっているような相手ですから。高射砲は弾速から言えば申し分ないですが、近距離をちょこまか動くものを狙えるようには作られていませんし、歩兵の持つ小銃や機関銃の弾速では遅すぎるのと仰角が大きくなりすぎるのでまともにタマが届かないでしょう。ま、これが増えたら、いずれは専用の対抗武器が生まれるでしょうけど当面は大丈夫です」
「あれは、エンジンが止まったら即墜落となるんじゃないのかね?」
「いい質問ですね。それはご自分の目でお確かめください」
男は上空をゆっくりと回っていたオートジャイロに向かって自分の両腕を一度大きく左右に拡げたあと、自分の頭の上で交差させてバッテン印を作った。
それを見た操縦者は、オートジャイロのエンジンを切った。
無音の状態、正確には回転翼が出す風切り音だけを残してオートジャイロは速度を落としつつもちゃんと空を飛んでいた。
回転翼は止まらないのである。
グライダーと同じように風に乗っていた。
そしてゆっくりと前に進みながら徐々に高度を下げてくる。こんな状態でもちゃんとある程度操縦できるものらしく、少し離れた空き地を目指して降下してきた。
「回転翼はエンジンとは無関係ですから、エンジン推力が失われても、まだ下降による風を受けることになるので、回転翼として翼の機能をちゃんと果たすんですよ。まさに竹とんぼと同じです。パラシュートの傘と同じように働くわけです。ただ、銃撃などで回転翼自体が何らかの損傷を被って回れなくなるとすぐ墜落してしまいます。これはどうしようもありません」
「それは仕方がないな……。まあ高度を低く取っていれば落ちても命を失う危険は少ないか……」
「低すぎるので元々パラシュートは役に立ちません。ある程度身体を守れるクッションの入った防護服的な飛行服があればいい対策になるとは思いますが。またケージの形をもっと工夫しシートベルトで人間がケージの外枠から絶対に飛び出さないように固定すれば生存率はかなり向上するだろうと思います。高度が低ければですけど。ヘルメットも首を保護できるように、こう肩にまで縁が届くようなものがあれば相当効果はあると思います」
「ということなんですが、どうですか? 石原司令官」
「すごいね。これは戦さがいろいろと変わると思うよ。ただ、手榴弾なんかを積むのはあまり意味が無いんじゃないかな。その程度の爆撃じゃ、せいぜい歩兵ぐらいしか倒せない。歩兵なら機関銃で十分だろ。やはり積むならタマが一発二発でも構わないから、戦車を葬れるものが欲しいな。それならある程度の危険を冒してもこいつを飛ばす価値がある」
「なるほど対戦車兵器ですか……。どうだ? やれるか?」
「全ての戦車の前面装甲を貫くようなものを搭載するというのは不可能ですが、歩兵支援の軽戦車、あるいは中型でも側面や回転砲塔のつなぎ目、後ろのエンジン排気口を狙うとかで動けなくする程度なら無反動機構を入れた二十ミリ砲でもやれるでしょう。それなら四、五発程度なら搭載可能だと思います。ただ戦闘機じゃありませんから、精密に狙うのはかなり難しいのでお勧めはしません」
「なるほど、狙いをつけるのは確かに大変そうだ。だが構わんよ。こういうのはあれなら戦車を排除できると敵味方に思わせられるだけでそれなりに存在感があるもんなんだ。是非積んでくれ。あと、このちっこいエンジンなんだが」
「はあ、それがどうしました?」
「これを使った二輪車も作れないか? 兵員を陸上で高速に動かせるだろ。いつもいつも空から行く方がいいとは限らないからな。エンジン付きの二輪車も欲しいんだよ」
「武装は?」
「移動用だ。必要無い」
「それなら簡単ですが。それでいいんですか?」
「歩兵の攻撃力をなめちゃいけない。森の中のけものみちを二輪で高速移動させて奇襲攻撃、これは相当な打撃力になると思うがね。たとえ武器が小銃程度でも」
「それもこのパッケージ一式に加えるのですか?」
「ああ、もちろん。パッケージの中身としては、輸送機一機について、戦車一両、オートジャイロは……」
「今の予定では三機です」
「三機か、まあいいだろ。で、残りのスペースに二輪はどれくらい入る?」
「厳密なところは測ってみないと何とも言えませんが、おそらく一台が精一杯でしょう」
「ああ、それで十分だ。飛行機で遠くの基地から飛来して、陸地を高速で駆け、しかも空中から敵先頭部隊を攻撃する手段も持っている戦車保有部隊。これは敵から見たら実に厄介な戦闘単位になるぞ。そう言えばこの部隊全員、無線機は装備してるんだろうな。これぐらい高機動のものを揃えたパッケージとなると連絡が取れませんでしたじゃ、威力半減だからな」
「その通りなんですが、実は今一番苦労しています」
「なんじゃ、相変わらず無線がダメなのか、日本軍は」
「原因が真空管の製造品質だというところまでは追い詰めていまして、衝撃に強い小型化を図ったものへと設計変更し、さらに生産工程での真空度を改善させたものが来週上がる予定なんですよ。今日はまだお目にかけられませんが、おそらくそれなら、まともに使えるものと思うのですが」
「そうか、何としてもモノにしてくれ。このパッケージがうまく働くかどうかは無線機次第だぞ。どんなに遅くても五月には日本から出したい」
「数はどのくらいを?」
「A方面、こっちは十セットもあれば十分だな。問題はB方面か。こっちは最低でも三百ぐらいは必要だろうな。だから全部でスペア込み三百五十セットだ。できるか?」
「二輪は既存のもので作れそうですから問題ありません。オートジャイロの部品もそれほど難しいのは無いから大丈夫でしょう。戦車は大量生産ラインで作ってるので問題無し。飛行機のエンジンも量産品なので大丈夫です。だから一番のネックは、飛行機の機体およびプロペラ製作と良質な真空管の確保ということになります。真空管の方はともかく、飛行機の機体とプロペラの方は、別の工場を抑えた方がいいかもしれませんね。今のところはこれを作らせている工場が一つしか無くてせいぜい月産五機ぐらいが精一杯のはずですから。いや、現在製作中の輸送機をこっち用に頂くことはできそうですけど……」
「他の用途の輸送機?」
「ええ、国防軍用にも同じ型の輸送機を百機ほど作っています。なので、それを先にこちらに回してもらってこっちが発注する分を後で国防軍に回すことにすればいいのでは?」
「分かった。俺が後で栗林に頭を下げればいいんだな」
「そうして頂けると大変助かります」
「兵員訓練を来週からでも始めたいが、オートジャイロ、とりえあず武装無しで構わんが、訓練に使える機体はどれくらいある?」
「今使えるのは十機だけです。ですが、来月には百機ぐらい追加できます。二十ミリ砲付きで」
「操縦の訓練はどれくらいの時間がかかるんだ」
「簡単なものですから、真剣にやれば一週間で十分でしょう」
「遊びに使うやつが出そうだな」
「遊ぶと落ちて死ぬと脅せば大丈夫ですよ。嘘偽りなく、そういうものですから」
「端で見ている分には楽しそうにしか見えんがな。ところでこいつらを護衛する戦闘機はどうなっているんだ? 殿下の話じゃ、飛行機用エンジンは過給器がついてないと時代遅れだから退役させるってなっていたよな。その代わりのやつってのはどこまで開発が進んでいるんだ?」
「国防軍向けはちゃんと仕様もOKが出て、試作機試験も合格して、量産品配備が先月から始まっています」
「問題なしだな」
「いえ、国防軍向けはそれでカタがついたのですが、石原閣下の遣外軍の方、つまり甲装備の話については、先週ちょっと雲行きが怪しくなりまして」
「どういうことだ?」
「遣外軍向けにこれの艦載機仕様のものを作っていたんですけど、それがあんまり殿下にいい顔をされなかったとかで……。どうしても間に合わないのなら、仕方が無いが、それはその分だけにしとけ、という指示が出たそうです。それで現在、赤城に搭載する分だけを準備しています」
「赤城以外のものはどうなるんだ?」
「わかりません。私らは何にも伺っていませんから」
遣外軍総司令長官となった石原莞爾は、鼻を鳴らした。
赤坂宮のやる事なら、まず間違い無くとんでもないことが進行しているはずなのである。
戦闘員の意見とも技術者の意見とも違う、独特な戦略眼に基づいて武装を評価するのである。
でなければ、こんなリヤカーに竹とんぼをつけたような武装を真剣に開発させることなどありえなかった。
が、兵器は見かけではない。現実の戦場、作戦内容をイメージすると、この竹とんぼリヤカーを持つパッケージの魅力は間違い無く高い、と石原は確信していた。
「じゃあ、甲装備のことは殿下に任せておくとするか。我々は乙装備だけの心配をすることにしよう」
「はっ、了解であります」




