交渉
その頃、メキシコシティでの任務を終えた黒木は、新たな指示によりロンドンに入っていた。
特別密使を連れてきた、という触れ込みで現れた五井物産ロンドン支配人が連れてきた黒木を見て、チャーチルは鼻を鳴らした。
黒木がまるでこどものように見えたからである。
元々黒木は小柄な男であった。日本人の中でも小柄なのだから、アングロサクソンに囲まれれば一層小柄である。しかも痩せていた。そしてさらにそれに拍車をかけていたのが、顔も小さくしかも童顔だったのである。実際には十歳も若い瀬島と並んでも瀬島の方が年上に見られることもあるのだから、黒木としては立つ瀬が無かった。もっとも長い海外暮らし、アメリカ、オーストラリア、メキシコと現地人が大きいところばかりがずっと続いていた、のせいで、どんなリアクションを取られても大丈夫な耐性を獲得はしていた。
チャーチルが見た黒木は、さながら東洋から現れた、小悪魔か、妖精か、そんな人外的な何かに見えていた。恐怖心を刺激する存在ではないものの、警戒を怠れない、少なくとも自分と同じ種族として認めていいかどうかは怪しいものだったからだ。
チャーチル自身巨漢であったことも大きいが、何より、その外見から実際の年齢の想像がまったくできない黒木の外見は驚異だった。真面目になぜティーンエイジャーが商社で働いているのか、とさえ、思ったのである。
そしてその不気味な日本人が実に流暢な英語を話すのにまた驚かされていた。
最初っから今回の日本側の外交はいろいろとおかしかった。
日本大使館がちゃんとあるにも関わらず、そっちの方はイギリス外務省とのパイプをきっちりとお行儀良く守り、チャーチルへの直接の面会申し込みなど一切してこない。
一方、五井物産のチャーチルへのアプローチは違った。
チャーチルの地元の有力支援者を伝手として、つまりチャーチルが絶対に断れない筋からの紹介によりプライベートなパーティに押しかけてきたのである。
それだけでなく、面会をするなりいきなり手渡されたのは、五井物産をよろしくと、認められた日本の皇室から英王室宛ての紹介状である。
自分宛てならその場で破り捨てることも出来たが、王室宛ではそうもいかない。
無礼を詰るつもりだった口をつぐまざるを得なかった。
五井物産に特別な便宜を与えることはこうして不文律となった。
異様、異例、前代未聞、とにかく常識外れすぎる話だ。
そして、いざ五井物産を連絡チャンネルにすれば、出てくるのは一介の商社の扱う話とは思えないような話ばかりである。
日本大使館が絡むのは、公式でかつ公表前提の手続きがある時だけ、と言って良かった。
つまり形式担当が大使館で、汚れ仕事を含む実務は五井物産が担当しているのである。
チャーチルの頭に、日本政府の代表は五井物産と刷り込まれるのに大した時間は掛からなかった。
その五井物産がもったいをつけて、特別密使と言ったのである。
外見がどんなに小童に見えてもタダ者であるはずが無かった。
「お忙しいところ、お時間を割いて頂き恐縮です。黒木と申します。以後どうかお見知り置きのほど、よろしくお願いします」
黒木はわざと必要以上に慇懃にへりくだった態度でチャーチルに接した。普通なら握手から始まるものだが、あえて日本式に、頭を深々と下げる方を選択した。
そのやり方はチャーチルには満足のいくものと映ったようだ。チャーチルの方が、歩み寄り、黒木の手を握るというスタイルの握手となった。
「君を歓迎するよ、ミスタークロキ。それで日本からの特別密使というのはどんな話を持ってきてくれたのかね?」
「まずは先だって、こちらの無理を閣下が聞き入れてくださり、ブラックアメリカ合衆国承認にいち早く動いて頂けたことに対し、我が国の征夷大将軍赤坂宮殿下より、くれぐれも念入りに謝意をお伝えするようにと言付かっております。そして、その証しといたしまして、閣下がこちら側の条件を受け入れて頂ければ、日本はイギリスのドイツとの戦いに助成する所存だとのことです」
「ほう、日本はドイツに宣戦布告する、というのかね?」
「その通りです。すでに我が天皇陛下の内諾も得られている、とのことです」
「で、日本の参戦の条件とは?」
「これは我が国の国際的な立場に密接に絡む話となるので、是非ご了解を賜りたいのですが、二つほどお願いがあります。一つは、我が国がドイツに宣戦布告するための大義名分は、人種差別いや人種浄化策への反対となります。従いまして、盟友となるイギリスにも是非この点についてご賛同を賜りたいのです。現状、英連邦の中でオーストラリアの白豪主義と南アフリカのアパルトヘイト、この二つが我々からすると非常に困るのです。なんとか将来的にこれの存在を目立たないものへと変えていって欲しいということです」
「なるほど、ブラックアメリカ合衆国からの流れとして一応筋は通っているな。が、植民地は無くせないよ。それはいいのかね?」
「その点は問題にしません。むしろ発展の遅れた地域を無理に独立させても、困窮するばかりでしょう。日本も植民地を少ないながらも持っていますから。しかし人種差別を法的に決めているというのは日本としては非常に困ります。現実の差別が完全に無くなるというのは難しいでしょうが、法律制度というのだけはやめて欲しいのですよ」
「なるほど。だが、我々は植民地だからと言って何もかも押しつけられるわけではない。最終的には現地の判断が優先することになる。それでもいいのかね?」
「宗主国として支持しない、と言明頂ければ十分です」
「それは王室をイメージしているのかね?」
「英連邦諸国の共通元首は英王室ですからね。政治的なメッセージと受け取られるとまずいというのでしたら、その辺はオブラートに包んだ表現であっても構いません」
「わかった。検討してみよう。それでもう一つというのは?」
「今回の欧州派兵は、日本単独ということではなく、日本が率いる有志連合という形を取ろうと考えています。つまり日本、ブラックアメリカ合衆国、メキシコ合衆国、満州国の四カ国連合という形で」
「満州国……。そうきたか。満州国を承認しろ、というのだな?」
「理解が早くて助かります。我々としてはイギリス及び英連邦ザ・コモンウェルスをお手本にした形で、この四カ国を開かれた経済圏にしていきたいと考えています。貴国にとっても決して悪い話ではないと思いますが」
「ふん、ジャパニーズコモンウェルスか、よく考えたものだな。対ドイツ宣戦布告によって、国際的な市民権をまとめて確保できる……。合理的だな。それでどれぐらい本気で派兵するつもりなのかね」
「その件ですが、実は首相閣下のご意見を伺いたかったのです。我が殿下の言によりますと、このまま戦局が推移すれば、ドイツは破綻しヨーロッパは、ドイツを二分した形でソ連とイギリスが抑えるものとなるはずだと。そうなった場合、首相はソ連をどの程度信用できるとお考えか、ということなのですが」
「なるほど。そういうことか……。確かにソ連の価値感は我が国や日本とは絶対に相容れないものではある。狂犬ヒトラーを相手にするために手を結んではいるが、確かにドイツが消えるとソ連の脅威は膨らむな。だが、今はドイツを倒すことが最優先だぞ、そこは動かせん。仮にソ連の膨張が脅威だ、と判断したとして、何か打つ手はあるのかね?」
「閣下は現状、日本がソ連をどのような形で援助しているか、ご存じですか?」
「はて、スターリンから頼まれてそう言えば日本に援助するように仲介したが、あれがどんな形のものなのかは聞いていなかったな」
「実は日本からの援助というのは、戦車、航空機用のエンジンをシベリア鉄道で送っている、というものなのです。その数、月におよそ一万。スターリン閣下は、それを使ってソ連で戦車、航空機を作っているわけです。ソ連領内のエンジン工場はドイツ軍に破壊されてしまったらしいので」
「ということは、ソ連軍の攻撃力を日本はコントロールできる、ということか」
「ついでに言えばそのソ連向けを減らした分を四カ国軍向けに振り分けることも可能です」
「で、それをどう使うと言うのかね?」
「問題は、もし我々がイギリス軍と一緒にフランス、あるいはイタリアなど西側から侵攻すると、東側の方でソ連は土地を切り取り放題にできる、という点です。なので、全ての力を西側からの圧力にするのは好ましくない」
「君は、東のソ連が占領するはずの土地を抑えるというのかね? どうやって? あんな内陸、大軍を移動させられる場所ではないぞ。いくら日本海軍が強力だと言っても」
「その点は、私はあまり軍や戦争のことには詳しくないので説明できませんが、我が殿下はやれる、と言っております。具体的には……」
黒木は、チャーチルの側を離れ、執務室の壁に掲げられた大きなヨーロッパの地図のところへと移動し、地図での説明をする素振りを見せた。チャーチルはそれに従い、自らも地図の横へ動いた。
「イタリアは内政が揉めているようですね」
「ああ、ムッソリーニは失脚したからな」
「ブラックアメリカとメキシコにイタリアは任せたいと思います。それを日本の海軍が支援するという形で。ところでこのイタリアのさらに南、アフリカにはアフリカ軍団というドイツ軍がいるそうですね」
「ああ、ロンメルという優秀なのが率いているようだ。エジプトにいるモントゴメリーがかなりやられた。が、補給が十分できないからな、いずれ撤退する。地中海の制海権は絶対に渡さん」
「そのロンメル将軍、ドイツではかなり有名で人気も高いそうですね。使えませんか?」
「使える? どういう意味だ?」
「我が方にもたらされた報告では、ナチス党とドイツ陸軍はあまり仲がよろしくないとか」
「まあ、そうだろうな。空軍はトップがバリバリのナチスでべったり。海軍は政治的には全く無力というよりも存在自体が希薄だ。誰も問題にするまい。しかし陸軍はプロイセンからドイツ帝国を作ったのは自分たちだと自負しているからな。なりあがりのヒトラーやナチスへの反感は大きいだろう。それに陸軍は人数も多い。政治的にも大きな勢力でドイツ国内にある独立国みたいな存在だ。……つまり君はロンメルをヒトラーの後釜に据えろ、というのかね」
「我が殿下の言葉に従えば、ドイツの戦力が完全にゼロになる前に、戦争を終わらせられれば理想だと。つまり弱体化はさせても消滅はまずいのだそうです」
「なるほど。責任者を処分しても国民全部が無力化するのはまずいか……。一理ある。待てよ、なら、ルドルフヘスはどうだ?」
「一人でイギリスに飛行機で乗り付けたというナチスの副総統ですか。ナチス党員ではダメでしょう。ドイツ国民を惹きつけられない。彼は今どうしているのです?」
「拘留してるよ。まあ、確かにあれではドイツ国民も従わないな。ほんとに使い道がないヤツだな。となるとロンメルか……。生け捕りにしろ、というのだな」
「もし可能であれば」
「で、君の方はどうするつもりだ」
「日本と満州国の連合軍は、」
「本当は全部日本軍なんだろ」
「建前は重要です」
「ふん、まあいい、続けたまえ」
「イタリア半島を迂回し、アドリア海に入り、クロアチアに上陸、進路を北東へ取り、まずはザグレブを奪取した後、こう、ハンガリーの平原に進出したいと……」
「よりによって、バルカン半島。もともと民族対立が激しくて火薬庫と呼ばれた場所だぞ」
「ふさわしいでしょ、日本が扱うのには」
「また人種問題か。だが人は能書きだけでは思い通りにはならんぞ」
「まあ、そうでしょう。が、まずはドイツ軍をここへ引き込むのが狙いです」
「ここへ? そうか、山岳地か。日本軍は山でドイツ軍と戦いたいということかね」
「日本の戦いはいつも山の中ですからね。平野よりも山の方が落ち着くらしいですよ。とにかくこちらにいるドイツとドイツと同盟した東欧諸国軍を撃破した後、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリーを奪取するとのことです」
「まあ、計画なら何とでも言える。だが東欧諸国軍はどうか知らんが、ドイツ軍は強いぞ。勝てるのかね」
「その質問はなしですよ。勝てるに決まってるとしか答えようがありません」
「まあ、そうだな。だが狙いが分からん。ドイツ軍を引きつけ撃破するにしてもなんでそんな落ち穂拾いのような攻め方をする?」
「理由はいくつかありますが、まずはドイツ軍の補給線をうんと長く取らせたい、というのはあります。それだけで相当戦力を削ぐことができます。それと現地住民を味方につけるにはあんまり動きまわらない方がいい、という考えもあるようです。それからこれは重要ですが、絶対にソ連軍あるいはイギリス軍ほかの友軍と交戦しない場所を選ぶという意味もあります。二番目は戦後の問題です。ソ連軍の占領地にバルカン半島を含めないためです。ここまでソ連の領域が広がるのは都合が悪いと思いませんか? 地中海にもソ連海軍が進出できますよ」
「なるほど、そういうことか……。ギリシャ、トルコは?」
「そちらは、イギリスの担当範囲だと、殿下は申されています」
「配慮してもらったということか。しかし、我が国も十分陸軍戦力があるとも言いがたいのだが」
「ブラックアメリカなら貴国に十分な支援ができると思いますよ。幸い、ブラックアメリカには予想以上に元アメリカ軍の軍人が帰順したそうですから」
「空軍の方は?」
「足りていないのですか?」
「ああ、特にいい戦闘機がたくさん欲しい。ドイツ空軍の新鋭のジェット機に手こずっている」
「ジェット機? もう実用化しているのですか、ドイツは?」
「ああ、そうらしい。数はまだ少ないようだが」
「その性能は?」
「空軍の作った詳しい資料を後で用意させよう」
「わかりました。航空戦力に関しては、ドイツ軍のジェット機への対応を入れて英軍へも我が軍の兵装としてももう一度計画の見直しをすぐ行うことにしましょう」
「それでいつやる?」
「六月の下旬を想定しています」
「奇遇だな、我々の作戦計画と同じだ」
「いえ、奇遇ではないらしいですよ」
「どういう意味だ?」
「殿下は二年前からイギリスの反攻はこの六月になる、と言っていたのです。つまり我々は北米での問題解決もイギリスの再上陸に間に合わせるようにと命令されていました」
「なんだ、それは。まあ、いい。君のところの殿下がドイツ側の人間でなくて良かったよ。我々の動きも読まれているということか……。ではまさか、ヒトラーも」
「殿下が言うには、ドイツ陸軍にはそういうヨミをする人間は間違い無くいるはずだが、どうせヒトラーが無視するに決まってるから心配はいらないとのことです。もっとも時期が近づけば誰にでも分かる状況になるから、いつまでも分からないということもないだろうとのことですが」
「ヒトラーも妙な見方をされているな。まあいいだろう。その意見にはわしも賛成だ。やれやれ、今一つ釈然としないが、よく分からんがその変わった殿下の言を信用することにしようじゃないか」
チャーチルはようやく納得したかのように黒木に向かって握手の手を差し出した。
黒木がその手を握り、ここに日本及び日本連邦とイギリスと英連邦との共闘体制を組むことが決定されたのである。




