新しい枠組み作り
ブラックアメリカ合衆国の暫定首都となったアトランタ、およびメキシコ合衆国の首都メキシコシティは大変なお祭り騒ぎとなった。事実上の戦勝祝いである。
メキシコシティの大統領官邸の一室では、急に慌ただしくなった中の僅かな休息時間に、二人の男が立ち話をしていた。
「黒木さん、まさか本当にアメリカに勝ってしまわれるとは、私は今でもまだ信じられません。本当に驚きだ。しかもあれだけ長くアメリカ軍を相手に戦ったのに、犠牲となった者が前回の米墨戦争の時とは比べものにならないほど少ない。犠牲者が多くならないと勝てないと思っていましたが、まったく驚きだ。しかもアメリカ軍の犠牲者もかなり少ないようですな。これはいったいどういうマジックなんでしょう?」
「犠牲者が少なかったのは単純に決戦をとにかく避けてきたからでしょう。私もあまり偉そうなことを言えたものではないのですが、関係先からのそういう指示に従ったまでですから」
「いったい、どんな方なんですか、今回の全体の絵を考えられた人は?」
「いや、私も実はそれほど詳しくは存じ上げておりません。ただ、何となく分かったことは、この人は戦さというものの本質をよく理解しているのではないかと」
「戦さの本質ですか。それはいったいどういうことでしょう」
「戦争のこと、政治のこと、経済のこと、領土のこと、領民のこと、とまあ、我々はそういうものをバラバラに切り分けて理解していると思うんですけど、この方の頭の中では同じものを別な角度で見たこと、という理解になっているような気がします。ついでに言えば敵と味方ということでも、その差を見つけるのではなく、どこが共通項なのかを見定めようとしているような……、発想がそれだけ飛躍しているのではないかと」
「確かに初めは当たり前の米墨戦争であったものが、途中でアメリカの内政問題というか、理念と現実の間にあった大きな矛盾を全面に出した独立国の建国の手伝いになりましたからな。戦争の性格がそれだけでまるっきり変わってしまった。しかしいやはや、驚くべき事です。こういうのは貴国では歴史の中でもよくあった事なのでしょうか?」
「さあ、私はそこまで歴史に詳しくありません。ですけど、そうですね。あなたの驚きは理解できます。聞けば独ソ戦では空前の犠牲者数になっているとか。最新の主力兵器をまともにぶつけ合うような戦争をしていたら、きっとあれと同じことがここでも起こったに違いありません。たぶん、あの方にはそういうことまで見えていたんでしょう。我が国の考え方が独特なものなのかどうかについて、正解ではないかもしれませんが、ヒントになりそうなものなら心当たりがあります」
「ほう、それはどんなものでしょう?」
「日本には将棋と呼ばれる西洋のチェスに似たゲームがあります」
「ほう、将棋ですか。チェスとはどこかが違うというわけですか」
「そういうことです。西洋のチェスと日本の将棋の差を考えると、そういう感覚の差はあるのではないかとも、思います」
「具体的にはいったい何が違うのです?」
「チェスでは敵の駒を取ったらその駒は盤の上から除かれますよね。だからチェスではゲームが進むとどんどん盤上の駒の数は減っていきます。将棋も取られて減るところまでは同じです。しかし、その後が違う。取った敵の駒を自分の駒として使えるのですよ。だから将棋では両軍の駒総数はほぼ一定で、その割合だけが変わるということが起こります。それと欲しい駒は敵から奪えばいい、という戦略も出てきます」
「なるほど、だから無闇に敵を殲滅という考えには至らないというわけですか」
「敵の存在をどう自軍に有利な動きに変換するか、というような発想が将棋には必要になります。今回の戦争の動きをよく説明できるとは思いませんか?」
「なるほど、戦争の勝敗と個々の戦闘の勝敗と同じではないと。それなら無闇に兵器の優劣に頼らず決戦をしないというのもわかりますね……。新鋭戦車があれだけあるのに、メキシコシティ防衛には全く使わないと聞いて、一時はどうなるかと非常に心配したものですが、なるほどあえて力勝負に持ち込まない、勝ちにこだわらないとはこういうことだったのですか……。私の将軍たちの話とは確かにかなり違う。彼等は敵と対峙したら、どう相手を包囲殲滅するか、という話ばかりをしますからな。敵を全滅させることが、勝利に当てはまる唯一のこと、という考え自体が間違っているということになるのでしょうか……。それでブラックアメリカには今後貴国は何を期待していくのです?」
「要するに日本にとってアメリカという国が危険な存在にならなければいい、ということのようです。つまり、今までのアメリカは、資源、技術、人口、軍事力、土地の広さ、すべての面で日本を大きく凌ぎ、それでいて、太平洋を挟んだ隣国ということで、常に敵視される危険をはらんでいました。そもそもこのアメリカという国は、いろいろな面で物や人が集まり、資源的にも恵まれすぎている上に、特定の人種に依存しないで自由という理念で多くの移民を集めて発展できる国です。そのこと自体は素晴らしいことだと思います。しかし問題は世界の中でアメリカだけ、という部分も大きいことです。言わば、集中度が高すぎて、世界の中でどんどん突出した存在になってしまうでしょう。そういう圧力をもろに受けることになるのが、我が国のような存在、ということになります。ですから、日本の狙いとしては、アメリカという国家理念の分散がどうしても必要になったわけです」
「なるほど。我が国への武器援助の理由もそのあたりにあったわけですか……」
「我が国がイギリスのように英語を話す白人の国であればそんな心配もいらなかったのかもしれませんけどね」
「それでアメリカのすぐ隣に、あなた方日本以上に気になる存在を作りたかった、というわけですか」
「まあ、そういうことです。日本は別に新大陸に領土が欲しいなんて考えませんが、今のままでは何をされるか分かったもんじゃなかったですからね。ですが、貴国とブラックアメリカが存在感を発揮するだけで、アメリカは慎重にならざるをえなくなるでしょ? 私のイメージで言えば、我々日本がメキシコを支えたようにメキシコがブラックアメリカを支えていくことが一番望ましいとは思います。もちろん我々もサポートを惜しまないつもりです。それが今後アメリカが暴走しないようにする理想的な姿ではないかと」
「なるほど、おや、もう時間ですな。そろそろ行きましょう。祝賀会が始まります」
その後、それぞれの和平条約が締結され、戦争は正式に終わりを告げた。
が、アメリカは、アメリカが一番望んでいたブラックアメリカとの通商協定の交渉に入ったところで、思わぬことを提案されることになった。
ブラックアメリカとの通商協定はこれで問題無いが、両国の間の貿易を実際に進めるためには、これだけでは十分ではない、と言われたのである。
そして必要なものとは、日米の間の通商協定だった。
つまりブラックアメリカ政府は、油田と綿花小麦の集積所の運営を日本の五井物産に任せたのである。
五井物産の瀬島という男に対する、マーチンルーサーキングシニアの信頼はいまや絶大なものになっていた。
最初に自分に接触してきた時、物好きな日本人がいたものだ、程度の理解しかしていなかった。
キリスト教とは無縁の、浄土真宗という聞いたこともない宗教の信者ということなのだが、その男は、教会へのお布施と称して、なんと広大な綿花農園を提供する、と言ってきたのである。さらに、収穫された綿花を自社で引き取るという契約まで持ってきた。
今まで寄付金集めに四苦八苦していたことが信じられないほど、教団の財務基盤は分厚くなった。
そういう経済的な支援という意味だけでなく、農園が手に入ったことは別な意味で教団にとって救いとなった。
つまり失業というプライドをずたずたにする災厄から多くの信者、黒人を救えたことである。単に食える、食えないということではなく、失業という自分に対する自信喪失を回復できるのは仕事を持つことが一番なのだが、仕事の斡旋というのは、なかなかできなかったのである。
そういう体験が一通り終わった頃、瀬島は新しい提案を持ってきた。
それは教会から飛び出せ、ということだった。別に信心が邪魔だと言ったのではない。教会の活動がどんなに崇高なものだとしても、それではまだまだ救えない人がたくさん出ると言われたのである。彼の提案は、政治家になれ、ということだった。教会にとっても教会が後ろ盾になれる政治家が出ることは悪いことではないし、この教団を支える黒人層は政治的弱者であることは間違い無かった。
ただ、いきなり政治家になれ、と言われても具体的に何をすればいいのかは全く思い浮かばなかったのである。
瀬島の指示はいつも具体的だった。
今まで、大勢の前で聖書の話をしていたのを、私が用意した原稿を読むようにしてくれればいい、と言い出したのである。
最初はさすがに警戒した。過激な思想を持った黒人は少なからずいるのである。それに組みしているのかと疑ったのだ。が、実際に手渡された原稿にはそのような過激なことは一言も書かれていない。どちらかと言えば、道徳や倫理を易しく説く童話のような感じの物語が多かった。これなら誰も問題にしないだろう、と安心して演説を引き受けることができた。
が、これが思わぬ効果を生んだ。
聖書と神の話をしていた時よりも聴衆がどんどん増えていったのである。話が聞きたい、続きが聞きたい、ということらしかった。物語というものが人を集める力の強さというのを思い知ることになった。
そういうふうに口コミで集会の人数が増えていくとようやくほんの少し政治的な、ささやかな主張と思しき話が混じるようになってきた。
多くは教育関係で黒人に対する支援を強化して欲しい、というような話である。決して白人の人種差別反対を声高に叫んだりはしていなかった。
その次にやってきた転機は、米墨戦争の勃発である。
これが教会と彼の小さな政治団体に莫大な金をもたらした。そして初めて日本政府の意向というものを説明されたのである。今まで政治への参画など夢のまた夢という気持ちで聞いていたものが、いきなり現実に目の前に突き出されたようなものである。
逡巡はしたものの、結局は覚悟を決めた。
瀬島の次の提案は、仕事を与えていきたいので腹心の部下を作れということだった。
そういう資質の者が何人ぐらいいる、というかなり具体的な組織図らしきものまで用意してきたのである。それで農場関係の仕事をやっている昔からの顔なじみを中心にリストアップをやったのだ。
そして瀬島が持ち込んできた仕事というのは五井物産という商社の絡んだ仕事ということで、アメリカ南部各州を結ぶ連絡網作りだった。もちろん教団支部は各州にあったが、今までは各個バラバラでまったくそれぞれが独自に活動をしていたのである。それを結合し、経済的に余裕のあるアトランタが先導する形で他の州の活動も活性化させよう、という話だった。もちろん五井物産の利益にもなるし教団の利益にもなる。お互いに利益になる話なので断る理由は無かった。
そして今までキングが話をしてきた演説草稿も各州へと配布し、活動の支援者拡大に役立てさせることになった。
組織化が進んだ頃、アメリカ軍の黒人徴兵が急に多くなり、政治家を志す彼の事務所への相談事が急に増えた。
それで早速瀬島に、どう対応していったものか、と相談をしたところ、驚くべきことを告げられたのである。
「すべてあなたが引き受けて解決する、と言うのなら私はあなたを全力で助けます。それができないと言うならば、ほっておきなさい」
キングにもこの頃はもう瀬島が自分に何を期待しているのかが概ね分かっていた。そしてこの言葉は今が決断の時だぞ、と告げるものだったのである。
イエスと承諾の返事をしたら、その後は早かった。
白地に黒の五芒星、新たな国ブラックアメリカの象徴の元に結束しろ、となった、
メキシコ軍がブラックアメリカ軍となり、自分の直営部隊まで用意されていた。ジョージア州ほか、各州の州政府はあっという間にブラックアメリカ傘下の州政府に作りかえられていた。
国旗やマーク、軍服まで用意されていた。もっとも国歌は決めていないのであなたが決めてくださいと言われたのだが。
こんな状態だったので、当座の政治指針として何を話せばいいのかもすぐには思い浮かばなかった。
それを聞くと瀬島は笑って、どうせ聞く人もいきなり新しいことを言われたら当惑するか、余計な期待を膨らませて、そのあと現実に戻った時の失望が大きくなるから、アメリカ合衆国の良い点をそのまま残し、人種差別とか武器の所有とか悪いところはやめる、という話だけをしたらどうです、と言われたのである。
建国の宣言としては、独立元のものを流用している点で、いささか、いやかなり意志の高尚さに欠けるが、実に現実的な対応だったと言えよう。
結果的にはこの演説は北部南部を問わず、また白人黒人を問わず民心を落ち着かせるのには大いに役だったのである。
さて、日本との通商協定をブラックアメリカから要求されたアメリカはそれなりにショックを受けていた。
ちなみにブラックアメリカ政府側の公式の説明では、商売のノウハウを全く持たないブラックアメリカ政府で運用するよりも、そちらの方が有利に思えた、ということになっていた。
しかし本当のところは日米通商協定に言及する必要は無かったのである。
全てを五井物産に委ねるつもりなら、何の問題も無く動かせたのだ。
そうすればすべての米ーブラックアメリカ、ブラックアメリカーメキシコ、米墨、日米、ブラックアメリカー日本、すべての貿易を五井物産が独占的に扱うという絵が完成したのである。
もしこの構想が実現していたら、五井物産の市場支配力も、そしてバックで糸を引く、赤坂宮の裏勘定もとてつもないスケールで膨れ上がっただろう。が、とある殿下はそれをあえてさせなかった。
わざわざ表の政府の出番を作ったのである。
それは日米間で戦争の種が将来的に生じないようにするための布石でもあった。
ブラックアメリカには政府を動かせる人材が圧倒的に少ない。それを強力に補ってやる必要があった。もちろんそこに一番大きく噛まなければならないのはメキシコだが、日本政府をそこに一枚噛ませておけば、アメリカに対する大きな牽制になると見たのである。つまりブラックアメリカ合衆国を日本の遠い縁戚ぐらいの国にしておくことは、長期的にはアメリカ、ブラックアメリカ、いや、いまや日本の新聞の見出し表記に従えば、両者は白米、黒米と表記されていた、との関係を安定させる上でも役立つと踏んだのである。
そして白米に対し日本の関与が必要だと黒米から言わせたことにも意味があった。
黒米政府はこの時点では全く自覚していなかったが、これは実質的に黒米の戦略資源は日本の管理下に入ったことを白米に通知したのと同義だったのである。
つまり、アメリカの戦略資源を日本がまるまる乗っ取ったに等しい。
ルーズベルト政権にとっては、昔も今も日本は顔も見たくない相手になっていた。
それが最後の最後でこちらから頭を下げなければならない状況に追い込まれたのである。
ハルはなんとか官僚らしい冷静さを維持し、関係各国との複雑な交渉に当たっていた。
が、以前のようにルーズベルトとハルで決めた路線通りに物事を決めることが不可能になっていることは意識せざるをえず、敗北感と苛立ちに苛まれていた。
一見すれば関係者が合議をしながら物事を決めているように見える外交交渉だが、現実には、それはセレモニーとなっていることをハルは正確に理解していた。
そしてハルが相手をしている交渉相手となった各国の外務官僚は、自分も含めて要するに役者なのである。全てをお膳立てした本当のゲームセッターは明らかに他にいた。そしてその相手は、ハルが会ったこともない、いやルーズベルトですら会ったことのない人間で、この交渉に顔を見せることもなく、彼の意中の通りに取り決めを決めさせているのに違いないのである。
ルーズベルトに至っては毎日が胃痛、頭痛、疲労感のオンパレードである。
健康不安説がマスコミで囁かれると、よほど大統領職が嫌になったのか、さっさと休職してしまった。
後任は、ウォレス副大統領が憲法の規定により大統領職を務めることになった。
第二巻 完




