幕府の成立
安土に付き従い、渡米中ずっと付き添っていた三浦という若い外務省職員は、旅の最後の最後、日本到着後にこの旅で一番驚かされるイベントに立ち会うことになるとは夢にも思わなかった。
船内で入国手続きを早々に済ませ、着岸した埠頭に黒塗りの車が迎えに来ていることは窓から確認して分かっていたし、それがこの安土公爵を迎えに来たものだということぐらいは分かっていた。が、いざ、そこまで歩いて行くと、そのクルマには、ありえないものが付いていたのである。
十六花弁の菊紋である。
えっ、ただの華族じゃなかったの?
すっかり頭の中が真っ白になった三浦に安土は気軽に声をかける。
「三浦君、君にはすっかり世話になった。どうもありがとう。また会えるのを楽しみにしているよ。それじゃ、迎えも来ているようだから、私はこれで失敬させてもらう。君も早くご家族のところに戻るといい」
と言いながら、安土はその菊紋が小さくあしらわれたクルマの後席に乗り込み、さっさと発進していった。すぐ後ろから護衛と思しきクルマが続く。その様子を見送り、三浦は一人呟いた。
「安土さん、っていったい何者なんだろ。課長も知らされていないんだろうな、この様子じゃ」
三浦は、なんでこんな時に貴族様のお世話をやらなきゃならないんだよ、と愚痴をこぼしながら、三浦に仕事を割り振った課長の姿を思い出していた。
安土にとって、関東とか小田原はいずれもアメリカ同様未知の土地である。かつて今川が立ちはだかっていた領地の向こうにはまだ北条などの強敵が残っていて、滝川一益と家康が苦労しながら攻略していたはずだ。それがいつの間にか、大阪や京都をしのぐ大都会、東京として成長していた。
初めて見る東京は、京都、大阪はもちろん、サンフランシスコよりも大きな町だった。そして皇居と呼ばれる、元の江戸城。家康が築かせたというその城の遺構は、遺構とは言え、その巨大さには、さすがに驚かされた。しかし考えようによれば、いかにも慎重な家康らしい、城作りだとも言えた。家康はまず防御から入る男だということを安土はよく知っていた。安土城を初めて案内した時の家康の興味は他の者と違って防御用の仕掛けにばかり注意を向けていたのだ。家康は安土城、秀吉の大阪城を見てこの江戸城を設計したはずである。江戸城がこうも巨大になった理由は、一つには自分の権威を見せつけるという狙いがあるのは間違いないが、もう一つは巨大にすればするほど、攻撃側の戦力を防御側の何倍も強化しなければならないということをよく知っているからだとも言えた。城が巨大では包囲するのも容易ではないのである。
安土を乗せたクルマは、その元の江戸城の外堀を望む宮殿に到着した。皇居ではないことは、堀の内側にないことからも明らかである。
そこはまるっきり日本の面影は無く、むしろアメリカで見た建物を思い出す、やたらと壮麗な館だった。
「お疲れ様でした、お上が中でお待ちでございます。安土様」
クルマのドアを開けたモーニングを着た男を安土は覚えていた。高鴨神社に京都御所に移るようにと伝えた使者である。しかし彼ら以外ほとんど人影は見えず、またクルマが止まった位置も中央の大きな玄関ではなく、壮麗な建物の左の端に近い、通用門のような場所だった。おそらく公式なものとして公にするつもりはない会見ということなのだろうと安土は納得した。それにしてもここまで西洋的な建築物が東京にあることは驚きであった。小さな入り口から中へ入ると、案の定内側も壮麗にして華美な装飾で埋め尽くされた空間が広がっていた。
そして通されたのは、比較的小ぶりな、そして他の部分に比べるとかなり調度が落ち着いたものにされている部屋だった。おそらく実際にここで生活する場合の居間的な空間ということになるのだろう。そこに置かれていたのは、椅子が三つほど放射状に並んでいて、それぞれの間には、猫足になった小さなテーブルが置かれていた。会議とは言わないが、座談を行うにはちょうどよい空間ということなのだろう。そしてその中央の椅子からまさに一人の小ぶりで、眼鏡をかけ、きっちりと上下のスーツを着込んだ、安土よりは十歳ほど若そうな男が立ち上がって安土を迎えた。
「あなたが信長公ですね。ようこそ、お待ちしていました。私が現世の天皇ということになります、裕仁と申します。この度は、大神の思しめしとお引き合わせのおかげでこのような形でお会いすることができ、大変嬉しく思っております」
さすがにこの挨拶には安土も驚かされた。天皇である。現世で最高の地位にあるお方だ。そして京都帝国大学でも第三師団でも、天皇に関する話題ともなれば、皆一様に最大限の敬意を払った物腰と言葉を慎重に選んでいた。当然、それを安土も理解し、すぐにそれに従った。その当の本人が、予想外の低姿勢で自分と接したことが意外だったのだ。
やや当惑を抑えきれないまま、安土はこのように切り返した。
「恐縮でございます。されど信長は、もはや過去の人物、今は安土為信という名前を頂戴しておりますゆえ、陛下が過去の信長の業績を高く評価して頂いておりますことは大変嬉しく思いますが、どうか、現代の安土為信という臣下としてお引き回し頂きたいと存じます」
「さようですか。そう言って頂けると、こちらもいろいろと助かります。なにしろ元の時代からお越し頂いた経緯をそのまま話しても誰も信じてもらうことはできそうにないので、どうしようかものすごく思い悩んでいたものですから」
と、続いて予想外の返事が続いた。信長がかつて拝謁した、百六代天皇は公家に囲まれて短い言葉を二言三言発言するだけの存在だったが、この天皇はかなり違うらしいと即座に理解した。
「それで、アメリカはどうでしたか」
安土の予想通り、天皇は核心部分にいきなり切り込んできた。もちろん観光旅行の感想を聞いたのではない。それはあの祝詞に示されていた、不気味な予感に対する確証を得たのかという問いに違いなかった。
「短い滞在と限られた範囲での観察ではございますが、私めの見たところでは、現下の世界情勢は我が国にとって極めて厳しい状態に向かって突き進んでいるものと確信いたしました」
「やはり加茂の大神様の選ばれたお人だけのことはある、と申し上げておきましょう。これからのことをお話ししたいので、まずはそちらにおかけ下さい」
侍従が後ろに立って引かれた椅子に安土は腰掛け、天皇を斜め前、小さな机をその間に挟むように二人は座って語り始めた。
「率直に言えば、私は自分があまりこの天皇という役割にはふさわしくないと思っています。特に今のような世界情勢においては。ですから大御神に導かれしあなたに、是非お手伝いを頂きたい。ただ現実問題として、あなたに現在の仕組みをすべて変えて欲しいなどとも思っていない。あなたから見れば私の部下たちは心許ないかもしれないが、それでも彼らなりに一所懸命でもあるのです」
「それはよくわかります」
「その上で、我が国と我が臣民を危機に押しやらないようにしていくにはどうしたら良いのか、というのをまずお伺いしたい」
「この為信の見るところ、主な外国の指導者たちは、実に慎重、かつ大きな枠組みで物事を捉え、入念に準備を整えながら、事に当たるように見受けられます。それに対し、我が国は、あまりにも目先のことに捕らわれすぎている。これでは彼らの思う壺に嵌まるばかりとなりましょう。陛下はおそらく我が国において、唯一、そのことを理解されていたようですが、臣下の中にそれが分かっているものがいないことが最大の障害であったのではないかと推察致します」
「なるほど。それで?」
「現在の憲政制度自体には大きな欠点はありますまい。むしろ諸外国よりも体制としては堅固ですが、最大の問題点は、陛下の手足となる軍の指導がおかしいということでしょう」
「そうなのですか。それはどういうことでしょう」
「おそらく彼らは戦の目的を敵に勝つことと見ています。が、それではダメなのです」
「勝つのは目的ではないと? では何の為の戦です?」
「私は、桶狭間以来、外交の手段として戦を使ってきました。政治的に折り合うことができなければ戦い、折り合いがつくのなら臣下にする、何も相手をわざわざ死に物狂いにさせる必要はない、それこそ無駄であり、自身の身を滅ぼし兼ねない愚策です。それがあったから他国を従え、領地を拡げることができたと思っています。織田の兵は信玄の武田騎馬武者にはもちろん、謙信の越後勢にも劣る足軽中心の弱卒ばかりでしたが、負ける時でも損害を少なくなるように工夫させたので、百敗しても最後の一戦に勝てる備えを残せた。特に秀吉は、勝ち戦でも負け戦でもとにかく軍の消耗が少なかった。だから私は秀吉を使った。今の日本軍はそうではなく見かけの勝利の裏で無駄な消耗を重ねているだけ、しかも相手の消耗は極めて限られたもののようです。要するに勝ちにこだわる人間を重用しすぎた結果ということでしょう。これでは国家の安全を保つのは難しいかと思います。もっと敵になるかもしれない相手を政治的にうまく扱えて、無駄な戦さをしない人間を重用すべきです」
「言われることはわかりました。が、今までそう教えてこられた人間にそれを言ってもなかなかついてこれないのではないかと。どうしたらそんなふうに皆の考えを変えられるでしょう?」
「軍が国民から見えすぎている、というのは軍の中で必ず勝たねばならないということにつながっている大きな要因でしょう。もう少し目立たない存在にするのがよろしいかと」
「なるほど」
「その上で、陛下が軍に近すぎる、というのも問題でしょう。国民に目立つのと同様、忠義に厚い者であればあるほど勝ちにこだわることになる。陛下が何を申されても、必ず過剰反応を産むことになろうかと」
「まさにおっしゃる通りです。となると私が保持している統帥権をあなたに預けるということならいい方向へと変えられると思いますか?」
「つまり征夷大将軍に幕府を作らせるようなものですか」
「いえいえ、憲法の枠内での話です。内政は内閣が担当、外交と軍事をあなたにお任せする。名称は、そうですね。江戸幕府が終わってもう五十年以上の時間が経過したので、幕府の名称はいいかもしれません。現在の大本営にさらに外交の機能を付け加えたような組織として幕府を設け、大元帥の名代としての征夷大将軍のあなたが率いる。これなら軍に対しても臣民に対しても通りがいいでしょう。もちろん財政の面は内閣の承認が必要という縛りは残りますが」
「わかりました。ご期待に沿えるよう全力をもってあたりたいと思います。ただ幕府を組織するにしても今どのような人材がいるのか私は全く知りません。それが分からないと最適な組織作りはできませんから、今の組織と人を見る時間を半年ほど頂戴したいと思います」
「確かにそうですね。では、ただいまより安土さんには摂政に就任してもらうことにして、当面、私が出る軍関係の会議に同席してもらうということに致しましょう」
「摂政ですか。出席するだけでよろしいのですか」
「ええ、大半は僕も聞いているだけのものなのですけど。ああ、もちろん何かあれば自由に発言してください。皆にあなたという人物がどういう人なのか広めるということも重要ですから。それとこの宮殿、赤坂離宮はあなたの自由に使って下さい。私の父、大正天皇用に立てられたものですが、父君も私もちょっと落ち着かなくてあまり使っていなかったものなのですが、場所的には参謀本部と中央省庁の中間にあって人と会うのはいろいろと便利な場所です。それと安土という名前も本日で終わりということにしましょう。摂政位は皇室でないとまずいということがあるので、あなたは赤坂宮為信王ということにしましょう」
「陛下はなかなかの策士でいらっしゃいますな」
「いえいえ、あなたのような白黒をはっきりとつけるような生き方はとてもできません」
こうして非公式な拝謁は終わった。
赤坂宮は、昭和天皇を玄関で見送り、続いて新たに宮内庁より赤坂宮につけられた侍従たちの自己紹介を受け、そして在所とされた赤坂離宮そのものを見てまわり、当座の居室や、執務室、寝室などを決め、それぞれの準備をさせる一方、すでに決まっている陛下の予定と出席者を頭に叩き込んでいった。
昭和天皇の動きも速かった。
会談の翌々日には、赤坂宮為信王の皇族復帰と摂政就任が勅命公布された。
内外ともにこれまで半分秘密とされていた存在が、事実として存在が公認されると同時に、この世界における役割役職をも正式に与えられたのである。
しかし何もかも明らかになったということとは程遠い。なにしろ勅命に記されていたのは、比叡山に出家していた孝明帝の子に当たる人物が皇室に復帰したということと、彼の還俗した名前、それに年齢だけで、在所については赤坂宮為信王という名前から赤坂離宮がなのだろうと勝手に推測するしかなく、さらに顔写真も年齢も明らかではなかったからである。
当然、各方面から宮内省には問い合わせが殺到したが、宮内省は次の発表を待て、という以外には何の説明もしなかった。
そして昭和天皇はここでも策士ぶりを発揮していた。発表よりも事実を先行させていったのである。
貴族院の議場に赤坂宮為信王を伴って現れ、その姿を貴族院議員の目に焼き付けた後、すぐに退席する。同じ事は大相撲の天覧の際にも行われ、臣民の目にも触れさせたのである。さらに内閣から誰かが参内すれば、必ず脇に赤坂宮を立たせ、御前会議でも同じで、自らの席の後の真後ろを指定して赤坂宮を立たせたのであった。結果的に昭和天皇に拝謁をする者は必ず、赤坂宮に対し敬意を払うようなことを要求されているような形になり、何を語っても赤坂宮に語りかけているような形を取らされることになった。
一方、赤坂宮の方でも、昭和天皇がどういう人間たちと接触しているのかつぶさに観察を行うことで、人となり、あるいは思想、能力というものを推し量ることができるようになった。そしてその中で、意外な発見に驚いていた。どこかで似たようなことに遭遇していた覚えがある、という気がしたのである。
それは父信秀亡き後、織田家を継いだ時の清洲城の重臣会議である。
自分が一番若く、重臣たちは皆年かさのいった者ばかりであった。忠義を口に出しながらも、弟信行に接近する者、他国と内通する者なども隠れていた時期である。年の若い新当主である自分が、年かさのいったタヌキ達をどうやったら思い通りに扱えるのか、思い悩んだものである。
そして昭和天皇の立場はそれに似ていた。簒奪などということは考えてはいないだろうが、天皇という絶対の権威をいかに自分のものとして、自己勢力の拡大に努めるか、現れる者の大半には大なり小なりそういう傾向が見てとれたのである。
そしてまずいことはそれだけではなかった。国の未来について、共通のビジョン、共通の思いがあるわけではなく、内閣の内部でさえ、統一が図られているとは言いがたいということが、だんだんとはっきりとしてきたのである。
つまり重臣もその場その場でもっとも都合のいい人物がさまざまな理由で集められてきただけであり、それぞれの出身母体の意図に操られるロボットが多かったのである。
これは人選の問題ではない……
昭和天皇が何故幕府を作るなどという話に乗ったのかわかったような気がした。
天皇の真意は内閣には任せてもいい仕事だけをやらせ、重要なことは親政にしたいのである。しかし自分にはその親政を行う自信と経験が欠けている。だから赤坂宮が摂政ということになったのである。
天皇に付き従う生活を二ヶ月ほど続けながら、赤坂宮は空いた時間を見つけては慰問と称して中央省庁、陸軍参謀本部、海軍軍令部、陸軍大学校、海軍大学校などをこまめに見て回り、気さくに若い職員に話し掛けるなどの行動を行うようにした。
重臣たちはもちろん驚いたが反対する理由は無い。
天皇本人の話なら止める理由もいくらでも思いついたが、摂政となるとそれも思い浮かばなかった。それに下僚の受け、臣民の受けを考えるとプラスの効果があるのは間違いなく、そもそも反対どころか大賛成すべきという判断が優勢となった。
一方、赤坂宮の真意は、来るべき幕府設置に備え、そのために必要な人材発掘を行うことにあった。かつて自分が行ったように、秀吉、光秀、一益、利休などに相当する人物を発掘するつもりだったのである。
九月、欧州でまた新たな動きがあった。ミュンヘン会談が行われ、ヒトラーがチェコスロバキアのズデーデン地方の割譲をイギリス、フランス、イタリアに認めさせた。そしてこの混乱はこれだけでは収まらず、翌十月に入るとハンガリーがチェコのルテニア地方のコシスを奪い、またチェコ国内の少数民族の圧力を軽減するためスロバキア、カルパチア地方の自治を認めるなど、チェコスロバキアの解体が進むことになる。ミュンヘン会談によって戦争を回避できたとイギリスチェンバレン首相は自賛していたが、実際には確実に戦火の火種が広がっていたのである。
そしてアジアについても動きがあった。十月に入り今度はアメリカが動いたのである。
中華民国における日本の行為をパリ不戦条約、ならびに九カ国条約違反だと決めつけ批難したのである。これは蒋介石にとって、米ソ双方から豊富な援助を受けられることを意味した。
つまり日本が物量で中国軍を圧倒することはほぼ不可能になったと言ってよかった。
十一月初頭、事前に誰にも知らされることなく、赤坂宮の征夷大将軍就任と大本営の廃止、幕府新設の勅命が下った。内閣、陸海軍、いずれにとっても青天の霹靂である。
その中でも特に陸軍首脳部の衝撃は大きかった。それは同時に発令された要員の内示に起因していた。
従来の大本営は、陸軍参謀本部と海軍軍令部がそのまま合体していたようなもので、肩書きが参謀本部から大本営に書き換わっただけ、の看板だけの存在であったのである。なので、陸軍参謀本部の意思は即ち大本営の意思ということになり、歴代内閣もこれに対抗し得なかったのである。
ところが、大本営が解散となり、新たに設けられることとなった幕府の中身は、陸軍参謀本部、海軍軍令部の、少なくとも幹部は全く含まれていないのである。しかも大本営は軍人だけの組織だったが、幕府の方は内務、外務、大蔵、文部、商工、逓信などの文民も数多く徴用されることになったのである。それ以外でも、主に若手を中心に引き抜きが行われ、結果的に参謀本部や軍令部の人員は元の半分以下になり。幕府はかつての大本営の二倍以上の人員を抱えることになった。
しかも幕府に異動した人員はもはや軍の人事の管轄外とされ、幕府が独自に人事権を持つというのである。元参謀本部員であっても、陸軍首脳の意図通りに動かすことは難しくなったのだった。
形の上では参謀本部や軍令部が廃止されたわけではない。陸海軍大臣を含め内閣にも影響はない。外見上は大本営が幕府に置き替わるだけの小さな変化だが、実際には全く新しい権力センターの登場だったのである。しかも軍部も政府もその内部には全く手が出せない構造になっていたのだった。
そしてさらに追い打ちがかかっていた。人員の実際の移動もまだ始まる前から、すぐに幕府から陸軍参謀本部に征夷大将軍名での命令書が届いた。
それは事実上の中国本土からの撤収という内容に近かった。満州と遼東半島までの線への後退が命じられていたのである。上海租界すらも放棄となっていることに驚き、元の関東軍司令官であった板垣征四郎陸軍大臣、元の関東軍参謀長であった東条英機参謀総長が首相の近衛文麿を伴い直ちに参内し、天皇と征夷大将軍に対する謁見参内を申し込むということになった。
謁見の場は、以前の御前会議に使われていた部屋に設けられることになった。
会議が始まり、最初に口を開いたのは近衛首相である。
「此度、赤坂宮将軍が発せられたご命令についてなのですが、どういうことなのかご説明頂きたいのですが」
昭和天皇はただ無言で頷き、赤坂宮を見ただけだった。それを確認すると赤坂宮が口を開く。
「はて、命令書が理解できなかったと? 現代日本語がどこかおかしかったですかな?」
その態度は三首脳の苛立ちに全く配慮をしておらず、むしろ反感を煽るかのように挑戦的ですらあった。
たまらずに、東条英機参謀総長が口を開く。
「そうではありませぬ。あれではまるで蒋介石に全面降伏するのと同じではありませぬか。皇軍の矜持と栄光の歴史に泥を塗るものですぞ」
ほとんど怒声と言っていいような大声でまくしたてた。
赤坂宮は眉一つ動かさなかった。
「まあ、そうでしょうな。実際負けたのだから。元の現地指揮官と現地参謀長がよほど無能だったとしか言いようがない」
「な、何をもって負けたなどと、我々は一度たりとも負けてなどおりません!」
今度は板垣陸将が吠える番だった。
「いかに征夷大将軍と言えど、ただいまのご発言は看過できかねます。何をもって負けと申されるのかご説明頂きたい!」
東条参謀総長もそれにすかさず加わる。
「説明されねば分からない、ということ自体が諸君らの役職にある者としては能力不足をよく表していると思うがね。本当は説明する必要は全くないのですが、今回は幕府発足で最初の事例でもあります。そんなに知りたいとおっしゃるのなら、これを見るのがよろしいでしょう」
赤坂宮は手元にあった青焼きされた数枚の紙を天皇、首相、陸将、参謀総長へと配った。
そこに並んでいたのは数行の数字だけである。
そこには中国戦線における人的損失、物的損失が一日当たり量として示されていた。日本軍と中国軍それぞれが似たような数字になってはいたが、数字としては僅かに日本軍が上回っている。が、その横にさらに加えられている項目名と数字は、三首脳を黙らせるに足る威力があった。
曰く日本国での日量生産量であり、米ソの援蒋ルートによって補給される物資量である。もはや一目瞭然の差がついていたのである。
「こ、これは、いったいどこからこのような数字を……」
東条参謀総長が呻くように言う。
「参謀総長だったら、情報部を部下にお持ちだったはず。この数字はアメリカの新聞で報道された数字そのものです。一応、イギリス、ドイツ、中国の新聞も点検させましたがだいたい同じような数字が並んでました。が、そんな差はどうでもいい。大事なことは、日々現地では戦力差が開きつつある、ということです」
「しかし我々は南京を落とし、徐州を落とし連戦連勝の勢いで占領地を拡大してきた……」
「参謀総長はご存じないのですかな。大軍の弱点は兵站。わざと占領地を広くさせ、一気に中枢を叩くのは戦さの常道。つまり我が陸軍は蒋介石に嵌められたに等しい。これが負け戦でなくて何でしょうな。私の見るところ、貴官の用兵は下の下です。対し、蒋介石は巧妙だ。蒋介石を叩くのなら、占領地などほっておいてもっと早くに敵本陣だけを狙って包囲殲滅しておくべきでしたな。それがまんまと奥地に逃げられ、占領地を拡大させられ軍が分散化され、結果包囲殲滅される側に回っている。もともとが我が国よりも遙かに広い大陸だ。いくら内地の軍を移動させても必要な戦力を十分賄えるというふうにはならないでしょう。もはや奥地に潜んだ蒋介石を叩くなどというのは夢のまた夢です。今必要なことはできる限り戦線を短く限定したものにし、分散しきった戦力を再結集することです。さもないと一気に大陸派遣軍の大半を失うことになるばかりか、日本という国の全産業が持たなくなる。産業が死ねば臣民が先に食えなくなる。さて、説明というのは以上ですが、何かまだ言いたいことはありますかね」
もはや三首脳は顔を青ざめ、言葉なくうなだれるばかりであった。それを見た後赤坂宮がさらに続けた。三首脳はいずれもが、叱責か懲罰を覚悟した瞬間だった。だが、将軍の言葉はやや違っていた。
「戦さに勝ち負けはつきもの。常に勝てる戦さなどないのです。今回は残念ながら敗北しましたが、次は必ず勝つ、というのは不適切ですな、こちらの思い描いた通りの結果になるようにしてもらいます。そのためであれば、何度でも負けて下さい。必要な時にだけ勝てば良いのです。いいですか、今後同じような負け方をした時には今度こそ、命で償って頂きますからそのおつもりで」
「今度? 我々をまだお使い頂けるのですか」
東条参謀総長が驚いたように答える。
「まだお分かりになりませんか。我が軍は蒋介石のために大損害を被ったのです。そんな中で、優秀な指揮官を自ら処分してどうすると? 皆さんにはここは是が非でも汚名返上に励んで頂かねばそれこそ奸臣と罵られましょう」
「だが、それでは兵に示しがつきません」
「そんなものはあなた個人でやるべきもの。他の人間や国家、陛下を巻き込むものではないでしょう。それに今は被害を最小限に抑えることが何よりも優先すべき大事であり、その目的に照らした場合、すべてを知るあなた方が最適任だと思います。それと近衛首相。それだけではなく、もっと別に気になることがあります」
「は、いったい何でございましょう」
「我が国の内部事情が諸外国に筒抜けになっている、ように感じられることです。軍内部の通信はもとより、外務省の公電、ありとあらゆるところを点検してください。蒋介石やソ連の動きはあまりにも鮮やかすぎる。スパイなのか暗号解読なのか、とにかくこちらの内部情報が漏れていることはまず間違いないでしょう」
「殿下は、いったいどのようなお方なので……。還俗された皇室などと言うお方ではございますまい……。まるで数限りなく戦さを戦い抜いてきた者のようだ」
近衛のこう漏らした感想に、板垣も東条も大きく驚いたような顔で将軍を見つめた。
「それこそ、極秘扱いの話ですな。ま、陛下のお気持ちが傾いた時にでも陛下がそれについてはお話をされるでしょう。私からお話しするわけにはまいりません。では、今日のところはこれで終わりにしましょう。皆さんにはまた近日中に新たなお願いをすることになりますからどうぞそのおつもりで」
一言も発しなかった天皇が頷き、会談は終わった。
秘密扱いの会談だったが、出席者は周囲の者にそれぞれの赤坂宮について得た印象を語ったらしい。これ以後、幕府に対する批判めいた論評が軍関係から出ることは少なくなっていった。それこそが会談を受け入れた将軍の計画通りの結果であったことに気がつくものは誰もいなかった。