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メキシコ


赤坂宮からのよくわからない指示で、日本中で数え切れないほど多くの者が振り回された昭和十七年(一九四二年)は瞬く間に過ぎ、昭和十八年(一九四三年)がやってきた。

オーストラリアでの大きな仕事を終えた後、黒木と瀬島は別々の船に乗り込むことになった。

黒木はシドニー港よりオーストラリアを離れた。

一方、瀬島の方は、メルボルンからオーストラリアを離れたのである。

思い返せばここに来るまで二人には波瀾万丈のことだらけだった。

瀬島は直接赤坂宮に話を聞いていたので、それなりの覚悟はできていたが、黒木の方は全く寝耳に水だったのである。家族にどう説明して良いか分からないまま、とにかく五井物産に出向することになったというなかなか常識では理解しにくい話をしたのである。

外交官という立場からすれば、同じ海外を舞台にしているとはいえ、商社マンがふだん何をやっているのかなど全く知らず、自分はいったい何か失敗をしたのだろうかと疑心暗鬼にくれていたのである。

そんな不安な状態が解消されたのは瀬島と面会してからだ。

なぜ自分だったのかということと、瀬島の語る赤坂宮がどうやらあの時の安土と同一人物らしいということで話が繋がったのである。

実は赤坂宮の写真が新聞に掲載された時に、どこかで見覚えがあるような、という程度には気になったのだが、まさかアメリカで相手をした当人だとはさすがに思わなかったのだ。

その後、日本に帰任し、平凡な外務省職員に戻っていたら、突然上司から五井物産に出向を命じられたのだった。もちろん、理由目的の類いは一切開示されないままだ。上司も何も聞かされていないということだったのだ。

そして黒木は瀬島と五井物産本社で初めて会い、二人揃ってすぐにオーストラリアに向けて発つようにと指示されたのだ。

そして出国手続きを終え、横浜港で商船五井の船に乗り込むと出港直前の船室でボーイから手渡されたのが、次の指示が入った封筒だったのである。

そこで初めて渡航の目的が知らされたのだ。

五井物産社員という立場で日本の民間人用パスポートは、公用パスポートほど使えないのではないかと、二人とも危惧をしていたのだが、イギリスとの間に波風を立てなかったことが幸いし、どこに行くにも特に支障は無かった。外交官あるいは駐在武官の時と比べて出入国の審査に妙に時間が掛かるのに、二人は少しだけ不便を感じただけだった。

五井物産には、江戸時代から政商として諸藩への物資や資金調達を請け負ってきた歴史があった。

明治に開国されるといち早く、ロンドンに連絡事務所を開設したほど、機を見るのに敏な会社だった。

それは日本という国の中では珍しく、海外事情に精通している会社である、とも言えた。

日本政府だけではなく、特にイギリス政府にかなりの顔が効くということでも評価を集めていたのである。

そんな名門の商社であると言っても、当時の常識から言えば、国家のエリートを民間企業が引き抜いて正社員にする、などありえなかった。官民の身分的な格差は非常に大きかったのである。

そんなありえないことが起こったということは、ほぼ前例が無いということを意味し、五井物産でも相当当惑していたはずなのである。

人間関係など、いろいろと厄介事が出てくるのではないかと危惧していたのだが、蓋を開ければ、全くそういう心配は必要なかった。

というか、彼等二人は初めから腫れ物に触るように五井物産経営陣から扱われていたからである。ということで年齢、学歴度外視で二人とも最初から管理職になるとのことだった。

会社の人事から待遇や福利厚生関係の説明はあったものの、それが自分たちとどう関わることになるのか全然イメージができないので、ただ聞き流すだけで終わった。

辞令と肩書きをもらった。が、それは人事部付き課長という、何とも中身の見えないものだったのである。

そもそもパースの仕事と言っても、実際にはその中身は赤坂宮の直接命令そのものだった。五井物産の元々の仕事との関係性は薄い。

要するに五井物産の社員という立場にさせられたのは、五井物産の持つ情報ネットワークと、資金移動、その他投資など商社が持つもろもろの機能を赤坂宮の手中に収めるため、とでも理解した方が事実に近い。五井物産は赤坂宮に乗っ取られたようなものだった。

そもそも殿下にとっては民間も官僚も、いや日本人でも外国人でも関係無いのである。目的に沿った能力を有していて、自分の代わりが果たせる者なら誰でも使いたいのだ。

報告を行うためにメルボルンの五井物産事務所に立ち寄るようにと指示されていたので、二人はパースからメルボルン行きの船に乗った。

一応パースからメルボルンまで陸路を通る道路はあるのだが、道のりが三千キロ以上もある上に、途中、極端な過疎地域が数多くあり、野生動物などの危険やガソリン切れ、そもそもまともなホテルを途中で見つけることが難しいなどの諸事情を考慮し、船便を選んだのである。

もっともこの船旅は世界でももっとも時化た海として名高い南氷洋を航行することになるため、かなり船に馴れた人間にとっても相当過酷なのだが。

メルボルンの五井物産駐在事務所に到着すると、まず指定されていた文章で幕府の指令を無事完了したことを本社に報告する電報を打った。

それが終わると二人宛に業務指示とされた封筒を渡されたのである。その中に入っていた書類は、捺印こそ無かったものの、見慣れた幕府の公用便せんに、どう見ても幕府指令としか見えないものが極秘印付きで収められていたのである。

瀬島にはすべて事情が察せられたが、さすがに黒木には分からなかった。

そこで瀬島が現在の日本の公用連絡網を殿下が全く信用していないこと、それに代わり民間商社の暗号電報を多用するようになったことなどを解説したのである。

外交の第一線にありながら、そういう諜報の世界のことなど黒木は知る由も無かった。

黒木は外交の全く異なる一面を思い知らされ、以後はこの新しい五井物産課長という立場を粛々と受け入れることにしたのである。

このように瀬島と黒木はおよそ四ヶ月にも及ぶオーストラリア出張で行動を共にすることで、お互いに必要となる情報を交換しあったのである。

二人にとっては予想外に良かったこともあった。軍人あるいは外交官時代よりも給料がはるかにいいのである。

これはかつての同僚達には絶対話せない極秘事項ということに二人の間ですぐに決めた。

こうして瀬島は商社マンとして恥ずかしくない程度の英語力と欧米風のマナーを身につけ、黒木は元ソ連の名将と元大本営作戦参謀直伝の機甲兵団用兵術を頭に叩き込まれ、次の任地へと赴いたのであった。


メキシコ合衆国大統領マヌエル・アビラ・カマチョは、三ヶ月ほど前にやってきた日本からの使節団のことを思い出していた。

最初から最後まで異例ずくめだったのである。

始まりは、日本の商社員がメキシコ商工会議所の会頭へつないできた話だった。

日本政府は密かにメキシコとの関係を強化したいと考えているが、諸般の事情からそのことを公にすることは、日本にとってもメキシコにとってもあまり良い結果にはならないと思われる。故に、民間の団体の交流の形を借りて、話を詰めていきたいのだが、その対応は可能か、という問い合わせだったのである。そしてこの話はこの話をつないできた日本の商社のメキシコ代表が窓口となり、在メキシコ日本大使館は当面関与させない、ということも合わせて伝えられていた。

日本の公使館を連絡に使わない? いったいどういう意味だ?

カマチョ大統領は、一瞬、何かの罠かと疑った。

が、それにしてはやけに手が込み入りすぎている。日本とは関係が特にいいことも無かったが悪いと言うこともなかった。が、関係を秘密にしたいというくだりで、思い当たることがあった。

そうか、アメリカか……。

アメリカとは良好な関係を表面的には維持しているが、それはあくまでも表面的なものだった。実力ではどうあがいても敵わない相手なので、悪く言えば卑屈に接しているだけなのである。

アメリカ無しでは何も回らない国、それがメキシコ合衆国の置かれた立場だった。

そしてアメリカの日本に対する最近の態度を思い出す。何かにつけて日本を非難していたルーズベルトの姿が思い浮かんだ。

辻褄は合う、というわけか……。しかし関係を深めると言っても何ができるのかね……。

テキーラを口に含ませ、カマチョ大統領は、承諾の意を固めたのである。

会ってみて、それが夢物語だったら、単なる笑い話を楽しめた、と言うことにする。カマチョにもメキシコにも損にならなければ問題は無い……。

後日、官邸を訪ねてやってきた、五井物産のメキシコシティ支店長は、そんな大統領の心を一撃で真剣なものに変えてさっさと帰ったのである。

彼は、こう言ったのだ。

「本日はこころよく面会をお許し頂き、まことにありがとうございます。本日はご挨拶ということで、参上いたしました。今後私どもに格別のご配慮を頂けましたら幸いに存じます。これは僭越ながら、我が国の天皇陛下から閣下に対するお近づきの印としてお預かりした手土産にございます。どうぞお納めください」

支店長は言い終わると木箱を一つ机の上に置いたまま、深々と頭を下げた礼をして、そのまますぐに帰ったのである。

何かキツネにつままれたような気になって、その木箱をおそるおそる秘書が改めてみると、中には大ぶりの純金の延べ棒が三本入れられていたのだ。

事の重要性を察したカマチョ大統領はすぐさま本件について接触する人間を限定し、会談の秘密保持に万全を施した体制を整えさせた後、改めて五井物産の支店長に極秘裏に連絡を入れさせた。

こうしてしっかりとした連絡チャンネルが確立したところで、日本側が持ち出してきた話というのは、日本がメキシコに製鉄所を建設し工業化に力を貸すこと、さらにメキシコ軍の近代化を促進するため、兵器を提供し兵員の訓練を行うこと、そしてその代わりにメキシコ産の原油を引き取ること、そのための送油管や港湾設備の整備も請け負うというものだった。

カマチョは予想外にスケールの大きな話に驚いた。相手は単なる民間の商社の支店長である。

通常なら当然ここにいるはずの政府高官の顔見せも無ければ、元首の親書などもない。だいたい在メキシコ日本大使館の関係者もこの場にいないのである。

一方、話の中身は国家予算のスケールになるものばかりだ。

そもそも日本の商社のような民間の会社はアメリカやイギリスにさえ存在していないので、カマチョの驚きは当然だったのである。

しかし、何にせよ、保証金とも言えるほどの金塊を先に渡されている以上、真贋を疑う必要は微塵も無かった。

「ご趣旨は理解しました。我が国にとってはとてもありがたいお話だと思います。それでさしあたり我々としては何をすればよろしいのですかな?」

「まず日本から公式の使節団を一度派遣したいということでそれを受け入れて頂きたいということです。日本政府から閣僚クラスを派遣するとのことです」

「公式の? 秘密にするのではなかったのですか?」

「今日お話ししたことはほとんど秘密なんですが、一部だけ、つまりメキシコの原油を日本が引き取るという話と、製鉄所を造る協力を日本が行うという成果を発表するためのセレモニーとお考えくださればよろしいかと。ただし、これには一つ重要なお願いがくっついています。私にはよく意味が分からないのですが、弊社の本社からの指示によりますと、この使節団がこちらを訪問する時期に合わせて日本政府は海軍の空母を一隻、こちらに親善訪問ということで派遣したいそうで、これを是非受け入れて欲しいとのことで、私には何でこんなことをお願いするのか今一つ理解できていないのですが……」

苦笑交じりの支店長の説明を聞いて、カマチョは、ああそうか、と日本側の意図を察した。

最初からアメリカを脅すつもりなんだ。これは面白い。こんな痛快なことはなかなかないぞ……。

「なるほど変わった依頼ですな。我が国としては別にお断りする理由はありません。我が国は元々大した海軍はありませんが、一度名だたる日本海軍の空母を我が軍の将兵に見せるのも士気向上につながるでしょう。公式の使節団と空母の親善訪問受け入れのことは了解しました。他には?」

「メキシコ軍の近代化についてなのですが、まず第一弾として戦車大隊を一個整備するそうです。そのための将兵の訓練と武器を供与を合わせて行います。場所はオーストラリアで。従って至急メキシコ軍の将兵から供与する戦車の搭乗員として千人ほど準備し、オーストラリアに派遣する準備を進めて頂きたい、ということです」

「オーストラリア? それはまた遠いところでの話になりますな」

「メキシコから目的地までの兵員輸送の手段も日本にて準備するとのことで、三ヶ月ほど訓練をした上で、兵員と兵器をセットでお届けする、という計画になります。指揮官の教育にもなるので手間が省けるかと。なおオーストラリアでの訓練はこの第一陣だけで、以後は貴国内で貴国士官の指導で訓練されるのが適当だろう、というお話です。なので、その後は日本から戦車とその支援車両のみを直接お届けすることになります」

「なるほど想像以上に日本側の準備は素晴らしいようですな。その第一陣はいつまでにご用意すれば?」

「それはそちらの都合を優先します。兵器の準備はほぼ整っているとのことですので、そちらの都合で以後はスケジュールを決めて連絡頂ければ以後はそれで私どもが管理いたしましょう」

何もかもが異例尽くしの会談は無事終わり、夢物語のような話は本当に動き出した。

あの会談から今日は五ヶ月目なのである。

その後大急ぎでオーストラリア行きの人員を選抜し、派遣部隊を編成させた。

予告通りに日本からの使節団がやってきた。代表団を率いていたのは、日本の商工大臣だった。そしてその忙しい時に、ふだんはお高くとまっているアメリカ大使から緊急の面会申し込みを受けたりした。

親善航海で立ち寄った世界初の空母として名前が売れていた「鳳翔」の存在がアメリカ大使を慌てさせたことは間違いなかった。鳳翔は既に旧式艦だが、それでも足の長い攻撃機の発進基地になるからその動向を気にせざるをえないのだろう。

そうか、アメリカはこんなにも日本を意識していたのか……。

カマチョの中で今まで軽視していた日本という国の存在が急激に引き上げられた。

そしてそんな騒ぎがすべて収まり靜かになったところで、およそ千人の部隊をオーストラリアへと密かに送り出したのである。

そして予定に変更が無ければ今日、その送り出した部隊が戻ってくるのである。

カマチョは太平洋に面したエルカリソという小さな町に出迎えにやってきたのである。

この町は首都メキシコシティからずっと北方になる。何の変哲もない淋しい港町だった。

が、日本の計画によると、ここに将来製鉄所を造り、メキシコ湾岸の油田との間をパイプラインで結び、かつ、メキシコ軍の拠点としても整備するということだったのだ。

要するに今回の日墨プロジェクトの要とも言える場所だったのである。

既に製鉄所建設工事は開始されており、そちらの工事現場の方には日本人もたくさん働いていた。

彼等の仕事の速さはメキシコ人の常識を完全に超えていた。

港の浚渫工事やら岸壁を強化する工事、建設現場の地盤整備工事などが最初にあり、それらが一段落したと思ったら、続々と日本からの輸送船が工場資材を陸揚げしていったのである。

メキシコの普通の道路工事よりもよほど早いと思ったメキシコ人は多かった。

こういう様々な作業をいかに組み合わせ全体のスピードアップができる計画を作るか、という点で日本の商社や大手建設会社のノウハウはかなりのものだった。もちろんメキシコ人は知らなかったが、裏で殿下から関係者に相当な圧力が掛かっていたことは言うまでもない。日本での工事の水準から見てもこの工事は早かった。

今回の訪問を通じ、メキシコシティとこのエルカリソの間の道路事情も何もかもが立ち後れていることがメキシコ側の課題としてカマチョの頭に残ったことは言うまでもなかった。

日本側の視点はこの町の場所を見れば一目瞭然である。アメリカへの牽制そのものだ。米墨国境にこんなに近い場所で強力な軍事力が整備される。そのことの意味はかなり大きいだろう。

ひょっとしたら日本の計画はもっと大きくて、今回のプロジェクトはその一部に過ぎないのかもしれない……

カマチョの脳裡に一瞬そんな考えが浮かんだ。

「大統領閣下、ただいまオーストラリア派遣部隊の船が見えたとの連絡が入りました」

「おお、そうか、すぐ港に行こう、みんな歓迎の準備だ」

すでに港には将兵を迎えるための町の飾り付けなどの準備が整えられていた。

もともとメキシコ人はお祭り好きである。町民も好奇心で相当盛り上がっているようだった。

が、メキシコ側はどんな形で将兵が戻ってくるのかということについて、重大な誤解をしていた。

客船のような大きな船に乗って、戻ってくるものと勝手に解釈していたのである。

ところが海をいくら眺めてもそれらしき大型船は全く見えない。漁船のようなちっぽけな船が単縦陣で進んでくるのが見えるだけだった。

海を眺めていた者は、皆意外に思っていたようだったが、そのうちに誰かがそれを口に出した。

「もしかしてあのちっちゃい船に乗っているのか」

「いや、まさか……」

「しかしあれだけ沢山いるのなら、それぐらいにはなるぞ」

小さな船をあちこちで数え始める声が聞こえだした。途中で数字が分からなくなって正確なところは皆つかめていなかったが、おおよそ三十隻以上はいることは間違いなかった。

港に入り単縦陣の先頭にいた五隻がまず岸壁に接近し速度を落とした。

が普通の船がやるように舷側を接岸させるつもりは無いらしく、岸壁直前で大きく反転し、後進をはじめて船尾を岸壁にぶつけるようにゆっくりと接近してきたのである。

接近しながら船腹が水からせり上がってきた。最初は小さな船と思っていたものが、実はそれよりもずっと大きい船だった。半潜水状態だった船体が完全に水上に現れた。

その船はメキシコ中探しても似た形のものを思い浮かばない、実に奇妙な形状の船だった。

艦尾側は、一枚の垂直に切り立っている大きな壁のようになっているだけなのである。

岸壁に接触するとその板が倒れてきた。開閉するドアになっているのだと皆初めて気がついた。

そしてそれが岸壁との間に渡されると、奥からエンジン音が響き、戦車が姿を現したのである。

その砲塔にはメキシコ軍の横向きになった鷲のマークが描かれ、上部ハッチから上半身を出したメキシコ軍の制服を着た士官が彼等を見つめる人々に向かって敬礼をしていた。

順次、船の中から桟橋へと車両が走り出していく。

車両を七両吐き出すと船は岸壁を離れて行った。沖合に停泊するつもりらしい。そしてそれを待っていた次の船が岸壁の空いたスペースに同じように接岸し、次々に戦車を吐き出していく。

桟橋を埋め尽くしていた人々は戦車の進行をよけるように押し戻され、戦車は轟音を上げながら港の広場に整列を始めた。

今まで何度も貨物船の陸揚げ風景を見てきたベテランでも、これほど早い戦車の揚陸を見たものはいなかったであろう。

二時間も経たないうちに、戦車百四十両余り、補給車七十両余りからなる戦車大隊が整列を終えることになった。

「メキシコ陸軍第一戦車大隊、ただいまオーストラリアから帰還いたしました」

一行を率いてきた大隊長がよく日焼けした顔をカマチョに向け敬礼をしながら声高に叫んだ。

カマチョは夢を見ているような気になっていた。

これがメキシコ軍近代化の第一弾……、常軌を逸している……

日本はメキシコを軍事大国にするつもりなのか……

カマチョは今日ここに来ることを公式予定に載せていなかったことを半分悔いて半分良かったと喜んでいた。メキシコの大手マスコミはこれを知らないのである。従ってここには地元の小さな新聞社以外は取材にも来ていなかった。

当初カマチョはここに来るつもりはなかったのである。たまたま予定が空白になったので、わずかな供をつれただけのお忍びでやってきていたのだ。

もしこれがメキシコ全土に報道されていたら、すぐ熱狂の嵐になっていただろう。

が、それはすぐにアメリカにも察知されることになり、どんな不測の事態を呼び起こすかも知れないのだ。

もっとも日本側、いやとある殿下の目算では、アメリカが速やかにこれに感づくことは、前提条件になっていたから、カマチョが事実上の報道管制を引いたような形になった方こそ、計算違いになっていたのである。

カマチョの揺れ動く心とは別に、まわりの観衆はもう熱狂を通り越した興奮状態になっていた。

あちこちでメキシコ万歳と叫ぶ声が響き渡っている。

戦車を運んで来た奇妙な船の船団は、燃料食料の補給を終えると三日後には日本に向けて出港するらしい。曰く、まだまだ戦車輸送は終わっていませんから、とのことだった。

戦車大隊の大隊長からは、すぐにこちらの将兵にこれらの車両を使った訓練をしたいという申し出があった。

なんでも日本から、すぐ第二陣、第三陣とさらに戦車と補給車を送るのだが、今回のように搭乗する兵士はいないので、今後の揚陸作業はメキシコ人が到着した船に乗り込んで行って欲しいと頼まれたそうである。そのため、戦車の操縦ができるものを大至急育てたいのだそうだ。。

因みに日本側の計画では、第一陣で第一大隊、第二陣で第二大隊、第三陣で第三大隊という形で輸送を行うそうである。ただし、事情によってはいろいろと追加や変更があるとのことだった。

そしてさしあたり、第二陣は二週間後には到着することになっているそうである。彼等を運んで来たあの船は、オーストラリア西海岸から、メキシコまでの長い船旅をたった四日で終わらせたらしい。太平洋横断には一週間以上かかるのが当たり前と考えられていた時代、輸送船としては異様に足の早いものだったということになる。そんな需要が普通あるわけがない。あの船は最初からこのために作られたと考える方が理に適っている。

つまりメキシコに戦車師団一個を持たせること、というのが日本側の当初からの明確な目的だったのだろう。

カマチョの心中など知る由もない大隊長は続いて、自分たちが乗る、この戦車、日本製の五式戦車の素晴らしさについて語り出した。

エンジン出力は五百馬力、整地での最高速度五十キロ、三十ミリを超える溶接による前面装甲板、主砲口径八十五ミリ。カマチョは戦車のスペックに明るくは無かったが、大隊長はさも得意気にそのスペックが世界のどの国の戦車をも上回っているものだと語ったのである。

そしてオーストラリアの大地で、精強な日本陸軍との合同訓練を行ってきたことを報告した。

当初は、とても日本軍のようにはいかなかったが、訓練指揮にあたったロシア人の指導が素晴らしく、その後日本軍のレベルに追いつくことができた、と誇らしげに語ったものである。

その話を聞かされながら、カマチョは自らの言葉にその話を置き換えていた。

つまり新大陸最強の戦車軍団を持つ国にメキシコはいきなり押し上げられたらしいのである。

カマチョにすれば、もう唯々諾々で申し入れを受けていくしかなかった。進め方は荒いが非常に合理的かつスピーディだったので、立ち止まって考えることができなかったのである。

もっとも日本の意図が純粋にメキシコの発展を願った行動ではなさそうだ、という感触は、純粋に貿易の中身としてはメキシコの有利さを浮き彫りにしたことになる。

というのは通常の原油の国際価格で考えると、メキシコ産石油を全量日本向けにしたとしても、この戦車師団とパイプライン、製鉄所ほかの代金に届かせるためには何年もの時間がかかるはずであったからだ。

無論そんな請求をされたらメキシコ経済が立ちゆかなくなる。

しかし、カマチョはそんな話を日本は持ってこないだろうと確信していた。

ひょっとしたら表面上支払いがあったとみんなに分かる程度、つまりセレモニーのような支払いで済ませようとするかもしれない。日本でこれを画策した人間は、おそらく金のことはどうでもいいのである。

日本の国益は、対米戦略という一点に置かれているのだ。

そして日本がメキシコに出した金は、投資ではなく戦費なのである。おそらく日本にとって、戦場で使う金に比べたら、今回のメキシコプロジェクトにかけた金など、端金の部類に入るのだろう。

アメリカがメキシコに恐怖する事態がありえる、とアメリカの政権が考えるようになれば安いものだ、と考えたに違いない。

つまりこの取引は日墨間の取引の体裁は取っているが、本当のプレイヤーは日米なのだ、とカマチョは悟っていた。

カマチョの胸中では今更日本の引いたレールから下りることもできないが、さりとてアメリカの逆鱗に触れ、手痛い目に遭う危険を無視できないと、覚めた頭でメキシコが今後取る道をどうするかを考え始めていた。

メキシコシティに戻ったカマチョはすぐに補佐官に最近の日米関係を詳しく調べるように命じた。

メキシコはアメリカとは過去戦争を行い領土を割譲した相手だが、経済関係の結びつきは強く、事実上アメリカ経済に組み込まれていた。またアメリカははるか南のパナマ運河を押さえている。

つまりアメリカはメキシコを四方から圧迫できるのである。たとえ陸上戦力で急に強国になっても強大なアメリカ海軍に周囲を囲まれている状況では話にならない。米墨戦争でも、またアメリカの南北戦争でも、勝利をつかみ取ったのは海軍戦力を持った方だったのである。

カマチョ、いやメキシコ人はこのようにアメリカのことはよく知っているのである。

しかし日本については、対等な通商条約を結んでいるとはいえ、移民を少々受け入れている程度のつきあいに留まっており、それほどこの関係に期待していたわけではないのである。

現状、日本はアメリカに対しメキシコというカードを潜在的圧力を持つ存在にしようとしているが、かといって日米の間で戦争が行われているわけではないのだ。

にもかかわらず日本の金のかけ方は明らかに戦争状態と認識しているように見える……。

この時代、まだ冷戦という言葉は生まれていなかったが、カマチョはその存在に気がつき、メキシコがこの事態にどう対処すべきかを模索することになるのである。


このメキシコ第一戦車大隊は、西オーストラリア州北部の鉄鉱石の露天堀採掘現場でジューコフの指導によって訓練を受けていたのである。

無論、メキシコ人だけではなく、一緒に日本軍の部隊もそこにいた。要するに日本軍、メキシコ軍をドイツの流れを汲む近代的な機甲師団に変えるための促成合同訓練を元ソ連の将軍がオーストラリアの片田舎の鉱石採掘場で行ったのである。

場所を鉱石採掘場にしたのは、鉄鉱石の露天堀採掘というのは、固い鉄鉱石を火薬でバラバラにしないと運び出せないからだ。戦車砲弾で岩を砕いてくれるのは作業の上でも役立ったのである。

そして日本軍、メキシコ軍を競わせながら新鋭五式戦車の扱い、移動、射撃、連携など、指揮官の動きも含めて鍛えあげたのである。

そして訓練終了と共に、日本軍は兵員だけが輸送船に乗り込み満州へと戻り、メキシコ軍はメキシコへと例の船に乗せられて巣立っていったのだ。日本軍はジューコフにこの先も戦車兵の教育訓練を任せるつもりなのだ。

両軍が激しく砲弾を撃ちまくった後には、見事に小さな破片になった鉄鉱石の山があちらこちらに残されていた。


名古屋の郊外には、新型である五式戦車を流れ作業で生産する工場が作られていた。

これは全くの偶然だが、ソ連のT32戦車をベンチマークに置いた新型五式戦車の量産が開始されたのは、アメリカで開発が進んでいたM4戦車と全く同じタイミングとなったのである。そして量産スケールは最初から五式戦車の方が上回っていた。アメリカは現状ではどことも戦争をやっていないし、例の中立法のおかげでどこにも武器を輸出していなかったので、アメリカ軍の武器更新に必要な数を揃えれば良かったからである。

一方、五式戦車の事情は違った。

日本軍への配備予定数を初めから無視したような月間生産予定数量が要求されていたのである。もちろんとある殿下の厳命があったからだ。

日本軍が要求する量を超える分がどこへ行くのか? これは全く公開されていない情報となっていた。分かっていたのはとにかく完成したら神戸港へ送る、ということだけだったのである。

量産に関しては、諏訪エンジン工場で大量生産のノウハウを学べたので、レイアウトや工作機械の必要となるスペース見積もりなどが簡単に済み、かなり短い時間で工場の設営は終わった。

さすがに生産スケールはエンジン単体のようにはいかなかったが、それでも直近では月に戦車、補給車合わせて五百両程度は作れるようになっていた。

但し、砲身切削にはかなり時間がかかるうえ、そのための工作機械の数が少なかったため、戦車の台数は最大月二百両程度とかなり抑えざるを得なかったのである。

出来上がった車両は量産一号から四百号までがすべてオーストラリアに送られた。言うまでもなくメキシコ軍と日本軍の訓練のためである。

日本本土では戦車戦の訓練場を確保するのは難しく、また守秘という面からも適していなかったのだ。

満州も広いが諸外国の目がかなり集まっている場所なので、派手なことはやりにくかったのである。

しかし、栗林大将を初め、幕府の職員の間でも、この五式戦車の大量生産には首を傾げる人間が多かった。というのも栗林大将は国防軍戦闘序列に従って、機甲部隊の創設は行ったが、そこに配備する常備戦力としての戦車の数は最大でも千両程度だったのである。

遣外軍の方でも航空機や船舶ならともかく、陸上兵器を大量に必要にする構想なぞ、全く企画していなかったのである。

従って、こんな規模の量産工場など必要ないのだ。

それでもメキシコ軍への提供ということで少なくとも数の消化はできることは分かったが、原油代金の代わりとはいえ、メキシコだってそんなに沢山の戦車はいらないはず、と考える者が多かったのである。

しかし現実には、メキシコ側にはまともに説明していなかったが、その後もメキシコ向けに毎月二百両ほどを送るように計画は組まれていたのである。しかもこの計画にはまだ続きがあった。

もっともこれを知っている者は非常に限られていた。全てを知る者は発案者である殿下を除けば、政府ではなく五井物産の関係者だけだったのである。

ただ一つ言えることは、実際に工場を動かしたら、エンジンの時と同様、品質が安定し製造コストが激減したことである。今風に言えば、品質管理と生産効率が格段に向上したのだった。

それまでの旧式戦車が、一両当たりの製造コストは世界の第一線級と同じぐらいなのに、中身がポンコツだったことの真の原因を幕府職員関係企業一同、正しく理解することになった。

職人の名人芸に頼ってちまちま作るという作り方がダメなのである。

いかに作業を簡素化し、短い時間で作業が終わらせられるか、名人芸に頼らなくても同じ機能を果たせる形状のモノを設計するかなどなど、要するにモノを完全にする全ての情報を図面に落とし込むことこそが、良品を大量に生産すること、即ち大量生産なのである。

どんなに優れた品物でも量産できなかったら絵に描いた餅にしかならないのだ。

一見大量に作れてもほとんど不良品では話にならないこともまた同じ。

そのため全ての部品について、詳細な設計図と並んで材料指示図、加工指示図が用意されるようになった。

言わば図面至上主義である。

図面によって指定された通りの材料を指定された通りの加工方法で指定時間行い、指定された通りの品質にならなければ、それは欠陥部品ということになるのである。

もちろん純粋な書き忘れ、例えば図面の指示漏れというような図面自体の欠陥ということもある。

とにかく個々の事情はどうであれ、図面こそ命というわけだ。

こうして膨れ上がる製図要求に応えるため、若い優秀な製図工が全国から集められることになった。

様々な理由で完成品の部品としては全く形状も材質も変わっていないにもかかわらず、工程図や材料指示図だけが大幅に書き直しを求められた部品が沢山出たからだった。

このように図面の標準化が進んだことで、とにかく不具合が発生したらその原因を突き止め、何らかのフィードバックで改善を図って図面に織り込むという流れが曲がりなりにも機能するようになったのだった。

この結果生産初期には目も当てられないほどひどかった不良品率はどんどん下がり、兵器としての信頼性はぐんぐん高まっていった。

不良品を出しながらも量産を続けている、ということは、悪いところが見つかったら、その部分を改めた新しいものを新たに作るのが一番効率がいいのである。

極端な話をすれば完成品が欠陥と分かったら、溶鉱炉に入れて溶かして原料にする方が、それを作り直すよりも早い、ということも多いのである。。

今までは兵器と言えばほとんどの部品が一品料理のものばかりだったので、こういう発想が取れなかったのだ。

大量に生産されるエンジンは、信頼性の高い戦車を安く作る道を開いたのである。

同じようなことは航空機でも起こっていた。

今までは配給された限られた数のエンジンを使い回すか、割り当てられたエンジンの数に合わせた試作機しか作れなかった。

が、この数量制限が大幅に緩み、今や同時に複数の機体を用意して試験飛行させる、というやり方が取れるようになった。

当然、結果がすぐ出るので、判断もすぐに出来る。航空機開発もスピードアップすることになった。

もっとも、先を行く国はもう次の世代の実用化に入っていた。

この秋、ドイツではメッサーシュミットMe262ジェット戦闘機の量産が始まっていた。



誤字ご指摘ありがとうございました。

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