大戦略
第二巻では1942年と1943年を扱います。
皇居の中には御文庫と呼ばれる小さな建物があった。その中のまた小さな部屋で二人の皇族が側近を排し、これまた小さな一つの机を囲み紅茶を嗜んでいた。
外からの音は全く入らず、またお互いの声もほとんど響かない。
分厚い絨毯と大量の本が四方を埋めている上に、そもそも壁や天井自体にも大量の吸音材が仕込まれている空間なのだ。
普通の話声では、少し離れたらすぐ聞き取れなくなるような部屋なのである。
服装は二人ともどちらかと言えばラフであり、ワイシャツでノーネクタイ姿である。
年若の者は三十代、そしてその相手は五十代ですでに白髪交じりだ。
年嵩の方はきっちりとした黒の革靴を履いていたが、年若の方は、まるで庭いじりの途中であったかのように、ゴム長を無造作に履いていた。
二人の纏う空気も対称的である。
年若の方は常に穏やかであり年嵩の方は鋭く研ぎ澄まされた厳しいものだった。
が、言動そのものにはそのような空気は全く現れず、二人の間で交わされる会話は非常にゆったりとした、静かなものになっていた。
「それで、アメリカとの戦さの可能性は無くなったと考えてよろしいのですか?」
年若の方が眼鏡ごしに目を向けながら訊ねた。応じる方は一瞬その目を確かめるように見つめた後、かなりの間を置き、一回大きくため息をついてから答えた。
「少なくとも一年は時間が稼げたと思っています」
「たった一年、ですか?」
「ルーズベルトの日本に対する警戒心、いや、ここははっきりと敵対心と言った方が的確でしょう。とにかくそれはかなりのもののようです。いろいろとこちら側のつっこみ所を消しましたので、当面は難癖をつけられることはない……とは思っていますが」
「ルーズベルト大統領の我が国への心証がかなり悪いと……」
「背景、理由は目下調査中ですが、その点については外務省関係者も完全に同意しております。現状真っ正面からいろいろと掛け合ってもどこでどんな罠を仕掛けられるかわかったものではないかと」
「しかし我が国を敵視することでかの国が何か利益を得るのでしょうか。私はそこがよくわかりません」
「鋭意そのご質問に的確にお答えできるように調査を急がせます。幕府の優秀な若手をアメリカに派遣いたしましたので、おいおい今まで以上にいろいろとわかるようになるとは思います。ですが、それがわかったところで、この問題の本質を何とかしないと今後も今回のような危機が何度も訪れることは間違いありますまい。私としてはルーズベルト大統領が何をどう考えていようが関係無く、むしろそちらを先に解決したいと考えております」
この言葉が初老の男から出ると相手は目をつむり、一度顔を伏せるようにして何かを思い浮かべるような仕草をした。そして慎重に言葉を選んだかのように、非常にゆっくりとした語調で質問を重ねた。
「……それはそもそも解決が可能なことなのですか?」
「難しいとは思いますが不可能ではありますまい……。驕る平家は久しからず……ということもあります。私は私のスタッフにあの国の成り立ちと国を動かす意思がどのように形成されているのかを慎重に探らせました。かの国は陛下もご存じの通り非常に若い国である上に、この世界の歴史上最も急速に発展を遂げつつある国であります。何故そんな急速な発展が可能だったのか、そこに我が国の彼の国に対し取るべき戦略の要諦がある、と私は考えております」
「ほう。それでそれは何だと」
「一つは彼の国自身が世界に喧伝しているように、その建国の理念でしょう。世界中の支配体制の確立した国で受け入れられなかった人間を移民として受け入れその自由を保証する、ということが幅広く世界の人民に受け入れられている、ということが大きい。これにより世界中の既存の国家に受け入れられなかった者達、人民を味方につけているということがあります。が、これには裏の顔もあります。もともと先祖から受け継いだ資産など何もないということから始まった国ですから、この国の歴史は簒奪の歴史でもあります。最初はイギリスの植民地からスタートし、そのイギリスを裏切って独立、以後は侵略戦争と豊富に産出する金を使って領土の拡張を図り、ついには太平洋へ進出、ハワイを併合し、フィリピンをスペインから奪い、日本にも拠点を求めてやってきたと……。私が元々いた戦国の世の感覚なんでしょう。領土は切り取り放題、というような」
「そうですか。切り取り放題ですか……。それは困ります」
「ただ、これも未来永劫ずっとこのまま、ということはありますまい。無産者であるうちは貪欲ですが、世界の中での富者という立場に自分たちがいると気がつけば、いろいろと外を見る目も変わるでしょうし、何より、今持っている財産に対する執着が対外的なリスクを避ける方向へと働くようになるでしょう。その端境期のような時期が今の彼の国の状況なのだろうと私は思っています。ここで問題なのはあちら側から見た時の周囲の状況です。本来ならば、太平洋という大きな海を越えた先にある日本のことなど眼中に入れる必要すらないはずなのですが、これが何かとちょっかいを出しやすいという状況になっている」
「それは何故です?」
「いろいろありますが、一番大きな理由は一応国境を直接接している中では唯一彼の国が勝っていない国だから、ということが大きいでしょうな。まあ、これは私の経験での感触ですが。過去一度でも叩いたことのある相手というのが牙を剥くことは稀なのです。が、一度も叩いたことの無い相手はいつまで経っても信用できる相手にはならない。融和策を採り続けた信玄や謙信は最後の最後までたてつきましたが降伏してきた者はごく一部の例外はあるものの、大抵は良い家来になりましたからな」
「つまり我が国がアメリカに警戒されていると……」
「さらに言えば一種の好敵手である、と見られているというのもあるかもしれません」
「まさか……。それはいかになんでも贔屓目が過ぎるでしょう」
「いや、外交官の話によるとアメリカでのヨーロッパに対する劣等感というのは相当なもののようで、ヨーロッパに比べれば文化や技術で遅れているという自覚はかなり強いそうです。で、それについての時代というか時間感覚なんですが、日本、アメリカ両国が急速に発展を始めた大きな契機となった二つの大きな事件、すなわち日本の明治維新とアメリカの南北戦争の時期がほとんど同じというのが問題なんですよ。そして両国の師匠格に当たる国がともにイギリスということも少なからず影響している面もある……。日本が意識をしていなくてもアメリカの方にはいろいろと気にしなければならない理由があるようなのです」
「それは迷惑な話です」
「全くです。別な言い方をしましょう。アメリカは遊び相手が欲しくてしょうがないんですよ。日本にとっての中国みたいな場所がすぐ近くにでもあれば日本へのちょっかいなどかなり消えるだろうとは思います。ところが北のカナダは英領です。南のメキシコは米墨戦争でメキシコを徹底的に叩き、その領土のほぼ三分の二を奪った相手ですからね。おそらくアメリカの相手など二度としたくないとなっている。いろいろと調べてみるとそもそも元の宗主国のスペインが統治していた時代から宗教やらなんやらにいろいろと収奪を繰り返されていて、元々アメリカとの戦争なんかまともにできるような状態ではなかったようです。しかもメキシコから奪ったテキサスやニューメキシコ、カリフォルニアからは石油や金まで出たとあってはメキシコにしたら顔も見たくない相手、というところでしょうな。それぞれの元宗主国がバックにいるわけですが、この両者の差がまた大きかった。産業革命で勢いづいたイギリスと落ち目のスペインではね。スペインの無能無策ぶりに気がついて、アメリカはさらにフィリピンにも手を出してこれを奪った。ハワイ王国に白人を送りこんで王政打倒をやらせて、その後これを併合です。そして太平洋艦隊の拠点とした。まったくたいしたものです。簒奪する手段、タイミング、敵味方の選定、何をとっても無駄が無い。もはや領土簒奪のプロと言っていいでしょう。到底我が国が真っ正面から戦えるような国ではありません。しかしこのアメリカの領土拡大の方向を見ると、ごくごく自然にアメリカの次の狙いは日本だ、と考えるべきだとは思いませんか」
「では、赤坂宮は……」
「重要なことは我が国に手を出すのは高くつくと思わせること、そして我が国以外に常に警戒しなければならない相手を用意することの二つです。現状アメリカの身のまわりには敵らしい敵が全く居ない状態です。全力で日本に対応できるなんていう状態は日本にとって潜在的に危険極まりない。さっさと欧州の戦争にでも首を突っ込んでもらえていたらそれだけでもかなり安心できるところなのですが……。私としては、アメリカとかつて戦った国との関係をより密接にすることでこの構図を変えようと考えています。そういう意味で米英を一体化して扱うのは今後やめます。この両国をまとめることほど我が国にとって危険なことはありません。逆に言えばアメリカから見て最も潜在的脅威度の高い国はイギリスなのです。それをアメリカ人はよくわかっている。ですから我が国の今後の外交の一番大きな柱は、とにかくイギリスにつき、アメリカとの間に常にくさびを打ち続けること、そして第二はメキシコの発展に極力協力し、自信を取り戻してもらうことですかな。イギリスとイギリス連邦を味方にさえつけていれば何とかなります。逆にそれが無ければ日本はたちまち窮地に陥るでしょう。アメリカが現状日本に対し圧倒的な有利を保っていられるのもイギリスと事実上の同盟状態が確立しているからです。これはアメリカにも言えること。イギリスを敵側に押しやると長い国境線を持つカナダに対する警戒を解くことができなくなります。しかもそのカナダとの国境線にはアメリカの政治と経済の中枢が多数存在している。これだけでも大変な負担になるでしょう。ま、だからこそ独立戦争後はイギリスとの関係改善に全力を挙げてきたとも言えるわけですが。とにかくアメリカのことを考える場合、イギリスの存在を抜きに考えるわけにはいきません。米英が一体化した状態での対立など愚の骨頂です。その意味で三国同盟は実に危険です。今のところは、なんとか最悪の状態を回避していますが」
「ではメキシコと軍事同盟でも結ぶのですか?」
「軍事同盟というのはある程度強力な軍備を持った国と結ぶ物です。軍事的にほぼ無力なメキシコと結ぶ意味はありません」
「では軍事顧問団の派遣とかですか?」
「そんな目立つことは逆効果でしょう。メキシコの内情をもっと探らないとなんとも言えませんが、私が思うところ、まだそんな段階ではないでしょう」
「では赤坂宮はメキシコで今何をするつもりなのですか?」
「当面はメキシコという存在がアメリカの目に入る存在にすることが目的です。さしあたり製鉄を中心にした工業を立ち上げねばならないだろうと」
「それだけですか?」
「アメリカの産業構造は大規模な農業の基盤の上にようやく工業が根付いた段階です。問題なのはこの工業分野について、ヨーロッパを除けば現状世界に競争相手はいません。しかも世界全体はこの鉄関係の需要が今急速に膨れ上がっている。供給者は少ない。だから日本も急速に発展できたわけですが、アメリカの置かれている位置は日本以上にはるかに有利です」
「なるほどだから競争者を用意したいということですか」
「そういうことです」
「日本にとっても競争相手を増やすことになりますけど」
「アメリカが一人太りするよりははるかにマシでしょう」
「打算ということですか」
「むしろそういう相手がいた方が日本の存在が突出しなくてすみます。日本の存在を華々しいものにしてはいけません。現状、世界の中で日本は民族、言語、文化の上で極めて異質です。何がきっかけで排除対象にされるかわかったものではない。だから目立つのは危険過ぎるのです」
「となると軍隊は使わないわけですか」
「ええ、ここはあくまでも民間の貿易を促進するという形を取りたいところです。もちろんメキシコ政府との関係が密になり先方に求められるようになれば考慮してもいいでしょう。当面は現状アメリカに嫌がられている移民をメキシコに向ける代わりに、工業を整備するための資本、技術供与を与えるべきという意見が幕府の大勢を占めています。私もそれに賛成です。メキシコには是が非でも強国、少なくともアメリカが常に気にしなければならない程度の国になってもらいたいですからな」
「アメリカとイギリス、メキシコのことはだいたいわかりました。それでドイツやソ連、そして中国のことは? 特にドイツについては関係が悪化する恐れはありませんか?」
「今後も大っぴらに三国同盟の破棄を宣言するなどというようなことをやるつもりは全くありませんが、ソ連への支援などいずれは向こうにもわかるでしょう。報道されれば国民感情のようなものの悪化は避けられないでしょうな。しかし、ヒトラー、あるいはナチスの中枢はそもそも条約や同盟をどれだけ重視しているのかは甚だ疑問です。この点についてはスターリンも同じです。つまり私からすると我が国への直接脅威に結びつかない限りは都合良く利用するという程度の関係に止めておいて問題無いでしょう。そもそもヒトラーは世界中に敵を作りすぎです。こんなのを信頼してずっと後を追っていてはそれこそ日本の危険が大きすぎる。国が滅びます。そしてドイツにしてもソ連にしても中国にしても、大陸の国の発想は、自分たちの縄張り争いに捕らわれすぎ、世界全体をどうこうする発想に乏しいようです。今のところ、アジアについては中国から手を引かせたので満州、遼東半島、朝鮮半島、台湾の備えは万全です。また戦火が収まったため、満州や遼東半島での工業生産も徐々に軌道に乗り始めています。そして当分の間は内戦や対独戦に忙しい蒋介石もスターリンもこちらへの進撃を指示する余裕はありますまい」
「国際連盟は?」
「アメリカも日本もソ連も参加していないような団体に何か意味があるとは思えません」
「赤坂宮の考えはよくわかりました。それで進めてください。あと、内閣など内政面で何かありましたらついでに伺っておきましょうか?」
「先ほどのメキシコ関係、イギリス関係の多くは我々というよりも内政を担当する内閣の仕事になることがほとんどになると思います。その点を周知して頂けると助かります」
「わかりました。総理には幕府からの指令に従うよう、私からも話をしておきましょう。本日はご苦労様でした」
「いえ、いろいろとご心配をおかけし申し訳ありません。それでは失礼いたします」
紅茶を飲み干した赤坂宮は立ち上がり深く一礼をするとゆっくりと部屋から出て行った。
赤坂宮が出て行くと入れ替わりに侍従の入江が入ってきた。
「如何でしたか?」
「さすがですね。想像以上だと思います。ただ……」
「何かご懸念でも?」
「部下には意外と甘すぎるのではないかと少々気になりました。本能寺のようなことがまたあるのではないかと……」
「光秀のような人物に心当たりがございますか?」
「いや、全然。単なる懸念です。忘れてください」
御文庫での会談の翌週、首相官邸では閣議が開かれていた。
「本日閣議決定が必要だった案件はこれで全て終了です。引き続き審議を続けたいと思いますが……。本日はまず総理からの説明があります」
官房長官から促され首相の東条が立ち上がった。
「すでに内大臣から内務大臣や外務大臣は説明を聞いているだろうが、このほど赤坂宮殿下が陛下より我が国の大戦略とも言うべき政策方針のご承認を頂いたそうだ。元々は外交軍事の話であるとはいえ国民生活や産業育成とも大きく関わることも多く、陛下よりくれぐれも赤坂宮殿下と幕府に協力して欲しいとのお言葉を頂いた……」
そこで言葉を句切った東条は官房長官に目配せした。それを受け官房長官が目配せをすると秘書官が大臣たちに紙を配り出す。
一番上に大きな赤い極秘のスタンプが押された紙には三つの項目が並んでいた。
英および英連邦諸国との友好善隣関係を最優先に強固にする
メキシコとの友誼を発展させ一層緊密なものとし、彼の国の工業を中心とした産業育成に協力するとともに貿易の促進を図る
ソ連・ドイツ・中国・アメリカとの関係は現状を維持する
紙に目を通した閣僚の口からはポロポロとつぶやきが漏れた。
「三国同盟は?」
「現状維持……」
「何故、メキシコ? 産業育成? なんだ、これは」
「アメリカとの関係も現状維持?」
「さっぱりわからん……」
閣僚達のつぶやきはある意味当然だった。ソ連との間で起こったこと、ソ連の対独戦を支援していること、樺太全島を割譲してもらったこと、オーストラリアで鉱山開発と製鉄所を造っていることなどなど、東条と幕府関係者以外には極秘扱いを貫いていたからだ。
理由は単純である。ヒトラーにもルーズベルトにも三国同盟が機能しているように思わせたいからだった。樺太の全島編入など内外に広く知らしめたいところだが、それをやるとソ連との交渉があったことを認めることになる。今はそんなマネをしても自己満足以外得るものは何もないのである。
ただ秘密はそれだけではなく、ルーズベルトから天皇宛に送られてきた親書と日米通商条約の新規締結問題もまた知っているのは首相と外相だけで、閣僚全員に明らかにされてはいなかった。
無論赤坂宮の指示である。
赤坂宮の東条首相に対する説明では、ルーズベルトの親書など今の段階ではとても信用できたものではないから、ということだった。下手に閣僚に情報を開示して、内閣の意見が不一致などと言われる事態を招いては恥をさらすだけだ、とも言われた。
正直、自身が選んだ閣僚に情報を伏せておくのは東条の性格からするとかなりきついものだったが、そこまで殿下に疑われているような人物なのか、と改めてルーズベルトに対する見識を改め、指示通りに秘密扱いを守っていたのである。
閣僚達のつぶやきが一巡したところで、東条がようやく口を開いた。
「いろいろと疑念が消えない方もいらっしゃるでしょうが、とにかくこれは陛下が決められた勅命です。そしてここにある方針に従った日本の政治もいろいろと変えていかないといけない。そのため私は内閣改造を行うことにいたしました。二週間後には新閣僚による閣議開催を行いたいと思っておりますので、そのおつもりで。とりあえずあさってまでにそれぞれ辞表を私宛に出してください」
「それは、唐突ですな。が、こういう事情ではやむを得ないでしょう」
「何か一山越した、というところなんでしょうな……」
「世の中が落ち着いている今が確かに狙い目でしょうな、改革をするなら」
「で、新内閣の人選は……」
と一人が言いかけたが、隣に座っていた人物がそれを止めた。
「ここで言えるわけないですよ」
そのやりとりが閣議終了の合図と受け取ったのか、官房長官が簡単に閣議終了と宣言し各閣僚が一斉に立ち上がった。
東条内閣が誕生してわずか半年後の改造発表にマスコミは大騒ぎになったが、ただしそこには幕府の新方針の話は一言も書かれていなかった。
が、世の中はこの内閣改造のニュースを上書きするような発表がなされるように動いているらしい。年頭教書演説でルーズベルト大統領が対日石油禁輸策を発表したというのである。
もっともそれがどういう意味を持つのか、本当に分かっている人間は極めて限られていた。
親書のことを閣僚にすら秘密にしていたことが余計な騒ぎを起こすのを防いだことになった。
このニュースによって憤りを感じる人間はほとんど出なかった。
無論東条首相、来栖駐米大使、豊田外相などの主要閣僚や、赤坂宮や幕府の職員は一連の流れを当然知っている。
一見すれば冷静を装ってはいたが、東条首相などは一度赤坂宮から『うまいことまとめてみろ』と言われ、それなりに初仕事として張り切っていただけにかなりの憤りを感じていた。が、それと同時に、最初からアメリカからの親書をまるで広告のチラシでも見るかのように扱っていた赤坂宮の態度を思い出し、彼の読みの鋭さとともに、国際社会という世界の恐ろしさというものを味わった気にもなったのであった。
まともに親書を受け取っていれば、くず鉄の輸出再開を持ちかけ、期待をさせておきながら、本格交渉を始める前にいきなり石油の対日禁輸の発表である。赤坂宮の見せたあの態度が無く、親書とそれに連なる一連の交渉に本気の望みをかけていたりしたら、それだけで宣戦布告と口走ってもおかしくなかったところだったのだ。赤坂宮と幕府スタッフとの接触を通じ、今は東条にもルーズベルトがことあるごとに日本にアメリカを攻撃させたいと考えているのか、という疑いを持たせていた。この親書はそういう陰謀の道具で、それに自分はまんまと嵌まるところだったと、ホッと胸をなで下ろしていた、というのが怒り以上に東条の心の内を占めていたのである。
そんなことは露ほども表には出さず、改めて親書の内容と日米交渉の議事録をチェックしてみると、アメリカ側の表現は、くず鉄の輸出の再開を前向きに検討する用意がある、程度の表現で巧妙に「約束はしていない」状態を維持していた。これならこういう事態になってもあれはあれ、これはこれといくらでも言い訳ができる。最初から元通りの関係にする意図などなく、新たな要求を日本に呑ませるための一つのステップのようなものにも見えていたのだった。
経緯はとにかく赤坂宮初め、幕府も内閣も本件に関しては冷静だった。
なにしろ赤坂宮がくず鉄や石油禁輸の危険性を指摘したのは、日中戦争をやめるずっと前のことなのである。
その危険性を察知したから、一方的に中国から撤退し、イギリスに近づき、オーストラリアでの製鉄事業を始めたり、石炭と石油の備蓄と消費体制の見直しをやったのである。
むしろ今回の一件は、アメリカに何の意図があったにせよ、日本の対応をアメリカが全く掴んでいないことを雄弁に物語っていた、とも見ることが出来、罠を掻い潜ったという満足感すらも日本側指導部に与えることになったのである。
従って、備えは万全に整っており、その受け止めは、「やっと来たか」程度のものだった。
今石油を止められても、実際にいろいろなところで支障が出るまでの期間は大幅に伸び、以前は三年程度だったものが、現状では十年程度というところまでになっていた。従って慌てて何かする必要は全く無かったし、近隣にあるソ連やイギリス領との関係も良好なことから、仮にアメリカが態度を変えなくてもなんとかなりそうだということは理解できたからだ。
ルーズベルトにとっては運命の皮肉にしかならないが、実はこの時、さらに日本にとっては吉報とも言える情報がもたらされていたのだ。
その情報をもたらしたのは政府機関では無かった。世界に情報網を拡げつつあった商社が幕府スタッフに知らせてきたものだったのである。
先の内閣で配布された帝国の国策要綱に記されていた戦略案をまとめるにあたり、世界中の情報をできるだけ広く集めるべく、伝手となりそうなものには何でも手を出していた幕府のアンテナにひっかっかったのは商社からもたらされた駐在員の業務報告書だったのだ。
そのメキシコレポートにあったのである。
メキシコはメキシコ湾沿いにアメリカの油井地帯から続くような形で油田を持っていた。ただしこの油田はイギリスとアメリカの会社によって造られたものだった。
それをメキシコ革命政権の大統領が最近強引に国有化したのである。当然米英側は反発し、メキシコ産原油の引き取りを拒否し、メキシコ政府が苦境に陥っているというのである。
難点は、太平洋側に原油の積み出し港が無いことで、パナマ運河がアメリカの管理下に置かれている状況では、いつタンカーの通行をブロックされるかわからないので、カリフォルニア湾に向けてパイプラインを整備する必要はあるが、事情が事情だけに両国が合意できる可能性は高い、という話だった。
赤坂宮の行動は早かった。東条首相、豊田外相などが待っていた今後の対米交渉に対する指示などは即座にほっぽり出し、メキシコにすぐ交渉団を派遣すると言い出したのである。
但し、この指示は内閣宛ではなかった。内閣は通さず、業務報告書の本来の持ち主であるその商社、五井物産に幕府からの出頭命令として伝えたのである。
代表取締役兼副社長という人物が慌ててその呼び出しに応じた。たまたま社長も会長も社外だったからである。幕府からの緊急呼び出しを無視するのはまずい、という理由で押っ取り刀で駆けつけたのだ。
赤坂離宮に出向き、面会の場として用意された部屋に通されると、面談相手として現れたのは、数人の幕府スタッフに囲まれた、予想だにしていなかった赤坂宮本人だった。
写真などでは広く知られた赤坂宮を見間違えるはずもなく、そして第一声が本人の自己紹介だったので、もはや間違えることなく相手は赤坂宮だと認識せざるを得なくなった。
最初は名門財閥の経営者という鷹揚な感じで赴いたのだが、こうなるともはやそんなことは言っていられなくなった。
声が上ずり、全身に汗が噴き出すのを感じつつ、とってつけたような宮中向けの挨拶言葉を必死に探し、しとろもどろになりながら、どうにか呼び出し案件の説明を聞くところまで辿り着いた。
実時間は数分ぐらいしか進んでいないはずだが、心情的にはもう一時間以上も会談が続いているような感覚にとらわれていた。
その後は、まるで新入社員時代に初めて外国のお客様との商談に同席した時のように、一緒に連れてきた秘書共々、赤坂宮の複雑な指示を、頭をフル回転させながらなんとか理解し、要点をメモし、やるべきリストを手元で作り上げさせられることになった。
それはおおまかに言えば、日本からの政府使節団をメキシコに向かわせるのでその手配や連絡事務を行うこと、メキシコ政府要人との会見をセッティングすること、現地の日本大使に対する状況説明を駐在社員の手でやること、などであった。
それだけならそれほど難しいことではなかった。が、ここから赤坂宮は事細かく五井物産内部の業務管理態勢と連絡ルート、手順に注文を付け始めたのである。
前代未聞の要求に頭を真っ白にさせながら、副社長は赤坂宮がどういう連絡網を作ろうとしているのかなんとか理解しようと努力した。そして最後に、これらのことは一切世間に発表をしないように、と聞き、ようやく自分の内側で辿り着いた結論に納得することができたのである。
会談終了後、急ぎ会社に戻ったこの副社長はすぐに親会社である財閥の持ち株会社幹部などに状況を報告し、社内にすぐさま極秘の特命チームを立ち上げさせた。そして商社内各部門の横断的な委員会組織を作り、細切れにした情報を各部門がそれぞれメキシコ側の対応部と連絡を取りつつ、各部から総支配人に報告されたその通信の断片が最終的にメキシコ側総支配人の元に集まると本来の情報が初めて復元されるようにする通信体制を即座に組み上げたのである。
この時代、電気を使う通信の主流は電報である。とはいえ個人にとっては国際郵便を使うのが常識だった。国際電報にはほとんど馴染みはなかった。が、官公庁や事業会社では緊急の用件などいくらでもあったので、普通に電報が使われていたのだ。
しかし通信する字数で料金がかかるため、政府と民間会社では使い方がかなり違っていたのである。
両者とも通信の秘密を守りたいという同じ動機を持っていたが、仕事の性格や用途が違っていたので、暗号化の方法が全く違っていたのである。
政府機関の使う暗号はサイファ型と呼ばれるものだった。どんな内容の文章でも暗号化した交信をすることができたが、それは決められたある種の数式、即ち暗号化キー、復号化キーに頼っているため常に解読される危険性が残ったのである。それにこのサイファ型の暗号というのは、暗号としての強度、すなわち他人が解読しにくくなる程度、を高めるためには、冗長性を増す、つまり本来必要の無い情報を増やす必要があった。つまり簡単な内容でもものすごく長いものになるということだ。当然、暗号化するのも復号化するのも時間と手間が非常にかかるのである。
このため、その作業を機械で行うようにした暗号化装置が普及したのだが、どんなに高度な暗号でもサンプルとなる通信文が増えていけばいくほど、その数式を探り当てられる危険が増すことは避けられなかったのである。
ところで世の中にはコード型という全く別な暗号が存在する。
これは単語自体をまるまる別の単語に置き換えてしまうのである。
コード型暗号の場合はその置き換え辞書を知らないと解読は非常に難しくなる。
高価な暗号機などを使うわけにはいかない民間の商社で暗号と言えば、このコード型だった。
総合商社の各部が行う通常業務での交信など、もともとはその業務毎で変数として意識されたもの、例えば価格、日時、場所、数量などを伝えるための単純な内容である。だからその業務専用のコード化辞書はそんなに分厚いものにはならない。
しかし総合商社はその部門の数が非常に多い。そしてそれぞれの部門は業務が狭い範囲に絞り込まれており、この辞書を複数の部門で共用する必要は全く無かった。その結果、コンパクトなサイズの専用コード辞書を部門毎がバラバラに持っていたのである。
もしどこかの機関が総合商社の通信を傍受しようと試みるとどういうことになるか。
部門呼び出し毎に違う辞書が無数にある通信を傍受することになるのである。しかも食料繊維から兵器まで、総合商社の取り扱い商品は幅広く、その通信量は膨大だった。その全てを分析することなど、暗号解読に人力にしか頼れなかったこの時代ではどんなに人員を投入しても不可能と思われたのである。
即ち総合商社という組織は、秘密通信を行うのには最強のインフラを持っている存在だったのである。
赤坂宮の暗号研究開発チームはこれに目を付けた。
完全に独立したシンプルかつコンパクトなコード化辞書を用いて、並列的に各所と連絡を取り合う機構がある。そして同時にその部門同士は組織図という人の意思によって作られた、つまり自然科学とは別な理によって作られた全く別な体系にも組み込まれている。
それなら、もしいくつかのトリガーとなる情報をそれぞれ異なる部門の辞書に書き加えておいて、それらをすべて見ることのできる人間だけが全貌を知ることができるシステムを構築できたら、ほとんど解読不可能なシステムになるのではないかと。
この暗号を解読するためには、まず全部門の辞書を入手した上で、しかも各拠点を含むすべての人事、人事異動、組織情報を知っていなければならないのである。
完全な情報の姿になる各拠点長への人的接触による情報漏洩以外、まず情報流出の心配はないだろうと結論づけたのだった。
具体的には各部門にそれぞれ支店長宛という意味の符丁となる単語を作らせる。
そこに元のメッセージを何文字かに区切ったものを割り当てるのである。支店長に対しては幕府指令を意味する符丁を用意させておき、その中身がどの部門のメッセージにあるのかだけを符丁で知らせるという仕組みだ。全文の文字数がかなり長いものでも、五つぐらいの部門に割り当ててしまえば、メッセージの全文を推測することは難しいし、そもそも他部門宛のメッセージを見る機会自体が早々ないのである。
それで赤坂宮は、五井物産の世界に広がるネットワークを手中に収めることにしたのだった。
内閣改造が世情を騒がしていた時、幕府の置かれた赤坂離宮の隣接地に新築されたビルの一室では、やや風変わりな説明会が開催されていた。
それほど大きくはない部屋に集まった人数はおよそ三十名ほど。全員が男だった。前に並んで立つ主催者側とみられる十人は一部に陸軍と海軍の軍服を着込んだのがいたが、それ以外はありきたりのサラリーマンのような背広姿だった。
彼等を前にして、まるで教室のように机に向かう形で座っている方もサラリーマン風である。
ただしこの会議の雰囲気が決して学校の同じでないという一番大きな理由は、座っている方は明らかに五十代以上で背広や持ちものを見ても上流階級的であったのに対し、前に並んでいる方は、学生を終えたばかりの年齢層に見えていたことである。
「というわけで、本日は殿下の話された内容をなんとか具体的な形にできないものか、ということをご相談したいということでわざわざご足労を頂いたというわけです。今までは軍の内部であくまでも既存兵器の改良とか改善という形で単品の新兵器開発のお話ばかりしかしてこなかったもので、今回のように殿下からその使い方の具体例を示された上で、それに最適化した複数の武装をまとめて用意しろと言われると我々としてももうどこから手をつけたらよいのか皆目見当がつかない……、というのが正直なところだったのです。まあ、状況がだいたいどういうことかわかって頂けたと思いますので早速その中身をご紹介させて頂きます。まず最初のケースは敵地へ海から侵入し上陸、沿岸の敵を制圧した後、さらに奥地へと部隊を送りこむというものです。これだけ聞くと今までもやっていたじゃないかと思われるかもしれませんが、殿下からはこれをいかに短い時間でできるようにするか、を考えろと指示されているのです」
説明役らしい一人が部屋の角に近いところで説明をしていた。言葉が切れたところで、一番前に座っていた太り気味の丸眼鏡をかけた白髪の男がやや大きな声で発言した。
「それは当然敵が反撃を絶え間なく行っているという状況下で、ということですな」
「その通りです。無論敵の反撃は航空機も含めあらゆる手段があるという前提です。その前提を一つ一つ技術的に取り除けるような兵器、というより兵器群をまとめて造れ、ということです」
「今までだったら海上戦力をまず叩き、それが無くなってから沿岸の敵戦力を叩き、それから輸送艦を近づけ、クレーンで物資をはしけに載せ、それから上陸をやる、という手順が必要だったが、それをもっと簡単に素早くできるようにしろ、ということですかな」
「殿下が例えばとおっしゃられていたのは、船から海へと直接発進し、そのまま上陸して進撃できる戦車などと」
「いや、それは素晴らしい。ですがそれはいろいろと不可能な面が」
「ええ、ですから複数のものを組み合わせて同じような機能が果たせるようにできないかと」
「ああなるほど、輸送船にドックがあってそこから直接戦車を載せたはしけが発進して、それが岸に辿り着いたらはしけから戦車がそのまま進むみたいなことですな。そういうことなら何とか」
「なるほど、幕府が陸海軍の垣根を取り払った意味がわかりますな、確かに」
「その、それらの兵器の発動機はどうなります? 例の工廠から供給されるものを使うということになるのですか? 新規にそこから開発なんでやっていたらこんな複雑な体系の兵器はとても作れないと思います」
「『轟』エンジンなら数量を確保するのも難しくありません。性能はまだオリジナルには敵わないのですけど、現在一つ一つの部品の材質や加工精度をオリジナルと比較し、その差の解明に全力を挙げていると聞いていますので、近いうちにはそれも克服できるのではないかと考えています。数量については新たにトランスファーマシンを入れた第二工場が先行量産体制にようやく入りましたので、航空機、船舶、陸上車両それぞれの割り当て数量もおいおい増えていくと思います。それと殿下の意向では実は数についてはまだまだ不満があるとのことで、この際なので、設計を公開し皆さん方のところで生産を請け負って頂けたら……という話もあります」
「それはありがたいのですが……」
「既にあんなに量産されているものとなると我々が新たに作ってもコストで割高になると思いますが……」
「我々としては政府の直轄工場である工廠には組み立て事業から徐々に手を引かせ、主要部品の生産に特化させようかと考えています。ですから諏訪工場は将来的には民間への払い下げ、ということもあるかもしれません。量産型は皆さんで面倒みてもらって、工廠では改良型や次世代型の研究開発を中心にしたい。皆さんには先行研究開発よりも量産と量産の改良を請け負って頂く方が合理的でしょう?」
「なるほど、そういうことなら」
「先行研究開発は我々には敷居が高すぎますからな」
これは幕府部内での議論で軍の工廠向けの予算をいくら増やしても、広汎な裾野がある技術の世界で第一線と言える成果を出すのは難しいという指摘があり、その打開策として、それならば軍内部での予算消化に充てるのではなく、民間からの調達量をどんどん増やした方が、結果的に裾野全体に金が行き渡り、技術の促進につながるのでは、という意見が出たことで採用された政策だった。
民間への技術の波及効果を重視することにしたのである。また見かけ上も陸軍省海軍省向けの経費予算から投融資予算になるのだから、軍縮に見えるという事も好都合だった。無論見かけだけの話になるので陸海軍に異論は無い。
つまり元々が軍用に開発された技術でも、使い方を工夫すれば民生用の製品開発にも使えそうなものはいくらでもあるだろうし、むしろそういう形で民生用品の数が売れれば、軍用として使う分も大幅に安くする道が開ける。さらに民間同士での競争が技術開発をさらに促進する可能性もある。
民間に開放される市場が大きくなれば、日本が欧米に比べて劣っている重工業の発展を促すことにも繋がるという読みもあったのである。
ただし、完全に競争入札でというやり方は見送られた。安く仕入れることなどよりもまず産業や事業を根付かせること、秘密を保持させることの方がよほど重要だったからである。
「いや、それは非常に助かります。それでその、過給器の方はどうなりますか。それから別件でお話をさせてもらっていますが、電探と過給器が今のままではどうにもならないという状況について何か進展はあったのですか? 一応電探に関しては私どもでも鋭意改良に取り組んでいますが、ドイツ製とはかなり大きな差がつけられている上に、イギリス製はそのドイツ製をさらに上回ると聞いて少々戦意喪失気味に現場はなっているようなのですが。過給器も同様で、機械式ではもうこれ以上無理で、排気タービン方式にしたいものの、素材開発がつまずき通しでどうにもならない……。加工する工作機械自体がなにしろアメリカ製しか使い物にならないという状況ではいかにアイデアが良くてもあんまり期待できそうにないというのが正直なところです。具体的には金属を加工するための刃物類が国産品はアメリカ製の比べ極端に品質が悪い。柔らかくてすぐ変形するし切れ味もナマクラでまともな精度が出ない。工作機械の性能向上がまずできないとこの先が思いやられます。工廠ではまずここから手をつけてもらいたいものです。それからもののついでに申し上げておきますが、様々な兵装の仕様要求では、いろいろなところでより迅速にという言葉が頻繁に登場するようになりました。そうなりますと今までのように兵士の人力頼みというのはいろいろな意味で適切ではありません。何よりかかる時間が毎回バラバラというのもその前後の作業のつながりを考えると結果の段階での不利益が大きくなりすぎます。従って、量産エンジンと同じように、小型の電気モーターについても安く大量に使えるように生産体制を整えて頂けると助かります」
「確かに、それはそうですな。重砲などを装備する兵器全部に共通の課題になる」
「砲弾の装填、船舶の開閉する舷側なんかも手動と電動では時間が大きく変わる」
「徴兵制度をやめたので、これまでのように一つの兵装にたくさんの兵隊を貼り付けるということも難しいでしょう」
「信頼性の高い電気モーターが大量に使えるかどうかは兵装の省力化を左右しますな」
「そうそう、ドイツなどでは大型艦や重戦車も電気推進のものが開発されていると聞いた。なんでも発動機と違って電気モーターはすぐに最大出力が得られるからだとか」
「発動機は暖まるまではどうにもなりませんからな。大型艦なんか火を入れてから蒸気圧力が最大になるまで半日近くかかるんじゃありませんか。電気モーターならスイッチを入れるだけですぐ全力運転ができる。この差は大きいでしょう」
「我が方は大出力モーターはまだ研究を始めたばかりですぞ。今のままでは大きな電流を流したらあっと言う間にモーターそのものが焼き付いてしまう。大型艦の動力に使うのはまだ夢のまた夢、というところです。もしそれが出来れば潜水艦の性能が飛躍的に向上するはずなのですが。現実には電気抵抗の少ない、巻き線数を増やしても熱くならない電線をどうやって造るか、強力な永久磁石に使える材料をどうやって見つけるかと、難問山積ですからな」
「無線機や電探も含めて、電気に関する研究は一番テコ入れが必要な分野ということでしょうな」
電気装備関係について、参加者側の発言が一通りの盛り上がりを見せたところで、主催者側の司会が、ようやく口を開いた。特に司会という役割は決まっていなかったようだが、相互の目配せで一人がまとめてコメントをすることになったようだ。
「幕府側でも工作機の問題や、電探と電気モーターの技術水準が大きく立ち後れていることはかなり前から気にしておりました。そして殿下はこの点についてはイギリスと関係を深めることで技術の向上を達成したいと考えているとのことです。問題は金だけでは技術は簡単には得られないということです。イギリスから見て役に立ちそうな交換できる技術のリストというのを用意して頂ければ交渉もしやすいということなのですが……。皆さんなら何か隠し球をお持ちだと期待している次第です」
「なるほど……、イギリスが相手なら確かに期待できる。しかし提供できる技術となると……。相手は最先端をいく先進国ですからな……」
「いや、彼らは一度完成させるとそれを長く使うことにこだわり、その改良を怠る傾向があります。我々は日夜の作り直しに長けていますから、探せばいろいろあるかもしれません。とにかく現場技術者と話してみましょう」
「聞くところによると英独双方とも飛行機で船相手に空襲をしかけてもまともな戦果が得られていないと聞き及びましたが……」
「対地爆弾だけの空襲なんだろ。船を攻撃するための空中投下魚雷とか気の利いたものを持っていない。確か榴弾で真上から爆撃していたはずだ。だから戦艦の一番厚い装甲板にはじかれてしまい船体に攻撃が通らないんだよ」
「我が国には戦艦の砲弾を改造した軍艦の装甲を貫ける徹甲爆弾がありましたな」
「ほう、意外といろいろありそうですな、こうなると」
「今、イギリスという名前がありましたが、アメリカやドイツとはそういうお話は出ないのですか?」
「今のところはイギリスだけ、とお考えください。それ以外に候補はありません」
「同盟を結ぶドイツが敵として戦っているイギリスというのが相手というのはいささか腑に落ちませんが……」
「正式に発表をするつもりはありませんが、三国同盟は事実上機能していないものとお考えください。本件に関してはこれ以上のコメントはいたしませんが」
「そういうことですか。日本に拠点を置き、世界を相手に商売をする我々からすればいい判断ですな。ドイツは余り良いパートナーではない」
「おや、何かありましたか?」
「いや、大したことではありませんよ。ただ、ドイツの会社というのは大抵の場合、我々の競争相手になる場合が多いので」
「ああ、なるほど」
「だいたい状況はつかめました。今日のところは、この配られた筋書きに載った作戦で今の状態を一新するような兵器体系を提案しろ、とだいたいこういうことですな。そしてその上で課題となっているエンジンの過給器、電探、電気モーターなどの技術開発の障害は、殿下がそれを取り除くよう努力頂けると。我々としては交渉に使える提供技術メニューを用意しつつ、その兵器体系案を考案し、提案する。こういうことでよろしいですかな」
「はい、大河内さん。それでお願いします」
「了解いたしました。ではここから先は、ここにお集まり頂いている各社の技術者を出す委員会のようなものでこの件を扱う、というのが妥当だと私は思うのですが、いかがでしょう?」
大河内はまわりを見回すように声をかけた。
「大河内さんのところで事務局役を引き受けてくださるということなら」
「引き抜きはなしですよ」
「やむをえんでしょう」
「我々の立場ではこれが精一杯の努力ですからな。それにしても殿下の発想には毎回毎回驚かされるばかりです。ついていくのがやっとですよ」
座が落ち着くのを待って、再び司会役が口を開いた。
「では最後にこちらからお渡しする支給品とその説明を行います」
「支給品? 何か頂けるのですか?」
「ええ、我が幕府手製の特製ですよ。ですが、まあそう大したものではありません。この黒い箱なのですが」
司会役の男は横の男に目を向けた。それに応じて正面中央の教師用の机の上に分厚い辞書ぐらいの大きさの黒い箱を置いた。
「何ですかな」
「ふむ、見たところ何の計器もない……。電気信号を何かするものかな」
「さすがですね。これは電話の通話を盗聴できなくするものです。軍や国の役所ならば専用回線があるので盗聴を防ぐのは容易ですが、普通のところにはそんな気の利いたものはありませんからね、それに対応したものです」
「つまり一般回線を使った通話を途中で盗聴しようとする者には聞こえなくする、ということですか?」
「まあそういうことです。原理も仕組みももちろん極秘ですので説明しません。使い方だけを説明します。これを通常使っている電話機の接続線の前に接続し、この黒い箱と電話機を接続します。そして普通の通話の時には今まで通りに電話を使ってください。秘匿通話を行いたい時は、交換手に相手を繋いでもらった後、この黒い箱の横についているボタンを一回押してください。すると赤いランプがついて秘匿状態になります。電話がかかってきた時も同じです。白ランプが点灯したら相手が秘匿状態を要求しているという意味ですので、ボタンを一回押してください。これをやるまでは通話できません。最初から秘匿状態のボタンを押してしまうと交換手にも声が伝わらなくなりますからご注意を」
「素晴らしい。で、これはどれほど頂けるのですか?」
「今回ご用意できたのはお集まりの皆さん用各社あたり三個づつですが、どうでしょう?」
「電話で話が済むことは少ないですからそれだけあれば当面は大丈夫でしょう」
「こういうものがある、ということは、スパイ活動でも見つかったのですか?」
「ええ、まあ、そんなところです……。相手にも悟られるので一切公表はしませんが。もちろんスパイ本人にも」
「なるほど英断ですな……。さすがは殿下だ」
「我が国が今どういうところに置かれているのか、こういう配慮を頂けるだけでいろいろと伝わりますな、皆さん」
「ええ、全くです。殿下の配慮になんとか報いられるよう、我々としても全力であたっていきましょう」
「あと、お任せ頂くのはいいとして、幕府の方、特に軍事作戦にお詳しい方がこの委員会に参加された方がいいのではないかと思うのですが」
「ご趣旨はよくわかるのですが、それは外ならぬ殿下に止められております」
「止められている? 何故またそんなことに」
「それが、殿下に言わせると我々は頭が固すぎるそうで、そうなった原因である、陸軍大学、海軍大学の内容の見直しを徹底的に行っているさなかなのですよ。ですから我々が口を出すと、その一種の戦さに対する美意識みたいなものに邪魔されて合理的な判断を邪魔する危険が高い、というのがその理由です……」
「それは大変厳しい……。ですがよくわかりました。冷徹な事実から決して目をそらさないように、という意味で今のお言葉を受け取っておきましょう」
その会議が終わって数日後、赤坂宮は一人の軍人を離宮に招いていた。
見かけから言えばようやく壮年の域に達したぐらいで、まだ若手と言っても通用しそうな風貌だが、その大典服には将軍位にふさわしい数々の階級章や勲章が並んでいる。公表されている年齢同士を比較すれば、赤坂宮の方が年下なのだ。が、身にまとっている空気が、年齢に関係無く二人の間の上下関係を最初から決めつけていたかのように働いていた。
赤坂宮はたとえ丁寧でゆっくりとした話し言葉になっていても、やはりそれは最上位の人間だけが持つ威圧を伴うのである。
対するこちらの陸軍将官は、将官という階級にはふさわしくないほど、そして赤坂宮よりも年上であるにも関わらず、親しみやすい空気をまとっていた。
しかも、陸軍将校というよりもむしろ海軍士官的な洗練されたスマートさが挙動の端々に現れていた。
「栗林忠道、お召しにより参上つかまつりました。赤坂宮殿下におかれましては、拝謁を許され、恐悦至極に存じます」
「ご苦労様です。まずはそこへどうぞ」
栗林は緊張していた。何故自分が突然幕府から呼び出されたのか見当が全くつかなかったからである。陸大卒業時に参謀本部に呼ばれた以外は、陸軍の指揮中枢での仕事とは全く無縁で、栗林は陸士陸大での成績は優秀だったが、陸軍内部の位置づけで言えば決してエリートと呼べるような華々しいところにいたことは無かった。
陸軍からすると仮想敵などとは一度も考えたことのないアメリカ、カナダに駐在武官として勤務し、その後は儀仗的な色彩が強くなっていた騎兵絡みの軍務に偏っていたのである。
もっとも欧米仕込みのスマートさと活躍する舞台が儀典が中心となる騎兵とのマッチングは素晴らしく、陸軍のイメージアップに貢献できるビジュアルを提供できるという広報目的から言えば、この人選は非常に的を射ていた。
当然、陸軍中枢に蔓延っていた政争絡みの権力争いとの関係も全くなく、何も無ければ平凡な高級軍人で退役を迎えるものと本人も考えていたのだ。
それが何の前触れもなく、そして陸軍の中ですら内部を知るものがほとんどいない幕府からの出仕命令である。緊張しないわけにはいかなかった。
椅子を薦める赤坂宮は栗林の目には自分とほぼ同世代と映り、その点では親近感は持った。しかしそれも束の間のことで、まるで全身が刃物であるかのように、冷たさと切れ味を周囲に撒き散らす赤坂宮に恐れを抱くことになった。
その冷たい声が妙に優しく椅子を薦める状況というのは、栗林にとって決して居心地の良いものではない。
それこそおそるおそるという感じで、いつものスマートな身のこなしからするとかなりぎこちない感じになりながら腰掛ける。
テーブル越しに赤坂宮の鋭い視線が突き刺さる。
まるで警察で刑事に尋問されるみたいだな……
が、赤坂宮の発した最初の言葉はかなり意外なものだった。
「ふ~ん、栗林さん。あなたは結構こわがりな方なのでしょうか? あまり軍人らしく見えません」
栗林は反論するつもりだったのだが、その前にその言葉に納得してしまった。
確かにそうかもしれない……。
失敗が怖いので人以上に研究し準備する、それが栗林の本質だった。気合いや気力でなんとかするタイプの人間の多い陸軍においては確かに異質であった。
が、完全に肯定するのも何かとまずい気がする……。
「殿下からご覧になれば私のような小物はそう見えて当然ではないかと」
「うまい切り返しですね。やはりあなたが適任のようです」
「いったい何を自分は任されるのでしょう?」
「国防軍幕僚部の長と言えば、わかりますかな。実はまだ正式な名前は決めていません。あなたが自分の気に入った名前をつけられればよろしいかと」
「は、国防軍ですか? それはいったい?」
「そうですか、あなたはまだご存じないのですな。もしかしたら近衛旅団所属の騎兵隊ではあんまり関係無いと思われたのかも知れません。あなたの知識で言えば我が国の軍隊は陸海軍しかない、となっていたはずですね」
「は、はい」
「確かに外見上はその通りです。しかしこの幕府発足以来、軍の運用に関しては幕府が戦闘序列を設け、陸海軍はそれに従うことになりました」
「それは知りませんでした……。では国防軍というのは?」
「ええ、私は戦闘序列を大きく二つに分けました。一つはこの日本を守ることに徹する国防軍。もう一つは日本本土を遠く離れた地での作戦に従事する遣外軍です。そして国防軍遣外軍それぞれの幕僚はこの幕府に置きます。一度事が起これば、彼らがそのまま国防軍、遣外軍を動かすことになります……。従って従来からの陸軍参謀本部、海軍軍令部にそれぞれ置かれていた作戦課や情報課はすでに廃止しました、その機能は今幕府に置いています。ここまではおわかり頂けましたか?」
「えっとそれはつまり国防軍の中には陸軍部隊もあれば海軍の機動部隊もいる、という意味ですか?」
「完全に正しいとは言えないがだいたい合ってます。まあ、細かいことはおいおいご自分でお調べになった方が頭に残るでしょう。とにかくあなたには、国防軍幕僚部のトップをお引き受け頂きたいと思っています。アメリカの攻勢を防ぐ盾として」
栗林は頭が真っ白になった。赤坂宮の発した言葉を何度も反芻しながら、その意味をなんとか頭に理解させるのにかなりの時間をかけることになった。
「アメリカが、我が国を侵略? そんなことが……」
「あなたは陸軍で一番アメリカに詳しいと伺っておりましたが、意外でしたか?」
「は、はあ。日米関係が悪化しているのは知っていましたがまさかそんな事態が想定されるほど悪くなっているとは……。ルーズベルト大統領が演説で我が国に突きつけた要求通りに中国大陸から撤兵させた殿下の手腕には感服したものです。で、これで日米関係はいい方向に向くと思っていたのです。しかしそれでもなお、ルーズベルトは日本侵攻をやめないと殿下はお考えなのですか?」
「残念ながら手元に集まった情報からするとその可能性を捨てきれませんな。通商条約は打ち切り予告がされており、くず鉄も禁輸が続いている。そして石油も止めると言い出した。やる気満々という表現の方が適切ではないですか。幸い、密かにイギリスとソ連に接近できたおかげで当面我が国が立ちゆかなくなる状況は避けられていますが」
「ソ連、イギリスへ日本は接近しているのですか? それは知りませんでした。なるほどだからアメリカは、日本が孤立していると考えているからこういう手を打っていると。しかしそれならそのことをアメリカに明らかにすればアメリカもこんな断交に追いやるような政策をやめると思いますが。あっ、ドイツとの関係ですか?」
「それも少しはありますが、そちらは正直重要視はしていません。もちろん条約を軽々しく破るようなイメージを持たれたくない程度の配慮は欠かさないつもりですが。それよりもアメリカの真意が知りたい、というのが正直なところです。何故ここまで日本に戦争を起こさせたがるのか? 黄禍論をアメリカ政府が真に受けているとは思えないし、かといってあの茶番まがいの三国同盟をアメリカが本気で怖れているとも思えないのですよ。だからこちらが窮地に陥っていると思わせておいた方が何かわかるんじゃないかと期待をしているわけです」
「私が向こうに居た頃は、非常に親日的な指導部でしたが。わずか数年でいったい何があったのか……。私にも腑に落ちません……。米軍は前線で我が軍を挑発するような活動を行っているのですか?」
「私に届いている報告からすると、やはり蒋介石にくっついている義勇軍絡みのこぜりあいが目立ちますな、義勇軍自体は正規軍ではありませんが、彼らへの補給部隊はれっきとした米正規軍です。後はフィリピン近海で時折りにらみ合い程度、これも援蒋ルート絡みのようです。それ以外は今のところ落ち着いています。距離が離れているからでしょう」
「中国から撤兵した後もまだ続いているのですか。少々解せませんな。蒋介石はアメリカにとってそんなに重要な存在なんでしょうか? 黄禍論云々と言い出したら、中国人も日本人もたいして違わないでしょうに」
「彼らの事情もたぶん複雑なんでしょう。それはともかく、我が軍にとって重要なことは日本のすぐ南にはアメリカが陣取っていていろいろとちょっかいを直接出せる位置にいる、ということです」
「殿下は私にフィリピンの米軍を追い出せと?」
「いえ、そんなことは望みません。米軍との戦闘は極力避けたいとは思っていますが向こうが仕掛けてくれば応戦するのは仕方ありません。ただしあなたにご留意頂きたいのは、米側の攻撃を排除しても米軍基地に向かって攻め込むのはやめて頂きたい。要するに米軍の最前線を現時点から動かさないようにしてください」
「現時点の最前線を固定……、ということは退却させるのもまずいのですか?」
「まあ、そうなります。おそらく日本に対する牽制という意味もあってハワイ、フィリピンに米軍は大きな戦力を置いていると思われますが、これには極力手をつけないで頂きたいのです」
「はあ、まあ仕掛けて来ないのであれば構いませんが」
「いや、仮に攻撃の起点に両基地が使われたと分かる場合でも、ここには手を出さないで頂きたい。私からするとこの場所に米軍を置いてもらうことは非常に重要です」
「それはつまり彼等の補給線の終点として残させておけ、ということですな」
「その通りです。これだけ長い補給線ともなれば維持するのも大変でしょう。彼我の生産力に大きな差があることを考えたら、これぐらいのハンデをつけてもらうことぐらい許されると思いませんか?」
「はあ、まあ、なるほど。確かにこれはかなりの負担になりますな。ですがこの補給線を叩く仕事はどうなるのです?」
「そちらは国防軍の仕事ではありません」
「遣外軍の仕事、ということですか」
「一応、そのつもりでそれ専用の船を準備させています」
「専用の船?」
「たわいもないおもちゃですが、五人乗りの潜水艦です。速度も出ないし航続距離もそれほどありませんが、普通の潜水艦などよりもずっと深く潜れて偵察機の監視の目を避けられ、水中に留まれる時間を思い切り長く取れるように設計してあります。言わば輸送船を狙う待ち伏せ専用の潜水艦です。武装は魚雷の他、海中放出型の機雷なんかも持っています。なので密かに機雷原を作り上げるというような仕事もできます。もっとも武器の積載量は小さいので自力航行での行動は限定し通常は母艦での移動になりますけどね」
「海中に潜む忍者のような船ということですか。しかし海軍のイメージと結びつきませんな。海軍と聞けば大型戦艦や航空母艦がシンボルという感じだったのが、ずいぶんと思い切って変わりましたね」
「最初に話をした時には海軍関係者からかなり強く抵抗を受けましたよ。海軍の戦い方ではないと。戦闘艦も空母もおもちゃということでは大差ないはずなんですけどね」
「やはりそうでしたか。ま、それについては私は無関係ということで、関係する方のお話しをしましょうか。我が方の離島の防衛はどうします? 見捨てるのですか?」
「あなたとあなたの部下の考え次第でしょう。軍略として言えば海軍基地もない小さな島に部隊を置く意味などほとんどありません。海賊退治ならともかくね。だいたい絶海の孤島に軍事基地を整備するというのは、大変ですからな。大量の物資の移送だけでも通常の部隊移動どころの話ではなくなります。私が敵側の人間ならこの補給部隊とその護衛を叩くのが一番簡単でかつ効果的な攻撃になると思いますけどね。こちらは待ち伏せを続ければいい。なのでアメリカ本土から遠く離れた離島に攻撃を仕掛けてくるようなら、こちらはさっさと退却して、アメリカに一度明け渡し本土から大量の物資を運び入れてもらい、立派な基地を建設してもらった後に、こっそり奇襲でもかけて乗っ取りたいところですな。大軍での攻勢にはいろいろと備えているでしょうが、少数の敵の接近はたぶん防げないでしょう」
「それは、もし出来れば痛快です。が、現実には不可能でしょう」
「栗林さんは、軍隊の打撃力というのは何で決まるとお考えですか?」
「それはやはり数でしょう」
「そう、長い歴史の中の戦いではそうなりますが、現代でもそれは真理として通じるでしょうか? 飛行機一機が搭載している爆弾が持つ火力は地上にいる兵士何人で対抗できると思います?」
「なるほど火力の中身次第では数はアテになりませんね。では火力量ですか」
「少数の兵士でも、もしとんでもない大きさの火力を扱える、となればいろいろと常識は変わるのです」
「そちら方面でも新兵器を?」
「まあ、いろいろとね。まだご紹介できる段階にはなっておりませんが」
「しかし殿下は大変な策士でいらっしゃる。かなりの危険があるお話ですが、それはそれで是非見てみたいという気がします」
「ま、そんなことが無いのが一番ですよ。それはともかく、離島については住民を本土に疎開させる方が安いか、守備隊や海上戦力を配置するのが安いかで判断されればよろしいでしょう。もっとも私としては広大な海に主力部隊を分散配置するのは良策とは思えませんけどね。重要なことは島を守ることではありません。危険な敵戦力の排除ですから。もし仮にその島を奪取されて帝都が危険になるという事態が起こるとしたら、予め島自体を海に沈めてしまう、ということも考えるべきでしょう。もっとも離島一つ落とされたぐらいで帝都が危険になるという状況が私にはあまり思い浮かびません」
「全然無いとも言えません。アメリカ軍の使う重爆撃機は空母からは離発艦きませんが、離島なら基地として使えますから」
「なるほど。しかし離島から発進して東京に来るまでに撃墜することも可能でしょう?」
「正確に飛来する様子を把握できるかどうかです。レーダー技術次第でしょうか」
「レーダー? それは電探と呼んでいるものと同じですかな?」
「左様です」
「ああ、それのことならうちのスタッフが同じようなことをだいぶ前に言っておりました。なんでもイギリスはそれでドイツ空軍の爆撃を押さえ込んだそうですな。イギリスからその技術をまるまる頂けたらかなり心強いとのことで。アテはあるのだから、何とかなるだろうとは思っています」
「さようですか……。しかし敵主力は海軍が主力となるでしょうし、防衛も海軍が主力を担うはずです。海軍提督の方がこの任には適切なように思えるのですが……」
「ええ、おっしゃる通りです。私も最初はそう考えておりました。ですが和平派と呼ばれるような人でも実際に話を聞いてみると、もう戦いたくて戦いたくてしょうがない、というほと戦意満々でしてね。怖くて前線には出したくなくなるような方ばかりでして。それに我が軍の大半の方は、大和魂のことは大変よくご存じのようですが、ヤンキースピリッツのことに関心すら持ったことの無い人々ばかりのようでして」
「なるほど、それで私を選ばれたわけですか。しかしアメリカの工業技術は巨大で、大学や産業界は軍とも密接な協力関係を造っています。科学研究にも莫大な国家予算が充てられており、さらには石油も鉄も食料も必要な資源を我が国とは比較できないほど大量に持っている国です。正直勝てるとは思えません」
「私も全く同感です。なのであなたにアメリカに勝てとお願いするつもりはありません。あなたに期待しているのは、日本を攻略するのは高くつくとルーズベルトに教えることです。できるだけ先方の、特にアメリカ国民の恨みを買わないように。ルーズベルトのメンツをつぶしてくれるのであればそれで十分です。先のことはアメリカの国民に任せればいいでしょう」
「ああ、なるほど。ようやく殿下のお考えを理解できました。謹んで国防軍幕僚部長の任、拝命いたします」
最後の最後でやっと承諾の言葉を出した栗林の一連の言動を振り返り、赤坂宮はかつての盟友を思い出していた。
本当によく似ている……
家康である。
信長と家康には相通ずる共通項があった。それは合理性を尊ぶという点である。
が、その方向性は大きく異なっていた。信長が常に動を求めるのに対し、家康は基本的に静なのである。故に信長の方が危地に陥りやすい。
信長であれば危地であがくことになったはず、と言えるような場面を家康は何事も無かったように避けたり逃げてしまうのである。
これは家康の行動が慎重で無駄に敵を作らないことが大きいが、それ以上にあらゆる事態を想定し幾重にも備えを考え、準備にかける手の数では誰にも負けないことに由来していた。
その手回しが後で効いていた。それを信長は認めていたのだ。秀吉のような相手の裏をかく、というような才には恵まれていなかったが、同盟を組んでからの動きには常に手堅さというものを感じていた。
そう、防御という面でこの男に優る者はいない、常々そう考えていたのである。
栗林が家康に似ていると感じた自分の勘はたぶん間違っていない。
栗林こそ国防軍のトップに一番ふさわしい人物と赤坂宮は確信していた。
もっとも栗林が赤坂宮のことを理解できた、というのは半分間違っていた。
栗林は赤坂宮が決して自分からアメリカに参戦したりしないものと受け取っていたが、赤坂宮の心中は決してそういうことでは無かった。
赤坂宮にとって今のアメリカは岐阜に本拠を構えていた時の信玄や謙信だったのである。
今真正面から当たっても勝てない。ならば極力刺激しないようにする。場合によってはご機嫌も取るし、下手にだって出る。
実際、信玄、謙信に対しては初期の頃は徹底した融和策を取った。
もっともその目論見は足利義昭の反信長連合作りの暗躍のせいで、中途で放棄しなければならなくなった。義昭はなんと信長を倒させるために、それまで互いに争っていた信玄と謙信の間を仲裁してしまったのである。
従って信玄が上洛を決め実際に動いたのは信長にとって大誤算であり、間違いなくピンチだったのである。畿内中に敵を抱えた状態で東から信玄に攻められるという状況は想定外だった。
幸い、東の国境を守る家康勢を撃破した直後、信玄はそこで病に倒れ、そのまま動かなくなり結局退却してくれたから良かったものの、それが無ければかなり危なかったのである。
その後畿内が落ち着いてから謙信も上洛に向け軍を動かしたが、これもまた信玄と同じように、緒戦で織田軍を破った後、戦場で謙信本人が病没し、事なきを得たのである。
今の日米関係はそれに似ていた。
今アメリカに攻めかかられるのは非常にまずい、それだけなのである。
しかし、いつまでもそういう状態に甘んじるつもりもない。より優位な状態を作るべく努力するだけだ……、というのが赤坂宮の嘘偽りのない信条だった。
それとこのことは赤坂宮の一種の限界、いや美点でもあるが、そういうものも表していた。
赤坂宮は思想とか理念なるものには心を動かされないのである。
アメリカは自由という理念で人を集めた人造国家である。だからそれ自体に自分たちの正義が表されている面が大きい。これがアメリカ人の愛国心であり、それを世界に拡げることは当然とすら考えている、と赤坂宮は正確に見抜いていた。
自由主義や共産主義、資本主義などなど、そういう理念を表す言葉は、多くの人々を惹きつける魅力に溢れているのである。
しかし赤坂宮にとっては、それらの言葉や理念は、ほぼ宗教と同義のものとして扱われていた。
余人がしばしば思い惑うようにどれが最も優れた思想なのか、というような興味の持ち方はしないのである。そういうことは利休のような大衆を誘導することに長けた人間に押しつけておくに限るというが信長のスタイルだった。
従って自らの合理性に合致するうちでは利用し、合致しなくなったら切り捨てることに躊躇いは無かった。スターリンのソ連と直談判できたのもこれが働いていたからである。
近衛前首相や平沼元首相には頭から尻尾まで理解できない態度だったろう。
そもそも赤坂宮は不特定多数の個人意思というものを全く信用していない。
時代背景と言ってしまえばそれまでだが、幼少の頃から多数の遊び仲間のこどもを引き連れて遊び回っていたそんな時分から、自分が他の人間とはいろいろと違うらしいという自覚は持っていたのである。最初からすべてを上から見ていた、と言ってもいい。
それは元服し自分よりもずっと年上の家来達と頻繁に接するようになってからも変わることは無かった。側近の平手政秀が自分を諫めるために自決したことにはショックを感じていたが、平手さえも理解できないものなのか、とかえって自分の特異性を強く意識させる方側に働いただけだった。
そのくらい強く自我を意識していたので、陰で「うつけ」と自分を呼んでいる者がいるのは知っていたが気にならなかった。どちらが世の中を見通せていないのかという点で自分の中では逆の結論が出ていたからだ。
よって京都帝国大学で当初、民主主義なるものの話を聞いた時には、いったい何の冗談だ、程度の認識しか持たなかったのである。
その後、渡米しアメリカでの民主主義のあり方というのを目の当たりにして、少し考え方を改めた。個々の人間が自分の意見を誰にも遠慮せず思い切り言い合う世界は何から何まで日本とは異なり、こういう世界なら、多数は正義ということもありうるかと思い直したのである。
しかしそれでもその判断がいつも正しいなどとは夢にも考えていない。
君主制であろうと共和制であろうと間違いはつきものだとも考えていた。つまり何を言っても絶対はないのである。そこの世の中がその決断に納得しているかどうかだけが全てなのだ。
故に、外交と内政を関連付ける必要性を認めていなかった。相手が君主制の国だから安心だとか、民主国家だから安心してつきあえる、共産主義の国は信用できない、などとは全く考えなかったのである。
外交方針を決めるものは、そこの最高権力者が信用できるかどうか、が全てである。国民同士の仲がいいとか交易が盛んだとかは全く関係ないのである。
なのでイデオロギーを語る時は、自分にしても相手にしても、いわゆる世論誘導のための情報操作だと認識していた。
赤坂宮に見えているルーズベルトという男は、ある種の執念深さを持って、日本に牙を剥き、自分の支配下に日本を置こうとする侵略者にしか見えていなかったのである。
赤坂宮は栗林の口から出た爆撃機に対する備えだけはほかのことから切り離し、少々強引な手を使ってでも、早急に解決の道筋をつけることに決めた。
栗林が幕府入りを承諾したちょうど一週間後、新京の関東軍司令部に幕府からの指令書が東京から飛んだ連絡将校の手によって届けられていた。
ここ新京はソ連側との秘密の連絡窓口になっており、幕府からもたらされる指示のほとんどはスターリンへの連絡と言っていいものだった。新京からモンゴル国境に近い前線司令部よりモンゴル領内ソ連軍前線司令部まで直通の電信線を引いていたのである。満州モンゴル国境からもたらされた日本側のメッセージは、すぐにモスクワより東南に八百キロ離れたボルガ河畔クイビシェフに疎開していたスターリンの手元に届けられていた。ドイツ軍の進撃は止めたが、なおモスクワの目前にはドイツ軍が迫っている状況には変わりなかった。
日本からの申し出は、すぐに効果があるとはとても言えなかったが、それでもスターリンにとって悪い話ではなかった。労力も対してかからず、簡単な手間で済むものだ。
しかし、日本、ソ連については分のいい話だとしてもこのまま右から左に話を繋いだとしても日本の目論見通りになるとも思えなかった。
なるほど、だから自分のところへ、話を持ってきたのか……
スターリンはメッセージに隠された赤坂宮の意図を正確に見抜いた。
スターリンは沈思黙考した上で、チャーチル宛の手紙の草案をしたためだした。
やがてスターリンの親書が完成し、ノルウェー北方を大きく迂回する航路を経由してロンドンへと届けられた。
チャーチルはスターリンの手紙を読み、その依頼を快諾した。スターリンは赤坂宮の依頼をすべて自分からの依頼としてチャーチルに伝えたのである。
それは表面上、イギリスとソ連の間の技術援助の話であり、イギリスと日本、あるいはソ連と日本の関係には全く言及していなかった。つまり赤坂宮の親書の話はチャーチルには説明されなかったのである。
スターリンも日本から必要な援助を得られたというレベルの報告はチャーチルにしていたが、それが具体的にどのようなものかということまではチャーチルに明らかにはしていなかった。
一方、チャーチルの日本観は揺らいでいた。日英同盟を当時のチェンバレン首相が破棄した頃は、中国での利権を巡り日英は頻繁に利害衝突を繰り返していたのだ。それでアメリカの薦めもあり、日英同盟を破棄した。
ところがその後日本軍が中国から撤退した後、チャーチルが首相になると、中国に残ったイギリスを悩ませることになったのは、中国人の各勢力である。今まで日本軍がいたから彼等に煩わされることが無かった、ということがしみじみと理解できる、という状況になっていたのだ。そして植民地であるオーストラリア領では日本とはウィンウィンの関係を形作りつつある。さらに、同盟によって本来ならドイツ側に立って対ソ戦に参戦する義務があるにも関わらず、もう一つの日ソ中立条約をちゃんと守ってそれもせず、それどころかスターリンにもいろいろと協力をしているらしい。
しかしイギリスはアメリカとも様々な面で深い関係を築いており、もし日本から武器関係の援助を求められたとしたら、さすがに躊躇せざるを得なかったはずなのである。
チャーチルはルーズベルトがチャーチル以上にヒトラーとナチスドイツを怖れ、警戒していることを良く知っていたし、そのヒトラーと結んだ日本にも嫌悪感を持っていることを良く知っていた。
一方チャーチルのドイツとヒトラーに対する敵愾心は第一次世界大戦から続く筋金入りである。それが広く認められていたからこそ、英国民もチェンバレン前首相もチャーチルを支持したのだ。ドイツと戦うために生まれてきた男、それがチャーチルなのである。
彼はルーズベルトのように自分が負けるかもなどという弱気とは全く無縁だったので、たかが同盟を結んだだけの東洋の小国を過剰に警戒するルーズベルトには滑稽な感すら感じていたのだった。
従って、チャーチルの日本観は、黒ではないが白とも言えないグレーぐらいの扱いだった。
が、それはそれとして、まさかスターリンと赤坂宮の関係がこれほど深くなっているとはさすがのチャーチルも気がつかなかった。
従ってスターリンからの依頼が日本の要請によるものなどと疑うことは全く無く、スターリンの説明をすべて受け入れ日本のことは意識の片隅にも浮かばなかったのである。
スターリンにとって、赤坂宮が今回欲しがった技術は、工場を最前線から遠く離れたウラル山脈東方へと疎開させた現在では、まともな長距離爆撃機を持たないドイツ空軍の空襲など脅威でも何でもなくいますぐ欲しいというものでもなかった。しかし、ドイツがより強力な兵器を投入してくる可能性が皆無では無い以上保険は常に必要である。
ゆえに芝居を打ったのである。ドイツ軍の空襲が工場に迫っていると。
もちろん危機を騒ぐだけでは効果が薄い。それで本筋は技術供与ではなく、さっさと西部戦線を造れという話に書き直したのである。つまりつべこべ言わずにフランスへ陸上部隊を送りこめと。もしそれがどうしても無理と言うのなら、技術を寄越せという文にしたのだった。
イギリスに目を向けていたはずのドイツ空軍トップのゲーリング元帥がソ連に目を向けたとしても、ちっともおかしくはない。一方フランスへのイギリス軍の再上陸については、いかにドイツ軍の西部戦線の陸上戦力が手薄になっているとは言え、それに対抗するための陸上戦力が全く整わず不可能だった。
取引は無事成立し、スターリンと赤坂宮は望み通りのものをチャーチルから受け取ることが出来た。
もちろんスターリンはその手数料をしっかりと日本から受け取ることを忘れてはいなかった。
それはこれによりいずれモノを完成させるであろう過給器付きエンジンとレーダーの供給契約である。
約二ヶ月後、シベリア鉄道を経由してレーダー装置一式、過給器付きロールスロイスマーリンエンジン一基とそれらの設計図ほか技術資料一式が幕府に届けられた。
技術陣は驚喜したが、それは長くは続かず、すぐにかなり落ち込むことにもなった。
製造に要求される技術レベルが高すぎたのである。今日本にある工作機械ではどうにもならない、という結論が出るまで大した時間はかからなかったのである。
より高温に耐えられる焼成炉から始まり、切削器、圧延機などなど工作機械のほとんどは新設計のものを新調する必要があったのである。
報告を聞いた赤坂宮の指示は明解だった。
「買えるかどうかを調べ買えるものなら何でも買ってこい。ダメなら他の手を考えるまでだ。細かいものなら案外買えるものも多いのではないか。それとダメ元でドイツ、イギリス、ソ連だけでなくアメリカにも当たってみろ。オーストラリアなら中古ぐらい持っているんじゃないか。そういう物件も軒並み当たらせろ。それとお前達が直接動くのでは無く、民間の会社に調達させるようにしろ。相手の警戒感をむやみに高める必要はない」
赤坂宮の指示を受けたスタッフ達は、すぐさま一種の物資調達作戦を作り上げた。
工作機械完成品の物色ということならその使用意図を知ることも簡単だが、各部の部品ごとにバラバラに全く違う国に打診すれば全容を掴むことは難しくなる。民間の商社を複数使い、似たような部品を使う機械を扱う商社ごとに部品群を分けて各国に当たらせることにしたのである。軍用品と言っても部品になれば日用品に使われるものも多い。さらに産業機械となれば類似するものはいくらでもあった。
やがて商社のいくつかが、赤坂宮も思いつかなかったルートも開拓してきた。
中南米に多数輸出されていたアメリカ製の中古の工作機械である。
どうしても調達が出来ないものもいくつか残ったのだが、最終的には国内の工作機械製作会社各社と海軍工廠陸軍工廠の開発努力で曲がりなりにも実用に耐えるもののが完成したのは九ヶ月ほどの時間が経過した後だった。
が、この時間は遅れと表現するのは適切ではないだろう。少なくとも日本の工業技術を平常時の十年分ぐらいは一気に縮めた効果があったのだから。
特に排気式過給器の研究は、噴進式エンジン、つまりジェットエンジンにつながった。
これは単に高高度で作戦行動が可能というだけでなく、エンジンの「速さ」を劇的に押し上げる技術である。
従来の内燃機関は膨張ガスの持つ速度を一度ピストンが受け止めてからそれを回転力に変え、最後にプロペラで再び速度に戻すということをやっているのに対し、ジェットエンジンは膨張するガスの速度そのものを飛行機を推進させる速度にしてしまうものだ。
構造が簡単になり無駄がない。エネルギーロスが無くなるから性能が劇的に向上する。
実はジェットエンジンについては、ドイツとの技術交換である程度のことは分かっていた。
が、そちらの方は日本が必要としている航空機用エンジンに対する要求にはとても応えられそうになかったのである。
おそろしく寿命の短い、実験用としか思えないものだったのだ。
二三回出撃したらもう部品交換のためオーバーホールが必要などと言われては、侵入してくる敵機に対する常の備えである迎撃機に採用することなどとてもできなかった。
基本的に排気式過給器に使われるタービンとジェットエンジンに使われるタービンは排気と吸気の動線方向を無視すれば同じだ。ガスを移動させる方向だけが違うのである。
が、ジェットエンジンにするとなると大きさが必要である。つまりタービンもサイズを大きくしないといけない。当然タービンが受け止める力は比較にならないほど大きくなる。
材質の耐久性が問題になるのである。しかもその温度は普通の鉄が簡単に溶けてしまう温度帯になる。材料選択や加工の難度がずっと大きいのだ。
ドイツの作り上げたジェットエンジンが極端に寿命が短いものだったのは、要するに材料や加工の研究を後回しにしたからである。
イギリスの科学者たちはその点を考慮してこの技術をいきなりジェットエンジンにするのではなく、内燃エンジン用の過給機という形で利用する方が実用的だと判断したようだ。
確かに過給器として利用する分には寿命的にも今までのエンジンに近いスペックであり、実用に十分耐えられるものだったのだ。
もっともその言わば妥協したレベルであっても、日本にとってははるか高みにあるレベルだったのである。
それを痛感させるものがあったのだ。
過給器のベースエンジンのサンプルとして送られてきたロールスロイスマーリンエンジンである。
このエンジンはイギリスのみならず、アメリカの各種軍用機にも採用されているほど定評があるエンジンだった。まさかそのベストセラーエンジンに過給器をつけているなどとは夢にも思わなかったのである。
高性能なエンジンとして名の知られたものに過給器がつけられていた、そのことはその性能が疑いなくとんでもないレベルにあると推定できたし、さらにイギリスやアメリカの飛行機に今すぐ搭載可能な状況にあるということを示唆している、という二重の意味で技術陣に深い衝撃を与えたのである。
実際、テストしたところ、過給器無しの航空機用轟エンジンなど問題になるレベルではないほど高性能であることはすぐ明らかになった。さらに過給器を取り外すと、圧縮比が規定以下になるので非過給用に設計された本来の出力はとうてい出せるわけがないはずなのだが、それでも轟エンジンとは比較にならないほど性能が上なのである。
イギリスの工業技術力がソ連のさらに上にあることは間違いなかった。
しかも過給器以前の段階で相当な差をつけられていることが明確になったのである。
が、それがどうしてそうなるのかを、深く探った結果学べたものは大きかった。
ちょうどエンジンの大量生産が始まった事もあり、得られた知見や仮説をすぐに試せる機会がいくらでも作れるようになったことも良い方に働いた。
結論は、要するに鉄の知識が深いのである。
鉄は地球上に広く最も大量に分布する金属である。一番簡単に得られる金属だ。
が、水と反応し容易に溶けてしまう性質があるので、雨が多い日本にはもともと豊富にあったはずの地表付近の鉄鉱石が海に流されてしまい、鉄鉱石を産出する鉱山はわずかしかない。それももちろんかなり深く掘らないといけない場所だ。
なので日本での製鉄というのは川砂などに含まれる僅かな砂鉄を集めて作るよりほかなかった。
紀元前一八世紀頃、ヒッタイトではすでに鉄のフライパンが使われていたのに、三世紀の日本、つまり古墳時代では調理器具は土器にするしかなかったのはそのせいである。つまり鉄鉱石から鉄の製品に仕上げるまでの、鍛冶、冶金というものの技術知識の蓄積に大きな差があるらしかった。
エンジンの各部の部品にどのような性能が求められるかを予め把握した上で、それぞれの部品がもっともその部品に求められた性能を発揮しやすくなるように、鉄の調合と加工技術の選択が行われているのである。
粗鋼から製品の鉄にする過程で、炭素ほかさまざまな異物を加えることで鉄はその性質が変わるし、また加工方法でも鋳造にするか鍛造にするかでさまざまな性質が変わる。そういう技術を駆使しているということだった。
マーリンエンジンの各部品はその機能に合わせ材質を最適化していたのである。
努力すべき方向が定まれば後はひたすら実験を繰り返しデータを集めるだけである。
紆余曲折はいろいろあったが、徐々に冶金工学の知見は豊かになり、結果的に工業製品全般に関わる技術が大幅に上がることにつながったのである。
轟エンジンも、その知見の積み重ねと比例するように、最初の生産分から時間が経つにつれ、構造は変わらなくても性能はどんどん上がっていった。
エンジン以外への波及効果について言えば、砲身に関しては顕著だった。
エンジンも砲身も金属で作った円筒状の容器の中で何かを燃やしその圧力と温度が急激に上がり膨張するガス圧を受け止めて、ピストンなり砲弾を撃ち出すという意味では同じ機能を果たすものなのである。従って高精度でありながら、高耐圧、高耐熱のものを造るという意味ではほぼ同じ研究になるのである。
だから軽量で高出力のエンジンの開発を進めることは、事実上砲身の改良技術を生み出すものでもあったのだ。
レーダーの方も似たような状況に陥っていた。電気回路に使われている各素子の品質にかなりの差があるらしく、部品を日本製に変え設計図通りに組んだつもりでも性能が絶望的に低いのである。電気回路に使うものすべての生産工程の見直しがまず必要と判断された。
赤坂宮はそんな裏の外交を進めていた一方で国内では軍の改革に手をつけていた。
日中戦争を強引かつ一方的に終結させ、大陸に派遣していた兵を復員させた結果、陸軍を中心に人余りの状況が出現した。
このため、従来の動員計画を大幅に書き換え、結果から言えば軍縮をやることにしたのである。
が、この軍縮は言葉通りの軍縮という単純なものではなかった。
用兵思想の大転換を行わせる、という狙いも含んでいたのである。
赤坂宮は現代に転世した直後、京都帝国大学でさまざまな現代知識の文字通り詰め込み教育を受けていた。
自分がいなくなった後、日本がこれまで歩んできた流れや、世界各国の様子や歴史なども面白かったが、それ以上に彼の興味を釘付けにしたものが別にあった。
それは自然科学に関する最新の知見である。
すなわち宇宙のこと、物理のこと、気象のこと、医学のこと、などなどは彼を大いに感銘させたのである。三百五十年という時間を超越し、未知の知見に出会えたことが感動につながっていた。
ところが、である。話が人間と人間のつながりに関わったものになると、どこにも輝きは感じられなかったのである。いやそれどころか、何とも言いようのない得体のしれないもの、という程度の感想しか持てなかったのだ。もちろんいくつかはなるほどと思ったものもあったが、逆に何故そうなったと根源まで考えても意味不明なものもたくさんあったからである。
自然科学関係の知見は間違いなく叡智と呼べたが、人間の関係する話については進歩しているのかどうか疑わしいのではないか、と疑念を抱えたままになったのだ。
彼はそれで逆に自分の価値を理解したとも言えた。天皇が自分を必要と思った理由である。
もしそれを正すことが自分がここにいる理由なのだとしたら、すべてがすっきりと理解できるのである。
軍略、政略などというものはまさにその進化しているかどうか疑わしい分野そのものだった。
となるとそれを総点検することが絶対に必要になるのではないか、と考えたのだった。
赤坂宮はまず日中戦争に従軍した各部隊の戦歴を細かに調べさせ、麾下部隊の損耗率の異常に高い指揮官を主流からはずしていった。さすがに階級を落とすような真似はしなかったが、重職からは遠ざけたのである。
どんなに輝かしい軍功を立てていても、麾下部隊の損耗率が高い者の評価は下げさせた。逆に目立つ軍功は全く無くても、戦場にいた時間が長いにもかかわらず、麾下部隊の損耗率の低い指揮官は高く評価するように評価替えをしていったのである。もちろんこれは人事に携わる人間だけが知っていることで本人たちに評価替えのことが知らされることは無かった。しかし、こういうものは自ずと一定の空気を産むものである。周囲の目が変わる、という形で評価が上がった者、下がった者はなんとなく分かることが多くなった。
この考え方は軍関係の学校の教育課程の見直しとも連動していた。
教程の見直しの大半は精神面の強化にこだわりすぎていた内容を緩和し、より科学技術に即した内容への見直しを図るという言葉に集約できる変化だったが、特別に赤坂宮からの指示で加えられた重要な項目が二つあった。
その一つは、今まで全く誰も教えてこなかった降伏である。
赤坂宮は「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」という武訓を全面否定していたのだった。
まず生き残ることを考え、それが結果として合理的なら降伏するように教えろと言ったのである。
捕虜になっても尋問に抗う必要はない。自分から勝手にペラペラ語るというのならともかく、敵から質問されたことに答えるに止まっている場合は軍機違犯とはしない、なども合わせて言及していた。
これにはどんな秘密でもいつまでも敵に隠すことは難しいと指揮官に分からせるという狙いもあったらしい。最初から秘密はいつかバレるものというつもりで動けということでもあったのである。
そしてさらに続いて、捕虜とされ、敵について分かったことがあったらとにかくそれを覚え、機会があれば脱走し、友軍に合流する道を探るのが捕虜としての戦い方であるとも語ったのである。
もし何も情報が得られなかったとしても、捕虜が脱走しただけで敵はその捜索にそれなりの兵力を割かなければならない。それだけでも友軍には十分な援軍になる、と言うのだ。
捕虜としての戦闘行為という発想は今まで誰にも無かっただけに、多くの将兵には非常に斬新に思えたらしい。
捕虜になる意義を見いだした、とも言える話であった。
そしてこういう価値感が生まれた結果、独房からの脱獄技術を競う競技会のようなものを行うというような話までその後生まれた。
もう一つは戦争というものが現在国際法の上でどのような扱いがされているものなのかを兵に正確に教え込むことだった。条約に規定されたような違法行為をすれば国全体が犯罪者扱いされるということを周知徹底したのである。
特に敵軍の制服を悪用する便衣行為、例えば敵の制服を奪うような作戦は絶対にやるなと厳命した。また同時に条約によって投降した敵兵に対する扱いというものがはっきりと規定されているということも教えるようにさせた。
これらは明治の建軍当時は欧米の国と同等に扱って欲しいという国策もあったため、例えば日露戦争当時には相当徹底されていた。
しかし時代が下り、そのような風潮が忘れ去られると、妙な「美学」の裏返しで、捕虜となった敵兵を軽蔑する空気が生まれおろそかになりがちであったのだ。
赤坂宮はそれを正常に戻したというだけである。
彼からすれば、今の世界というのは、日本について何らかの烙印的な「悪」のイメージを定着させようと丸わかりの状態なのである。しかも明らかに開戦の口実探しでである。
国際法を無視するなどというそしりは何が何でも避けねばならない問題と見えていたのだ。
知らなかったでは決してすまされない問題だった。
陸軍大学、海軍大学、陸軍幼年学校、陸軍士官学校、海軍兵学校などで一斉にこのような内容が明らかにされると一時的にはかなり混乱した。
当然である。彼らがそれまで教わってきた、皇軍の美学とも言える死生観とは大きく異なっていたからだ。
従い、将官クラス、佐官クラス、尉官クラス、それぞれで異論を持つ者が少ないながらも出た。
しかし時間が経つにつれ、徐々に頭を切り替えるように皇室の軍なのだから当然だろう、という空気に変わりどうにか落ち着くことになった。
軍功の評価基準も当然変更である。指揮官としての能力は作戦達成に要した麾下部隊の損耗率によって表される。となった。もちろん反論も多かったが、赤坂宮が絶対に譲らないのだから誰がどう言っても無駄であった。
このパラダイムシフトは当然、日中戦争で指揮をとっていた東条や板垣の作戦指導はどうだったのか、という批判精神も呼ぶことになった。
そしてその結果はすぐに広まったのだが、同時にすぐに皆多くを語らなくなった。多くの者がいまやはっきりと日中戦争はなぜ中断させられたのかを悟ることになったのである。
蒋介石に日本軍はまんまと嵌められ消耗戦を強いられていた……という認識が軍全体に広がったと言ってもいい。
無論、東条や板垣本人の耳にもこういう風評は届いていたはずである。が、当人達は一切何も弁明しなかった。下手な言い訳をすれば墓穴を掘るということを警戒していたのかもしれないし、あるいは、自分たちも今となってはその通りだと認めていたのかも知れないが、本当のところは分からずじまいだった。
周囲の者も、そもそもが東条や板垣個人の資質によって引き起こされたと言うよりも、もっと軍の体質という歴史的背景があることは百も承知していたので、それを今更掘り返そうという空気が蔓延することも無かった。異常と言うなら、その伝統に楯突ける赤坂宮の方がよほど異常だったのである。
赤坂宮は別に人道主義者とか博愛主義者というわけではない。むしろ超がつくほどの合理主義者である。ではその合理性がどうしてこういう価値感を産んだのか。
彼は軍の維持が困難になったと判断すれば、すぐに何もかも捨てて敗走に移ることに何の躊躇いも見せない男である。無論大将が逃げれば傘下の軍はすぐに四方へと散り散りになってしまう。が、それでも逃げた方がいいと確信していたのだ。つまり自分さえ逃げ帰れば軍を再編することなど簡単にできるという自信を持っていたのである。
他の大名諸侯が、領民や譜代家臣だけの軍に頼っていたのとは違い、信長の軍は大半が金で雇った傭兵、足軽の部隊である。元々が逃げやすい連中だが、しかし金を出せばすぐにまた集められたのである。他の大名にはできない芸当だった。
足軽は土着民ではないので、領主への忠誠心という意味では譜代家臣には劣るものの、利点も多かったのである。その一つは農作業と無関係の存在だから季節を問わず戦争に投入できた。また元の在所から遠く離れた場所への移動、進軍に逆らう心配もない。戦さの専門部隊として年中無休で戦場から戦場へと移動させていけば、最初はどうであれ、豊富な実戦経験によって精強な部隊に仕上がるのも早い。
領地経営をしっかりと行い財政が健全であれば、予め決めた金をきっちり払い、褒賞をケチらないことでよそ以上によく働く軍となるのである。
それに気がついた信長は、軍を常に戦地で働かせる一方、農業従事者に対しては検地によって土地毎にそこで生産する者を決めさせ、それを公のものと認めることで農業生産の安定化を行ったのだ。また同時に農民の武装を禁止し、刀狩りを実行させた。一つには他国からの調略によって一揆などの武装蜂起防止という意味もあったが、それ以上に国内にある反体制グループである宗教勢力などに利用される危険を排除したのだ。
つまり足軽も検地も刀狩りもすべて兵農分離という戦争に勝つための政策だったのである。
信長の治める地域の生産体制と軍がこういう構成になっていたために、窮地に陥った時にすぐに待避行動に移せたのである。
浅井長政の裏切りで朝倉攻めに出動していた織田軍は狭い街道で挟み撃ちにされそうになる窮地に陥った。その危険を悟るやいなや、街道が完全に包囲される前に、信長は僅かな従者のみを連れ即座に遁走へと移り、それを見た信長軍全軍もまた雪崩を打って逃げ始め、結局は見事包囲網を突破して逃げ帰ったのである。
その後本拠まで逃げ帰った信長は残兵をまとめるとともに、追加の兵を募集し浅井朝倉連合軍を上回るほどの数を瞬く間に揃え、迎撃できる態勢を整えてみせたのである。
散り散りになった兵も危険が去れば勝手に現れる。彼らを再編成し戦力化することは決して不可能ではないのだ。状況が不利な中で無理に戦闘行動を続けさせて部隊をまるまる全滅させるよりは、よほど分の良い戦いができる、というのが彼の信念だった。
とにかくこの指令は日本軍のそれまでの中心的な美学を根底から変えることになった。
「玉砕」や「自決」は自動的に「命令違反」「抗命行為」と見なされることになったのである。
さらには、それまで華々しい日本陸軍の活躍話には必ず登場していた「突撃」命令が乱発されることも無くなった。
そう、敵軍の抵抗が十分弱まったと判断できるよりも前に「突撃」命令などを下したら、損耗率がどうなるか分かったものではない、と将校全員が理解するようになっていたからである。
結果、従来の日本軍の特徴であった、神速のような行軍による奇襲や、破竹の勢いという言葉で表されるような、攻撃の速さはなりを潜めることになった。
従来の戦い方は、ともすれば行軍速度を重視し、輜重を軽視していた。
従って戦の終結まで長い時間はかけられないという制約があるので、自ずから速戦即決しか選択肢がない状態に自分から飛び込んでいったのである。
しかし、損耗率を重視し始めるとこのような戦い方はできなくなる。
補給部隊の安全確保、敵軍の戦闘能力の把握が欠かせない。
そうなると補給線と敵軍との距離をどれだけ確保しなければならないか、という軍の位置取りがモノを言う。戦闘に入る前の段階での戦術が非常に重要になるのである。
結果として言えば、戦場に部隊を有意に配置し、確実に敵戦力を削りつつ、敵の補給路と退路を断つ、ということになった。
信長いや、赤坂宮は全く知らなかったが、それは明治初期に産声を上げたばかりの帝国陸軍がドイツいや当時のプロイセンから教わったモルトケ直伝の戦術に戻ったということと同義でもあったのである。
これらは来るべき航空支援を受けた機甲師団を主体とする新戦術の運用の上でも基本として守らねばならないことでもあったのだ。
というのも戦車や急降下爆撃機による精密爆撃の打撃力は凄まじいが、短時間に戦場に投入できる弾薬量は多いが、その消耗量も凄まじいので、時間や場所を予め細かく決めておかないと効果的な攻撃はできないのだ。
さらに敵戦力の無力化や占領地確保などの戦略目標を確実に達成するためには、その消耗量を正確に測り、十分な補給体制を維持しなければならないことになる。
戦場という場所で最後の勝利者になるには、無数の計算とそれに基づく万全の備えがなければならない。それこそが近代戦の要とも言える考え方だった。
特に新たに登場した航空部隊という存在は、それが戦場で大きな存在であるが故に、地上部隊といかに連携させるかは、地上部隊同士の連携以上に重要になった。
要するに場所と時間の情報共有が完全にできているかどうかである。
航空機からの攻撃は友軍を攻撃する誤爆の危険と隣合わせなのである。
従って、予め決めたスケジュールによって最前線の位置と補給部隊の位置を管理しつつ、敵の位置を正確につかみ友軍に伝達するという作業が重要になるのだ。またスケジュールを無視すれば誤爆されても文句を言えないのである。
また航空攻撃との連携が無い陸上部隊同士の戦場でも作戦思想上、突撃命令はまずかった。
信長がかつて率いた軍は足軽という長槍を持たせた歩兵部隊が主力で、これは他の大名の土着の侍の普通の槍や刀を主体とした部隊とは大きく異なることは前にも述べたが、この両者では戦術も違っていたのだ。
足軽隊は、集団として密集して長槍を同じ方向に向け構えさせることで最大の戦闘力を発揮する。アレクサンダーのファランクスと言われるハリネズミを造るわけだ。なので基本的に敵味方が戦場で入り交じる白兵戦とはならないのである。白兵戦になるのは負け戦になる時である。
しかし侍が一人一人勝手に動き、相手を求めて戦場を彷徨うような他の大名の部隊では、敵味方が入り乱れる白兵戦が普通だった。
足軽隊を重用し、それをバカにされながらも、結局ほとんどの戦を勝ち戦で終わらせた織田軍の勝ちパターンでもあったわけである。
戦場では極力白兵戦を避けること、これも赤坂宮の戦い方の基本の一つだった。
だいたい重戦車や航空機までも動員し立体的空間すべてを戦場と想定する近代戦では、そもそも一つの部隊が戦場を縦横無尽に駆け抜けることなど不可能なのである。
ということは敵陣に向かって突撃を行う利点が、威嚇以外ほとんど無いことになる。
これだけでも、将兵にはかなりきつく聞こえていたのだが彼の指令はさらに徹底していた。
第三師団以来、各地の部隊が軍事教練で必ず「突撃!」とやっているのを幾度も目にしていたからだ。要するに彼はこの件に関しては全く将兵を信用していなかった。
それで、ダメ押しの指示を出したのである。
彼我の戦力が圧倒的に敵が優勢という状況で、敵側もそれを熟知している場合、敵が白兵戦を避けようとすることは明白である。こういう時、奇襲として敵陣に突撃をかけ、敵兵の恐怖心を煽り戦列を瓦解させられる可能性はある。そしてうまくいけば大軍を小軍で打ち破るということもできるかもしれない。
が、そのような手段で最終的に勝利を得たとしても、部隊を著しく危険に置いたことは間違いなく、一軍をまるまる戦闘不能にする危険というのは、全軍の軍略・戦略を台無しにし、軍全体を危険に落としかねない無謀な試みであると言わざるを得ない。
よって突撃はよほど特殊な事情が無い限り許容されてはならないものとする。
さすがに、ここまで言われると古参兵ももう何も言わなくなった。
が、陸軍のほとんどの将兵はドイツ式の機甲師団との交戦経験はないのである。古参と言っても役立つ経験は持っていないのだ。
そういう意味では、この指示は極めて時宜を得たものだった。
敵味方が入り乱れて戦う戦場など、機甲師団と航空部隊からすれば友軍を傷つける厄介な戦場でしかないのだ。
軍事教練の全般がかなり変わることになった。
というのも従来の教練というのは、競争を基本にしていたのである。起床から始まり訓練開始終了、食事、風呂、およそ全てのことを時間との闘いにしてしまい、分隊単位、小隊単位で競わせていた。なので一番乗りを競うことは全兵士の本能のようにすり込まれていたのだ。
ところが、今後の作戦での部隊行動は、とにかく早ければいい、という話にはならないことになる。今までなら、計画書にいついつまでにこの地点まで進出せよ、と命令されていた場合、特に記載が無ければ、その期日以前に進出しているのであれば問題無しとされていたのである。
が、今後は、早く到達するのもまずいということを意味していた。
それは要するに友軍の他部隊との連携協調できるかどうかという能力そのものでもあったのである。今までの部隊単位で独自に行う訓練というものはそれでは全く十分ではなく、むしろ個人技能以外の部隊訓練の主役は他の兵種部隊との連携訓練が中心になるように、教練過程を変えなければならないということでもあった。
結果的に歩兵中心から機甲部隊への主力の変更などというレベルでの変更に収まることはなく、軍務全体、即ち命令、責任、戦功評価、武装、部隊編成、戦闘要綱、兵士心得などなど、ありとあらゆることについて、建軍以来の伝統の多くを見直さざるを得なくなったのである。
満州、遼東半島の関東軍は、かつてノモンハンで対峙したジューコフのソ連軍をコピーしたような武装と編成へと改編されることに決まった。
完全な機甲師団化であり、その主力戦車は鹵獲したT32を手本にした完全な新設計の戦車で、轟エンジンを搭載した五式戦車となる予定であった。
そして機甲師団化により主役が戦車になるということで補給体制も見直され、戦車に追従し常に予備の燃料と弾薬、補修部品を運ぶ補給軌道車両も同時に用意されることになった。
今までの戦闘要綱では、戦車は歩兵の援護用の武器だったので、戦車の弾薬燃料が無くなっても戦闘行動そのものを中止するというふうにはならなかったのである。
残った歩兵だけが戦い続けるのが正しい運用だった。
が、今後は戦車の燃料弾薬が切れたら部隊の作戦行動を直ちに中止すると変更することになった。弾薬切れ、燃料切れも戦死扱いというわけだ。
燃料残量、弾薬残量を適切に管理するのも戦闘能力のうちなのである。
しかしそれで部隊が歩兵主体だった時よりも移動できなくなった、では本末転倒だ。
それで戦車の運用時間を大幅に延長させるため、こういう支援車両が用意されることになったのだ。
このような軍全体の教練内容の変化とは別に将来の幹部候補生たる陸軍大学、海軍大学の学生については、外国の大学との間で交換留学制度を整備する方針が決まった。
しかし陸軍は元々国軍としての自負心が高く、その反動で外国を見下すところがあって、特に西洋絡みの話にはアレルギーに近い反応を持つ者が多かった。
もっとも、そもそも相手が必要な話なので、すぐに大量の学生を受け入れたり派遣したりできるようになるわけではなかった。
しかしそれでも外国語や世界史など外国関係の教育内容の充実が明らかにされると、それらに対する反発が徐々にエスカレートし、小さなトラブルが散発するようになった。
見かねた赤坂宮が次のような談話を出した。
軍が戦さをする相手は間違いなく外国相手になる。それでいて軍の指揮官が日本のことしか分かりませんというのでは、指揮官として全く頼りにならないではないか、と。
こういう話が出ると日本の組織というのは必ず過剰反応を起こすものである。
今回も例外では無く、すぐに尾ひれがくっつくことになった。
すなわち正規の陸軍将校になるには今後最低外国語一カ国語ぐらいはマスターしろ、という重しが乗っかることになったのである。もちろん将校を目指す下士官クラスの多くは顔色を変えることになったし、外国語が一つもマスターできていない将校はこの話題から逃げるようになり、密かに外国語の学習に勤しむ者が増えた。
国防軍の再編成を任された栗林大将は赤坂宮から出される指示に最初、目を白黒させるばかりだったが、その合理的発想のパターンが分かると誰よりも早く赤坂宮的思考への切り替えを成功させ周囲の者を驚かせることになった。
一方、遣外軍と名付けた戦闘序列の方については、何しろ実際に派遣が決定しないと具体的な活動の中身も発生しない。戦闘序列が意味を持つのは厳密に言えば作戦行動が規定された後のことになるので平時には国防軍と遣外軍を分ける必要は無かった。
しかしそれでは平時の教練において重視すべき他の部隊との連携訓練に支障が出る。
国防軍として戦闘序列が組まれた部隊に関しては栗林がトップでさまざまな訓練命令が発せられることになったが、遣外軍に関してはそもそも、栗林大将の地位にいるべき人間がまだ決まっていないのである。
赤坂宮は部下にその点を指摘されてもまともな返事はしなかった。おそらく何か考えがあるのだろうとまわりもそれ以上詮索するのをやめることになった。
で、結局のところは、遣外軍と国防軍の両方を隷下に持つ軍政上の上長判断ということで、遣外軍序列部隊も国防軍序列部隊と一緒になって訓練を行うということで落ち着いた。
但し、海軍の一部は完全に遣外軍序列部隊だけとなっていたので、これらに関しては幕府スタッフが別に訓練メニューを作り対応することにした。
実は赤坂宮が遣外軍に関し、沈黙を守っていたのは、彼の構想にあった遣外軍のイメージと実際の編成にかなりの差があることがわかり当惑していたからである。
帝国陸海軍の伝統に乗っかった軍だから立派な正規軍であることは間違いないのだが、遣外軍が戦う場所は基本敵地である。補給も不安定なものになる危険性が高い。そういう難易度の高い場所で部隊を指揮するということは、当然ながら、ある程度汚れ仕事も難なくこなさなくてはならない。そんな感じの軍隊にしたかったのだが、いくら議論を重ねても装備以外では遣外軍らしいタフさ、というものが感じられなかったのだ。
何より司令官としてもそういう任務にぴったりと思える人間が見つからない。
人選イメージで言えば、国防軍トップは家康似であることで栗林を選んだわけだが、遣外軍を任せるなら、それこそベストは秀吉似の人物、あるいは楠正成似であるべきだった。
しかし、それが全く見つけられないのである。
秀吉ならこちらが五を語り、しかも準備が十必要なところが五しか揃っていなくても、十ぐらいの結果を持って戻ってきたのである。あれほどの人間は滅多にいるものではないことは重々承知はしていたものの、現状手元にいる人材はどう贔屓目に見積もっても、柔軟さに乏しく、せいぜいが三程度ぐらいのところで立ち往生しそうな連中ばかりだったのだ。
要するに人の能力を見極める目と手を変え品を変えて相手をたらし込む力、悪く言えば詐欺師か盗賊としても一流になれる、そういう能力が帝国軍人には決定的に不足していた。ほとんどがまじめが取り柄の戦闘バカで柔軟な対応が期待出来なかったのである。
こんなことならオーストラリアに出したジューコフを呼びもどした方がまだマシかとも思ったが、もう新天地で自分が天下の土地を手に入れたジューコフが今更傭兵の親分のような仕事を甘んじて受けるわけもないかと断念したのだった。
遣外軍の総司令どころか、赤坂宮は自分の側近不足にも悩まされていた。
ジューコフに続いて瀬島も幕府から外に出した(彼は今は表向きは商社マンになっていた)ので、御側用人として便利に使える人間がいなくなっていたのである。
幕府には一芸に秀でたスタッフはたくさん居たが。オールマイティ型はごく僅かしかいなかったからだ。
さすがに幕府の仕事がこれだけ増えると赤坂宮は手をつけなかった幕府内の組織整備に手をつけざるをえないかな、と思い出した。が、赤坂宮本人が、こういうところはもともとあまり得意ではないのである。
要するに赤坂宮が自分でやった方がいい、とすぐ自分から手を出す関係上、しっかりした組織はかえって邪魔になると思っていたからだ。
御側用人というのは、そのしっかりした組織と我が侭なトップの間を取り持つ役割ということである。適当に投げたタスクをいかに組織が受け入れられるような仕事に分割して回せるか、ということになる。こういう仕事は、各人の役割を熟知し、しかもトップの意図を正確に読み取れるという情報収集力と、各部門の能力をどう組み合わせたらそれが実現できるか、という構想力が無いと務まらない。最初は瀬島の代わりなどすぐ見つかるだろうと思っていたのだが、手放してみて、瀬島の優秀さを痛感していたところなのである。で、やむを得ず、自分で何もかもやっていたのだが……。
それでも、何もかも自分が全部見るのはきつすぎた。さすがに書類に埋もれ、これはなんとかしないとダメだな、と思った瞬間、一人の男を思い出した。
海軍省トリオの末席に座っていた威勢のいいのに妙な冷静さも持ち合わせているという、かなり変わった、いや興味深い性格の持ち主のことである。
あれは、意外といいのかも知れない、と根拠は曖昧だが閃いた。すぐに議事録を持ってこさせ氏名を確認した。
井上成美海軍軍務局長か……。
翌日、幕府の事務局長にするからこっちに差し出せ、と海軍省に命令を出した。
このように赤坂宮が好き勝手に軍と軍人を改造する様子をハラハラしながら見ることになったのは、幕府の行っている外交工作の中身を知っている軍出身の閣僚達である。東条首相、板垣陸相、米内海相、岡田外相という面々だ。
憲法の摂政と統帥大権の規定に立脚している幕府に政府は何も言える立場ではない。
ただ天皇からは予算に関しては政府決定に従うという話が出ていたので、いわば予算を人質に幕府の行動にいろいろ釘を刺すつもりでいたのだった、が……。
幕府指導になってから、軍が予算で政府に文句を言って来なくなったのである。
もともとは、軍の使う金がどんどんかさみ、政府と議会の出し渋りを抑えるために軍は政治に介入するようになったのである。
その行き着いた先が、軍人出身の首相を据えることになったのだ。陸海軍はそれほど仲がいいわけではなかったが、予算を政府議会に認めさせる、という一点では事実上密接に共闘していた。
陸軍は大陸で戦線を次々に拡大し、兵員を続々と送りこみ、海軍は海軍で米英との建艦競争に絶賛邁進中とやっていたのだから当然だ。さらに国会での答弁のため、あるいはそれを嘘にしないため、一層の戦果を求め戦闘に邁進していた。しかも中国の前線司令部では政府に何を要求しても青天井で認められることが続いたので、統制が効かなくなっていたのである。
一応、占領地が広がれば、そこからもたらされる富というものがあるはずだから、国費の無駄遣いではないという話にはなっていたが、実際問題は、米国からの経済制裁で苦しくなるし、占領地が増えたら却って金がかかることばかりが増えるという悪循環に陥っていたのである。
幕府成立とともにその流れがバッサリと断ち切られた。
幕府はそういう言い方をしたことは一度も無いが結局軍縮を推進することになった。
中国からの撤収のおかげで兵員の動員数は大幅に下がり、それに付随して支出が下がった。海軍も赤坂宮の出した戦闘序列のせいで、今までの常識にはなかったような小型船の艦種の建造要求を多数つきつけられ、気がつけば大型戦艦も大型空母の建造もすべて止まり、予算は大幅に余ることになったのだ。
ということは内閣はいよいよ幕府に文句を言えなくなったということを意味する。
それで、それならばと次年度の予算編成にあたって、本来なら政党政治家などの軍にとっての政敵が突きつけてくるような超緊縮型予算案をわざわざ作成したのである。それで何か言ってきたらそれを認める替わりに一言言ってやろうとしていたのだ。
ところがこれを赤坂宮は全く文句をつけることなく一発で了承してしまったのである。
実は、赤坂宮は政府の軍向け予算を最初からそれほどアテにしていなかったのである。幕府を通じた軍需産業のコントロールによって、スターリンという上得意を得、またパースでの鉄鉱鉱山開発と製鉄業参入によって、そこに投入した金をはるかに上回るほどの上がりが得られるようになっていたからだ。
政府の軍向け予算は、組織の維持管理に限定し、それ以外のことは政府の予算とは別枠の、幕府独自の、いわば赤坂宮の隠し予算で回すことにしたのである。
国の予算とはイコール、今現在の領土の住民に由来する金だ。対して軍事外交は、その外側に向けての金になる。ならばすべてをそこから賄うのは適切ではない、というのが彼の論理だ。
これも尾張時代に始めたやり方の踏襲だった。
軍制を変えるためには経済構造から変えなければならないのである。
軍隊というのは使い方によっては生産手段にもなる。
そもそも年中無休で戦争をしているやつはいない。ということは足軽などという傭兵を多数使っている信長にとって、これを平時にどう使うかは、それこそが行政上の腕の見せ所でもあったのである。
労働力の賃金は国の予算で賄い、その労働力と投融資用予算と組み合わせ利益を生む事業を育てるのである。開発事業を行い、開発が終わったものを住民に預ける、という姿勢だ。新田の開墾がこれで劇的に進んだ。
そういった新たに開発されたものは当然収益を生む。それらを軍事外交用の恒久財源にしたのだ。放置しても占領地が増え経済がうまく拡大すれば自動的に軍事予算が増えるやり方、と言っても良かった。
尾張時代に行った税金を免除した楽市楽座の導入は一見すると税収の面では真逆のように見えるが、税金をかけないことで流通量が何倍にも増えるなら損はないのである。
それらがうまくいったから、足軽という傭兵システムを維持できたのだ。
安く大量に傭兵が雇える場というものは、まず人がそこにたくさん集まらないと生まれない。要するに人口を増やすことが最初にあるべき施策なのだ。
産業が興れば人が集まる。新たな集落が生まれる。当然彼等が消費するものを供給する商人や物資が集まってくる。商人が必要とする行政サービスを有料にすれば、市場の税収ぐらいはすぐに確保できるのだ。治安維持、建設事業、利水の便、交通の便などの行政サービスを無視する商人はいない。そして大量の軍需物資の調達購入という儲け話。
いくら税が安く、平和な場所であっても、領主が金を使わず、金が動かない場所には人は集まらないのである。
軍費は結局はその社会から見れば保険であり、保険料率を上げるというやり方では経済が立ちゆかなくなる。保険料率は一定水準に抑え、経済の規模自体を大きくするしか軍費を大きくする方法はない、というのが彼の信念だった。
そもそも幕府の関わる多くのことは諸国との外交交渉を有利に運ぶため、秘密にしておかねばならないことばかりである。政府の金となると国会への報告義務が出るが、それで失うものも大きいのだ。
ならば外国から受け取った金は国内に持ち込まず、外国向けの工作資金にした方が合理的なのである。
そして赤坂宮はある意味商才に恵まれていた。誰がどんなものを欲しがり、金を出すのかということに対する嗅覚は昔から超一流だったのである。
戦さとはもともと金がかかるものであり、最初からどうやって戦費を調達するかは、軍を率いる者が当然考え手を打たねばならない話なのである。
彼は商才があったから戦国の覇者たり得たのだ。
従って、自分では何も金策をせず、ひたすら政府予算に文句ばかりをつける軍人は、赤坂宮に言わせれば、子供じみた欠陥軍人ということになっていた。
言葉を変えると江戸時代に生まれた武士の心得、浮利を追うべからず、を真っ正面から否定していることにもなる。
が、これもまた、まるで江戸時代の武士にあこがれを抱いていたかのように、帝国陸海軍の兵士心得のようになっていたのだった。
当然、幕府中枢にいる幹部を中心にこの考え方の否定工作が水面下で進むことになった。要するに軍人たる者、駆け引きにおいて商人を出し抜けるぐらい利に賢くなれということである。
軍縮によって浮いた軍向け予算の一部を使って西オーストラリアでの投資を行ったわけだが、これが予想以上に高い収益を上げたのである。
パースでジューコフがやっているのは、西オーストラリアの石炭と鉄鉱石を使って粗鋼を生産し、その一部を日本に送ることである。
そして日本の神戸で粗鋼から各種鋼材に加工され、諏訪のエンジン工場でエンジンにされ、その一部が新潟からウラジオストックに向けて船積みされていた。
西オーストラリアの石炭と鉄鉱石は共に露天堀であり、採掘コストはほとんどかからない。ほとんどタダ同然の仕入れ値である。最終的に組み上がったエンジンの半数程度をソ連に横流ししているのだが、それでもその代金で生産量すべてのコストを賄うことができた。この一部を幕府独自の活動資金にしたのである。
この幕府の秘密在外予算はその後さらに増え続け、外交上の武器としての威力があがり、外交上の戦略兵器としての役割を担うことになる。