地殻変動
ルーズベルトは苦り切っていた。
つまりルーズベルトの独ソ戦に対する見通しはドイツ軍やヒトラーと同じだったのである。
ドイツが間もなくソ連を打倒してしまうと信じていたのである。
それは焦りを生み、必死になって対独参戦の口実探しに躍起になっていた。
陸上でのドイツ軍はアメリカから遠く離れたところにしかいなかったが、大西洋を遊弋しているドイツ海軍のUボートならアメリカ近海にも来ていた。狙いはイギリス向けの商船である。
ドイツ軍には第一次世界大戦の時に、中立国の船も攻撃する無差別攻撃をやってしまい、結果的にドイツに対し宣戦布告する国を増やしてしまったという反省があった。それで第二次世界大戦では、中立国の艦船には絶対に手を出すなと、厳命が下っていたのである、
ドイツ海軍将兵は、この命令をよく守り、正確にイギリス船籍の船だけを叩いていたのだ。
そこでルーズベルトは一計を案じ、商船隊についたイギリスの護衛艦隊にアメリカ軍の船を潜ませたのである。果たしてUボートはこれに気がつかず、北大西洋でアメリカ海軍に初めてドイツ軍の攻撃での被害が発生したのである。
すかさずルーズベルトはこの件を上院に報告し対独宣戦布告を行おうとした。
だが、上院の調査委員会はあっさりとアメリカ軍の行動に問題があったとして、大統領からの対ドイツ宣戦布告動議を否決してしまったのである。それどころかアメリカ海軍はドイツ軍が狙いそうな欧州航路をみだりにうろうろするな、と議会から釘まで刺されてしまった。
こうしてルーズベルトの対英国援助計画は頓挫したのであった。
いや事態はルーズベルトの予想を遙かに上回るほど悪化していた。
つまり欧州での戦火拡大、そして中国からの日本の撤退、さらに対日くず鉄禁輸、これらはアメリカ製品の輸出先をことごとく失わせるものだったのである。
もしイギリス向けに兵器が輸出できるのなら、あるいはそれを補えたかもしれないが、それは許されていないのだ。食料、日用品、燃料だけいくら輸出を増やしても経済的には知れていた。
そこへ持ってきてパース製鉄所が稼働を開始した結果、日本の石油の輸入量が減り始めたのである。鉄を加工するために使っていたエネルギーが、アメリカ産からオーストラリアやイラン産のエネルギーに置き換わったことが原因だった。
かくて石油はアメリカ国内でダブつきはじめ、価格が下がった。元々安かったが、それが一段と安くなると経済的に苦境に陥る会社は多い。
景気の悪化として政権への批判が徐々に高まることになったのである。
もうハル国務長官の対日石油禁輸などというカードが使える状況ではなくなってしまったのである。
そしてさらに頭の痛い話が持ち上がっていた。
イギリスに肩入れし過ぎた政権を批判し、欧州大陸の新たな支配者となったドイツと交易を開始すべきだという勢力が台頭してきたのである。
人種差別撤廃に対し反発し白人優位が当然と考える人間はアメリカにはいくらでもいた。
ユダヤ人の問題さえ無ければ、ルーズベルトも白人優位主義なのである。ならばユダヤのことぐらい目をつぶれ、となる勢力が台頭してくるのは当たり前だった。そして彼らの何よりも強力なアピールは、景気対策と失業対策である。
人種差別撤廃を貫き民主主義の工場になれるとしても、不況になり失業してもいいという話にはならないのである。
さすがにナチズムそのものに賛同とまで言い切る勢力はまだいないようだったが、少なくともドイツ及びドイツ占領地区との交易を求める勢力はかなりの数になりつつあったのだ。
ルーズベルトは民主党出身であり、黒人の支持を受けている。
だからこの動きには簡単には乗れない。景気の悪化に押されそれまでルーズベルト支持に回っていた共和党支持層が離反し始めていた。
大統領への支持率低下は議会の空気を一変させ、大統領から送られてくる法案がだんだんと通りにくくなった。
一方、ユダヤ以外の白人層とユダヤ人の間、あるいはさらに黒人層の過激派の一部まで巻き込み、各地で人種ごとに反目する場面が増えていったのである。
かくてルーズベルトが苦労して築き上げていた民主主義という旗印でアメリカの結束は各所で綻び始めていたのである。
特に南部の州では奴隷制度こそ撤廃していたものの、激しい黒人差別を法律的に合法化していたため、それに反発する黒人が多く、些細な事件から大きな暴動へと発展することが多くなってきていた。
アラバマ州から始まり、ミシシッピ、ルイジアナ、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、ネバダ、カリフォルニアとこの波動はすぐに西部へも伝わることになり、従来人種差別問題では蚊帳の外に置かれていた日系アメリカ人にも伝染していったのである。