神頼み
初冬の奈良は雪こそないものの、盆地特有の底冷えが厳しかった。
しかもその日は鉛色の雲が厚く空を覆い、日差しもない。そんな中、未舗装の道を車体を大きく揺らしながら南に向かう、大型の黒い乗用車があった。奈良盆地の南の端、金剛山の東の山麓にあるこんもりとした森の入り口に立っていた朱色の鳥居の前でこのクルマは止まった。運転手がまず運転席から下り立ち、そして助手席からも別な一人が下り、そしてその二人が助手席側後席ドア前に整列しおわると、運転手がうやうやしく頭を下げ、後席ドアを開けた。
クルマから降り立ったのは小柄な紳士である。ストライプの入った三つ揃え、ソフト帽に白手袋、ステッキを持つ姿というのは、先に下りた運転手ともう一人とそれほど差があるわけではない。少なくとも昭和十二年の東京でならそれほど目立つ服装ではなかった。
二人の従者に頷き、男はそのまま朱色に塗られた鳥居を見上げた。
「なつかしいな。もう二十年も経つのか」
二人の従者は互いに顔を見合わせただけで、それには答えなかった。自分たちに向けられた言葉ではないと判断したようだった。
「二人ともここで待っていてくれ、というわけにもいかないか。服部はクルマに残れ。西尾は一緒に来い」
男の言葉に二人はすぐ反応した。運転手は一礼するとクルマに戻り、そしてもう一人は男のすぐ後ろ、二メートルほどの距離を空けて立った。
二人の動きを確認すると男は鳥居をくぐり神社境内へと進んだ。初めから参拝目的でないことは鳥居に対して特に礼を払う様子も無かったことからも明らかだった。
早朝でもなく、昼とも呼べない中途半端な平日の昼間。鳥居から境内に至るどこにも他の人の姿は無かった。もう少し年末が近づけば変わるのだろうが、十二月は昨日始まったばかりで、正月用の準備もこれから始めるところだった。いや、より正確に言えば初詣の人出に対応する品作りのため、この神社の関係者にとっては一年で一番忙しい時期でもあり、のんびりと散策できる余裕のある者などいなかったのである。
参道自体はそれほど広いものではなく、しかも両側の植え込みが石畳ぎりぎりにまで茂っていて実際よりも参道を狭く見せていた。その先には短い石段が有りその上った先に社殿らしき建物の屋根が少し見えていた。
男はその参道を進まず、すぐ右側のおみくじや祈祷受付などと案内を出している小屋に向かう。西尾と呼ばれた男は訝しげな表情を浮かべながらも距離をおいて黙って後を追った。
男はさらに小屋の脇にそれ、裏手に回る人一人がやっと通れる程度の細い小道へと分け入っていた。
「へ、へいか?」
「西尾、声を出すな」
低く短く、だが厳しく叱責され西尾は黙った。男本人はどこかはしゃいでいるかのように軽やかに足を運んでいた。
まるで子供の頃の馴染みの遊び場を訪ねた時のように見えた。
その小道はこんもりとした林を三十メートルほどつっきり、立派な日本家屋、といっても、どっちかと言えば農家に近いのだが、の前に続いていた。自家用の菜園などがあり、場所が境内でなければ農家にしか見えない家である。
大きな納屋と本宅、それと土蔵が二つほど並んでいる。
男はまっすぐに本宅の玄関と見られる引き違い戸に手をかけた。当たり前のように鍵はかかっておらずガラガラと戸は開いた。
「ごめん下さい。加茂さん、いらっしゃいますか?」
その男の声に一番驚いていたのはおそらく西尾だったのだろう。驚愕の表情を浮かべているのを男は確認すると、小さくこう付け足した。
「お前はしばらく発言するな。僕に任せてくれ」
男に念押しされて、西尾は首を縦にふり、了解の意を伝えた。
「東京のみちのみやと言いますけど」
再び奥に向かって大声で叫ぶ。するとようやく奥の方から、女の声が聞こえた。
「お客さんやないの? ちょっとあんた」
「今頃? はて今日は何の予定も無かったはずなんやが……」
奥の方で襖の開閉する音、板張りの廊下を歩く足音が数回響き、ようやく玄関から奥にずっと伸びている廊下の先に、青地の羽織に黒縞のはかま姿の、長身の男が現れた。そして玄関の男を見て、その横に立つ西尾の姿も確認した。
その途端。現れた男は玄関に迎えに出るのではなく、その場ですぐさま座り、廊下に頭を押しつけていわゆる土下座の姿勢を取った。そしてそのまま床に向かって大声を上げる。
「陛下にあら……」
「そこまで! それは、なしで頼む。今日のところは昔通りにしてもらえないかな?」
男からの呼びかけで土下座した男はおそるおそるという感じで顔を上げた。その目線が西尾を捉えていた。
「ああ、こっちの男は大丈夫。今日のことは他言無用にさせるから心配ない。今日は完全にお忍びだからここに来たことは誰も知らない」
その返事を確認すると土下座をしていた男はようやく肩から力を抜き、ゆっくりと立ち上がった。
「あんまり驚かせへんようたのんますわ。で、先ほどの話でいくとここは竹山はん、とお呼びさせてもらうちゅうことでよろしゅうおますか」
「ああ、嬉しいね。その呼び方まだ覚えていてくれたんだ」
「そりゃあ、もう一生忘れられまへんよってに。で、今日は昔の学友をからかいにわざわざこんな田舎までおいでなはれやったんですか。って、いくら昔の学友とはいえ、こんな場所で話ってわけにもいかれまへんによって。汚いところやすけど、とにかくお上がりになってもらいまひょか。そちら様もどうぞおあがりになっておくれやす。誰にも邪魔されない奥の間でたんとお話を伺わせてもらいまひょ」
竹山、西尾は加茂に案内をされ、母屋の一番奥の、三方が庭に囲まれた茶室のような狭い部屋に通された。茶の湯を湧かす炉端を竹山と加茂を挟んで座り、竹山のやや後ろに西尾が控えるように座った。
「なつかしいな。この部屋もまだあったんだ」
「おや、覚えておられはりまったんか。夏休みにちょっとだけお寄り頂いただけどすのに、よく覚えていらっしゃる。ほんに光栄なことで。あの頃は先代が茶室として使いおりましたんやが、今はわての道楽、南画を描くアトリエですねん。下手っぴやけど」
「いやいや加茂君は昔から絵がうまかった。なるほど、ここなら南画の画材になりそうな植物がいくらでも庭にある。理想的なアトリエですね」
「それで今日はいったいどのような……」
「うん、君の力を借りたいと思って」
「はて、東京には政治家はん、軍人はん、あるいは経済の重鎮はんと、頭のいい優秀な方がぎょうさんおらはれるのんとちがいまへんか? 何を今更こんな小さな神社の神主に」
「世間一般ではそういうことになってるけどね。ホントのところ世間の人は知らないだけだよ。知らないじゃないか、知らされていない、というべきかな。君にしか頼れない相談というのが世の中にはあるということを」
「ほう、さよですか。今日はそっちのお話ということになるんでっか。いよいよ意外ですな。今更こちらからそんなことを世の中の人に広く知らしめたい、なんてことは露ほども思っとらへんやすけど。一体何をおやりになりたいんで?」
「やりたいことが分かれば世話はない。それこそ誰かに頼めばおしまいだ。そうじゃなくて、この今、現代がね、正直に言えば怖いんだよ。この時代の波というかうねりみたいなものが」
「あんまりわてが力にはなれそうにおまへんように存じますがな」
「ああ、申し訳ない。こっちも何故ここを訪ねることになったのかも今一つ理解しきれていなくて」
「ほう、どういうことでっしゃろ?」
「うん、先月伊勢に寄らせてもらった時、聞いたんだよ。お告げを。まあさっき言ったような気持ちがそのまま出てうちの神様に伝わってしまったんだろうね。内宮で、僕一人が祭祀をやっている時にだ。だからこのことは僕以外誰も知らない。で、神様からここ、高鴨神社を訪ねよと指示されたのさ」
「どんな祝詞を奉じられはったんで?」
「いろいろだけど一言で言えば国家の安寧安泰ということになるかな。いや武運長久かな」
「それは由々しきこと、ということになりまっしゃろな……。よくわからへんお話やけど要はうちの神さんへ、そちらの神さんが何か依頼をされたい事をお持ちやと判断すべきお話なんでしょうな」
「君もそう思うだろ。君んとこの神様は天照大神が対等と認めた唯一の大御神だし。しかも国譲りの大国主命の子でもある。このことがたぶん重要なんだろうと僕は考えた」
「大国主命が天照大神に国譲りをしたのは外敵防御よりも内政を優先できる状態が整ったから、でしたな。御説では」
「そう、荒ぶる神は国作りにはふさわしくないんだよ。逆に言えば、国の基盤が揺らぐ時は我が祖先の神では甚だ心許ない。うちの神様の本業は稲作を中心にした農村運営による国作りだからね」
「昭和の御代は平和やと思っておりはりましたんやけど。確かに最近は戦争の話ばかりですな。満州事変があって満州国ができたのは五年前、それからずっと戦に勝ったという話が続いておりますな。まあ勝ち戦ということで活気があって景気がよくて悪い感じはありまへんが」
「そう。軍人だけじゃなくて世間も政府も新聞も同じ。しかしそうは言っても軍人、居留民、もちろん敵になっている側にも被害は着実に増加している。それなのにどこかで戦火が終わるという見通しが全然立っていない。僕はね、それがどうにも気になっているんだ。それで前の首相にもうそろそろ戦を終わりにして欲しいというような話をしたら辞職されちゃってね。戦を止めようとするとあちこちでいろいろと軋轢が出るらしいんだ。で総理大臣が今の近衛に変わったらすぐにまた新しい戦争が始まった。僕はさっさと軍を撤収して戻ってこいという話を任命式でもしたし、近衛もわかりましたと言っていたんだが。なんかいろいろと手違いが重なったという話と、仕掛けてきたのを放置しておいたら舐められて国が滅ぶよ言われてね。しかし巻き込まれて困ってるというのならまだわかるけど、それを現場の部隊は喜んでいるというのだから、何を言ってもダメだという気になったんだよ。大正の世界大戦で潤ったせいか、日露戦役の旅順ではひどい被害を出したこともみんな忘れてしまって、戦争になれば好景気になる、と気軽に話す人間が多くなったのが原因らしい。軍縮をやって軍を追われた人間が生活に苦しんでいるなんて話があるから仕方がないと言えばそれまでなんだけど。軍縮を進めた宇垣は悪者扱いされることが多いしね。いやこれは日本だけの話じゃないな。外国も含めて。まるで次の戦争をやりたくてしょうがない、みたいな空気を感じるんだよ」
「空気でっか。そら相手が悪い」
「その通り。総理大臣始めほかの大臣も僕の前ではそんなことは露ほどもそんなそぶりは見せないが、自分の正義に目の色を変えてるみたいでね。そりゃ彼らにも言い分はある。日本はまだまだ貧しい国で、それをなんとかしたいと思っているからね。で、そういう思いが募った結果がどこかに自分の敵はいないかって探し回ることになっているのさ」
「竹山はんらしい言い方ですな。なるほど。じゃあ去年の二月の東京での陸軍さんの騒ぎもそういうことなんでっしゃろか」
「うん、あの事件が起こった時も、陸軍は最初反乱軍に同情する者ばかりでね。まともに鎮圧する気がなかったみたいだったんだ。なんでも反乱軍の指導者は貧しい生い立ちを背負っている者たちでしかも国と僕への忠誠心なら誰にも負けないとお墨付きをもらっているような者ばかりだとかで。だから本気で政治家がね、無能だから自分たちがひどい目にあっていると信じていただけなんだよ。とはいえ岡田首相ほかを襲撃して殺そうとしたし、実際高橋蔵相ほか数名が殺されている。これを反乱じゃないと庇おうとする陸軍はどうかしていると思った。もっとも海軍は陸軍の暴走を察知していたらしくてね、予め陸軍を追討するべく陸戦隊を東京周辺に配置していたらしい。だから僕が陸軍をたきつけて反乱軍としていなかったら、あやうく陸軍と海軍が東京で戦をするという前代未聞の恥を世界中にさらす一歩手前だったんだ。だけどね、事件の原因や理由を探っていくと、困ったことに本当の意味での悪人は誰もいないんだよ。ただただ自分の正義のために戦ったってだけなんだ。しかもその正義というのが、僕のためとなってる。我が国はいろいろと教育を間違えたのかもしれない。あるいは真面目すぎて余裕というものが全く無くなっているのかもしれない。僕はそんなこと一言も望んだことなんかないのに。今の僕の立場はね、僕への忠誠心を疑えるような人間は一人もいないと断言できるにもかかわらず、こちらが本当に信頼できそうな人間はどこにもいない状態なんだよ。座って報告を聞き、黙ってみているだけで事態はいつも僕の意とは逆の方に向かってばかり。今の憲法を改正してイギリスみたいにしたいとちょっと漏らしたらもう元老達からお叱りと諌言の嵐になったよ。明治帝が嘆かれるとかなんとかってね。これで国の先行きが不安にならないわけがないだろう? さらにだ。さっきも言ったけど我が帝国の世界の中で立ち位置が年々悪くなってきているような気がするんだ。これはひょっとしたら僕だけなのかもしれない。というのは僕のところに来る人間は、中国のことばかり語る人間、アメリカのことばかり語る人間、ヨーロッパのことばかり語る人間と専門家はバラバラにいるんだが、そういうのを全部まとめてこう、上から眺められる人間は全然いなくてね。全体として日本がどっちの方向に向いてるのかを気にしているのはどうも僕だけなんじゃないかという気になっている。もっとも僕にはそっち方面の才能はもともと大してないから、じゃあ日本をどっちにどう向けたらいいのか、なんて話は全然できないんだよ。僕はやれることをやるだけのつまらない人間なんだ。すまんね。これは百パーセント僕の愚痴だ。君に聞いてもらおうという話じゃない」
「こんなところでおますやさかい、愚痴ぐらいこぼしておいきなはれやす。東京と違うて騒ぎになることなんぞありまへんさかい。ま、それはそれとして、お話はようわかりましたわ。人知の及ぶところではない類いのお話になっているようですわな。わかりました。微力やとは思いますが、とにかくわてがやれることはやってみまひょ。まず、わてとしては、ただいま伺ったような話を念頭に、祝詞をしたため、次の大祭の夜あたり、お人払いした上で秘術の祈禱を行い奉じ奉ろうかと思っとりやすけど、それでご満足頂けまっしゃろうか? こちらも長いことお声なんぞ聞いておりまへんやさかい、それでうちの神さんが返事をくれるものかどうかも怪しいのが心苦しいところなんやすけど」
「どこの神様もだいたい気まぐれなものらしいからね。それはそれで仕方が無いけど、せっかくここまで足を伸ばしたんだからこちらの誠意ぐらいは受け取ってもらいたいかな」
「なら参拝されておいきになられやす? たぶんうちの神さんもお喜びになられはるんと思いまっせ。そっちの方がわての下手な祝詞よりもよほど効果がありそうやし」
「そうだね。突然押しかけて挨拶もなしでは心証も悪そうだし、帰りがけに挨拶をさせてもらおう」
「で、もし何か結果が出たらどうしたらよろしゅうおます?」
「西尾、加茂君に君の名刺を預けて下さい。加茂君、この西尾に手紙でも電話ででもなんでもいいから知らせてくれれば確実に僕に届く。だけど彼以外にはこのことは一切漏らさないようにして欲しい」
「それは構いませんが、電話はまだこっちまで来ておりまへんのですわ。ですんで手紙か電報で」
「西尾……」
「かしこまりました。加茂さん、あさってまでにこちらに電話を施設させます。電報は人の目を惹きすぎますから」
こうして奇妙な訪問客は小一時間ほど後に加茂邸と高鴨神社を後にした。
それから十日ほど経った日の夜遅く、加茂は一人、社殿から離れた小さな祠に籠もっていた。
ふだんは人も滅多に訪れない神域の奥深くにある、この社では一番古い社殿である。室町以前の創建であることは分かっていたが、それ以上正確なことは分からない。ただ、現在の拝殿や本殿が建てられたのは江戸期以降であり、それらよりは間違いなく古いものだった。
しかし手入れもそれほど行き届いていたわけではなく、木材は腐食や虫食いでかなりひどい状態であり、辛うじて雨漏りを防いでいる程度の補修しかしていないため、ここに入ることは滅多にない。いずれ、氏子衆と今後の扱いについて相談しないといけない状態だったのである。
人目を避ける場所に立つこの粗末な社殿こそ、この神社が持つもっとも重要な機能、祈祷を行う場所であったのだ。もっとも人目に触れないから、ロクに修理もされないことになったとも言えるのだが。
狭い部屋の内部の奥の壁には真新しい白木で組まれたばかりの祭壇が設けられ、本殿にあった鏡が中央に据えられていた。そして五穀や魚介、くだものなどが備えられ、それらを何重にも取り囲むように、しめ縄を巡らし結界を形作っていた。
そして祭壇、部屋の壁沿いと三十本近い蝋燭に火が灯され、ふだんは真っ暗な闇に包まれているはずの空間はいまや真昼のように明るく輝いていた。
神域である森の泉から湧き出る真水で身を清め全身を白装束に身を包んだ加茂は祭壇に向かい、秘伝として伝わる神降ろしの祝詞を十ほど唱え、その最後にこの三日ほどかけ練り上げた祝詞を唱えた。全てが終わると全身から力が失われ、まるで上から強い力で押しつけられたかのように床に平伏することになった。
本当はこの社殿自体を新築してやるべきだ、とは最初から分かっていた。が、おそらくそんな悠長なことはしていられないのだろう、とかつての級友の態度から察したのである。それで神棚と祭壇まわりだけを新造したのだが、見栄えはするとはいえ、期待通りにあちらの方がお答えくださるのかどうか一抹の不安は残ることになった。
祓い清めから結界を張り祝詞をすべて読み上げ終わるまで、儀式はすでに四時間近く経ち、祝詞のペースを保つために持ち込んだ懐中時計の針は午前二時になろうとしていた。
加茂がその時刻を確認した直後、その針が突然動いた。猛烈な勢いで針が見えなくなるほど早く全ての針が逆回りに回る。自分の立っているしめ縄で作った小さな結界の内部だけが取り残され、その外側の全てが形を失い、ただの光るさまざまな色の線に変わった。やがてそれらのすべての色は混じりあい、意味のない様々な色の線の群れに変わる。
声にならない悲鳴を上げ、加茂はその場でへたり込んだ。しかしそれはいくら否定しようとしても間違いなく目の前でなおも変化を続けていた。
溶けていた色の線が再び秩序をゆっくりと取り戻していく。動くこともできず、加茂はへたり込んだまま、その変化を目で追っていた。
混じり合っていた色の線は再びいくつもの線に分かれ、その速度はだんだんと遅くなりそれがはっきりとした映像になりはじめた。最後には像の歪みそのものが消え、ごく普通の景色へと変わった。
祠の内側の姿に戻ったのではない。どこか別の建物の一室のようだ。広さは祠よりもかなり広い。殺風景な板張りの床、四面すべてが戸板張りの、あまり見ない作りで、結界の内側にある蝋燭の光が無ければ真っ暗闇であることは間違いなかった。
「出会え、出会え、敵襲なるぞ」
遠くの方から叫ぶ声が聞こえ、それに続き、ガシャーン、と何かが割れる音が響いた。
「うろたえるな、いずこの手の者ぞ」
「上様、今はまだ中へ、ただいま物見を使わしておりますゆえ」
「申し上げます、押し寄せたる者、水色地に桔梗の紋を掲げております」
「おのれ、キンカン頭め。裏切りおったか。ふん、これはかなり用意周到のようじゃな。意外とやりおる」
「上様、どちらへ」
「おぬしらは、ここで暫く時間を稼げ」
「はは」
男の大声で行われた会話はここで途切れ、後は足音がいくつも続き、やがてわー、とかやーとか意味の分からない声と、剣戟と思しき金属音が時折り響くだけになった。
「火矢をはなて」
遠くの方からそんな声がして、やがて戸板の隙間から光が差し込んできた。
加茂は自分が今どこにいるのか、全てが分かったような気がした。このままではまずい、どうしたらいいのだろうかと、頭をそのことに切り替えた途端、目の前の戸板が二枚まとめてふっとんだ。
戸板があった空間の柔らかな炎を逆光にして、かなり大きな男が加茂の目の前に現れた。手に持っているのは、大きな扇子のようなものだろうか、舞に使うもののようだ。
「うむ、なんだお前は? こんなところで何をしている? しかも死装束とは、余よりも先にもう死ぬ覚悟をしていたのか、気の早いやつめ。もう少し相手を屠ってから死なぬと後悔するぞ」
「いえ、私は、その、たった今、ここに来たばかりでして」
加茂はこう説明しながらも、内心でもっとましな説明はできないものかと悩んでいた。
「おかしなことを言うやつ、お主、何者だ。見たことのない顔だが。ほう、これは小さいが結界というやつだな。仮にも寺でしめ縄を張った結界なんぞ作るやつは初めて見た」
男はしめ縄を巡らした結界に興味を持ったらしく、ずかずかと加茂のいるその内側にまで踏み込んできた。
次の瞬間、結界の外側の景色が再び揺らいだ。すべての光は再び色の線へと戻った。
「これは何事ぞ?」
「私めにもさっぱり……。ただ何が起こっているのかは何となく分かったような気がします」
加茂の横に立つ男は、そのまま結界の外の色の線が繰り出す景色をずっと眺めていた。さすが歴史に名を残した人物だけあって、この程度のことでは我を失ったりしないものなのか、と先ほどの自分の姿と比べて加茂は妙なところに感心していた。懐中時計の針はまたしても見えなくなるほど早く回っているようだ。
さきほどと同じぐらいの時間が流れ、再び色の線は動きを遅くしていった。やがてそれは歪んだ像へと変わり、そして同じようにゆっくりと歪みそのものが取れていく。
結界の外側が普通の景色を取り戻した時、その空間はあの見慣れた祠に戻っていた。祭壇から蝋燭まで何も変わっていない。前と違っていることはただ一つ、背の高い男が横にいる、ということだけである。
その男は景色が普通になるやいなや、すぐに結界の外に出ていた。祭壇や蝋燭を見て、そこに自分の欲しい情報がないかを確認しているようだった。そして三方に載せた祝詞の束に目を留めた。
上という字が目を惹いたのかもしれない、と加茂は考えた。それは神の意味で使った字なのだが、おそらくこの男にとっては、自分を指し示す字になっているに違いなかった。
案の定、男は手を伸ばし、三方の一番上に載った、即ち加茂が三日かけて内容を書き上げた祝詞を拡げて読み始めた。
「満州事変、支那事変……、日露戦争、イギリス……、大日本帝国、なんなんだこれは? これはお前がしたためたものではないのか?」
「さようでございます。私めにも、合点がゆかぬことばかりなのですが、信長様、ここ、この場所はかつての奈良の都のはずれであり、あなた様がおられた京都本能寺の夜より数えておよそ三百年……、いや三百五十年ほど経っているのでございます。つまり先ほどの奇妙な現象の間に私たち二人は、それだけの時間と場所を飛び越えてしまったということになります」
「何と、そのようなことが未来では可能なのか?」
「いえいえ、もちろん人の技ではございません。すべては大神の御業かと」
「なるほどな、それで祭壇と結界なのか。そちの神というのは大したもののようだの。ではもはや明智の追っ手はここまでは来れぬということか……。さて、余はいかにして戻ったらよい?」
「おそれながら、元の時代にはもはやお戻りにはなれますまい。というのも、私めが承知しております歴史の中では、織田信長公は本能寺にて討たれたことになっております」
「……さようか、余はあそこで終わりか。是非もなし、だな。で、以後は光秀が天下を治めるのか?」
「いえ、その光秀様も本能寺の後、十日あまり後に討たれてしまい、光秀様をお討ちになられた秀吉様が全国を治められました」
「ほう、サルが。毛利にかかりきりで動きにくかったはずじゃが。光秀も戦上手なのによくやったものじゃの。大出世じゃの」
「まことに……。ですが、秀吉様が亡くなられた後、天下は家康様が治められ、その後今から七十年ほど前までは徳川様が代々征夷大将軍として幕府を作り日本を治めておられました」
「家康か……。今頃は畿内を物見遊山していたはずじゃったが、最終的にはあやつが残ったということか。歴史とは奇異なものじゃな。で、七十年前に徳川が終わって今はどうなっている」
「徳川様の世が終わったのは、一言で言えば外圧、つまり外国のせいです。外国の軍艦が頻繁に日本に現れるようになり、彼らの圧倒的な技術に武士の力では対抗できないとなって、天皇様の下に日本全てが再結集するという形で諸公の合議制の政府が作られました。天皇様は直接政治を行うことはありませんが、その政府のやることを見守りなさる、という形になっております。軍隊はすべて天皇様の直属の部下ということになり、国内で争うことはなくなりました。そのかわり今は世界にある他の国との戦争が続いております」
「なるほど、これにしたためられていたのはそういうことか。で、これを奉納したら、そちが本能寺に現れたということか」
「おっしゃる通りにございます」
「いや待て、これはそちの知恵ではあるまい? 誰がこのようなものを神に奉納せよと申した」
「それは今現在日本を治められております天皇様、第一二四代の天皇様からのご依頼でございます」
「一二四代とな。余が拝謁した天皇は、確か一〇六代目と聞いた……。三百年先でもなおも途絶えずに続いていることがまず驚きじゃが慕われておるのじゃの。わしは光秀に言われる通りに天皇を扱っただけじゃがな。それが光秀に討たれる寸前に助けられる縁を作ったというわけか。しかしいったいどうやって?」
「なんでも伊勢の大神様からのご神託だとかで、当社の神に祈禱せよとのお達しがあり……」
「当社? お主は何者ぞ」
「これは申し遅れました。私は、高鴨神社の神主を務めております、加茂周明と申す者でございまして、天皇様とは、幼少の折、共に学び舎に通ったご縁がございました」
「高鴨神社か、ふむ。利休からその名は聞き及んでいる。賀茂は修験道や陰陽師とも縁深いそうじゃな。それでこのような秘術が伝わっておったのか。じゃが、おぬしのこの書状にはわしの名などどこにも出て来ぬ。何故わしなのじゃ。戦の世にふさわしいのなら、最終的に天下を治めた秀吉や家康の方がふさわしかろう」
「その部分はそれがしの意図ではござりません。大神の御心であろうかと。ですから、それがしよりも信長様の方がお心当たりがおありになるのではないかと」
「さようか。ならばそういうことにしておこう」
信長は、祭壇に飾られた丸い鏡を暫く見つめた後、そこに供えられていた赤いリンゴの山から一つそれを手に取った。そしてしげしげと眺めた後いきなりそれにかぶりつく。
「うむ。見たことのない水菓子じゃが、うまいの。これは何という」
「は、リンゴと申します。外国から伝えられ、今は日本でも栽培されているものにございます」
「なるほど外国にはこれほどのものを作れる国もあるのか、なかなか手強そうじゃの」
「リンゴを作れる国は手強いので?」
「それはそうじゃろ。お主らも食い物は必要じゃろうが。いくさとは、結局のところ、一番たくさん食い物を持っているところが勝つ。それが道理じゃ。そんな大事な食い物を外国にわざわざ売り渡しているということはもうその国の中では食い切れないほど作っているということであろう。そんな国が弱いわけはない」
信長は祭壇の前にあった三方やお供えを載せた白木の台の一つをきれいに片付けると、それを椅子にして腰掛けた。就寝中の姿だったのか、浴衣姿で大股開きに座ったものだから、ふんどしが露わになる。ちょんまげを結った髪の生え際には白髪がところどころに混じっていたが、満年齢で四十九歳になっているにしては贅肉の見えない若々しい顔立ちで、強い意思を表すように眉が太く、人を威嚇するような大きな目が鋭く光る様が印象的な顔立ちの男だった。
「では余はこれからこの時代で働けというのが天の意思ということで間違いないのだな」
「さようと存じます」
「で、これからどうするつもりなのじゃ」
「まずは、天皇様にお目に掛かる機会を設けたいと考えおりますが、信長様には、まずはご自身の目でこの時代の日本を知ってもらうことが肝要かと存じます。天皇様からお沙汰があるまで粗末ではありますが、当社にご逗留頂くということで如何でございましょう」
「あい分かった。加茂とやら、そちに任せるゆえ、よろしく頼む」
「では早速、家の者に信長様の居室をしつらえさせますので、しばしこちらで御休息をおとりくだされ」
加茂は深くお辞儀をして祠を出て母屋へと向かった。
一人祠に残された信長は改めて床に落としていた祝詞を拾い上げ、改めてそれを読み直していた。
「変なことに巻き込まれたが、三百年後の未来の戦とはいかなるものなのか。これはこれで面白そうじゃのう」
加茂からの連絡が皇居にもたらされたのは、大陸において日本が南京を攻略し、南京入城式が行われた直後であった。日本中すべてが戦勝気分に沸きたっていた。
加茂の事情を知るのは皇居内でも西尾ほかごく少数の者に限られていたが、国軍の大事が続くこの時期は、皇居といえども要人の往来が絶えず、今すぐ信長を拝謁させるのは適切ではなかった。その旨を含め、仲立ちとなった西尾は侍従の入江ともども、今後の扱いを直接相談したところ、こんな返事が来た。
「うん、わかった。こっちに今来ても変な風に当たって冷静さを失うことにもなりかねない。もう浮かれている人間ばかりだから。彼にはそうだな、今のうちにこの時代の日本と世界のことを知ってもらっておくのがいいだろう。ここに来てもらうのは半年ぐらい先にしていいんじゃないかな」
「日本のみならず、海外も、ですか?」
「まさか加茂君が信長公を現代に連れてくるなんてことになるとは僕も思わなかったけど、大神の御心がそこにあるとするならば、日本にとって脅威となりそうな国を見せておくのは大事じゃないかな。本当はイギリスをまず見てもらいたいところだけど、欧州は往復だけで二ヶ月もかかるからね。満州や中国のことは他に知っている者も多いし、アメリカさえ見ておけばなんとかなるんじゃないか」
「戸籍やパスポートの件もありますので、信長公をどのように扱うかを内務省と外務省に指示しなければなりません。ですが、そのためには信長公のことを説明しなければなりません。信長公はどういうお立場の人間ということに致しましょう? 信長公にこの先、どのような役割をお与えになるのか、ということにも密接につながることになると思われます」
「入江、僕はね、神様に統帥権を存分に使い国を安寧に導けるようにするにはどうしたら良いのかとお伺いを立てたんだよ。それに対する大神様の御心が信長公であるならば、どう扱うのが正しいと思う?」
「つまり大元帥の権能ですか。しかし陛下の代わりという立場は与えるわけにはいきませんでしょうな……。となるとそれに次ぐような新たな地位を作らないといけないでしょう。憲法の範囲ということになると、摂政しかありません」
「摂政では天皇そのものの仕事をすべてやらないといけなくなる。彼に神事なんて務まらない。それは僕がやる。僕が苦手なのは外交と軍議、いや戦争を含めた外交というべきかな。僕では軍人を抑えられないから」
「なるほど。しかしまあ法律上での地位は摂政、ということで別な役職を新たに設けるということにしてはいかがでしょうか。戦を直接やるのはちゃんと軍人が別にいるわけですから、モルトケ伯とビスマルク卿の権能を合わせ持った人物に仕立てあげればよろしいのではないかと。軍事と外交を同時に目配りができればちょうど良いということでしょうから」
「確かに憲法の定めでは僕以外にそのような人物はいない。統帥権独立があるから内閣は軍のやることには口出しできないからね。そうか、外交と軍事がちぐはぐになったのは僕が黙っていたせいでもあるのか。……なるほど、ではそれでいこう」
「となると国民にも軍にも通りの良い出自が必要になりますな。まさか本能寺から連れ帰ったなどと公表するわけにもいきますまい。皇室に連なる家の者、というのは軍に対しても国民に対しても絶対でしょうな。それこそ近衛首相のように」
「皇室では目立ちすぎているから信長公を割り込ませるのは難しかろう。入江や、冷泉家ならどうであろう?」
「各宮家、三条家や近衛閣下周辺、皇室周辺の方々がそれでよろしければ冷泉家を含め私どもの家はなんとか抑えてつかまつります」
「そうか、わかった。二週間を目途に宮家関係と近衛のことは僕がなんとかしよう。それで進めてください」
こうして入江侍従の立案で信長は、冷泉家から幼い頃に叡山に預けられた縁者で還俗を果たした安土為信として密かに戸籍が改竄され同時に公爵に列せられることになった。
信長は宮内庁からの指示で、奈良高鴨神社からすぐに京都御所に移っていた。そして宮内庁から使者としてやってきた入江から自分の今後の扱いを知ることになった。
「余が公爵? それは公家の位なのか? それで御所に招かれたわけか? それにしてもどこにもお上の姿はないようであるが」
「信長様の時代とは異なります。ここ京都はもはや都ではございません。徳川の時代が終わった時、江戸と呼ばれていた場所が東京と改名され、徳川将軍の居城であった江戸城が皇居とされ、先々代の明治天皇が京都から東京へ移られました。ここは今は儀式の時だけ使う御所になっています。また、その時に、それまで大名とされていた家の者はすべて貴族となりました。今の公家は貴族の一部です。それから現世のことをまず学んで欲しいとお上はおっしゃられ、信長様には、いえ、これからは安土公爵様とお呼びさせて頂きますが、大学と軍とアメリカを見て頂くことになりました。ただあまり時間もかけられないので、本当に駆け足になります。約半年ほど」
「半年ならかなり時間があるではないか?」
「いえ、アメリカとなると英語が読めて話せるかどうかはかなり大きいと思いますから決して長い時間ではありません。それに三百五十年という時間の差も大きいと思います。公爵様はまず外国語以前にまず現代の日本語から学んで頂く必要もありますから」
「なるほど、余はここでは赤子同然ということか。あい分かった。お上の意に沿うよう尽力いたそう」
こうして最初の一ヶ月を京都帝国大学で過ごすことになった。もちろん一般の学生とは別で教授陣が、勅命によって教育に当たったのである。年齢から言えば新しいことを覚えるにはあまり良い条件では無かったにもかかわらず、さすがに時代にそぐわないほどの合理主義者と評されているだけあって、数学や物理学などの科学分野も含め、日本史、世界史、憲法、法学、政治学、経済学などありとあらゆる分野で、もはや異能とも呼べるほどの、一度聞いたことを忘れない素晴らしい記憶力、提示された事実をつなげあわせる推理力、事実が表す意味を理解するスピードの速さを思う存分見せつけ、教授陣も舌を巻くほどであった。その結果、陛下が寵愛される天才貴族として教授陣の中に熱心なファンが出来ることになった。
一方、それとは全く別な意味で色めき立っていた学者も二人いた。彼らは日本の中世史の研究者たちであった。安土公爵が信長であるという話は完全に隠蔽されていたはずだったが、主として本人の失言から、何となくそれを疑った学者が二人ほどいたのである。彼らは密かに彼の漏らした言葉を書き留めた。もしそれらが事実だとすれば、それまでの日本史の常識がいくつか書き換わる可能性があると気がついたからであった。もっとも肝心なこと、安土公爵が実は信長本人である、という証明ができない限り、それを公表することはできない、ということも彼らには分かっていた。従って、現時点では、そういう仮説もありうるということで、何らかの考古学的物証が発見されるのを待つしかなかった。
ということで、京都帝国大学の学生には全く知られず、教授陣だけを興奮のるつぼに陥れた後、安土公爵は名古屋に置かれた陸軍の第三師団に出仕することになった。入江のプランでは、最初からいきなり大元帥では衝撃が大きすぎるということで、師団長クラスと同格という意味から勅命で中将を授けられていた。もっとも陸軍省、参謀本部には安土公爵の正体は全く知らされておらず、第三師団師団長の藤田中将にしても、参謀長の田尻歩兵大佐にしても、とにかく陛下が特別扱いをしている宮家に極めて近い人物という認識しかしていなかった。そして第三師団は陸軍のエリート師団であり、この師団にとって、宮様や貴族の高級将校を迎えることはそう珍しいことではなかったのである。
というわけで触らぬ神に祟り無しという扱いで特にめぼしい役割も与えられることもなく、師団の仕事を見る自由だけを与えられた、という感じの出仕となった。
一応名目は師団長心得と藤田師団長自らが勝手に作っていた。
それで誰かが不安になるようなことは何も無かった。
一通り師団幹部将校と面談し、それぞれの仕事の説明を聞いた後は、ぷっつりと姿を見せなくなったのである。一応部屋も机も師団本部に用意させていたが、一日中寄りつかない。
藤田師団長も気になり当番兵にどこに行っていたかと聞けば、物見遊山なのか観光なのか、大阪の方に大阪城を見に行ったり、堺に行ったりしているとの報告が帰ってきた。
全くお公家様はお気楽で気まぐれで困ると藤田師団長は部下に苦笑つきの愚痴を漏らすことになった。まだ若い将校なら多少とも叱ることもできたであろうが、入江の改竄活動の結果、安土中将は、明治二十一年(一八八八年)生まれとなっており、藤田師団長より年上なのである。さすがに面と向かって叱責などはできなかった。事実は年上などと表現できるレベルではないのだが。
この物見遊山については、本当のところは少しだけ事実と違っていた。大阪城や堺の市中巡りは事実で、秀吉が築かせた大阪城や堺に少なからぬ興味を持っていたことも事実には違いないのだが、そんなこと以上に、彼の興味は兵器や武器を作り出す製鉄所や工場などの生産現場に向いていたのである。名古屋では航空機の工場をすぐに見に行き、さらに神戸では造船所を見学し、そして大阪や堺では周囲にある大きな工場へ出荷される細かい部品を作る工場を見学していたのだった。彼が見知っていた鉄砲と、重機関銃や戦車砲、各種爆弾は違い過ぎていたし、無線電信などの通信手段、動力を生み出す発動機、空を制する飛行機というものは全く違っていた。彼はどこがどのように違い、それはどう作られているのか知らずにはいられなかったのである。
近代化された戦争を自分なりに理解するため、それぞれの兵器や武器がどんな資源と技術から作られているのか知ることは彼にとって高い優先順位がつけらた課題だったのだ。それがこの行動に繋がっていた。
この結果、それらを作る工作機械というものを知り、それが日本で作られていないことを知り、その輸出国がどこかを知った。
同様に鉄鉱石、石炭、石油から兵器が作られるモノの流れを知った。さらにそれらがどれくらいの金で動いているのかいうカネの流れも掴んだのである。
彼にとっては、戦争は経済基盤の整備から始めるのは当たり前のことだったのである。もちろんそれらに金の出元や、金融機関がどう関わっているのかも正確に刻み込んでいったことは言うまでもない。
この彼の行動の実害を一番感じることになったのは安土師団長心得につけられた副官と当番兵達だった。行動が唐突で、要求の予測が全然つかないのである。常にあちこちに謝っては無理を頼むという役割が彼らを待っていた。
近習の嘆きをよそに、安土中将は、なぜ自分がこの後、アメリカという外国に赴くことにされているのか、この行動から早くも掴むことになっていた。
そう、日本軍の武力は相当部分アメリカに支えられていることに気がついたのだ。石油も鉄鉱石も、あるいはくず鉄、これは日本の高炉が小さくかつ数が少なく粗鋼生産量が小さいので、それを補うために輸入されていた、も、ほとんどがアメリカからやってきていたのである。
そしてその代金をどう工面しているかと言えば、そのアメリカに手工業産品や軽工業産品を輸出することでかなりの部分を稼いでいたのである。
「アメリカとはいったいどういう国なのですかね」
第三師団の中で安土がこんな感想を呟いた時、周囲にいた将校の反応は少なくともアメリカを好意的には見ていないことがすぐに分かった。
「はあ、アメリカですか? いろいろとけしからん国ですな」
「ま、アメリカですからな、やむを得ません。我が国ほどの文化はありませんからな」
「国土と人口は大きな国ですが、何もかもヨーロッパのマネをしている国です」
「イギリスがバックについているから、国際社会では大きな顔をしてますからな。イギリスありきの国ですな」
このように大半はアメリカに対し明らかな嫌悪感を表すもので、原因は、アメリカで日系移民が差別されていること、および新規の日本からの移民をほぼ全面禁止していること、さらに最近のアメリカ大統領フランクリンルーズベルトがことあるごとに日本の中国での行いを非難していることからきているものらしかった。
アメリカに併合される前にハワイに移民していた日系移民がアメリカ併合後、かなり差別的な扱いをされている事件の影響もあったらしい。
要するにアメリカでは排日が広がっておりそれが日本全国に知れ渡っていたのだ。
そしてもう一つ全く別な反応もあった。一言で言えば、
「宮様の縁者が何故アメリカなんぞに興味を持つんだ?」
という言わば万世一系の純血思想からの拒否反応らしかった。
つまり、その土地に住み続けた人間がその土地で作り上げた国ではない、理念で移民を集めたような、国民が共通の建国の歴史認識を持たない人造国家は、アメリカであれ、ソ連であれ、胡散臭いというのである。
それはつまり日本を優越的に見る見方であり、アメリカ蔑視と言ってもよかった。
アメリカはようやく国力としてヨーロッパ列強の一角に並ぶ国として認められたという意味では国際社会の中で日本と似た位置にいたのである。
この時代、世界の第一線にある先進国はあくまでもヨーロッパにある国であり、中でもイギリスが世界を支配している国というのが世界の常識だった。いわゆるパックスブリタニカである。
だから宮様が興味を持つべき外国と言うなら、同じ立憲君主制を貫いているという意味からも、世界で最も偉大という意味でもまずイギリスであるべきだったのである。
そして陸軍は仮想敵国として、あるいは世界の陸軍強国として研究をする対象にイギリスやフランス、ドイツを選んだことはあってもアメリカを含めたことは一度も無かった。
そのためアメリカに詳しい人物は中央にはほとんどいなかったのである。この点、海軍が建軍以来ほぼ一貫してイギリス海軍とアメリカ海軍を研究し国情を探っていたのとは対称的だった。
「ほう、そういうものですか」
安土は頭に刻み込んでいた日本で見たアメリカの存在の大きさとは全く結びついていない第三師団将校団の反応に鼻白んだ思いをしたが、それは表には出さなかった。
彼らの話にはイメージとしての根拠はあっても、数字に表すことができるような具体的な事実は見いだせなかったからである。それに次の予定で渡米が決まっている以上、何が正しい話なのかは自分で実際に見れば答えは自ずと分かるはずだと思ったのである。
第三師団での生活を二ヶ月ほどで打ち切り、安土は外務省大阪分室に出仕し、渡米準備を始めた。外交交渉に行くわけではなく、表向きは宮様のお忍び留学的扱いとなっているようで、第三師団同様、外務省大阪分室もこの種の仕事には慣れているらしかった。
説明では、外務省職員が常に帯同するので、パスポートもビザも無くても困らないというよく分からない説明を聞いた後、そのパスポートなるものを渡された。
こうして四月の初め、神戸から大阪商船の汽船に乗り、約二週間かけてシアトルへ向かうことになった。
もちろんこんな大型船に長時間乗るのは初めてである。最初の二日間はどうということも無かったが、さすがに三日目には激しい船酔いに襲われた。そして四日目五日目にはほとんど寝て過ごして何とかこれを乗り越えた後、六日目頃にはすっかり船に慣れて元の健康体に戻った。同行した若い外務省職員は、何でも欧州に行ったことがあるということで、これよりもずっと長いおよそ四十日間もの船旅を経験していたとかで、船酔いの洗礼はとっくに済ませているとのことだった。
船酔いで倒れている間を除き、安土は船での時間も勉強に充てていた。一つは船そのものの学習と言っても良かった。船長に頼み込み、艦橋から機関室まで、現代の鉄でできた船のすべての機材を見せてもらい、航海術の概要を教わったのである。また、それ以外の時間は外務省職員に頼んで英語を教わった。乗船客や乗組員も外国人は多かったから、英語を使う機会はいくらでもあり、これがかなり役に立つことになった。
とはいえ、安土一行以外の乗船客の多くは移民目的の日本人だった。なんでもアメリカでは労働力不足が深刻であり、海外から常に移民を受け入れていたのだが、問題なのは人種別の数にかなりのバラツキがあり、アジア系に比べるとヨーロッパ系は少なかったことである。
これでは国の中身が変わってしまうと怖れ、アジア系を制限すべきとアジア系に対する攻撃が始まったのである。そしてこの時代、アメリカでアジア系と言えば、イコール日系だったのである。
日系移民が特別何かした、というわけではない。ヨーロッパ系移民なら目立たなくても日系は何をやっても悪目立ちしていたのである。
日本政府もこれを憂慮し、他の欧州からの移民の増加ペースに合わせるように移民数を制限する自主規制を行ったが、それでも先に移民した者の後を追う縁者は少なくなかったのである。
安土は日本の若者が自分の夢に向かうようにアメリカに向かっている姿を目の当たりにして、改めてアメリカの国力というものを意識するようになった。
ワシントン州のシアトルに入港し、安土はアメリカの地を踏んだ。シアトル自体はそれほど大きな町ではない。が、日本とは全く違う、自然をねじ伏せるように地形を変え、町を作るその作りは、日本ではまず見られない力業に見えた。そして、複雑な地形でいかに有利、かつ安全に領国を治めるかに常に腐心し続けている日本とは全く違う町の治め方をそこに感じていた。どこにも領主の威厳や権威を感じさせるものがないのである。日本にいた時に、何度説明を聞いても納得ができなかった平等という概念がやっとわかったような気がした。
町の工事現場を目にし、機械がたくさん働いているのを目にし、その機械文明の発達ぶりに目を見張った。
なぜ日本が、自分が知っていた日本らしさをいろいろなところでかなぐり捨て、軍隊までもが外国の風俗に冒されたのか、その理由がよくわかった。日本は遅れた国なのである。そしてそれが簡単に埋まらないということも分かった。民心の中の自立自決の心が育たないと、こういう国にはならない、とすぐに分かったのだ。見た目を西洋に似せても、何故天皇や貴族が日本に必要だったか、まだ民一般にはそこまで求められないのだ。その点が一番大きな差だった。なるほど今の天皇がいろいろと悩むはずである。天皇直属の高級軍人ですら、そこまで見る目はないのだ。が、天皇は明らかにそれが分かっていた。
ワシントン州、オレゴン州とロッキー山脈沿いに陸路を南下する旅を続け、ようやく目的地サンフランシスコのあるカリフォルニア州に入るまで、鉄道でまた五日ほどかかっていた。
北から南に移動しただけだが、その距離は日本列島の長さに匹敵しているのである。
西海岸の南半分を占めるカリフォルニア州だけでも日本の本土よりも広いのである。
日本から見たら中国は大きな国だが、アメリカはそれ以上だったのである。事前に知らされた事とはいえ、それでも驚かされていた。
途中、アメリカ陸軍の基地や演習場なるところにも少しだけ立ち寄ったが、何も見ることはできなかった。柵とゲートがあるだけの荒野だったのである。中で何かやっているにしてもゲートのところからでは何も見えなかった。
サンフランシスコに到着後、近郊のサンノゼにあるという海軍基地も見にいった。
が、これも大した収穫は無かった。ずらりと戦力を見せびらかしているようなわけはないのである。ただし、基地周囲に広がる、巨大な工場群は、十分に安土を満足させるものだった。日本にあるものとはスケールがケタ違いに大きいのである。しかもこの辺りの工場はアメリカの中では小さな規模という扱いなのである。
これだけでもアメリカ工業の中心とされる五大湖周辺の工業地帯がさぞや凄まじいものであることは十分想像ができたのだった。
カリフォルニア州の西南に位置するネヴァダ、テキサス州は言わずと知れた大油田地帯である。そして鉄鉱石などアメリカ中至るところから出てくる。日本が諸外国から鉄鉱石を運んできてもそれを粗鋼にできる高炉は、数えるほどしかなく、需要を賄えないからアメリカで一度使われたくず鉄を輸入していたのとは対称的に、アメリカには高炉がゴマンとあるのだ。鉄の量が違うのは、町中至るところで鉄で作られた建造物や設備が溢れかえっていることでも容易に理解できたのである。
かつて毛利の村上水軍のほうろうと呼ばれた火焔瓶攻撃に悩まされ、鉄甲船を作らせてそれに対抗したことがあった。あの時、その鉄を集めるのと、それから木の船に貼り付けるための鉄板を仕上げる作業、そしてそれらにかかった人夫と薪の莫大な量は鉄というものの貴重さを思い知らされたものだった。そんな貴重なものが、ここでは街中にゴロゴロしているのである。
無論、日本でも鉄鉱石から粗鋼を作る方法が導入され、鉄の生産量は増えている。しかし、そのレベルはアメリカのそれとは全くレベルが違っていたのだ。
鉄だけでは無い。
ロッキー山脈の東側には広大なグレートプレーンズと呼ばれる大穀倉地帯が広がっているはずである。その石高、いや生産量は日本全土をはるかに上回っているのだ。
実際、アメリカに来て目にした庶民の食事は、安土の想像を超えていた。肉がふんだんに使われていたからである。聞けばほとんど牛肉だと言う。
安土にとって牛馬の類いは本来農作業と軍用が主な用途だった。武田の誇る騎馬隊に対抗し、馬の生産を増やそうと考えたこともあった。足軽を騎馬隊に変えれば戦闘力が格段に上がると考えていたのである。が、すぐにそれはとてもできないということが分かった。馬は人間以上に食料を食らうのである。牛も同じだ。それで足軽に馬を与えることは諦め、長槍と鉄砲を持たせることにしたのだ。
ところがアメリカでは、そんな貴重な動物をふだんの食事の糧として庶民が食べている。莫大な飼料穀物の生産が無ければありえない話である。少なくとも日本では不可能だ。
食料、鉄、石油、そして人口。
安土の考える強国の条件全てがアメリカには揃っていた。
こんな国に襲いかかられたら、守るのは容易ではないな、という感想は持ったが、日米関係にいろいろと問題はあっても、それがすぐ戦火に結びつくということにはならないらしいということも段々わかってきて、内心少しばかり安心もしていた。
民主主義というかなりややこしい政治制度が日本でも採用され、議会なるところで議論を戦わせながら政治を行っているというのはわかっていた。
しかしそれが複雑な意見を数多くのステップを経ることで徐々に一つの意見に集約される姿というものを強く感じさせられたのは、ここアメリカに来てからであった。
国のトップであるはずの大統領が、国民の意見、新聞の意見を気にしている、という話は彼にとっては衝撃的ですらあったのである。
つまりトップだけを説得すれば終わりとはならないのである。逆に言えばアメリカの民心の大部分の意見が極端になったら誰がトップになってもその意見は変わらないし、いくら声の大きい大統領でも民心から離れたことはできない。ならば、そうそう簡単に大統領が大戦争を命令することができるはずはないのである。
これが安土が安心できた理由である。
アメリカの世論こそ、アメリカの権力の源泉なのである。
安土の知識としてのアメリカと現実のアメリカの間には大きな差が三つほどあった。
一つはアメリカ政府とアメリカ国民は同じではないということ。これは日本とはかなり違うように見えた。
また、アメリカをヨーロッパの国と同列に見てしまうことが日本では多かったが、実際に現地に来てアメリカ人たちを見ると、ヨーロッパやイギリスに対し好意的に見ている人間は実際にはそれほど多くはないようだった。確かにヨーロッパ出身者は多いが、彼等はそもそもヨーロッパを否定的に見たから移住してきたのである。
また、合衆国政府は自分たちへの国民の関心が失われないようにかなり苦労しているようだ、とも感じていた。つまり合衆国政府の前に州政府という存在が大きいのである。
州政府は住民にとって身近だが、合衆国政府となると、特に西海岸という離れた場所だからなのか、かなり遠い存在なのである。
ほとんどの規制や税制は常に州政府がその施行者になっているのである。
これでは為政者として州知事が大きく見えない方がおかしい。大統領が国民の前に出てくることの方が稀なのだ。
安土はアメリカの大統領選挙キャンペーンというものを彼独特のスタイルで理解した。
誰がこの国を治めているのか皆が分からなくなるのを避けるために、中間選挙やら党別の大統領候補者選びやらで年中全米を巻き込む選挙キャンペーンを意図的に行っているのだと。
そうでもしないと州知事を大統領と間違ってしまうに違いない。
もちろん安土には政党政治そのもの、あるいは選挙という制度そのものがまだまだ完全には理解できていなかった。
が、選挙という洗礼の考え方は日米では大きく異なっていた。
選挙演説は、人民にいかに自分が他人を説得させる高い力を有しているかを見せつけるための公式試合なのである。
つまり優れた指導者とは、自分の考えと政敵に対する対抗策を上手に人民にアピールできて、それを実現する能力を有するものだ、というのがこちらの常識なのだ。
だから公約の善し悪し以上に、この他人を論破する能力が選挙で試されるのである。
その結果、どの選挙でも候補者は例外無く一対一での論戦に出て相手を論破する姿を大衆の前で見せねばならないのである。論破すればするほど、支持率が上がる。そういう選挙なのだ。
一方、日本の選挙はそういう能力の査定の道具として選挙を見ていない。
それ以前に、指導者にふさわしい要件として、人の和を重んじるとか、徳に篤いということを求めることはあっても、他人を論破し、説得する能力が必要という発想が存在していない。
なので、人徳の高さを投票で競う、人気投票に近いものになってしまうのである。
アメリカの選挙はまず政策の選択を求め、さらにその政策を遂行するだけの交渉力、説得力を持っていることを選挙運動を行うことで選挙民に見せつけることで実現する、まさに他人の意思の刈り取り作業そのものなのである。
だから本当に結果が予測できない。
言い換えれば、この国を治める大統領という存在は確かに強大な権力を与えられているが、同時に、個々が自由を認められた民衆の支持を常に気にしないと簡単にその座から引き下ろされる、壊れやすい指導者でもある。
外交の相手として考えると直接顔を会わせる指導者の意向と同列に民衆の意向にも十分配慮しておかないと意味はない、ということになる。
「サルがここにおったら、さぞや、喜んだであろうな。あやつ向けの国ではないか。調略こそ、アメリカと対峙する上での決定的な武器ということになるのか」
「安土閣下、今何かおっしゃられましたか」
サンフランシスコの日本領事館の一室で、同行の外務省職員から最近のアメリカの政治情勢や、アメリカの政治機構の仕組みの説明を聞いているさなかに飛び出した、安土のひとりごとに、後ろの執務机の向こうで聞き耳を立てた領事から質問が飛びだした。
「いや、これはなんでもありません。しかしアメリカは面白い国ですな」
ソファーで職員と向かい合わせに座っていた安土は、身体の向きを後ろの机方向に変えながら、領事にさらに話し掛けた。
「こんな気ままな連中に選挙で選ばれようとするだけでもかなり大変なことではないかと」
「さようですな。議会で予算を通す苦労よりも世論工作の方が難しい国ですな。おっしゃる通り。そのおかげで我々は助かっている面もあります」
「助けられている?」
「はあ、ご存じの通り、今アメリカでは排日運動がかなり激しい。これはある意味官製運動なんですよ。つまり裏でこの運動を煽っているのはほかでもない合衆国政府なんですよ」
「ほう、それはどういうわけで」
「つまり、人種的に白人の国にアメリカをしておきたいというのが本音ではあるのです。おおっぴらには言えませんが。なにしろルーズベルトは人種差別に反対している民主党ですからな。なので国際秩序を乱す国、日本という形で日本を悪者にすることでアジア系移民の割合を減らすということを思いついたようですな。で、その隠れ蓑で蒋介石の中華民国に接近しているわけです。現状、中国からアメリカにはほとんど移民は来ていませんからな。見かけ上、人種差別だという非難をまぬがれやすい。ところがアメリカ人は自由ですからな、なかなかルーズベルトが笛を吹いても思う通りには踊ってくれない。安い労働力としての移民が欲しいのは他でもないこっちの資本家ですからな。そうは言ってもというわけであの手この手で日本からの移民はなかなか止まらないというわけです」
「すると中国と日本が続けている戦争は、アメリカから見ると排日政策の口実になっているということですか」
「まあ、そう見ておけばよろしいかと。しかしなにしろ世論などというのはいつ何時替わるかもしれないもので、現状はルーズベルト大統領も手を焼いていてなかなか思い通りに世論誘導できていませんが、それが変わったら日米関係が一段と悪化することはまず間違いないでしょうなあ」
「ルーズベルト大統領というのはそんなに日本が嫌いなので?」
「はっきりと聞いたわけではありませんが、出てくる政策を見ているとそう見た方が間違いないようです。もしヨーロッパで再び戦火が起こるようなことがあれば、いよいよルーズベルトは排日を激しくするのではないかと私は危惧しています」
「それは何故?」
「今ヨーロッパは、ドイツに誕生したヒトラー政権のせいで大揺れになっていることはご存じでしょう? ベルサイユ条約でドイツに過酷な条件をつきつけたことが完全に仇となって、いまやドイツの世論はアンチベルサイユ体制にオールインしてしまいました。結果的に窮地に陥ったのが、戦勝国のイギリスとフランスで、ドイツの言い分を安易に受け入れるわけにもいかないが、かといってドイツと本気でやりあうつもりもない。この前の大戦はヨーロッパが舞台でその記憶は生々しいでしょうからな。そこをヒトラーにつかれているわけです。まあヒトラーをどう扱うかはイギリスのチェンバレン首相次第でしょうが、おそらく彼らは今、敵味方の線引きにかかっている。つまり戦争になった場合というはもう計算に織り込まれてきているのですよ、外交の世界では。ちょっと前まで日本とイギリスの間には日英同盟という同盟条約が存在していたのですが、これが中国での問題をきっかけに破談となった。もちろん日本側は更新するつもりでした。がイギリスは首を縦に振らなかった。条約というのは国を縛るほぼ唯一の手段ですからね。そこに変更があったということは、国家戦略に大きな変更が加えられたと考えるべきなんです。裏でそう仕向けたのはルーズベルト大統領だというのがもっぱらの噂でしてね。ユダヤ人を排撃しているヒトラーを元々オランダ系ユダヤ人のルーズベルトがこころよく思っていないことはまず間違いないでしょう。ということは、ルーズベルトの頭の中ではすでにドイツと並んで日本も敵国認定している可能性が高い。両方とも領土拡大を目指しているように見えますから。ドイツはオーストリアを併合したし、日本は満州国を作りましたからね。そしてイギリスはアメリカの味方、少なくとも敵にはしないという認定をこの同盟破棄によってしたわけです。領土拡大がけしからん、なんてことが単なるお題目に過ぎないことは、同じ時期にアメリカもハワイを自国領にし、運河が欲しくてパナマを衛星国に組み込んだのに、それについてはダンマリなことでも分かります。そもそもイギリスこそ世界中を侵略しまくった国ですしね。要するに敵味方選別の結果が日英同盟破棄というセレモニーにつながったと。ま、こんなことは外交ではよくある話ですけど」
「人種問題? ユダヤ人というのは白人の中で差別されているのですか?」
「ヒトラーはそうです。いや、ヨーロッパ全体はヒトラー寄りなのでしょう。ユダヤ人という種類の人種はもういなくなっているみたいで、今ユダヤ人と呼ばれている人はユダヤ教徒の信者という定義の方がしっくりくるのですが、ヒトラーはそれを人種に固定してしまった。そしてヨーロッパを逃れたユダヤ人の多くは今ここアメリカにいる」
「つまりルーズベルトは白人の中でのユダヤ人差別には反対だが、黄色人種と白人とは差別をしたいと」
「まあ、未開の世界を切り開いて文明国を作ったのは自分たちだという自負がありますからな。理念通りにはいかないとしてもやむを得んでしょう」
「では、日本は?」
「日本については英米の人間の間でもかなり評価が分かれている、というのが本当でしょうか。はっきり言えば、イギリスの武力侵攻に唯一屈しなかった国が日本なのですよ。そして西洋の文明が入って来る以前に、それなりの水準の教育と文化、経済、軍事力を育んでいたことは、西洋人からすると奇跡とさえ見えたようですから。逆に言うと、そういう微妙な立場に置かれてしまったから、何かと悪目立ちしているとも言えますが」
「黒木領事は日本は今どうすべきか、何かご意見はありますか」
「アメリカで我が国は難しい立場にあると皆さんがお忘れにならなければ、別に特に私の話などに興味をもたれる必要はありませんよ。我が国はこういう苦難を今までも何度も乗り越えてきた国ですからな。それに仮にアメリカがイギリス側、日本がドイツ側となってもまだそれだけで日米が戦うなんていう話にはなりません。アメリカの民衆はヨーロッパの戦さに口を出すなというのが基本的なスタンスですから。日本から仕掛けることでもしない限り日米戦争なんてことは絶対にありませんよ」
「そういうものですか」
「ええ、そういうものです」
安土はこの黒木という若い領事の言葉に頷きながらも、釈然としないものを感じていた。
日本国内での、いや京都帝国大学の教授たち、あるいは第三師団の関係者、そういう人間の顔を思い浮かべてでも、黒木の語ったような危惧の臭いなどどこにも含まれていなかったのである。
いや、例外があった。あの夜安土を呼び出した加茂の作った祝詞である。加茂によれば、今の天皇の語った危惧をそのまま祝詞にしたということだったが、そこには黒木の言った危惧と同種のものが確かに含まれていた。現世に転世を果たしてこのかた、安土は特に拝謁をしたいという希望は無かったのだが、ここにきて初めて、早く拝謁を賜りたいと願うようになった。
安土にとっての米国体験は、黒木たちから見るとかなりハードなものだったが、本人は好奇心がもともとかなり強いらしく、英語もみるみるうちに上達していった。年齢が五十代に入っているとは思えないほど、若い連中とも折り合いをうまくつけて意外と楽しんでいた。
安土はまわりの意見を聞く時間は長いが、自分が意見を言うことは滅多に無かった。
おそらく君主時代に培った一種の規律なのであろう。自分の腹の内は最後の最後まで明かさないように気をつけているようでもあった。なので、誰と何の話をしても相手の話に一切反論しない。とにかく相づちを打つので相手はついついそれに乗せられて、口がどんどん軽くなるのである。
こうやって最後まで全部語らせてしまうのが安土流のようであったが、そのおかげで安土本人が何をどう考えているのかを掴むのは甚だ困難であった。
その話を伝えてきた領事館からの手紙を入江が報告すると、「竹山」はさも嬉しそうに、こう語った。
「なるほどね、秀吉、光秀、家康みんなが怖れたわけだ。僕にはとてもできそうにないな」
もっとも安土の価値を知る人間がいなかったということも大きい。
彼のバックグラウンドは領事館の人間にも詳しく知らされてはいなかった。
単に華族の実業家の縁者という程度でのVIP扱いで、観光地ほかさまざまな場所や施設の訪問予定で要人との面会予定は一切組まれていなかったのである。なので言動にそれほど注意を払う必要は無かったのである。
結果、誰からも注目されることは無く、おかげでかなり気軽に町をうろつくこともできたし、拳銃やライフルなどの試射に興じることもできたのである。
領事館からの付き添いは日替わりで変わっていたが、彼らが安土について当惑していたことと言えば、酒や女に全く興味を示さないことだった。そういう意味で領事館関係者の得意な接待を発揮できなかったのである。
希望する訪問地は安土本人が指定することが多かったが、その場所は、山の中の峠道であったり、川の河口付近や、港、造船所、工場の建ち並ぶ工業地帯、ラジオの放送局、新聞の印刷所などとおよそ観光客が足を向けなさそうなところがたくさん含まれていた。
自動車の運転は安土が真っ先に気に入ったことの一つになった。
運転を覚え免許を取得してからは領事館員が助手席に乗ることの方が多くなった。
アメリカでの生活は結局一月ほど延びて、八月帰国に変わった。
この昭和十三年八月までの、安土が高鴨神社に現れてから、米国より帰国するまでの間にも、世界は大きく動いていた。
まず中国とソ連の間で動きがあった。
昭和十三年二月、航空協定が締結。さらに三月には三千万ドルの借款協定が締結され、ソ連が蒋介石の国民党政権に急接近していた。
同じ三月、ドイツのヒトラーがオーストリアに無血侵攻、これを併合した。
そして日本は蒋介石の国民党政府に対抗する維新政府を南京に樹立させたが、結果的に見ればこれによって蒋介石の抵抗は激化し、中国戦線での和平はいよいよ困難になっていった。
四月、日本軍、徐州攻略。
戦線拡大に伴い、国家総動員法が公布され、日本は戦時体制が取られた。
五月、国民党軍、日本軍の侵攻を見越したように徐州を放棄し逃走。
六月、国民党軍が黄河を決壊させ日本の占領地である河南、江蘇、安徽省に水没被害発生。
七月、国民党に対する武漢攻略作戦の準備が下命され、八月に攻撃が始まる。
つまりソ連の援助によって国民党政府は息をつき、再び抗日戦を激化させ、日本軍はこれに呼応し、大陸の奥深くまで引きずりこまれたのである。そして伸びきった補給線を狙うかのような洪水作戦。戦いに勝つのを目的としたのではなく、戦力の消耗を狙う戦い方である。
こうして中国全土が戦場となり、日本軍が戦いに明け暮れている中での安土の帰国となったのだ。
黒木の話を聞いていた安土は、この一連の動きに釈然としないものを感じていた。
何故ソ連が唐突に蒋介石の援助を決めたのだろうかと。
アメリカのルーズベルトが蒋介石を援助するというのならこの間の黒木の説明を聞いていたからまだ分かる。が、ソ連はアメリカと違って日本と接しているのだ。ヨーロッパ方面にドイツを抱えたソ連が中国を援助する、ということがどうにも腑に落ちなかったのだ。つまりソ連から見た場合、日本もドイツも潜在的直接脅威である。東の日本、西にドイツと挟撃される状態というのはソ連にとってはかなりいやな状況だろう。普通ならいかに牽制とはいえ、わざわざ日本を刺激などしたくないはずだ。だがもし日本軍の詳しい戦力内容を知ることができ、蒋介石とソ連両方を一度に叩くだけの戦力が無いと分かっていれば話は変わってくる。それは中国軍に向かう戦力が増強されれば対ソ連への圧力が減るという意味になるからだ。だから、もし中国が日本軍を惹きつけてくれるのなら、ソ連は安心してドイツに備えることができる……。この中国軍の動きで一番得をしているのは間違いなくソ連なのである。だとすれば……。
かつて、石山本願寺、毛利、伊勢一向宗、三好、上杉、武田と同時に相手をしていた時に、武田に対峙していたはずの謙信が急に加賀に侵入してきたことを思い出した。あの時、謙信は何故加賀の守りが手薄と分かったのか。そう、内通者がいたのである。それが将軍足利義昭だった。義昭は、表向きは信長の後ろ盾となっていたが、裏では反信長同盟を画策していたのだ。
それ以前、桶狭間の戦いでも、義元の進行予定を今川軍に紛れ込ませた乱波から掴み、針の穴のような勝機を掴んだこともあった。
また朝倉攻めの際の浅井の裏切りという絶体絶命の窮地から脱出できたのも浅井に嫁いでいた妹、市から届けられたあずきの小袋でその意図を察知できたからだったのだ。
あの時に働いたカンが今もまた何かを告げていた。
そうか、日本政府内にソ連の内通者がいるのか……
そんなことを胸に秘め、安土はサンフランシスコから横浜に向かう日本郵船龍田丸の船客となった。