目覚め
沙紀は意識を失ってから夢の世界に来ていた。闇に包まれ無重力の世界に只一人で放り出されているだけの光景に、ただ茫然とした。
「私さっきまでなにしてたっけ。」
なにも覚えてない。さっきまでのことも、昨日のことも、それまでのことも。ここまで何も思い出せないと、自分が何者なのかさえ分からなくなってきた。この顔も、この指も、この腕も何もかもすべてが偽物なのかもしれない。そんなことないと否定するけど、私という存在を証明するものはなにもない。私はただこのまま、あるかないかも分からない自我が崩壊するまで自問自答を繰り返すのでしょうね。
「随分辛気臭い顔をしてるな、沙紀。」
「だれ?私を知ってるの?教えて、私はだれなの!」
その声に答えるように、目の前に龍が舞い降りた。その姿は辺りの闇より暗く、なにもかもを吸い込んでしまいそうだが、ただ凛と輝いていた。龍は美しい翼を広げ、背伸びでもするかのように何度か羽ばたいた後、私に顔を近づけて言った。
「お主は本当に世話が焼けるな、沙紀よ。」
その言葉はなんでもない一言だった。もし目の前の龍が人間だったなら、きっとあくびをしながら言ったに違いない。けれど、それは沙紀の心に何かを満たしていった。当たり前のことが当たり前のことではないと知った時のような、なんとも言えないもの。それは無形で、人に伝えることができないような物でも、確かに沙紀の心に空いた空間を埋めていった。
「うるさいわね。さっさと帰ってお肉食べるわよ、夜。」
(自然と出てきた言葉だけど、不思議と違和感がない。ちょっと憎たらしいけど、落ち着くわね。)
沙紀はそこで意識を失い、現実世界で目覚めた。
目を開けると、目の前に清水彩香の顔と少し龍っぽくなった夜が待っていた。
「心配したんだよ、沙紀ちゃん。私のせいでごめんね。」
清水彩香が涙を流しながら沙紀にいった。その涙は頬を伝って流れ落ち、沙紀の顔を濡らした。
「彩香、私のせいでなんて言わないで。」
指で頬を流れえる涙を拭きとりながら、彼女をなだめる。頭を撫でてあげたかったど、そんな力は私にはなかった。それでも、少しは伝わったのだろう。
「うんっ、うんっ。私のために、ありがとう。」
涙を流しながら笑っている彼女の姿は、どんな美術品よりも価値がある。