7話:団らんさえあればいい 中編
扉の先には我が妹・美咲の姿があった。元気よく手を上げて、オーバーなリアクションにより二つ結びがぴょこりと跳ねた。
やがて後からゆっくりとやってきたのは、いつもは見ない私服姿の東雲さん。
白色のブラウスに、空色のフリルつきスカート。片手でも持てそうな革製の茶色い鞄の持ち手を、わざわざ両手でもっているという清楚な雰囲気の彼女。
今時の子にしては派手過ぎない格好がグッド!
私服姿も可愛いなあ、東雲さんは。
「お兄ちゃん、七さんが手伝ってくれるって! 期待してていいよ、美味しいご飯を作るからね!」
「うん、うん……! 期待して待ってるからね……!」
これは期待せざるを得ない。なんたって東雲さんの手料理が食べられる!
高校一年生の冬。彼女はクラスメイトのみならず、同じ学年の人達、さらにお世話になっている先生の分もと、皆にバレンタインデーのチョコやクッキーを配っていた。
そこには女子力の塊とも言えよう、可愛いハートが描かれた包みに、オシャレにラッピングを施したピンクのリボン。ハッピーバレンタイン、というメッセージカードつき!
味はもちろん最高だった。ほどよくバターの効いた、ほろほろと口の中で崩れるクッキー。しばらくはずっと口の中が幸せになる、程よい甘さのチョコ……。
「へへへ……」
「お、お兄ちゃん? しばらく見ない間に変な顔をするようになったね」
「うっうるさい! とりあえず上がってよ。適当に台所、使っていいからさ」
『はーい、お邪魔しまーす』という美咲の軽快な声と共に、東雲さんは僕に対して小さく『お邪魔します』と告げた。
僕に少しだけ似て、とてもがさつな我が妹。玄関に靴をほっぽって、ばたばたと上がっていく。一方の東雲さんは靴を脱いで、綺麗に揃えたのちに美咲の分まで揃えてくれた。
こんな天使、みたことない! 僕の気分は最高潮に達していた。
「よいしょ、よいしょ」
そんながさつすぎる妹だったが、料理の時くらいは普通の女の子でいてくれるらしい。
持ってきた大袋は恐らく食材。せっせと取り出し、料理の準備に取りかかっていた。
サラダ用だろうか? きゅうりに、トマトに、レタスに、コーンの缶詰。
さらに何を作るのだろう、じゃがいも、コンソメのもと、おっ。意外にまともな食材じゃないか、きっと東雲さんのアドバイスが役に立ったんだな。
えっと? ウィンナー、辛子、たかのつめ、わさび……?
だんだんと不穏になる雰囲気を、僕はしばらく数えながら眺めていた。
お粥のもと、瓶詰めにされた透き通った琥珀色の虫……。
虫……!?
「なんなんだよこれは! しかもなんか見たこともない生物が瓶詰されてるし!」
「え、お兄ちゃん知らないの?」
さも知っていて当たり前のようなセリフ。
嫌がらせか、何かの嫌がらせか!?
「このアリさんは、食べられるんだよ! お父さんに取り寄せてもらったんだー。確か、みつ……? よくわからないけど、食べられるんだよ!」
「いや、僕はそういうのいいから」
「あと、セミさんって美味しいんだってー! お父さんから聞いたの! 今は手元にないけど!」
「……美咲、少しはお兄ちゃんの気持ちも察してくれ」
さて……どんな料理が出来上がることやら。先行きが不安だ。不安しかない。
いや、逆にいつもの美咲で安心したよ。
「お兄ちゃん、覗いちゃダメだからね! 楽しみは後に取っておいてほしいの! お出かけしてきて!」
「えー、出掛けるって言っても……」
「いいの! 七さんとそう約束したんだもん!」
この妹、僕が目を離したらとんでもないことを仕出かすぞ!
で、でも。今は東雲さんがいることだし……それに。
東雲さんは片手を口元にお辞儀をして、ごめんねのポーズを取っていた。仕方ない、そういうことならエールとどこかで時間を潰そうか。
僕は出掛ける準備をしながら、二人にバレないようにエールに告げた。
「エール。出掛けるぞ」
「しくしく。倖なんて嫌いですー。わっとっとが食べられない人生なんて、クソくらえなのですー」
「外でわっとっとを買って、カフェでお茶しよう」
「やったー! 倖、大好きなのですー!」
「変わり身早っ……」
ご飯ができ次第、電話を掛けるから。美咲にそう告げられ追い出されてしまった。
それにしても相変わらずエールは、チョコアイスとわっとっとの話になるとご機嫌になるなぁ。逆に言えば欲深な分、操作が簡単なのかもしれない。
外を出る前に二人の方に振り返る。
東雲さんと美咲は、いつの間に仲良くなったのだろうか。随分と距離を縮めたようで、楽しそうに料理の準備を進めていた。
なんだか微笑ましくもあり、なぜか物悲しく切ない、このどうしようもない気持ちは外で吐き出すとしよう。
「もぐもぐ。やっぱり食べている時が一番、幸せなのですー」
「エールの顔を見ているだけで、幸せな感じが伝わるよ」
――カフェテラス。
ウェイトレスに案内された席に座り、とりあえずメニュー表を開いた。
しかし僕は特に食べたい物がなく、エールの要望でチョコレートパフェを頼むことにしたのだ。
ただのスイーツ好きな男子高校生に見られるだけならともかく、似つかわしくないパフェを食べながら一人で喋っている変人に見られると、僕の体面はボロボロに朽ちること、間違いない。
「わっとっとー、パフェー、お口のなーかはしーあっわせー」
「むしろ複雑になりそうなんだけど」
「むっ。倖にはこの良さがわからないのですね!」
あまりわかりたくはないが、そこまで言うなら少し気になる。
「物欲しそうな顔ですー。仕方ありませんねー、そこまで言うなら分けてあげるのです」
「何も言ってないけど……」
エールにわっとっとを差し出され、パフェスプーンでクリームを掬う。
あまり期待はしていないけれど、一つわっとっとを口に放り込んだ。
カリッとした食感と、良い感じの塩気が癖になる。これを単品で食べていたい気分だ、久しぶりに食べるとお菓子も美味しいなぁ。
さらに冷たいパフェを口にする。まだ口の中に残るスナックの欠片とクリームが混ざり合い、パフェの甘さとわっとっとの塩気が、どちらが舌に乗るかと互いに喧嘩を始めてしまった。
「……んー、イマイチ」
「倖にはこの良さは早かったようなのです!」
「うん、僕以上にエールの舌はおかしいんじゃないかって、思っていいよね?」
しばらくしてエールがパフェを食べ終える。パフェは綺麗に空っぽになったけれど、スプーンが汚れてないと明らかにおかしいので、スプーンをあえてパフェグラスにつっこんで少し掻き回す。
これで僕が食べたという証拠はバッチリだ。
「倖、これから何をするのですか?」
「うーん、もっとどこかに時間を潰せる場所があればいいんだけど」
「でしたら! 美咲ちゃんと七さんに何かプレゼントをしますです!」
「東雲さんはともかく、何で美咲にまで……」
僕の愚痴を一言一句、逃さず聞いたエールはない胸を張って答えた。
「女の子はプレゼントに弱いのですよ! 美咲ちゃんも、きっと喜んでくれるのです。
もしかしたら、お兄ちゃんのためにってお家で料理のお勉強をするようになるかもですよ!」
「……って言っても、何を渡せばいいんだよ。そういうの、疎いからさ」
「エールに任せるのです!」
本当に任せても大丈夫なのだろうか? 神に女心という感性があるのかどうか、まず疑問に思う。
しかし乗り気なエールは、僕の言うことを聞いてくれそうもない。
少し恥ずかしいけれど、東雲さんにプレゼントを買おう。ついでに美咲にも買おう。それでエールも満足してくれるだろうし、東雲さんも喜ぶに違いない。
「女の子と言えば、やっぱり鞄や財布なのですよー!」
「……それ、安直すぎるんじゃないか?」
「でもでも、凝ったことをしたってきっと、女の子は喜びませんよ!」
「まあいいけど」
カフェから徒歩十分ほどにある若者に流行りそうな店にやってきた。
プレゼントを選ぶ気満々なエールに対して、僕はただ流し目に店前のショーケースを確認した。
店内は広く、数多くの財布や鞄が所狭しと並んでいる。中でもピックアップ商品は堂々と中央を飾り、普段は鞄なんてあまり買ったことのない僕でもわかるような存在感を放っていた。
店内はカップル同士で鞄や財布を選びにきた人や、今時のオシャレに身を包んだ若い女性が商品を真剣に見つめ、自分に合う物を探している。
そんな中、男一人できた僕は明らかに存在が浮いていた。
「倖、どれにしますかー?」
「店内、歩くの恥ずかしい……」
「体面なんて気にしている場合じゃないのですよ!」
「くっ……他人事のように」
僕は無難にピックアップ商品が並んでいる棚に行き、真剣に物を選んでいく。
東雲さんに合う品はどれだろう? いらないと苦い顔をされたらどうしよう?
あれやこれやと考えてしまい、中々これだというものに踏み切れない。
「倖、まだですかー?」
「早いよ! まだだよ、もうちょっと真剣に選ばせて」
「でもでも、電話が鳴ってますよ?」
「えっ! わ、わかった」
結局、何も買わずにそそくさと店内を後にした。
電話の主は美咲であり、ご飯ができた、とのこと。
プレゼントは購入できなかったが、僕のために頑張ってくれた美咲と東雲さんのために洋菓子でも買うか。結局はそれがいい。一番、無難だ。
――その後、有名なケーキ屋に行きロールケーキを購入した。
さてと。外に用事はないし、そろそろ帰ろうか。
地獄か天国か。東雲さん、無理を言って申し訳ありません。頼みます、天国であれ……!
――『火事だあああ!』
突如、力強い男の声が周辺を包み込んだ。
周囲の人達は野次馬の如く、一斉に火事の方面へ向かう。
「火事……? どこで!」
「あわわわわ、倖! 急ぐのですー! 皆さんを救うのですよー!」
「うっうん!」
エールに急かされるまま、僕は家から反対方向にある火事の現場へ急いだ。
「……わっ」
周囲は野次馬達で溢れ返っていた。うまく前にも行けないくらい、大勢だ。
その建物が何だったのか。理解する間もなく、炎を巻き上げ建物を飲み込んでいく。
ごおごおと音を立てており、時折、風によって熱風がこちらに吹きつけてくる。火の海に飲まれた真っ赤な光景に、エールは僕と一緒にあたふたしていた。
「ど、どうしよう!」
「倖、倖! 助けるのですー! 私に任せてください、なのですー!」
エールと生活をするうちに、僕の心境に変化が現れ始めたかもしれない。
ここぞとばかりに立ち上がるエールを、僕は頼もしいと感嘆した。
「人を離れて神よ来れ。暴風施し慈雨来れ、咆哮せし暴風神! 神能人離! ルドラ!」
エールの詠唱と共に、力が満ち満ちる。一回ほど大きく心臓が胸の扉をたたく。何だか今なら、天候操作も出きてしまいそうだ。
……が、神が憑依したというのに、しばらく経っても何も起こらない。一体、どういうことだ?
そうこうしている間に、火の海は建物を自らの領域へ引きずっていく。
この神……もしかしてサボり!?
「おほん。倖のいくじなしー」
「……は?」
エールは耳元で、唐突に罵倒してきた。
「あっかんべーっ! 倖のケチンボ、変人さん! チキンなのですー!」
「むかッ」
な、なんなんだいきなり!
くっ……なんだか物凄く腹立たしい。今にも憤怒で羽虫を取っ捕まえて、お仕置きをしたい気分だ!
大きな声を上げて、こいつの口を塞いでやりたくなる……ッ!
「エールうう――ッ!!」
「きゃぴっ!」
怒りを露に声を荒らげると、エールも体をびくつかせた。目を光らせエールをロックオン。こんなふざけたことを言いまくりやがって! 許すまじ!
突然の叫びに周りの人達は火の海よりこちらを眺めていたが、そんなの気にするものか!
今にとっちめて……。
――ぴと。
「うわ、つめたっ!」
一雫が、僕の頭に冷たい感覚を残した。
「え……?」
徐々にぽたぽたと冷たい雫が天より降り注ぐ。
――ザアアアア……。
「……あ、雨?」
先ほどまで太陽が輝く晴天だったのに、気づけば雲が覆い尽くしていた。数秒も経たないうちに土砂降りだ。
ありえない天候の変化に、騒ぎは収まって野次馬は散り散りになった。
火の海も雨に完全に飲み込まれ、無事に消火された。あとに駆けつけた消防隊員も困惑をしていたが、なんとか無事に人々を救い出すことが出きたようだ。
「エール……もしかして」
「はいっ! 倖に咆哮……つまり、叫んでもらうために悪口を言ってました」
「ごめん、そうとも知らずに」
「とんでもないですー!」
エールは両手を振り、大丈夫だと動作で伝える。
なんだかんだ、エールもエールでいい子なんだな。と思った矢先。
「それに、悪口が言えてスッキリしたのです! 特にケチンボとチキンは、言いたくても言えないことだったので――」
「エール、ちょっとこっちに来い」
「ひっ、倖、な……なんだかお目々が怖いのです……」
――――――
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