6話:団らんさえあればいい 前編
その日の放課後。
今日に終わりを告げると、僕は大きく背伸びをした。
明日は休み。学生にとって大事な大事な休日である。これを機会に、僕もしっかり休むぞ……!
「っと……」
――♪♪
携帯の着信メロディーが鳴り始めた。一体、誰だろうか?
制服のポケットから携帯を取り出した。こ、これは――。
その電話の主は僕も良く知る、家族からだった。電話から発信される家族の声を聞いて青ざめるのは、恐らく僕と訳ありな人くらいだろう。
とりあえず出ないという選択肢は可哀想なので、震える手で着信マークを押し、恐る恐る携帯を耳に近づける。
「もしもし……」
誰から見ても明らかなほど、暗い声でぼそぼそと喋った。
しかしこちらの元気のなさをぶち壊すかのように電話の向こうの主は持ち前の明るさで僕のハートをブレイクしてくる。
『おっにいちゃーん! 元気だった? 電話で話すのも半年ぶり、会うのは何年ぶりだろうねー!』
「……切るぞ」
『えっ、ちょっと待って、待ってってば!』
「お兄ちゃんは忙しいの!」
あぁ、今すぐ電話の電源を切りたい。思い出すだけで胃がキリキリしてきた。
「で、何だよ突然?」
半年ぶりの電話。我が妹・美咲はこちらの気苦労を汲み取ることなく、一人で盛り上がっているようだ。他人の意図を汲み取ろうとしないところ、相変わらずだな……。
何も聞かずに切るのはさすがに心無いと判断し、とりあえず理由を聞くことにした。
『わあ、やっぱりお兄ちゃんって変わってないなあ! なんだかんだ、引き受けてくれるところ!』
「ぐ……」
『お兄ちゃん、お母さんがいなくてもちゃんと美味しいご飯を食べてる? 自炊できないからって体に悪い生活、してない?』
「あーはいはい、お節介ありがとう。ちゃんと食べてるから安心してよ」
『でも心配なの! お兄ちゃんが体を壊しちゃったら、私……』
「美咲……」
兄思いの妹をもって、僕は感動した。
お節介と言えど、心配してくれている人がいるというのはありがたいことだと重々承知している。
だが、その先は皆まで言うな。絶対、絶対だぞ?
『だから、お兄ちゃんのご飯係、私にやらせてよ!』
「断るッ!」
あんな悲劇はもう嫌だ! こんなのだったら、こんなのだったら……。
『お兄ちゃん、もしかして私に言えない秘密があるの? だからお家にきて欲しくないの?』
「違う。ある意味、それもあるけど。まったくの意図外れってことを理解してくれ」
あぁ、確かに。電話中は暇だからと、僕の隣で謎のオリジナルダンスを踊っている羽虫と生活している……なんて口が裂けても言えない。
でも原因はもっと他にあるぞ。胸に手を当てて、聞いてみろ。
『お兄ちゃん、大丈夫。お兄ちゃんの秘密を万が一知っちゃっても、お母さんやお父さん、近所の人に言いふらさないよ』
「それ絶対に言うパターンだろ!」
『じゃあ明日。タクシーを使うから、すぐにでもお兄ちゃんの所に行けると思う! じゃあねー』
ピッ。電話が一方的に切られてしまった。
なんてことだ。美咲に……美咲に料理を作られてしまった暁には!
「どど、どうしよう」
「ん? 倖、電話、終わったのですか? 誰からですー? 美咲ちゃんって言っていましたね」
「厄介なことになったー、厄介なことになった……!」
「厄介、です?」
そうだ。こういう時こそエールの出番ではないか。
本当の危機を回避させてくれると信じているよ。少しの期待を胸に、僕はエールに訊ねた。
「ねえ」
「うん?」
「料理を美味しく作れるようになる、コックみたいな神様いないの?」
「いるわけないのです!」
「……だよね」
うん。そんな神様がいたら、料理の際に憑依してもらって毎晩、とっくに美味しい晩ご飯を作っているよ。
はああ……憂鬱だあぁ。僕は頭を抱えながら、いつも以上に深いため息をついた。
せっかくの休日。天国かと思われた日常が、地獄に染まっていくのが目に見えていた。
「そんな神様はいませんけど、豊穣の神やお水を司る神を降臨させて、美味しい食材を用意することならできますよー」
「いくら食材がよくても、作り手が台無しにしちゃ意味ないだろう……」
「それもそうなのです」
こうなったら、美咲が無茶をしないように誰かに監視役を頼むしかない!
僕は勝手にそう意気込み、片っ端から女子を説得する羽目になった。
「ねえねえ、実は――。お願いがあるんだけど、うちの妹の料理の先生になってくれない?」
「え……ごめん。明日、用事があるんだ。ざっ残念だなー薄くん、まったねー」
「あ……」
明らかに用事などなさそうな素振りで走り去っていく彼女。僕は遠ざかっていく彼女の背中を茫然と眺めたまま数分間、突っ立っていた。
――。
「ねえねえ、妹の料理の先生になってくれない? お礼はするよ!」
「最近、一人で騒いでいるような危ない人の家に行くのはちょっと……」
「い、言い返せない」
心に刺さるような言葉を告げられ、引いた目を向けられた。彼女は僕を見つめたまま後ろ歩きで立ち去っていく。
……うっひく。泣いてない、泣いてないぞ。次っ。
――――。
「ねえね……」
「ごめん、用事が! さよなら!」
「まだ何も言ってないけど……!?」
――――――。
「女の子にナンパなのですか? 倖も男の子なのですねー、私に言ってくれたらなんとかしましたのに!」
「……もうダメだ。僕はこの学校の生徒から変人という目でしか見られてないんだー!」
「仕方ないのですよ、人の性格は中々、変わらないのです」
「あたかも元から僕が一人で喋る変人でしたー、みたいな言い方やめてくれるかなっ!?」
僕はいよいよ絶望の淵に立たされた。
もうどうにでもなってしまえ。けどまだ希望は捨てちゃいない。誰か、誰か僕を救って下さい。女神様、仏様、どなたか……誰か!
「どうしたの、薄くん? こんなところで犬のカッコなんてして」
「ちょっ七! やめなよ、変態が移るよ」
四つん這いに項垂れる変態の僕をも気に掛けてくれた、最後の女神……。それは東雲さんだった。
隣にいるのは、三谷じゅん。
ショートカットのスポーティな雰囲気の女子生徒で、そのサバサバ、ツンツンした性格が男子生徒の間で、友達感覚として人気だ。
ただキツイ釣り目が睨んでいるように見えて、女子の間では不評だけど。
そんな三谷に制されたって彼女は『可哀想な言い方をしないの』と三谷を止めてくれる。
なんだろう、三谷の言葉に否を唱えてくれたのはありがたいんだけど、むしろ貶された気がする。
「東雲さん……」
「うわっマジキモ。こら、七に手を出すんじゃないよッ!」
「ぎゃあっ」
伸ばした手を三谷によって踏みつけられる。確かに、四つん這いの男が震えながら手を伸ばす姿を見ればキモい以外の何の言葉も出ないだろうけど。
「もうっじゅんちゃん、だめだよ! 薄くんは最近、少しおかしいだけだよ!
これを含めて薄くんは薄くんなんだから! 暴力はダメだよ!」
「……七。あんたそれ、擁護してんの? 貶してんの? どっち?」
「え? 護ってるのよ。薄くんだって人だもの、皆に嫌がられる気持ちに立ってみたら薄くんの気持ちもわかるでしょう?」
「……じゃあさ、なんでコイツ、消沈してるの?」
東雲さんの言葉に、僕は地面に顔を伏せて倒れていた。
もう恥ずかしい、お婿に行けない! 東雲さんの天然攻撃は、僕にとって凄まじい威力を放ったのだった。
「と、こういうわけなんだ」
しばらくして、やっと話せる状態になった僕の話を真剣に聞き入れてくれる東雲さん。やっぱり天使だ、現代の天使だ。
僕の話を聞くや否や、東雲さんは即行でオーケーしてくれる。三谷にも止められはしたが、それでも彼女は頷いて僕の妹の世話をしてくれると約束してくれた。
不安に思った三谷は、眉を潜めながら東雲さんに告げる。
「七、本当にいいの? 何されるかわかったもんじゃないよ?」
「いいの。この前、ちょっと薄くんとの約束を破っちゃったから。そのお詫びにってことなら、どう? 許してもらえるかな」
「まあ、七がいいなら……いいけど」
この前のお詫び……。
彼女が引っ越しの準備で約束をドタキャンしてしまったあの時のことだ。
三谷もまた、東雲さんの言葉に渋々了承をする。
やった、東雲さんがうちにくる……!? この天国を見た後は学校でどんな地獄になっているのかわかったものじゃないが、今はそんなことどうでもいい。
東雲さんがうちにきて、妹と一緒に料理をしてくれる。それで……十分だ。
「なに鼻の下を伸ばしているのです? 倖はすぐ、お猿さんみたいに顔が伸びるのですねー」
「なあに鼻の下伸ばしてんのよ、この変態!」
三谷とエールの言葉が一致する。ダブルパンチを受けて僕の心は粉々に砕け散りそうだった。
翌日。美咲がくる日がやってきた。もちろん、東雲さんも。
今日はどんな料理を作ってくれるのかな、東雲さんがいるだけで百人力だ! もう何も怖いものはない!
僕は東雲さんのために、姑の確認の如く隅から隅の埃をチェックしては掃除に励む。彼女に迷惑は掛けられない、うちに溜まった埃のせいで病気になっては大変だ!
「倖、今日はいつになくお掃除を頑張るのですねー」
「あぁ。東雲さんがくるからね」
「あっ十時のおやつの時間なのですー! ちょこアイスとわっとっとを食べるのですー!」
エールがさっそく冷蔵庫に向かう。
……が、今回ばかりは羽虫の体を握り、引っ捕らえた。アイスやわっとっとの費用がかさむからとか、そんなのじゃない。
「あは、ははは。倖、お顔が怖いのです……」
東雲さんに変な目で見られないように。そのことだけが気掛かりとなり、思わず鬼の形相でエールを睨めつけていたらしい。
いけない、いけない。これでは単にエールを虐めているみたいじゃないか。
「今日は、我慢しろ」
「ぶえー」
「ぶえー、じゃない。エールは皆に見えないんだ、開けられたアイスやわっとっとが、独りでになくなるという怪奇現象が起きたらどうする?」
「無視するのです! 虫は無視ー、なんちって。ぐぎゃびっ!」
軽い説教中にふざける羽虫を、強く握る。エールもまた、ギブギブ! と叫び苦しそうに訴えていた。
というか自分のことを虫と認定するのはどうかと思う。
「とーにーかーく、彼女が帰るまでお預けです!」
お母さんみたくエールにハッキリと言い表した。するとエールもしゅんとしおらしくなって、言葉を零す。
「わ……」
「わ?」
「わー」
僕の拘束から解放されたエールは、僕の目の前をぶんぶんと飛び回りながら何かを言っている。何が言いたいか……大体の察しがついたもの、告げぬ間にたたき落すのは間違いと見てエールの発言を待った。
「わ……わっとっとー! エールはわっとっとなしでは生きられないのですー!」
やっぱり、そう言うと思った。
「わっとっとー! 欲しいのですー!」
エールは一頻り飛び回ると、大声で叫びながら僕の鼻面を何度もキックする。小さいとは言えど、さすが神様だ。小石が当たったくらいの衝撃が執拗に僕の鼻頭を攻撃する。
こんなに駄々をこねる神様、見たことないぞ!
「わ、わかった! じゃあ誰にも見つからないようなところで食べろ。風呂とか!」
「湿気るです!」
「トイレ!」
「きちゃないです!」
「押し入れ! タンス!」
「暗いです!」
「冷蔵庫の中!」
「冷たくて凍えちゃいます!」
何を言っても言うことを聞かない神様。
『じゃあダメだ』と断ると、遂に諦めたのかトドメに五回ほどパンチしてようやく机に座り込む。
そうこうしている間に、ピンポンとインターホンが鳴った。
「は、はーい!」
机に座り込んで泣き寝入りをする羽虫を放っておき、僕は慌てて扉に向かった。