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神能人離エール  作者: 葉玖ルト
19/22

19話:度を超えた悪戯 3

「あーら、やっときたのね? てふふっ。ロキちゃん、待ちくたびれちゃったあ」


 ――辿り着いた、山の中腹。ロキは整備されている山道ではなく、少し動けば木々にぶつかるような……鬱蒼とした場所を戦場に選んでいた。

 左腕を杖に頬を支え、宙で足を組んでいる――まさしくあの時に出会った頃と同じ格好で、出迎えていた。

 ロキは僕の異変に気づくと、チッと舌打ちをしながら、余裕そうだった表情を見る見るうちに形相を変えていった。


「……あんたぁあ」


 ロキにとっての敵なのだから……当然だろう。


「またわたしの邪魔をしにきたわけ? その坊主を使って。いいわ、今度こそロキちゃんが痛めつけてあげる!」


 僕はその言葉に、ただ握り拳を作った。


「ふん。そんなお荷物を抱えて、わたしに勝てるとでも?」


 荷物……紛れもなく東雲さんのことだろう。

 僕は東雲さんをそっと地面に下ろして、ロキを睨みつける。


「な、なによ。わたしに勝つつもりで――きゃうッぐ……!?」


 拳が、悠長に喋っていたロキの腹部を抉った。ロキの端正な顔立ちが、痛みに歪んだ。

 ロキの口元からすっと赤い液体が垂れる。今の一撃の重さを知らしめるように、白い素肌を穢した。

 ヘイムダルは追撃にと、もう一打の拳を頬まで近づける。彼女の頬を殴る寸で――。

 はしっと拳と手の平が打つ音が暮れ掛けの山道にこだました。

 ロキに拳をガッチリと掴まれ、体が動かない。


「あんた。何も知らないその坊主に憑依したってーことはぁ、その坊主をぶっ壊してもいいってことなのよねぇ?」


 いつもの戯けた調子は崩さずに、けれど言葉から余裕は感じ取れなかった。

 激高した悪戯神は、掴んだ拳を強く握りしめると、今までにないほど声を荒らげる。


「ただのぉ、悪戯じゃぁ……済まないんだからああッ!!」


 ロキが僕の拳を抑えたまま、ぐいっと態勢を低めた。――瞬間、僕の顔は細かな枝が散乱した地面に強く打ちつけられた。

 砕けた小石が、顔の表面を傷つける。一瞬の判断で目を閉じたお陰で木の枝が目に突き刺さることは免れた。


「てふっ。久しぶりに……暴れるわよ?」


 ロキが風に乗るようにふわりと浮かぶ。空気を含んだスカートは、傘のように広がった。

 悪戯神は舌なめずりを一つ、近くの幹に触れる。

 突如、大木がどろりと溶けた。それは鉄を高熱で溶かしたと錯覚してしまいそうなくらいの変形をして見せる。

 この時点で十分、あり得ないことなのだが……神の力の前では、全ての現象が合理的に思えてくる。

 やがて溶け出した枝から一滴の雫が、葉っぱに付着した雨水のごとく、ぽたりと僕の手の甲に零れ落ちた。

 ――ジュウッ。耳障りな音が、僕の耳を刺激した。


「あああぁッ!!」


 焼けつく痛みに悶絶した。ただの大木のはずなのに、ロウを垂らされた激痛が走った。

 やがて痛みは痺れに変わる。体全身を力ませ、歯を食いしばりながら焼ける感覚に耐えた。

 悪戯神はにんまりと不適な笑みでこちらを凝視すると、余裕を取り戻した口調で言葉を向ける。


「てーふふ。恨むならそこの見張り番を恨みなさい。このロキちゃんに喧嘩を売ったんだもの、当然の報い――きゃふッ!!」


 僕は咄嗟に立ち上がって、ロキの腹部を蹴り飛ばした。明らかに人間業ではないくらいの勢いで、悪戯神は石切のように背中を打ち付けながら跳ね飛んでいった。

 辺りの木々を倒しながら……途中でロキの服が木々に引っかかり、どんどんと破けていく。

 白い素肌に、赤い切れ目が入っていく。

 しかし条件は、こちらも同じだった。


「はあ、はぁ……ぐ」

「て、ふっ――ふふ。最低、屈辱ぅ、殺しても足りないわよぉ」


 腕が機能しなくなってくる。骨でも折れたのではないか、というほど重い。

 激しいロキとの戦闘が、僕の体に異常を来した。

 鉄球を下げられている風に足が重く、制服はものの見事に破け、膝から血が軽く流れる。

 ボロボロに朽ちた状態で、尚も僕達は戦い続けた。

 こちらが拳を入れると、ロキの悪戯が容赦なく僕に襲いかかった。ロキが悪戯を仕掛けると、僕の体当たりがロキを突き飛ばす。



 ――どれくらい、経っただろうか。



 僕達は互いに、血塗れの交戦を行っていた。

 しかし、転機はこちらに訪れる。

 ――ロキの体力が先に尽きたのだ。

 傷だらけのロキを地面に突き倒し、両手首を掴む。抵抗しようとも、抵抗できないのだろうか。

 ロキは静かに抵抗をやめた。だんだんと、力が弱くなっていく。

 あの黄金色の髪は土と血で薄汚れ、可憐な細い足には深い傷を負い、もはや美しかった神様はそこにいない。


「はっ……は。こーさんよ、こ、う、さ、ん。てふふ、負けちゃったあ」

「ロキ。東雲さんを、元に戻せ」


 体はヘイムダルに憑依されていようとも、意志は確かに僕の物だった。鋭い眼でロキを睨み上げると、ロキもまたにぃっと口元を上げた。

 何が、おかしい。


「はは……わかったわよ。わかったけど……あんたはぁ、大丈夫なの?」


 ――大、丈……夫?

 そう訊かれた瞬間、腕に激痛が走った。

 電流が走るように、足が痙攣し始めた。

 どうして……今までの憑依で、こんな経験は初めてだ。


「てふふ。ざあんねん、十分経過、タイムオーバー」

「く……うッ!?」

「けど、ヘイムダルはまだ諦めてはいない。あんたの中で、わたしを潰すまで消えまいと戦っているのよぉ。

 てふふ、いわゆる、暴走ってやつねえ」


 ――これが、暴走……?

 ああ……暴走とは、災厄を起こすことじゃなくて――神が能力の制限に逆らう現象のことだったんだ。

 目が、霞む。目の前のロキが、原型を止めなくなっていく。


「あんた……運が悪かったわね。神の御霊に乗っ取られる寸前ってとこかしら?」


 ――だからエールは対峙する瞬間に使って、ヘイムダルが無茶をしないように監視しようと……使い時を、待っていたのか。


 だんだんと、吐き気が催してきた。頭の中がずーんと鈍くなる感覚に冒されていく。

 自分でもわかる。手が……少しずつ、冷たくなっていく。

 体温が……失われていく。

 手に、力が入らない。ロキを拘束する手が、ゆっくりと開かれていった。その様子を、ロキはただただ不適な笑みで見守っていた。

 何をするでもなく、倒れたまま……ロキの瞳から雫が頬を伝って零れ落ちる。


「強大な力には、いつだってリスクは付き纏うものよ。いい経験だったわね、次の転生は――幸福の塊であることを祈ってるわ。てふふっ」


 ――てふふふ……ロキの声が、優しく僕の耳を撫でた。初めて出会った頃の笑い声とは違って、不思議と嫌ではない……そう、子守唄のような心地よさが広がった。

 ロキの前で、僕は僕でなくなることを覚悟する。もう、全てに力が入らないのだ。命の灯火が消えようとしていることを、理解した。

 僕、は……――。




『ヘイムダル様! それ以上は止めるのです!』




 刹那、明るい声が消え掛けの僕の意識を取り戻した。

 エール――?


「それ以上、居座って見て下さい! 私が上へ報告しますですよ!」


 ピタリ。突然と痙攣が収まる。

 ――すぅっと体が軽くなっていく。憑き物が取れたように。


「倖ー、無事ですか!?」

「薄……っ!」


 エールの声に混じって、疲弊した僕の心に深く染み込むような黒木の声が聞こえた。

 ……全身の力が抜け、僕は息を吐きながらべたりと脱力する。

 これが、暴走。神が使命を果たすまで体から出て行くまいと制限を超えて取り憑こうとする現象。


「ごめんなさいなのですー! やっぱり……ヘイムダルはロキと会わせるべきではなかったのですう!」


 僕の胸元に飛び込んで、エールは号泣した。エールから溢れ出る大粒の涙が、制服を濡らしていく。

 僕は短い息を何度か吐いて、エールをそっと慰めた。

 指先で頭を撫でてやると、小さな神様もまた、少しだけ和らいだのか、表情が柔らかくなった。


「ほんとーよ。ロキちゃんも……とんだ迷惑を被ったわ」


 ロキの方も、もはや動ける状態ではないのだろう。僕との戦いの疲れで、ぐったりと仰向けになったまま言葉を続けた。


「あんた、その坊主を殺す気? サポーターなら……パートナーなら。その時、その判断で適切な神を選びなさいな」

「ううー、こっちだってロキに命を奪われそうになったですよ!」

「てふふ、それは謝るわよ。でもね、正直わたし達の邪魔をしようものなら地獄にだって落とす覚悟だったわ」


 今回のことで痛感した。

 僕は、誰かに頼らないと何もできないんだな……と。

 相手が神だったと言えど、僕の力では東雲さんを救うことは無理だった。ううん、神を憑依したって、神が僕を喰らい付くそうとしただけで――結局は何もできていないじゃないか。


「てふ、ふふふ。もう、ロキちゃんも体力の限界。どうぞ、煮るなり焼くなりして頂戴な」


 静かに目を閉じ、ゆるやかに息をつく。暗晦あんかいに包まれていく山の中……僕達の傍で、ロキの嘲笑いのみが静寂を破った。


「ロキ」

「なぁによ、坊主。ロキちゃんを火炙りにでもしちゃう?」


 僕の声にロキが問い返す。

 いいや、違うんだ。首を横に振って、できるだけ触発しないような声色でロキに告げる。

 これ以上、怒りを買ってしまったら……間違いなく僕が殺されるだろう。


「どうして、黒木に付き纏うようなマネをしたんだ?」

「――は? わたしが憬ちゃんに付き纏う?」


 『何を、ご冗談を』ロキは目を丸くさせた。どうやら本人には付き纏っている自覚はなかったようだ。


「……付き纏ってなんかいないわよ」

「じゃあ、質問を変える。何で黒木と一緒に行動していた?」

「しつこい。わたしは、憬ちゃんを護ってあげてたの」


 ――黒木を、護る?


「それを何も知らない無神経でバカな坊主と、わたしを送り返すことしか脳にないカラッポ頭のちんちくりんに邪魔をされただけ」


 僕達が――邪魔をした? いつ、どこで。


「正確には邪魔をされるんじゃないかって、怯えて回っていたのはコッチなんだけど?」


 続け様に口を開いた悪戯神は、ゆっくりと上体を起こして、足をべったりと地面につけ楽な姿勢を取った。

 僕もロキの前に膝をついて、揺らめく火のように赤い瞳に目線を合わせて応対する。


「じゃあ、あの時の黒木の発言はなんだ。助けて……だなんて明らかにおかしいだろう」


 熊にあった、一本の電話。

 そう……そうだよ。助けてなんて、迷惑に思っていなければ絶対に言うはずがないじゃないか。


「……憬ちゃんが、わたしを見捨てようとしたから」

「違う!!」


 途端に黒木が声を張り上げた。僕達を一斉に振り向かせるには十分な声量で、黒木からは想像もつかない大声だった。

 ロキはその言葉にふっと笑みを零す。


「あら……違うの?」


 独特の笑いを飛ばしながら、ロキは小首を傾げた。いつものように戯けた風を装っていたが、その表情からは息子を心配する親のような慈愛に満ちた眼差しが感じ取れた。

 悪戯神の暖かな視線を受けて、黒木は夜の帳に消え入りそうなくらいの声でぼそりと告げる。


「こ、こんなことをしてまで。俺は……幸せになんてなりたくない、から」

「てふふ。じゃあ私と居た記憶は、心より楽しかったと言えるかしら?」

「……ロキのお陰で、楽しかった」

「それは、よかった」


 心から安堵したのだろう。ロキの顔つきは、晴れやかだった。黒木の言葉にくすりと笑う悪戯神。

 『……なんだ、そういう可愛らしい動作もできるんじゃないか』

 僕の何気ない言葉にロキは『てふふ――バッカみたい』と返した。


 僕は改めて問う。

 『どうして黒木と一緒にいたんだよ?』

 ロキは軽くうつむくと、ついに口を割ってくれた。

 今まで追い求めてきた真実……黒木に出会ってから、今日までのことを。



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