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神能人離エール  作者: 葉玖ルト
18/22

18話:度を超えた悪戯 2

 門を出て闇雲に足を動かす。猫となった彼女の小さな鼓動の音が、僕の鼓動の音と重なった瞬間、再び罪悪感に苛まれる。

 何の策略もなく、三十分ほどの時が経つ。僕達は学校から離れた住宅街を突き進んでいた。

 午前のゆったりとした時間帯はとても静かで、幸いにも人はいない。


「東雲さん……ごめんなさい、こんなことに巻き込んで」


 彼女を抱えたまま、僕は独りでに謝罪を口にした。

 元はと言えばロキのせいだ。けれど、僕が少しでも距離を縮めてしまったから。僕が声を掛けなければ、今頃は彼女もロキに目をつけられずに済んだ。

 ――僕が巻き込んだも同然だ。


「倖、あまり自分を責めないのですー」

「……エール」

「お顔に書いてありましたよう。私も悲しそうな倖は、見たくないのです」


 エールの言葉に、少しだけ元気づけられた。

 ああ、そうだな。僕がしんみりしていたら、誰が彼女を救うというんだ。僕とエールにしかできないことじゃないのか。

 ことが起きてしまった以上、後悔するのではなく、どうロキを見つけるかを考えよう。


「といっても、このまま歩いていて見つかるものなのか――いたっ」


 ――ドンっ。思い詰めて歩くあまり、僕の方がよそ見をしていたらしい。額に軽い痛みが走った。


「は、はわわー」


 ふとエールが、口元に手を当てて空気に溶け込んでしまそうなほど小さな声を出す。何かあったのだろうか。


「エール? 何をそんなに驚い……て?」


 僕も釣られて前を向くと、そこは行き止まりだった。僕を遮るように緑色の壁が隔ててある。

 おかしいな。この住宅街は大きな道路で一本道となっていて、突き抜けて交差点へ出るまでは、どれだけよそ見をしていても壁になんてぶつからないはずだけど。

 “それ”に触れると、ゴツゴツとしていて硬い。これもロキの仕業なのか?

 僕達をこの先に行かせまいと、こんな場所に壁を作ったに違いない。こうなったら、どうにかして壁を壊さないと。


「エール、神能人離だ!」


 そう伝えるも、エールに指示が届かなかったのか……硬直している。


「エー……ル?」


 突如、壁の端が動いた。

 生き物みたいに、ゆっくりとこちらに振り返る。

 ……いや、生き物だ。


 ぬぼーっとした生き物は、大きな黒い眼で僕達を睨む。

 その口は人を丸呑みしてしまいそうなくらい大きく、牙は突き立てただけで殺傷能力が高そうなほど鋭く、喰らい付けば何人たりとも逃さないほどがっちりとした顎を持っている。


「……ひっ」

「ぐぎゅるる――」


 ――なんで、こんなところに恐竜が?


「はわわーっ! 倖、逃げるのですよーッ!!」


 僕はエールに促され、咄嗟に走った。恐竜も走る獲物が気になったのか、そのデカい図体を悠長に起こすと――。


 ――追いかけてきた。


「のわああ……っ!」

「ロキの変身させる能力は、性質は変わらないのです! これは恐竜なんかじゃなく、たぶんワンちゃんとか別の生き物だと思いますー!」

「だからって、逃げなきゃ潰されるだろ、こんなのっ!?」


 恐竜が巨体を揺らし、こちらに詰めてきた。背後の恐竜が歩く度に、ドシンシンと地響きが住宅街を襲った。

 揺れる尻尾はコンクリートの地面を抉り、巨大な爪痕がコンクリートの地面に突き刺さる。

 彼女を抱きしめたまま、僕は絶体絶命に追い込まれながら走り続けた。しかし息が上がり、次第に駆けるスピードも落ちていく。

 心拍数が異常じゃないくらい上がった。待って……これ以上、走れない。


「――どわあッ!」


 一瞬の判断で、東雲さんを地面に放り投げた。ぐしゃっ。僕の体が地面を転がると、恐竜は軽く体重をかけて、こちらを睨み舌なめずりをする。

 あっ……終わったな。


「倖ーっ!」


 エールの叫び声が、とても遠くに聞こえた。

 ……僕は、僕は。




 ――恐竜の大きな舌が、僕の頬を一つ舐めた。

 頬が舌の肉感に押し上げられ、それが数回ほど繰り返された。

 うへえ、唾液でべとべとする。

 恐竜は一頻り僕の頬を堪能すると、制服を甘噛みして、究極な癒しをもたらしてくる。

 ……色んな意味で。


「ちょっ、やめろよ……! 僕はこんなことをしている場合じゃ――ぎゃあああ!」


 僕にもわかる! 姿は違えど、これはいつもの宿敵いぬだ!

 胸元を抑えても、性質が犬というだけで体重がいつもの比じゃない。うんともすんとも言わない壁を必死に押しているだけの虚しい感覚が、数分に渡って繰り返された。

 恐竜が僕で遊ぶ。尻尾を左右に激しく振って、大きな口を開けて舌を出しているあたり……やっぱり、犬だ。

 たまに『ハッハッ』と短い息を吐いて、腕を銜えてはむはむしてくる。可愛い。

 恐らく、ロキの策略通り。僕は巨体に押しつぶされながら、ただ必死にもがき暴れていた。


「は、はわわ。仕方ありませんです! 本当はロキのために力を残しておきたかったのですが!」


 エールは素早く、能力の構えを取る。


「人を離れて神よ来れ。我が身が望むは平和のとき。慈悲の光は穏和の前触れ! 神能人離! エイレーネ!」


 眩い光が一点に降り注いだ。僕の中にじんわりと染み渡る暖かい何かは、この焦りを一気に沈着にさせた。

 なんだろう。押し潰されているのに、この状況がどうでもよくなってきた。

 とっても、和やかな気分だ。


「恐竜さん、そこを退いては頂けませんか?」


 僕はエイレーネの言葉に従い、恐竜の体を軽く手で撫でてやる。手の平からぱぁっと光が溢れ出し、その光は恐竜にふんわりと溶けるように染み込んだ。

 すると先程まで興奮状態だった目の前の恐竜が、のっそりとした動きで僕から退いてくれた。


「ありがとうございます、恐竜さん」

「ぐぎゅるる」 


 口角を上げ、恐竜ににっこりと微笑み掛ける。恐竜は僕に顔を一つ擦り寄せ、大人しくなった。

 これも……エイレーネのお陰なのだろうか。


「では、参りましょうか。エールさん」

「うー、ワンちゃんを傷つけないためとはいえ、判断を誤りましたです……」

「あの悪戯っ子を、止めるのでしょう?」

「え、エイレーネ様。は、はいなのですー」


 エールは丁寧な口調の僕を見て「倖が倖じゃなくなったのです」と呟いた。

 僕だって好きでこんなこと、喋っていないってば! しかし僕は脳に浮かんだ言葉を、淡々と口に出す。


「さあ参りましょう。人々が困っているというのに、どうしてこうも酷いことができるのでしょうか」

「エイレーネ様、余談は後にして進みますです! 時間がないのですよーっ!」

「急いては事を仕損じますよ」

「は、はううー……」


 エールがエイレーネの言葉に対して項垂れる。たぶん、エールの中で破壊神と、どちらを憑依させるか迷ったのだろう……。

 少しだけ気の毒だ。

 再び猫となった東雲さんを抱き上げると、僕達はロキを探すために歩みを進めた。

 ――とってもスローペースで。




「やっと……抜けたよ」

「エイレーネ様は平和を望むお方。常に慎ましくいないと、私が怒られちゃいますよう」


 あの後、十分経って神が僕の中からいなくなった。その分を取り返そうと、またせっせと足を動かしていた。

 エイレーネは想像以上に歩みが遅く、どうエールが伝えても、急いでいることを理解してもらえなかった。

 両手を膝元で合わせ、慎ましく歩く姿は……あんな動作、つい先程まで僕がやっていただなんて思いたくない。


 僕達は交差点を抜け、街の中を突っ切る形で駆けていた。交差点からどの方角に行くかは迷ったもの、考える暇も惜しいので北へどんどんと進む。


「エール、ロキを見つけ出せるような凄い神はいないのかよ!」


 猫になった東雲さんを抱えて、エールにそう訊ねる。しかしエールは首を横に振り、言葉を返す。


「いるにはいるのですが……いざと言う時のために、取っておきたいのですよ」

「はぁ、はあ――いざって……いつだよ!」

「ロキとの対峙の時です。少なくとも、探している段階で使ってしまうと神能人離が持ちませんし、最悪の場合……倖の体が倒れちゃいますよう」


 その見つけるまでが、大変なんだけど。エールはエールなりに、僕を心配してくれているんだ。


 その後、僕達はこっちで合っているのかもわからないまま、北方面にあるトンネルに入った。

 トンネルの中は暖色系のランプが辺りを仄かに照らしている。ここは車の交差も多く、排気ガスでどうしても臭ってしまう。ただ、そうも言ってられない状況だけど。

 車でも通り抜けるのに五分は掛かるというのに、徒歩だと一体……どれくらいの時間で抜けられるだろうか、不安が残る長いトンネルだ。


「まったく。ロキはどこから悪戯を仕掛けているんだよ……」


 疲弊して重くなった足を、なんとか上げて前へと進む。本当は急がなければならない状況なのに、息が上がって走ることができない。

 それに、こんな排気ガスだらけの道……。東雲さんの体が心配だ。早くトンネルから抜けよう……。


「はわー! 倖、後ろ、なのです!」

「え?」


 ――ドシン。地響きで、体が少し浮いた。


「な、な、なな――」


 後ろをおもむろに振り返る。丸くて大きい、何か。それは土がデコボコに積み重なってできた、泥だんごに見える。



「……まっ、まさか」


 息を呑んで、エールと数秒ほど見つめ合う。

 僕達は互いに軽く息をつくと――。


「にっ逃げるのですーッ倖ー!!」

「またかよーッ!?」


 なんか逃げてばかりな気がするんだけど!

 異様に大きな泥だんごは、車に当たるか当たらないかの絶妙な幅を持って転がってきた。

 しかし器物破損であることに変わりない。近くのガードレールや、天井に位置する暖色系のランプをものの見事に破壊して回っていた。

 パリンっとランプの割れるの音がトンネルに反響し、小さく砕けたガラスの雨が僕に向かって降り注ぐ。

 ガードレールがぐしゃりと曲がる轟音が通る車、通る車を驚かせた。時折、泥だんごが削れるペチャリ、と気持ちの悪い音が背後から聞こえた。

 僕は自分の体に鞭を打って、走り続けた。もう……これ以上はッ。


「うあああああ!」


 自分を奮起させるために奇声を上げ、明るく出迎えてくれるトンネルの出口まで駆け抜けた。

 ――必死だった。

 トンネルを抜けた瞬間、歩道の小道にさっと避ける。泥だんごはべちゃっと粘着性のある音を立てながら、止まらぬ勢いで木々を体当たりで折り曲げ、近くの海へと身を投げ出した。

 ……収まった。助かったんだ。


「はあ、はあ……くっう」

「倖ー、大丈夫ですかー?」


 エールは僕の肩に降り立つと、僕の汗を小さな手で拭ってくれた。

 一方の僕も、もう立てないと言わんばかりに座り込む。


「う……ロキのやつ。はあ、はぁっ……」


 息も絶え絶えで、これ以上は体力が続かない。僕は一度、冷静になって追うのをやめた。

 僕の体力に限界がきたことを、エールは悟ってくれたのだろう。それ以上は何も言わずに、ただ寄り添ってくれた。


「倖……東雲さん、元に戻せないのですか……?」

「僕、だって――はぁ、戻して、あげたいけど」


 体が言うことを聞かないのだ。立ち上がろうとしても、足が痙攣している。けれど僕が……止めないと。皆がロキの餌食になってしまう。


「……倖が動けるようになったら、奥の手を使いましょう。いくら神様でも、疲弊した体では行動できないものなのです」


 そうだろうな。神の魂が元気だとしても、動かない体に鞭を打とうが何をしようが動くわけがない。

 極端な話……無機物に憑依されて、動けと催促されているようなものだ。


「エール。ちなみに、その奥の手って?」


 僕は疲れ切った表情で、エールに訊ねる。


「奥の手……ヘイムダル様なのです」


 ――ヘイムダル?


「昼夜を問わず先を見据えることができる万能の目を持った神様です。ただロキとはちょっとした因縁がありますから」


 暴走してしまう可能性も考えてほしいとエールは告げる。

 ――暴走、か。

 今までは神様の方が、僕の体に合わせた動きと引き際で調整してくれた。

 破壊神シヴァだってそうだ。

 シヴァが本気を出せば、街一つ……ううん、国や世界一つを壊すことなんて容易いこと。

 それに調節してくれていなかったらお兄さん達を最悪、大怪我を負わせていたかもしれないし、僕の肩の骨だって負荷に耐えられず、外れて折れていたかもしれない。

 ……暴風神ルドラだって。

 あの時は消火できるほどの、大降りの雨で済ませてくれたからよかったよ。けれど調節されていなかった暁には、きっと大波を起こして――。

 うん、これ以上はやめよう。想像するだけ無駄だ。


 エールが言う『暴走』

 今まで憑依してもらった彼らには明確な災害が想定できるけど、ヘイムダルの暴走って……?

 きっと僕には理解できない範疇の問題なんだろうな。



 ――そろそろ動かなければならない。しかし、動きたくない自分がいた。

 僕は大分、落ち着いたにかかわらずエールに嘘を通してただ一点をぼうっと見つめる。

 今からあんな、周りに被害を起こすような変身能力を持った相手と戦わなければならないのかと、身震いした。

 なんだか……やる気が出ない。叶うことなら、ずっと……ただの高校生として過ごしていたい。

 今更だけど、怖じ気づいてしまった。

 このままでは東雲さんは元に戻らない。それどころか、学校の皆にまで被害が及ぶ。

 ……勝てるのか、僕は。あんな神に。

 例え憑依したとはいえ、十分でケリをつけられるのか? 変わった性格と言えど相手は神なんだぞ。


「倖ー」


 僕はふと我に返った。思い詰めている様子が顔に表れていたのか、エールが震えた声色で告げていた。

 僕の目の前を飛び、首を横に振ると落ち込んだ僕を励ましてくれようとしたのか……エールは硬い笑みを浮かべて口を開いた。


「怖いのなら、いいのですよー」

「……エール」

「相手は神様ですもん。神様相手に、怖いと思うのは当たり前なのです。だって神様なんですよ?

 万が一、怒りを買ってしまえば……一瞬で消し飛ばされるほど強い相手なんですよ」


 エールは僕が落ち込んだ時は……いつだって自分の言葉で励まそうとしてくれた。

 僕だって、エールの無邪気な姿に何度も救われたじゃないか。


「大丈夫なのです。もし学校の皆さんが動物さんにされた暁には、上に報告してロキを追い詰めてやるのです。

 ですから、倖はもう何も心配しなくていいのです。

 倖が私を受け入れてくれたように――今度は私が、倖を助けますですからね」


 ――ああ。エールの笑顔がとても眩しい。

 何をやっているんだ、僕は。

 僕は……僕だって、男だ。確かに怖い、けど……。


「エール、ごめん」

「倖……自分に嘘をついてまで、無理はよくないのです」

「ううん。嘘なんてついていない。今、目が覚めたよ」


 僕は一つ、パチンと頬をたたいた。

 自分で自分を上げるためだ。東雲さんを護るって、約束したじゃないか。

 それこそ嘘をついてはダメだろう。

 遠くで太陽が輝き見せ、辺りを黄金色に染めて行く。

 今、何時だ? ポケットから携帯を取り出して、時間を確認した。

 ――日没まで、あと一時間。


「エール。お願い」

「はっはいなのですー!」


 僕は――暴走する恐れがある、ヘイムダルを受け入れる覚悟をした。

 東雲さんを、救う為に。重たい足を持ち上げて、立ち上がった。

 僕の覚悟にエールも背筋をしゃきっとさせて、呪文を唱える。


「人を離れて神よ来れ。昼夜の目を持つ見張り番。悪戯神に仇をなせ! 神能人離! ヘイムダル!」


 神が降り立つ感覚は、いつだって暖かい。

 ああ……僕の中に注がれる、一つの神の御霊。すぅっと目を閉じ、数秒ほど瞑想した。

 ――次に僕が目を開けた瞬間、鮮やかな緑に囲まれた場所で黒木と佇むロキの姿が見えた。

 この先の山の中か。なぜそんな場所にいるのだろうか?

 恐らく理由は、黒木に二次災害が行かないようにするためだろう。

 人通りのある場所で暴れてしまえば、ロキの姿が人に見えない分、超常現象を起こした悪魔だと罵られるのは黒木の方だから。

 ……それだけ黒木を護ることを考えて行動しているのだ。

 きっと、ロキにも何かあるはずだ。黒木の傍に居続ける、特別な理由が。


 タンッ。地面を片足で蹴り上げた。

 途端、僕自身が風にでもなったかのような感覚を受ける。全ての景色が一本線のように流れていく。

 人も、車も、建物も、何もかもが視界では捉えられないほど風を切って進んだ。

 それこそ時速……どれくらいか理解できないほどのスピードだ。ヘイムダルの能力により、遠くの方でエールの姿を捉えることができたが、体はロキに向かって一直線に向かっていった。



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