14話:占い結果は不幸な一日 後編
「あて、ててて」
「薄くん、どんな無茶をしたの?」
熊の元を去って教室に戻ると、東雲さんは頬が腫れた僕にすぐ様、ハンカチを濡らして当ててくれた。
「あはは、まあ、色々ね」
さすがに職員室の戸に糸が張ってて、なんて言えない。軽くぼかしておいた。幸い、この場に三谷はいない。他の連中が周りで騒いでいると言えど実質、僕と東雲さん、二人だけの時間だ。
「気をつけなきゃダメだよ」
「う、うん」
「ただでさえ、薄くんって何かと怪我をしやすいんだから」
「ありがとう、東雲さん」
ハンカチである程度を拭うと、東雲さんは朗らかに笑う。彼女の眩しすぎる笑顔に、全身が火照った。顔から火が出そうだ……自身の心臓の音がいつも以上に、うるさく感じた。
「七、これでいい? って、あんた何で七のそばにいるのよ」
特別な時間は、不意に終わりを告げた。
自販機にでも行っていたのか、ペットボトルのお茶とコーヒーを手にした三谷が戻ってきたのだ。
「あ、うん。ありがとうじゅんちゃん」
「七、変なことされてない?」
「だっ大丈夫だよ。薄くんは悪い子じゃないの、心配性だなー」
僕は東雲さんと三谷、二人の時間を邪魔しないようにそそくさと席に戻って行った。居座り続けると三谷がうるさいし、なによりこれ以上、東雲さんの近くにはいられない。
東雲さんに拭ってもらった頬に触れ、顔が綻ぶ。周囲の生徒達の顔が引きつっているように見えたが、気にしない。
なんの変わりもなく、その日の授業はことを終えた。
エールとは近所のスーパーで待ち合わせをしている。早くしないと、あの神様がうるさいからなあ。
東雲さん、ついでに三谷に教室内で別れを告げ、学校の校庭までやってきた。
登校中に出会った占い師、まだいるのかな。近所迷惑な。いたとしたら、不審者として通報するぞって少し脅してみるか。
そんな思考を巡らせ、門へ向かって歩き出す。
門前に踏み込んだ。しかしいつものグラウンドより土が柔らかいような? ぐにっと足を呑み込もうとする土に、違和感を覚える。
どっかであったような感覚が……僕を、襲――。
「どわあ!」
足を踏み外し、土の中に落っこちた。頭上から砂がパラパラと駄目押しの如く降り注ぎ、僕はどこにもやれない怒りに眉間を動かす。
さすがに二度目は、許せない。
「なあんだ、薄かー」
「また落ちてやんの。熊用の穴蔵に迷い込むなんて、お前も不運だなー。行こうぜ」
どうやらさっきのやつらが性懲りもなくまた落し穴を作ったらしい。
こ、の、野郎……。
落とし穴の入り口に手を掛け、ズタボロになりながらよじ登る。
眉間にシワをよせ、やつらを睨みつけた。すると僕の剣幕に負けたのだろう、彼らは慌てて首を横に振った。
「ごご、ごめんって、薄!」
「そうだよ! 俺らはただ、落し穴を作らないといけない気になったんだ」
ここで被害者面を通すのか……。普通であれば、そう思っただろう。けれど僕は彼らの言い分に首を傾げた。
今更、不思議なことが起きたって動じない。そんな神経にさせてくれたエールにはある意味、感謝をしなくてはならない。
「落し穴を作らなきゃいけない気になったって、どういうことだよ」
僕は素直に聞き返す。彼らもまた『嘘を言うな』とでも言われると思ったのだろう。僕の言葉に目を丸くさせ、必死で頷いた。
「急に落し穴を作りたくなったというか」
「俺達だって、なーんで……こんなにしょうもないことをしようとしたのか、わかんないんだよな」
「そうそう。まるで誰かにそそのかされたというか、手が勝手に動いていたんだよ!」
勝手に……動いた?
これが嘘か誠か、僕は真実だと信じる。相手が神であるのなら、人間を無意識に動かすことなんて容易いことだろう。
「な、なあ。もういいか? 俺達、帰りたいんだけど」
「ああ、ごめん。もういいよ」
これが神の仕業であれば、何が目的でこんなちゃちなことを。
エールも待っているし、とにかく帰ろう。土を被った僕は、ふらふらと帰路についた。
背中から何者かの突き刺す視線を感じ、余計に足早にその場を去った。
夕陽が沈む時間帯。僕はエールとの待ち合わせ場所であるスーパーの前にやってきた。
エールはじっとズタボロの僕を見て、首を傾げた。
「どうしたのです、そんなに土だらけになってー」
「色々とあったんだよ」
「土で遊ぶのは構いませんが、お家に帰って、ちょこアイスとわっとっとに砂を混じらせるのはやめてくださいです!」
遊んでない! 少しくらい心配してくれてもいいじゃないか、この羽虫め!
ふう、ふうと自分の息を整え、重い足でなんとか歩く。
五分ほど歩いて辿り着いた閑静な住宅街。そういえば、この辺は黒木の家の近くだったよな。なんて思い耽る。早退の理由は気分が悪い、だったよな。
だとすれば家にいるのだろうか? それならそれで問題はないが……。
なんとなく黒木の家の方向に視線を合わせる。すると、何か一点に囚われるようにぼうっと電灯を仰いでいる何かを見つけた。
紛れもなく、それは黒木の姿だった。何をしてるんだ、あいつ?
その背後には、空間を僅かに歪める透明の何かが見える。謎のソレはこちらに気づくと、空間に溶け込んでいなくなった。
人型のように見えたけど。もしかして……。
逃げられないうちに、慌てて黒木に声を掛けることにした。
「黒木? そんなところで何をしてるんだ?」
気軽に話を掛けた、つもりだった。
しかし黒木はこちらに気づくと、肩を竦ませ一歩分、後ろに飛んだ。あれ、僕ってそんなに怖いかな……。僕としては黒木の方が十分、怖いよ。
声を掛けられたことが相当嫌だったのか、ぶつぶつと何かを呟き始めた。
何を言ってるのかまったく聞こえない。僕が近づく度に身を退いてしまうが為に、聞き取れないのだ。
「えっと、ごめん。驚かせる、つもりは」
黒木は今に倒れそうな足を支え、帽子をきゅっと深く被る。この動作が癖なのかな。
「なあ黒木、今日……体調不良だったんだよな。大丈夫か?」
「……違う」
「え?」
「……――ッ」
何に対しての違う、だったのか。問いかける前に、黒木はアパートの方へ早歩きに帰っていく。いつも以上に無口だったな、あいつ。
「相当、嫌われてますねー。変人さんと関わりたくないのでしょうかー?」
「心に刺さるからやめてくれ……」
「でもでも、今の透明の影、なんだか気になるのですー」
確かに……僕は黒木の挙動よりも、透明な〝何か〟が気になって仕方なかった。
不気味だな。今日は黒木がすっこんでしまった以上、何もわからない、か。
僕はもやもやする、このもどかしさを抱えてエールと一緒に帰路に着いた。
その後は何事もなく家へと帰ってこれた。落し穴に二回も落ちて、桟に躓いて、もう今日は十分に不幸な日だったから。
これ以上の不幸が起きたら、たまったもんじゃない。
エールにお菓子を与え、晩飯を作り――。
何をするでもなく、携帯をつついて暇を潰していた。
――突如、珍しく固定電話が音を鳴らす。一体、誰だろうか?
それは学校からだった。
「はい、もしもし」
『……薄』
電話主は熊だった。
熊の様子がおかしい。いつものハキハキとした声ではなく、人が不安な時、心配する時に発する震えた声。一体、どうしたんだろうか?
『……黒木について、何か聞いてないか?』
「え? 確かに今日……帰りに見かけたので、話をしましたけど」
一方的に怖がられたけどね。
『そうか。いや、な。さっき学校に連絡があってな』
連絡? 珍しい……というわけでもないのか。
熊のことは好いているみたいだし。いや……先生という立場に敬意を示しているだけで、別に好いているわけじゃないのか?
あぁ、考えるだけ頭が痛くなる。
『助けて下さい』
「え?」
『そう訴えていたんだ。電話越しだったから、表情はわからんが。涙声のようだったな』
助けて、か。ついに助けを求めることを知った、そう安直に考えていいのだろうか?
しかし熊は間を作る。それは、僕を疑っているような言い草だった。
『何かに追い詰められているようだった。薄、何か知らないか?』
「せ、先生。僕はただ、普通に挨拶をしただけで」
『いや、疑っているわけじゃないんだ。いい、知らないならいい。じゃあな薄、おやすみ。また学校でな』
何で僕をピンポイントに。他の生徒にも電話を掛けて回っているのなら、たまたま僕にカマを掛けてみようとしただけかもしれないけれど。
電話が切れる機械音が、僕の恐怖心をさらに煽る。
なぜだ、普通に喋り掛けたのが悪かったのか。結果、脅しと勘違いされたのか。
「幸。ここまでやられっぱなしなのは、エールも見ていて辛いのですー」
「……それは、黒木に憑いている神が関係することなのか?」
「ですです。なので、せめて確信したついでに黒木憬に憑いている神を教えるのですー」
エールは宙をくるりと一回転すると、僕の顔を覗き込んで告げた。
「彼女の名はロキ。悪戯好きの神様なのです」
「いたずら?」
「トイレに落っことそうとしたのもロキ、あの占い師もロキだと思うのです。今日、落とし穴に二回もハメたのもロキ、職員室から出る時に顔面を激しくぶつけたのも恐らくロキなのですよー」
黒木に出会ってから今までの不幸な出来事が、全てピースのように一致した。
明らかに人間業じゃないトイレの事件。怪しい占い師。人間の思考を操作して落とし穴をちょうど良く作らせたのも……ロキという神の仕業?
考え込む僕を前に、エールもまた言葉を続ける。
「黒木憬に私を見られたのは偶然でなく、必然。黒木憬が急に学校に来られるようになったのも、ロキが何かしらの手を打ったのでしょうねー」
「じゃあ、黒木が学校に電話を掛けたのは……?」
「さあ? 私を引っ付けて歩く幸が怖かったのか、ロキに嫌気を差したのか、はたまた、先生ですらロキだったってこともありえるのですー」
僕はエールの話を聞く度に、その内容にのめり込んでいった。
悪戯の神、ロキ。一体、何を企んで僕やエールを陥れようとしているんだ?
そのメリットがわからない。しかも憑く側として、わざわざ黒木を選んだ理由は?
「ロキはトリックスターと呼ばれてるのです。変身を得意としているので、エールでも占い師になったロキを見抜けなかったのです!
男神のくせに女の子の姿で活動する、変わった神様なのですー」
「とにかく明日、黒木と喋る機会があったらロキについて訊ねよう。黒木を脅すつもりはないけど、僕もこのまま黙ってはいられない」
それに……もし黒木がロキから解放されたい。それが本心であれば、助けない理由はない。
「真面目なお話をしていたら、お腹がすいたのですー。わっとっと、食べていいのですー?」
「またかよっ!」
相変わらず、切り替えが早いなぁ。
さて、と。ロキの情報も得たし、もしもソレが諸悪の根源ならば、たたくしかないな。黒木も救えて一石二鳥、最初から最後までエールの神能人離に頼ることになりそうだ。
頼んだよ、僕の相方。
「もぐもぐ。んー! わっとっとー、お口のなーかはしっあっわせー!」
……頼む、よ? 任せるからね!?