12話:潜入! 黒木宅! 後編
三人で『お邪魔します』と声を出し、狭い玄関で靴を脱ぐ。
靴を脱いですぐに、その部屋はあった。
黒木の部屋は、六畳ほどの小さなもの。少し埃の臭いが鼻腔を刺激した。
畳の上にはちゃぶ台が中央を飾っていて、病院に備え付けてあるような小さな冷蔵庫、背が低く幅の狭いシンクが部屋奥に置いてある。
それは使われた形跡がなく、煤こそこびりついてはいたが、綺麗だった。
トイレのような扉は見つけたもの、風呂もキッチンもなければ、タンスも押し入れもない。
それどころか現代の人が娯楽や情報を得るための手段である、テレビもない。パソコンらしきものもない。さすがに携帯は所持しているのか、充電器くらいは床の隅に置いてあった。
目につく、部屋の隅っこに畳まれた服。タンスがないので床に直置きしているようだ。
さすがに家の中では帽子を身につけていないか。
まるで闇のように深い、綺麗な黒髪。好青年を彷彿とさせる端正な顔立ち。普通にしていたら、普通の高校生なら、きっとクラスの人気者になっただろうな。
運命は、皮肉なものだ。
黒木の視線が激しく揺れ動く。しきりに何かを警戒していた。
僕達は黒木を奥に、ちゃぶ台を囲んで畳に座る。
「あんた、食事はどうしてるわけ?」
「……」
「なんか昨日よりも痩せた気がするし」
三谷が黒木に問う。黒木は何も喋らない。
「あ……黒木くん、リンゴ、剥いてあげようか? あ、包丁ないかなぁ……どうしようかなぁ」
東雲さんも、この生活感のない部屋には困り果てて、たじたじに告げた。
黒木は『ありがとう』とだけ伝えてリンゴを手に取ると、大きな口を開けてかじりついた。
皆して茫然と黒木を見つめる。人間のはずなのに人間を感じさせない、機械的な動きだった。
黒木は何も喋らない。ただ東雲さんからもらったリンゴに無言で食べ進める。
静寂の中、リンゴを噛み砕く音だけが居心地の悪さを表現するように部屋全体に広がった。
なんとなく、二人が怯えているように見える。
東雲さんは小さく手をたたき、困惑を隠しきれない様子でなんとか言葉を絞り出した。
「わ、わー……意外にワイルドなんだね、ね! 薄くん、じゅんちゃん!」
続け様に、三谷も口を開く。
「そ、そうね! あんたが食べるところを見たことなかったから、ちょっと安心したわ! 色んな意味で凄いけど……」
「あ、あぁ。黒木って意外に面白いやつなんだなー」
とりあえず僕も便乗しておいた。ただ、黒木はやっぱり何も喋らない。
待つこと三分ほど。リンゴ一個は、全て黒木の腹に収まった。
そこから静寂は良くないと、誰かしらが話題を見つけるも、話が広がらずに沈黙が続く。
話題が続かないのではなく、どちらかと言うと黒木の方から話題を切っている風だった。
友達ができないのではない。“寄せ付けない”のだ。
僕には“自ら友達から逃げている”様に見えた。
と、ここまで黒木を観察してみたが、裏に潜む何者かが現れるわけでもなく、淡々とした時間が流れていった。
僕は作戦変更することにした。
「なあ、黒木。トイレ、借りてもいいか?」
僕はバレないようにエールに目配せする。エールもその場で頷き返した。
僕の声に合わせて、黒木は無言でトイレの方向を指差した。
「あっあぁ! さんきゅー」
扉から向かって左奥。
トイレを口実に、機会を窺うことにした。
の前には昔ながらの青タイルに、和式のトイレが備え付けてある。
緑色のスリッパが両足を揃えて置いてあり、几帳面であることが窺えた。
「なんなんだあいつは……。まったく掴みどころがない……」
そうエールに語りかけると、エールもまた僕の肩に座って何かを考えていた。
考える像のような格好で。
「どうした、エール?」
「……おかしいのです」
「え?」
「あれがいるはずなのに――」
あれ? あれって、なんだろう?
ここまできてまだ秘密を語らないエール。一体エールは何を知って、何を探して、何を暴こうとしているんだ?
「……ん?」
途端、窓がガタガタと響く。今日はそこまで強い風は吹いていないはずだけど。
……何かがある、この部屋にも、黒木にも、何かが。
ガタガタガタ。鳴り止むことのない窓ガラス。なんだか、少し怖くなってきた。
――それは実に急な出来事だった。誰かに足を吊るされたように、不意に片足が床から離れていく。
窓ガラスに集中しすぎていたため、気がつかなかったようだ……うかつだった。
「な、なな……!?」
足首に風が絡みついたような妙な感覚。足はみるみる宙に浮き、ひっくり返りそうなところまで持ち上げられた。ぽとりとスリッパが床に投げ出される。冷たい床に響くスリッパの音は、今まさに僕のピンチを訴えていた。
「のわー……っ!」
「……! えいっなのです!」
背中越し、エールは何者かに体当たりを噛ます。
エールが悪の根元をたたいたのだろう、突然と体の自由が利くようになった。
しかし僕の体はもう止まらない。
“何か”に離された足と同時に、コントロールが利かなくなった足がふらふらと便器まで近づく。
「おふっ!」
「きゅうう! はやぐー、はやぐ態勢を上げるのですー!
潰れてしまうのですー! エールがトイレにボチャンなのですー!」
エールが僕の胸元に飛び込んで、小さな力でなんとか支える。
た、助かった。トイレに顔を突っ込むことだけはごめんだからな。
――よっと。僕は背中に力を入れ、なんとか態勢を戻すことに成功した。
気づけば窓の揺れは止まっていた。
一体、なんなんだ。いくら僕が不幸のドジだったとしても、今の現象は明らかに人間業ではないし、怪奇現象と呼ぶに相応しい。
冷や汗をかきながら、エールに訊ねる。
「エール、何か知ってるんだろう?」
「はあ、はあ、はいなのですー。でも、まだ、それはダメなのですー」
「どうして。そういえば僕、エールが神様だってこと以外は何も知らないよね?」
今思うと、僕はエールについてを何も知らない。
聞かなかったのもあるけど、そもそも本人が、エールという存在についてを何も語ってくれていないのだ。
「まだ、言う時ではないのですー。でも、恐らく……恐らく、はあはあ」
余程、支えるのを頑張ったのだろう。
エールは息を切らせていた。中々、息切れが収まらない。
「そろそろ、この現象について説明しなければならない時がきたようなのですね……ふう」
「……やっぱり、誰かの仕業なのか?」
「えぇ。恐らく、一人の神様の仕業だと思うのです。でも、それはまだ話さないのです」
もったいぶるなぁ。
「話すと長くなるのもありますが、何より……まだ確信した訳じゃないのです。あらぬ疑いは掛けたくないのです」
それ、最初に東雲さんのお兄さんかどうかを見分けられなかったやつの言うセリフ?
まあ、神様仲間として疑いたくはないんだろうな。
「……黒木も関わってることなの?」
「はいなのです。これは私の憶測ですが……言うなれば黒木憬は被害者というところでしょう」
「被害者?」
「その神様も切羽詰まっているのでしょうね」
エールの発言に、息を呑む。
神様が、切羽詰まっている……? どういうことだ?
何か事情があって、黒木に憑いているってことなのだろうか。うーん、よくわからない。
けれど、ここまで真面目なトーンで推理するエールは初めてみた。
どうやらエールもエールなりに、今回のことに何か思う節があるのだろう。
「とにかくなのです! これ以上は黒木に直接、問い詰めない方がよさそうなのですー。訊ねるとしたら、その神の方に直接、お話を伺うのですよ!」
急にいつものテンションに戻ったエールは『あまりに遅いと疑われるのでは』と告げる。
それもそうだな。よし、少しでも調査が進展したし、今日の調査は終わり!
トイレの扉を開ける。そこには相変わらず何も語らない三人の姿があった。
空気が重い。
「え……あの、黒木」
「あんた遅い。どうせ大の方でもしてたんでしょ?」
「下品な事を言うな!」
くっ、三谷め。覚えていろよ……!
「……」
ふと黒木に視線を移すと、三谷が言う通りにカットメロンを食べていた。
付属のピンで一個、一個を刺しながら止まらぬスピードで平らげる。
本当に大好物なんだな。いくら表情が出ないと言っても、今の黒木は幸せそうに見えた。
「……ごっそさま」
「は、はい。お粗末様です! 私が切ったわけじゃないけど……。よかった、気に入ってくれて」
一応、黒木も丁寧に挨拶はしてくれるようだ。
東雲さんはほっと胸を撫で下ろすと、ポケットから袋を取り出してゴミを入れる。
よく見ると、ゴミ箱すらもない。ほんと、どうやって生活してるんだろう……。
「残りのフルーツ、冷蔵庫に入れておくね!」
「……それ、電源入ってない」
何のためにあるんだよッ!?
さすがの東雲さんも、これには苦笑いで返していた。
「あ、ははは。そう、なんだ」
「でも、食べる」
「え、全部?」
東雲さんの疑問に、無言で頷き返す。
持ってきてもらったものは残さない、律儀なやつなんだな。
……こいつも元々は普通の生徒だったんだろうか?
それを、とある神に目をつけられて不幸を歩まざるを得なくなった。
全部、勝手な妄想にすぎないけど。そうだとしたら神様のくせに、今を頑張って生きている黒木に、追い討ちの如く不幸を与えるなんて許せない。
「じゃあね、黒木くん」
「あんた、明日は学校に来なさいよ」
「ま、またな。黒木、今日は邪魔したよ。楽しかった」
僕達はそれぞれに挨拶を交わした。
黒木もまた、さらにうつむく。
どうやら今回の訪問で黒木にも心境の変化があったらしい。
「……じゃあな」
よく耳を傾けていないと、わからないような小声。だけど、それは確かに聞こえた。僕だけじゃないーー三人とも。
すっかり真っ暗になった夜の中、確かな手応えを感じて僕達は胸を弾ませながらそれぞれが帰路についた。黒木は悪いやつじゃなかったんだ。
それだけをこの目で確認できて、安堵した。