天才エルフの姉さんが覆面レスラーになってしまった件
「ククル、今日はもう寝たほうがいいんじゃない?」
「うん、でもまだ……もう少し。もう少したら寝るよ」
庭で魔法の特訓をする僕。
その姿を姉さんが困ったような表情で眺めていた。
「ファイア。ファイア。……うーん。なんかうまくいかないなぁ」
炎の魔法がうまく使えない。
魔法の本に書いてある通りにやっているのに不思議だ。
「こうやるのよ。ファイア」
姉さんが手の平を空へかざす。
――と、激しい業火が月へと伸びた。
「さ、さすが姉さん……」
「ふふっ、がんばればククルもできるようになるわよ」
姉さんが温和な笑顔を見せる。
僕の姉さんはエルフで一番の魔法使いだ。
天才で美しく、とても心やさしい。この村を代表する立派なエルフである。
「でも今日はもう寝なさい。特訓は明日でもできるでしょ」
「う、うん」
姉さんにやさしく背中を押されつつ、僕は家へと入る。
欠点などひとつもない。姉さんは完璧なエルフだ。
こんなに素晴らしい姉さんを持っていながら、僕は禄に魔法が使えない。
弓術も下手で、戦闘技術というものがまるで無く、村ではいじめられっ子だ。
そんな弱い僕を、やさしい姉さんはいつも守ってくれる。
いつかは姉さんを守れるくらいに強くなりたい。
しかし、その日があまりに遠いことは、弱っちい僕自身がよくわかっていた。
「あら? なにかしらこれ?」
「どうしたの姉さん?」
姉さんが屈んでなにかを拾っている。
「……洗濯物の落し物みたいね。明日、持ち主を探してみるわ」
その手には派手な色合いをした布のようなものが握られていた。
風で飛ばされでもしたのだろう。珍しくもないことだ。
「さ、今日はもう寝ましょ」
「うん」
頷き、僕と姉さんはそれぞれの部屋へと赴いた。
――朝になり、僕は外の井戸水で顔を洗って家に戻る。
「あれ?」
変だな。
いつもなら台所で姉さんが朝食を作っているのに、今日は姿が見えない。
なにかあったのかと心配になり、僕は姉さんの部屋へ向かう。
「……姉さん?」
部屋の扉を開く。
と、視線の先に、髪の長い姉さんのうしろ姿が見えた。
姉さんはイスに座って、なぜか壁のほうを向いている。
「どうしたの姉さん?」
そう声をかける。
すると、姉さんはそっとこちらへ振り返った。
「……えっ?」
謎のマスクを被った姉がそこにいた。
「ええっ……あの、姉さん?」
「……なに見て」
「えっ?」
「なにジロジロ見てんじゃあっ! われぇ!」
「ええーっ!」
立ち上がった姉さんは右手を振り上げ、僕の頬を張った。
「痛いっ! 姉さんにだけはぶたれたことないのにっ!」
「しゃーっ! いくぞーっ!」
左足に姉さんの右足が絡む。
「卍固めいくぞおらぁ!」
「なにっ? マンジガタメってなにっ? あだっ!」
前屈みとなった僕の首には左足がかけられ、持ち上がった僕の右腕を姉さんの左脇が抱えた。
「いたいいたいいたいたいいたいっ!!! なにこれっ! いたいいたいーっ」
首とかわき腹がすごい痛い。
「ちょっと待ってっ! ちょっと待ってっ! いだだだだっ!」
「ふんすこらぁっ! おらぁ!」
この状況に頭がついていかない。
これは本当に、あの穏やかでやさしい僕の姉さんだろうか?
もしかして別人? いや、声は間違い無くアネシス姉さんである。
「姉さんっ! 一回離してっ! 一回離そうっ! 頼むからーっ! いだだだっ!」
「はっ……」
不意に体が離される。
四つん這いになった僕は、ぜえぜえと荒く息を吐く。
「ね……姉さん」
「わ、私、一体どうしたの? なんでこんなことを……。大丈夫ククルっ!」
「う、うん」
よかった。
マスクは被ったままだけどいつもの姉さんに……えっ?
「ちょっ! いだだだだだっ!」
「ロメロスペシャルじゃーいっ! しゃーこらーっ!」
僕の両脚に姉さんの両足がうしろから絡み、両腕を掴まれて体を持ち上げられる。
「いたいーっ!!!」
……その後、何度か似たようなことをされ、ようやく姉さんは落ち着いてくれた。
「大丈夫、姉さん?」
居間のイスに座った姉さんはしゅんと、うな垂れている。
僕がテーブルに水を置くと、姉さんはそれを飲んだ。
「ええ、私は……。ククルは大丈夫?」
「まあ……」
あちこち痛い。主に間接が。
しかし、あまり痛がると姉さんを心配させるので、平気な振りをする。
「そう……」
「姉さん……」
今日の姉さんはおかしい。
僕に暴力を振るうなんて、普段からは考えられないことだ。
一体、どうしたというのか?
異変と言えば、今だに被っているあのヘンテコなマスクだが……。
妙にカラフルな色合いからして、たぶん昨日の夜に姉さんが拾った、洗濯物だろう。
あれのせいで姉さんは変になったのだ。
「姉さん、それ脱いだら?」
「えっ? なにを?」
「その変なマスク」
「マスクって?」
「いや、だから姉さんが頭から被ってるそのマスクだよ」
「マスク……?」
一瞬、間を開けてから姉さんは首を傾げ、
「なにを言ってるのククル? 私、マスクなんて被ってないわ」
「……」
「……」
いや、どう見ても被ってる。
完全に顔を覆うほど、大きなマスクなのに、なにを言っているんだ?
「いや、だからこれだって……」
姉さんの被っているマスクに手を伸ばす。と、
「触んじゃねぇ!!!」
「えっ? あうっ」
またしても頬に張り手を食らう。
「マスクなんて被ってねぇって言ってんだろうがこらっ!」
「だ、だって、被って……」
「これはこういう顔なんだよっ!」
なに言ってんだかわかんないよ、もう……。
姉さんがおかしくなったのは、あのマスクが原因に違いない。
恐らく、呪いのアイテムかなにかだろう。
あれを脱がせれば、姉さんは元に戻るはずなのだが……。
「とにかくそれ脱いで……」
「しつけんだよっ!」
「おごふっ!」
右腕を振り上げた姉さんの上腕が僕の喉を打つ。
痛い。
こんなに力が強いなんて知らなかったよ……。
「あ、ごめんなさいククル……」
正気に戻ったっぽい姉さんが心配そうな顔をする。
「だ、大丈夫……。あ、マスク……」
「とおりゃっ!」
マスクへ伸ばした右手首を掴まれる。
そこから跳んだ姉さんは、その腕を両脚で掴んで僕を地面へ倒す。
「いたっ! ちょっと姉さん……」
「いくぞーっ!」
「えっ?」
「うりゃあっ!」
「――いいーっだだだだっ!!!」
腕を反らされる。
「腕ひしぎ逆十字固めじゃーいっ!」
「いたいいたいいたいっ!!! 折れるっ! 折れちゃうからーっ!」
今までで一番に痛い。
気を失いそうだ。
「わしの顔に手を出す奴はみんなこうなるんじゃーっ! うははははっ!」
「わかったっ! もうっ! もうマスクに手を出さないからっ! 離してーっ!」
「マスクなんか被ってねーって言ってんだろうがこらぁ!」
「すいませんっ!! そういう顔ですっ! 僕が間違ってましたーっ!」
……ふっ、と手が楽になる。
「わかってくれればいいのよ」
ニコッと姉さんが温和に笑う。
……早くこの呪いを解かなければ僕は殺されると思った。
「どこへ行くのククル?」
僕は姉さんを伴い、ある人のところへ向かっていた。
「あの、少し前にここへ来た人間のあの人のところ」
「ああ、あの人ね。なんて方だったかしら? えっと……忘れちゃったわ」
その人はかつて勇者パーティにいたという男性だ。
勇者と共に旅をしていたほどの人ならば、姉さんにかかった呪いについてなにかわかるかもと期待し、その人の家へと歩を進めていた。
「でもどうして? なにしに行くの?」
「いや、ちょっと……」
マスクについて言及するとまた豹変するだろう。
僕は言葉を濁し、急ぎ足で歩く。
「困るわ。姉さん、これからバルクアップのために筋トレしなくちゃいけないのに」
「いや、姉さん魔法使いなんだからバルクアップいらないでしょっ!」
「魔法は古いわ。これからはプロレスの時代よ」
「ええ……」
プロレスってなんだ?
それよりも、魔法を大切にしていた姉さんとは思えない発言に僕は驚いた。
「ククルも、これからは魔法じゃなくてプロレスを学びなさい」
「いや、僕は……」
「姉さんがジャーマンスープレックスを教えてあげるわ」
「えっ? ジャーマンなに……あ」
背後から姉さんが僕の腹を抱く。
「そおおおおりゃあああああっ!!!」
「おあああああっ!!! ぐほっ!」
そのまま反り返った姉さんにより、僕の身体が地面に叩きつけられた。
「フォールとったどーっ! カウントじゃーっ! レフェリーっ! レフェリーはどこにおるんじゃこらーっ! はよカウントとれボケェ!」
叫び吼えるアネシス姉さん。
もう嫌だと、僕は逆さまになりながら涙を流した。
――なんとか姉さんを連れて、ようやく目的の家へとやってくる。
「あの、すいませーん」
ドンドンとドアを叩く。
……反応が無い。留守だろうか?
「困ったなぁ」
姉さんをこのままにはできない。
「ほっ、ふっ、はっ」
放っておくと腕立て伏せを始めてしまう。
以前は庭で本を読みながらハーブティを飲む姉さんだったのに……。
「限界だと思ったところからもう1回っ! さらにもう1かぁいっ! うっしゃ!」
これではマッチョ戦士である。
早く元のおとなしい姉さんに戻ってほしい。
それには、元勇者パーティにいた人の知識が必要なのだ。
「――ん? お、なんだククルとアネシスじゃないか。どうしたんだ」
「あ、おじさん」
家の裏から無精髭のおじさんが歩いてくる。
パッと見、冴えない中年の男性。
しかしこの人こそが、かつて勇者と共に旅をしていた……なんとかさんだ。
名前は忘れた。
村ではスローライフおじさんと呼ばれている。
「よかった。おじさんに聞きたいことがあって……これなんですけど」
「うん?」
「ほっ、ほっ」
膝を曲げ、伸ばす上下運動を繰り返す姉さんに視線を送る。
「……これは」
「そうなんです」
「おっぱい揉ませろーっ!」
「ええっ!」
突然、姉さんへと襲い掛かるおじさん。
「むっ! うんんんっ!」
「あ」
しかし、両手を伸ばすおじさんの腕は姉さんの両腋に捕らえられ、
「そおおおりゃっ!!!」
「うおんっ!」
反った姉さんに後方へ投げ飛ばされた。
…………
「……すまん。おじさん、おっぱいを見ると揉みたくなる病気なんだ」
「いやそれ、ただのセクハラ親父でしょ。やめてくださいよ」
家の中に通された僕達は、とりあえずイスに座った。
「セクハラじゃない。ちょっと大人なスキンシップだよ。おっぱい揉みたい」
「そんなことより姉さんのこれ、なにかわかりませんか?」
「うん?」
今はおとなしく座っている姉さんを指差す。
……と思ったらイスはなく、空気イスだった。
「……それはたぶん異界漂流物だ」
「異界漂流物?」
聞いたことがないアイテムだ。
「強い想いの篭った異界のアイテムが、次元を流れてこの世界にやってくることがある。アネシスの被っているマスクはその類だろう」
なんだかすごいアイテムのようである。
「アイテムには元の持ち主の強い念が篭っている。アネシスが変になったのはそのせいだな」
「どうすれば元の姉さんに戻せるんですか?」
「うーん……単純にアイテムを脱げばいいだけだが……」
隣の姉さんを見る。
「私は異界漂流物なんて装備してないわよ」
無理に脱がそうとすれば、痛い目に遭う。
僕はおじさんに視線を戻し、首を横に振った。
「それか念を晴らしてやることだな。元の持ち主はなにか満足できないことがあって、マスクに念を込めてしまったんだと思う。それを晴らせば脱げるだろ」
「念を晴らすって言われても……」
どうすれば晴れるのかわからない。
単純に、聞いてみればわかるのだろうか。
「すいませんマスクさん。あなたが満足できなかったことって……」
「ちょあああっ!」
「あだっ!」
脳天に手刀を食らう。
「ちなみにそれは覆面とも言う」
「いてて……。そうなんですか。異界のものにくわしいんですね」
「なにを隠そう、俺も異界漂流物を一個持ってるからな」
おじさんはどこからか、平たく四角い台に乗った短い棒を取り出す。
「リングアナとかいう奴が使ってた異界のアイテムだ」
「そうですか」
このおじさんのことはどうでもいい。
姉さんを助けたいのだ。
「すいません覆面さ……」
「しゃっ!」
平手打ちを食らう。
話にならない。まるで獣である。
「ま、腕の良い僧侶に除念してもらうのが手っ取り早いだろうな」
「……それを一番に教えてくださいよ」
殴られ損である。
しかし腕の良い僧侶か。
この村にはいない職業の者だ。
「どなたか心当たりはありませんか?」
「勇者のパーティに世界一の僧侶がいる。あいつなら除念できるだろう」
「ほんとですかっ!」
希望が見えた。
姉さんを元に戻せる。その嬉しさに僕は立ち上がった。
「すいませんおじさんっ。勇者パーティのいるところまで案内してくれませんか?」
「嫌だ」
「……」
「……」
間を置かずに拒否される。
そういえばおじさんは勇者パーティから追放されたと聞いた。
事情は知らないが、会いたくない気持ちもわからないでもない。
だが、こんな状態の姉さんを連れて、僕だけで勇者パーティを探すのは困難だ。
冒険に長けているであろう、おじさんの力はどうしても必要であった。
「お願いしますっ! 姉さんを助けるためにはおじさんの力が必要なんですっ!」
「嫌だ」
一考すらしてくれそうにない。
これは相当な理由で、おじさんは勇者パーティを追放されたのだろう。
「お願いしますっ!」
「嫌だ」
僕は立ち上がり、頭を下げて協力を求める。
しかしおじさんは、うんと言ってくれない。
「お願いしますっ! お願いしますっ!」
「嫌だ。だってあいつら俺のこと臭……」
「くさ? えっ? まさか臭いから追放されたとか……」
確かにおじさんは少し臭い。
ねずみの死体みたいな臭いがする。
おじさんは僕から目を逸らし、
「い、いや違う」
「だって今、くさって」
「違う。その……ついくさいセリフを言っちゃうんだよ俺は。君の瞳がベイビー」
「君の瞳がベイビーってなんですか。意味わかんないですよ」
やっぱり臭いから追放されたようだ。
まあこのおじさんが臭いのはいい。
それと冒険者としての実力は関係ないだろう。
「お願いしますおじさん。お礼はしますから」
「お礼? お礼か……。ならアネシスのおっぱいを揉ませてくれ」
「やっぱりセクハラ親父じゃないですか」
「嫌ならいいもーん。おじさん協力してあげないしー」
「ぐう……」
両手を頭の後ろに、上を向いて口笛を吹くセクハラ親父。
この顔ムカつくぶん殴ってやりたい、
……しかしおじさんの力は必要だ。なんとか説得できないものか。
「しゃおらっ!」
「あっ!」
不意に立ち上がった姉さんが、おじさんの首に自分の右腕を巻きつけ、締め上げた。
「ぶおっ! ちょ……なにおぶ……」
「スケベ親父がこらぁ! 揉めるもんなら揉んでみろおらっ!」
「ぐ、ぐるしい……。やば……死ぬ」
おじさんが姉さんの腕を叩く。
しかし、その腕は外れない。
顔を真っ赤にするスローライフおじさん。
涙目の視線が僕へ注がれる。
「……おっぱい揉みたいんでしょ。どうぞ。やってみたらいいじゃないですか」
「いや……無理。ごめん。俺……悪かった。協力する……から……だすけでーっ!」
これでいい。
予想外の展開だが、なんとか協力はとりつけた。
しかしどう助けるか?
それが問題だった。
「しゃーおらぁ! 落ちろこらっ!」
「ぐぶぅ……」
とりあえず姉さんを引っ張ってみる。
……蹴られた。
下手をすればこっちが襲われそうだ。
「そ……れ……」
「うん?」
おじさんがなにかを指差す。
その先には、鉄でできた兜と木槌があった。
「かぶ……と、たた……け」
言われた通り、僕は木槌を持って、鉄の兜をカンカン叩く。
すると姉さんはおじさんを腕から解放し、
「うおおおおおおおっ!!! しゃっ!」
と叫んで、両腕を高々と上げた。
「はあ……はあ……死ぬかと思った……」
おじさんは荒く息を吐く。
どうやら兜を叩くと姉さんの凶行が収まるようだ。
僕はなんとなく、もう一度、兜を叩いてみる。カーンと甲高いやたら良い音だ。
「しゃーっ!」
「うごっ!」
また絞め始めた。
叩くと始め、叩くと終わるようだ。
ふたたび兜を叩いて、姉さんを止める。
「はあ……はあ……」
「じゃあ、さっそく行きましょうか」
「は? どこへ?」
カン。
「しゃーっ!」
「ぐおおっ……。わかったっ! わかったがらーっ!」
こうして僕は姉さんと、快く協力を申し出てくれたおじさんを連れて勇者パーティを探しに出掛けた。
装備品としてさっきの兜を借り、僕はふたりと村を出る。
ぶかぶかな兜だが、無いよりはましだろう。
冒険なんて初めてだ。
少し……いや、かなり緊張していた。
「遠征なんて初めてね。どんなすげぇ奴と戦えるのか、姉さん今からわくわくだわ」
変なことを言っているが、今のところ姉さんはおとなしい。
このまま何事もなく、ついてきてくれればいいのだが……。
「勇者パーティは今ごろ、どの辺にいるんですかね?」
隣で鼻をほじりながら歩いてるおじさんに聞く。
「俺が離れたときは確か、四天王のサイジャックを倒しに行くとか言ってたな」
「サイジャックですか」
そいつがいるとされている砦は、ここからそう遠くない。
三日ほど歩けば辿り着ける距離だ。
運が良ければ、そこで勇者パーティに会えるだろう。
しかし、魔王軍の四天王がいる場所へと赴くのだ。
砦に近づくにつれ、強力なモンスターとの遭遇率は高くなる。
恥ずかしながら、僕は戦力にならない。
姉さんはこんなだしで、頼りになるのはおじさんだけだ。
「おじさん、なにも持ってないけど、戦いは大丈夫なんですか?」
「任せろ。俺にはスキルがある」
どんなスキルだろうか?
勇者と共に冒険をしていたほどの人が使うスキルだ。
さぞ強力なものなのだろうと、僕はおじさんを心強く思った。
「……うん? あれは」
「どうしました?」
おじさんは歩みを止め、身を低くする。
僕もそれに習い、屈んだ。
「あそこ」
「えっ?」
おじさんが前方を顎で指す。
目を凝らして良く見ると、先のほうになにかいる。
――クマ……じゃない。あれはモンスターだ。
「クマ型のモンスター、モリノベアンだな」
クマよりも細く、足が長い。力は弱いが、そのぶん素早くかしこい奴である。
しかし、あれは森によくいる弱いモンスターだ。それほど脅威ではない。
「どうしますか?」
「避けよう。こっちには気付いていないみたいだしな」
懸命な判断だと思う。
僕達は狩りをするために旅しているのではない。
姉さんを元に戻すためだ。
避けられるならば、無駄な戦いはしないのが無難だろう。
「あれ? アネシスはどこに行ったんだ?」
「えっ?」
振り返ると、うしろにいたはずの姉さんがいない。
まさかひとりで帰ってしまったのか?
なんにせよ、まだ遠くへは行っていないはず。
「ちょっと探してきますっ」
「うおおおおおおおっ!」
「えっ?」
姉さんの大声。
視線を前に戻すと、モンスターへ走り迫る姉さんが見えた。
「姉さんっ!」
急いで姉さんを追う。
「しゃーっ!」
「ああっ!」
走りながら飛び上がった姉さんは、両脚での蹴りをモンスターに見舞う。
「なんてことを……」
「このグレートヨサコイには、闘争はあっても逃走は無いんじゃーっ!」
「なにグレートヨサコイってっ!?」
「うっしゃーっ!」
叫びつつモンスターと向かい合うアネシス姉さん。
もうむちゃくちゃである。
こうなったらおじさんのスキルで助けてもらい……
カーンっ。
「あいたっ! なにをするんですかっ?」
木槌を持ったおじさんに兜を叩かれる。
「さあ始まりました。グレートヨサコイ対モリノベアン。実況はわたくし、スローライフおじさんがお送りいたします」
「おじさん?」
おじさんは例の平たい台に載った短い棒を手に、意味のわからないことをしゃべる。
「どうですか? 解説のククルさん。ヨサコイ選手の調子は」
「カイセツ? あ、いや……調子って聞かれても……」
「おおっと、まずは手四つで組みましたねー」
「えっ?」
見ると姉さんとモンスターがお互いの両手を掴んで、押し合うような形をしていた。
「姉さんっ!」
「ぐおおっ……」
姉さんは押し負け、膝をつく。
当然だ。
あまり強くないとはいえ、相手はモンスターである。
魔法使いの姉さんが素手で勝てるわけは無い。
「姉さんっ、魔法を使ってっ!」
「魔法なんて……いらねんだよっ!」
手を引き、姉さんはモンスターの顔面に頭突きを食らわす。
「があ……」
「これはうまい。モリノベアン選手、手痛いカウンターをもらって下がります」
「なにやってるんですかっ! 姉さんを助けてくださいよっ!」
呑気に状況説明しているおじさんにせっつく。
「あ……すまん。リングアナの念に捕らわれてた」
「そんなことより、早くおじさんっ」
「おう。ちょっと待ってろ」
おじさんは肩に下げている鞄からなにやらいろいろと取り出す。
「なにをするんですか?」
「俺の調合スキルで、アイテムを作るんだ」
丸い器に材料を入れ、棒で潰しだすおじさん。
攻撃スキルではなかったようだ。
しかし今はおじさんのスキルに期待するしかない。
「ああっ! 姉さんよけてっ!」
振り上がったモンスターの腕が姉さんを襲う。
「ぬうっ」
「姉さんっ!」
素早い一撃を受け、姉さんは後退する。
姉さんの装備している服は、薄い見た目だが防御力は高い。
雑魚モンスターの攻撃を一度受けたくらいでは、それほどのダメージは無いだろう。
が、姉さんはそもそも魔法使いだ。体力は多くない。
「ぐっ!」
「姉さん下がってっ!」
その場に根を下ろしたように棒立ち、攻撃を受け続ける姉さん。
なぜ下がらないんだ。
いくら高い防御力の服を装備していたって、あれではいずれ殺されてしまう。
手で身を守ることすらしない。
モンスターの攻撃はすべてその身に受けていた。
「下がってっ! 防御して姉さんっ!」
「そ、それはできないわ」
「どうしてっ!」
「レスラー……レスラーは下がったり身を守ったりした負けなんだっ! うらぁ!」
相打ちでモンスターの顔面を殴りつける。
駆け出した姉さんは、一瞬、動きを止めたモンスターの首に自らの右腕を引っ掛け、尻から地面に落ちた。
同時にモンスターも倒れ、小さく呻く。
「ネックブリーカーきまったあああああっ!!!」
と、おじさんは叫ぶ。
仰向けに倒れるモンスターの右足を掴み上げた姉さんは、
「いくどーっ!」
と、声を上げ、モンスターの右足膝裏に自分の左足膝裏をくっつけ、グルグルと回リ出す。
「続いてスピニングトーホールドがモリノベアンを苦しめるーっ!」
「ぐおおっ! うおんんんっ!」
姉さんが回るたび、モンスターが苦しげな声を漏らす。
なんだこれは……。
ぐるぐる回る姉さん。
回ることで苦しむモンスター。
なにかを調合しながら熱狂するおじさん。
異様である。
その状況に自分だけ取り残されいるような、そんな気になった。
ぐったりするモンスターから手を離した姉さんは、手近な木に登りだす。
「姉さんなにをっ!」
太い木の枝に立った姉さんは、なにを思ったかこちらに背を向けて飛び降りた。
空中で後方回転し、仰向けに倒れるモンスターへ体が向かう。
「ムーサルトプレスっ! 仕留めにかかったっ!」
だが、直前でモンスターが寝転がり、姉さんはそのまま地面に落ちた。
「うぐぐ……」
「あーこれは痛い。全身を地面に打ち付けてしまったー」
姉さんは起きない。
逆にモンスターはむっくりと立ち上がる。
あぶないっ!
このままでは姉さんがっ!
僕は意を決し、助けに向かおうとする。
「できたぞっ!」
おじさんの声。
その声に僕は振り返った。
「できましたかっ! それじゃあそれで早く姉さんを……」
「石鹸が」
僕はおじさんの首を絞めた。
「ぐえー」
「この状況を石鹸でどうしろってんですかっ!」
「ぐえー」
石鹸はツルンと滑り、おじさんの手を離れ姉さんの傍らに飛んでいく。
姉さんの手がそれを掴む。
「あ」
まさかあれを武器に戦うつもりだろうか?
無理だ。あんなものが武器なるはずはない。
それは姉さんにでもわかるはず。
ではどうしようというのか見ていると……
「……ええっ」
姉さんは石鹸を食べ始めた。
そして立ち上がり、モンスターと対峙する。
突進してくるモンスター。
それに対し、姉さんはモンスターの目に霧のようなものを吹いた。
「あーっ! 掟破りの石鹸噴射攻撃だーっ!」
「ええっ……」
目を押さえ、悶えるモリノベアン。
姉さんはふたたび木に登る。
またムーンサルトプレスとやらをやるのか。
と思ったが、今度は正面から飛び、モンスターの頭を両手で掴んでその後頭部に膝を押し当てる。
「うごっ……」
膝を乗せたまま、モンスターの顔面は地面に叩きつけられた。
……そして動かなくなる。
カンカンカンっ!
「カーフブランディングが完璧に決まり、モリノベアンを大地に沈めたーっ!」
僕の兜を叩きながら、おじさんははしゃぐ。
勝った姉さんは両腕を上げ、人差し指を空に向けていた。
――出会うモンスターすべてに挑みかかる姉さんを連れ、なんとかサイジャックのいる砦付近までやってくる。
「……なんか異様に疲れたわ」
「だろうね……」
最初のモリノベアンに始まり、姉さんは戦えば戦うほどに強くなり、四天王サイジャックの手下である上級モンスターもプロレスで倒せるほどになっていた。
「俺も喉が痛い」
「でしょうね」
おじさんは戦いの状況をあーだこーだ叫ぶだけで自身は戦わない。
これなら連れて来なくてもよかった気がする。
「で、勇者パーティはどこにいるんでしょうね」
「さあ。でも、手下がまだこの近辺をうろついてるってことは、サイジャックが生きてるってことだろうし、砦で待ってれば来るんじゃね」
「四天王のいる砦の中に行くんですか?」
「いや、入り口の辺りを張っていればいい。そのうちに勇者達が来るだろ」
それでも危険には変わりない。
ここには四天王の手下がうようよしている。
せめて姉さんが魔法を使ってくれればいいのだが……。
「姉さん、お願いだから魔法を使って」
「プロレスのほうが強いわ」
どうしたってそうは思えない。
現に、ここまでプロレスでモンスターと戦ってきた姉さんはボロボロだ。
魔法を使っていれば、こうはならなかった。
「頼むよ姉さん。プロレスが強いのはわかったから……」
「ククル……」
姉さんは困ったような表情を見せる。
変な覆面に覆われていても、中身はやさしい姉さんだ。
弟である僕の頼みは聞いてくれるはず。
「……わかったわ」
「姉さんっ」
「ちょっと姉さん、どうかしてたわ。……そうね。ここは危険だし、ククルを守るためにも魔法が必要ね」
温和な笑顔。
昨日の今日だと言うのに、この表情をひどくなつかしく感じた。
「俺も守ってくれていいぞ」
「でもなんだかうまく使えないのよ」
「じゃあ少し、練習してみよう。まずはえっと……火を出す魔法から」
火を出す基本の魔法だ。
普段の姉さんなら、容易に使える。
手を前にかざし、ファイアと唱えるだけだ。
「やってみるわ」
頷いた姉さんは手を前にかざ……さずに、なぜか人差し指を空へと突き立てて、
「ファイアーーーーーっ!!!」
と絶叫した。
「違うよ姉さんっ! それじゃファイアは出ないよっ!」
「ええ。でも気合は入ったわ」
「いや、気合入れなくていいでしょ今っ!」
「レスラーは常に気合を入れとかないと死ぬ生き物なのよ」
だめだ。
自分が魔法使いだったことを完全に忘れて、頭がレスラーに支配されている。
しかし僕は諦めない。
「じゃあ次は回復だよ。ヒール。ヒールを使って」
……なぜか頭をかじられた。
「か、雷の魔法、サンダー……」
「ライガーね」
「……」
「……」
……だめだこれは。
もはや姉さんというより、レスラーという謎の生物である。
その後もいくつか魔法の練習をさせたが、どれも使えなかった。
サイジャックのいる砦入り口前へと来る。
茂みに隠れ、近辺の様子を窺がうと、モンスターの姿が複数視界に入った。
「勇者達はまだ来ていないみたいだな」
「ええ……」
来ていれば、手下の死体が転がっていただろう。
ここで隠れて待っていれば、いずれ勇者が……
「おい、またアネシスがいないぞ」
「えっ?」
振り返り、左右を見るが姉さんの姿は無い。
……嫌な予感しかしなかった。
「うおりゃあああああっ!!!」
砦に向かって走っていく姉さんのうしろ姿。
襲い来るモンスターをバッタバッタとなぎ倒して、砦に入ってしまう。
「追いましょうっ!」
「追うしかないかぁ……」
気が進まなそうなおじさんの腕を引き、僕は姉さんを追って砦に入る。
砦の中は惨憺たる有様だ。
あちこちでモンスターが倒れている。
「アネシスがやったのかな?」
「まあ……そうでしょうね」
姉さんは戦えば戦うほど、プロレスのレベルを上げて強くなる。
今となっては、モンスターの集団など物の数ではないのだろう。
魔法使いだった頃より強くなってるかも……。
そんな怖いことをふと考えた。
走って砦を進むも、姉さんの姿は見えてこない。
あるのは倒れたモンスターばかりだ。
やがて最奥と思われる部屋の前に来ると、ようやく姉さんに追いついた。
「ね、姉さんっ!」
「あらククル。遅かったわね」
「お、はあ……俺もいるぞ」
走ってきたもんで、二人してぜえぜえと息を吐く。
が、モンスターを倒しつつここへ来たであろう姉さんはケロリとしていた。
「ここに一番、つえー奴がいるみたいよ。アックスボンバーで仕留めたモンスターに聞いたわ」
姉さんの指差す方向には、中ボスみたいなモンスターが泡を吹いて転がっている。
「今から戦ってくるわ」
「い、いや、だめだよ姉さんっ! ここには四天王のサイジャックが」
「サイジャックがなんじゃーいっ! わしが最強じゃーっ!」
扉にタックルをかまして姉さんが部屋へと突っ込んでいく。
「ふ、ふ、ふ……よくぞ来た勇者……あれ? なんかちがおぼぉっ!」
「あっ!」
駆ける姉さんの右上腕が、サイジャックらしき男の首を襲う。
「いきなりアックスボンバーが炸裂ぅぅぅ!!!」
あれがアックスボンバーのようだ。
サイジャックは後方へゴロゴロと転がり、柱に頭をぶつける。
「み……見事だ。しかし俺は四天王の中でも最弱。他の奴等には勝て……」
「うおおおおおおっ!」
雄叫びを上げながら、姉さんはサイジャックの頭を踏みつけた。
なんてこった。
あの四天王を一撃でのしてしまったぞ。……だがプロレスでだ。
喜んでいいのか悲しんでいいのかよくわからなかった。
「――あら?」
「えっ?」
知らない声が背後から聞こえる。
振り返ると、男女四人の武装した集団がそこにいた。
「サイジャックが倒されちゃってるよ」
「ほんとですね。砦のモンスターもあの人がやったのかな」
僕とおじさんの脇を抜け、集団がボスの部屋へと入っていく。
……その中にひとり、妙な人がいたことを僕は見逃さなかった。
が、それはとりあえず置いておく。
「おじさん、もしかしてあの人たち……」
「ああ。――おおーい、イサーシャ。俺だ」
「うん?」
集団の全員が振り返る。
その中のひとりである、若い女性が前に進み出てきた。
妙な人とはこの人だ。
なんでかわからないがこの人、姉さんと同じような覆面を被っている。
「もしかしてこの方が勇者さんですか?」
「ああ。勇者イサーシャだ」
なぜ彼女は覆面を被っているのか?
聞いていいのかどうか、少し戸惑う。
「ひさしぶりだなイサーシャ」
「私は確かにイサーシャだけど……おじさん誰だっけ?」
かつて仲間だった者に対し、知らないとはなんとも辛辣な態度である。
よほどおじさんの臭いが嫌だったのだろう。
わからないこともないが、ちょっとひどいと思った。
「俺だ俺。ほら」
「……勇者さん」
うしろから僧侶っぽい女性がイサーシャに声をかける。
「あれですよ。ほら、勇者さんの胸を揉ませろって、ずっとうしろからついてきてたあのくっさい変態親父」
「……ああ」
仲間じゃなかった。
「ちょっとおじさんっ。勇者パーティにいたんじゃないんですかっ?」
「ああいたぞ。うしろについて」
ただの変態ストーカーじゃないか。
なんかこのおじさんと一緒にいるのが恥ずかしくなってきた。
しかしまあ、勇者パーティには出会えた。
これで姉さんを元に戻せる。
「あ、あの勇者さん、僕ククルって言います。あなたの仲間の僧侶さんにお願いがあって、勇者さん達を探していました」
「お願い?」
と、僧侶っぽい人が呟く。
「僧侶は私ですけど……。うん。お願いってのはもしかしなくても、あれですよね」
僧侶さんがチラと見た方向では、姉さんがサイジャックを肩に担いでグルグルと回っていた。
「こんなんじゃ足りねえぞおらぁっ!」
「ね、姉さん。……はい。あれです。すいません……」
今まで姉さんを誇りに思っていた。
恥ずかしく思ったのは初めてである。
「……悪いですけど、あれは私じゃ治せません」
「そ、そんな……」
「治せるなら、こっちを先に治してますしね」
僧侶さんがさした指の先にはイサーシャがいた。
「あ、勇者さんの覆面ってやっぱり……」
「私は覆面なんて被ってないけど」
「これなんですよ」
どうやら、イサーシャも姉さんと同じ呪いにかかっているようだ。
「あなたの姉さんが被っているマスクは、その変態親父からもらったんですか?」
「えっ? どうしてですか?」
「あれは元々、勇者さんが拾ったもので、追い払うときに変態親父が盗んで行ったんです」
「……」
僕はおじさんを見る。
「そんな目で見るなよ。イサーシャのパンツだと思ったから盗んだんだ。そんで庭で眺めてたら、風で飛ばされて、探してたところにお前らが来た。アネシスが被ってるのを見て、パンツじゃなくて覆面だって気付いたけあがっ!」
「おらぁっ! この変態親父がっ!」
イサーシャがおじさんの頭を掴んで頭突きをする。
「お前のせいかーっ!」
「ぐえー」
そして僕はおじさんの首を絞めた。
「……はあ、はあ」
死んでしまうかどうかというギリギリのところで、おじさんの首を離す。
こんなことをしていても姉さんは元に戻らない。
「どうにか元に戻す方法はありませんか?」
「そうですねぇ……。私もいろいろ考えてはみてるんですが」
と、そのとき、姉さんがサイジャックを放り投げてこちらへと歩いてきた。
「あ、姉さん」
姉さんはイサーシャの前へ来る。
そして彼女に顔を近づけ、睨み始めた。
「ちょ、ちょっと姉さんっ」
腕を引くも、姉さんはピクリとも動かない。
まるで大きな岩のようだ。
「あん? なに見てんだこらぁ?」
「んだこらぁ? なんだてめえこらぁ。やんのかおらぁ」
なぜか一色触発の空気が漂う。
「レ、レスラー同士が出会ってしまった……。戦いが始まるぞ」
おじさんの言う通り、姉さんとイサーシャがお互いの頬を交互に叩き始めた。
「勇者がこんなもんか。たいしたことねーな」
「お前の張り手なんかお前、蚊に刺されたぐれーだぞこれ」
二人を中心に、皆が離れていく。
やがて姉さんが、イサーシャの足を蹴った。
「マスク剥ぎデスマッチじゃーーーーーっ!!!」
「おうこらっ! やったろうじゃねぇかっ!」
大変なことになってしまう。
姉さんと勇者イサーシャが、プロレスを始めてしまった。
二人はお互いの両手をつかみ合い、グイグイと押し合っている。
おじさんが言っていた手四つというやつだ。
両者一歩も譲らず、押し引きの応酬を繰り広げていた。
「と、止めないとっ」
相手は勇者だ。
いくら姉さんでも、このまま戦えば大怪我を負ってしま――
カンッ
兜を叩かれる。
「あいたっ。ちょっとおじさんっ!」
「さあ、始まりました。グレートヨサコイVSマスク・ザ・勇者。実況はわたくし、スローライフおじさんがお送りします」
「そんなことしてないで、一緒に止めてくださいよっ!」
「止められると思うのか? あれを」
つかみ合った状態から姉さんが手を引く。
以前に見せたカウンターの頭突き。しかし、寸前で頭を掴まれ、逆に頭突きを食らう。
「姉さんっ!」
前屈みによろめいた姉さんの首をイサーシャが右腕に捕らえ、持ち上げて後方へと投げる。
「いきなりブレーンバスターだ。大技ですねぇ」
「ああ……」
背中を強く打った姉さんだが、痛くないのかすぐに立ち上がった。
地面は硬い。
痛くないなんてことはないだろう。
あんなものをなんども食らえば姉さんは大怪我を……下手をすれば死ぬことだって。
「僧侶さん、仲間の皆さん、姉さん達を止めてくださいっ! このままじゃ……」
「ああなった勇者さんを止めるのは私たちでも不可能です。あの状態の勇者さんは、魔物の軍勢、およそ一万をたったひとりで葬ったくらいですから」
「そんな……」
進む僕の肩を僧侶さんが掴む。
「近づかないほうがいいです。あなたが死にますよ」
「姉さん……」
重そうに足を踏み出す姉さん。
やはりダメージはありそうだった。
チャンスと見たのか、その足をイサーシャが身を低くして取りに行く。
「お、マスク・ザ・勇者、グレートヨサコイの足に行く」
が、姉さんは足を上げ、
「おらぁ!」
イサーシャの顔面を踏むように蹴る。
それから姉さんはイサーシャを逆さに抱え上げ、
「パイルドライバーだぁぁぁ!」
頭を自らの股に挟んで脳天を地面へ落とす。
あれは痛い。もしかしたら殺してしまったのでは……。
しかし、倒れ伏すイサーシャはピクリと動き、
「うーん……うーん……よしっ。痛くないぞ」
ケロリと起き上がった。
さすがは勇者と言われるだけはある。常識を超えた丈夫さだ。
「おりゃあああああっ!!!」
突っ立つイサーシャ。
そこへ姉さんが頭から突撃していく。
「があっ……うっ」
「む、ぐっ……」
なんと、それをイサーシャは先程、強打した頭で姉さんの頭突き受ける。
お互い頭を押さえてよろめき、数歩と下がったが……
「おらぁ!」
「らぁっ!」
同時に駆け出し、またしても頭をぶつけ合う。
お互い、フラフラだ。
だというのに、どちらも倒れず、走り出して三回目の頭突き合いをする。
一体、あの人たちはなにをやっているんだ……?
頭突きを避け、背後にでも回れば有利に戦えるだろう。
それをせずに、自らもダメージを食う頭突き合いをするなど、非合理的な戦い方だ。
意味がわからない。
あまりに馬鹿げている。
「おーっと、またしても頭と頭が激突する。これで四度目。しかし両者、倒れない。これは頭だけではありません。意地と意地とのぶつかりあいだ」
「おじさん、姉さんたちはなんであんな戦い方を……。おかしいですよ」
「あれがレスラーという生き物なんだよ。勝つだけが目的じゃない。熱い戦いを魅せるために、ああやって全力で体を張るのが本物のレスラーってやつなんだ」
「熱い試合……」
五度目の頭突き合い。
「姉さんっ!」
あまりに痛々しい光景に、僕のほうが倒れてしまいそうになる。
だが、当の姉さんとイサーシャは、マスクを血で汚しながらも、両足はしっかりと地面を踏みしめていた。
「うおらあああああっ!!!」
「ずあああああああっ!!!」
そしてまたぶつかり合う。
ゴンと、大きな音が部屋中に響き渡る。
勇者のイサーシャは当然としても、魔法使いの姉さんが互角に張り合うのはすごい。
つい最近までは、なよっとしていた姉さんが、今では肉体派戦士だ。
――7度目。
それでも両者共に倒れない。
どちらかが死ぬまでこんなことを続ける気か?
だめだ。姉さんは僕にとって大切な家族で、勇者イサーシャは世界に必要な人物だ。
こんなことで死なせるわけにはいかない。
やめさせなければ。
僕は足を一歩、踏み出す。
……しかし、それ以上は進まなかった。
「があああああああっ!!!」
「づあああああああっ!!!」
怖いのではない。
止めてはいけないと、そんな気がしてしまったのだ。
八度目のぶつかり合い。
それでも、立ってにらみ合える二人の精悍なレスラー。
一体、どっちが先に倒れるんだ。
僕は胸に熱いものを感じ……わくわくどきどきという感情が湧いてしまう。
「姉さん……」
マスクの下からは、血が流れ首を赤く染めている。
それでも姉さんは、口元に笑みを浮かべていた。
「イサーシャっ! イサーシャっ!」
勇者パーティが仲間の応援をしている。
魔物との戦いではない。これは世界平和となんら関係のない、無意味な戦いだ。
それを止めようともせず、必死に応援している彼らはなんなのだ?
「九度目の激突ぅぅぅ! それでもっ! それでも倒れないっ! 頭蓋骨が砕けるその瞬間まで、二人の獅子は意地を張り合うのでしょうかっ!」
おじさんの声にも熱が入る。
「俺は四天王の中でも最弱。最弱ゆえに、あこがれる強さだ。どっちもがんばれ。最弱の俺が最後まで見届けてやろう」
そしてサイジャックもが、戦いに魅入られていた。
僕以外の全員が、熱狂しているこの馬鹿げた戦い。
とり残された僕は、どうするべきかわからずに呆然とした。
「ぐっ……」
「あ……姉さんっ!」
十度目の激突。
とうとう姉さんが膝をつく。
「グレートヨサコイっ! ついにダウンだっ! しかしマスク・ザ・勇者は止まらないぃぃぃっ!!!」
蹲り、動けない姉さん目掛けてイサーシャが突撃する。
「ね、姉さん……」
「むぐぅ……」
「姉さんがんばれ……」
「……」
「姉さん立ってっ! 負けないでっ!」
僕は叫んだ。
「っ!」
――すると姉さんはよろりと立ち上がり、イサーシャの頭突きを額で受けた。
その状態のまま、膠着する両者。やがて……
「……ぐはっ」
ずるりと滑るようにして、イサーシャがうつ伏せに崩れる。
「やったっ! ……あっ」
が、遅れて姉さんも仰向けに倒れた。
シンと、部屋中が静まり返る。
先に立ち上がったほうが勝つ。
誰が言わずとも、僕はそう理解した。
皆も僕と同じ思いに至っているだろう。
「姉さんっ! アネシス姉さんっ!」
「立てーっ! 勇者さん立てーっ!」
静寂に満ちていた部屋が一転、声援に湧く。
「グレートヨサコイとマスク・ザ・勇者っ! はたしてどちらが先に立ち上がるのか? わたくしにもまったく予想ができませんっ!」
「姉さん立ってーっ!」
姉さんはきっと勝つ。絶対に。
その想いが通じたのか、姉さんが地面に肘をついて上体を起こし始めた。
「姉さんっ!」
「あ……しゃっ!」
そして、あぐらをかいて座る。
ふらつきながらゆらゆらと、膝を押さえて立ち……
「あっ!」
その間に、イサーシャも腕立て伏せのように上体を持ち上げ始めた。
「勇者さんっ!」
「おう……ぐ」
「ああ……」
イサーシャはしゃがみの体勢へとなり、膝を伸ばす。
両者は同時に立ちの姿勢へと戻り、ふたたび向かい合う。
「はあ……はあ……」
「ぐっ……はあ……ああ」
だが、やはり勇者と魔法使いだ。
姉さんのほうが、明らかに疲弊していた。
「ああああああああっ!!!」
「おあああああああっ!!!」
十二度目の頭突き合い。
――だが、今度ばかりは展開が違った。
「っっ!」
イサーシャが姉さんの頭突きを避け、背後に回った。
そして無防備なその首を右腕で捕まえ、自らの両掌を組んで締め上げる。
「チョークスリーパーが完璧に決まったぁぁぁ!!!」
「ぐ、うう……ああ」
ギリギリとイサーシャの右腕が姉さんの首に食い込む。
歯を食い縛って、耐える姉さんだが……
「う……う……がふ……」
いよいよガクリとうな垂れた。
その瞬間、僕の被っている兜がカンカンと叩かれる。
「グレートヨサコイ落ちたぁぁぁ!!! 勝ったのはマスク・ザ・勇者だっ!」
姉さんを解放した勇者が両腕を高々と上げる。
負けてしまった。
自分のことではないというのに僕はとても悔しくなり、その場に膝をつく。
だが、姉さんは最後まで意地を貫き、頭突きで勝負をしようとしていた。
試合には負けたが、戦いに勝ったのは姉さんだ。
それをイサーシャもわかっているのか、ややうな垂れているようにも見えた。
「さあ。この試合、マスク剥ぎデスマッチということで、これよりグレートヨサコイ選手のマスクが剥がされます」
「えっ?」
倒れる姉さんの顔に、イサーシャの手が伸びる。
「や、やめろーーーーーーっ!!!」
無意識に僕はそう叫んだ。
姉さんにマスクを脱がせる。
それが僕の望みだったはずなのに、なぜそう叫んでしまったのか?
わからなかった。
僕の不可解な思いは良くも悪くも通じず、イサーシャの手が姉さんのマスクを剥ぐ。
何日かぶりに、素顔の姉さんがそこに現れた。
………………
それからイサーシャたちと別れ、僕らは村へと帰ってくる。
どれほど経っただろうか? あの出来事から幾日かの時が流れた。
マスクが脱げ、奇妙な念から解放された姉さんだったのだが……
「どりゃあっ! おらっ!」
「ぐほっ!」
プロレスの素晴らしさに目覚めたとか言い出し、村の若い連中を強引に勧誘してプロレス団体を立ち上げた。
僕も漏れなく入団させられ、毎日のように投げられている。
「だめよククルっ! そんなんじゃベルトは狙えないわっ!」
「なにベルトって……」
庭に造られたリングという囲いの中で、僕は仰向けになって姉さんを見上げていた。
温和だった姉さんはもういない。
あれだけ穏やかだったのが、今では破壊王と村では恐れられている。
その一方で、その豪胆さから頼られてもいた。
「ア、アネシスさんっ! 大変だっ! オークの軍団が村の入り口にっ……」
「あら大変だわ。ククル。ちょっと行ってくるわね」
「あ、うん」
姉さんはものすごいスピードで村の入り口へと駆けて行く。
かつては華麗な魔法でオークを葬っていた姉さん。
今は苛烈な攻めでオークにスープレックスを決め、フォールを取る姉さんとなった。
これでよかったのか?
僕的にはよくない。
しかし、姉さんのほうは以前よりも生き生きとしている。
毎日が楽しそうだ。
姉さんを魅了したプロレスという格闘技。
レスラーという奇怪な生物。
異界はあんなのまみれていると思うと、ゾッとした。
起き上がり、村の入り口がある方角を見つめる。
気合の入った姉さんの大声と共に、オークの悲鳴が聞こえた。
……ちなみにスローライフおじさんは、ただのスケベ親父ということがバレ、セクハライフ親父と、村で煙たがられるようになった。
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