Chapter: 0 Yes, I am your reaper.
来るはずのない朝が来て、ふと、自分は戻れない何かになったのだと悟った。
それが覆るのなら、命はもう命じゃないから。
「あ。お目覚めですか?」
「……ああ、うん。不思議なことにね」
座り込んでいた地面から立ち上がり、ズボンの土を払った。冷たい。いつもの、島の土だ。
視界の正面に浮いてる声の主が異常なのはわかりきっているから、他から情報を得てみる。
彼女の背には、高さ十メートルほどの時計塔。風力発電のプロペラみたいな三枚羽がついていた。そして、彼女と時計塔の後ろには、飲み込まれそうなほど大きく澄んだ海が広がる。
まるで世界の終わりまで繋がっていそうだと、そんな錯覚をもたらす海は、沈みかけのオレンジを仲人にして、共に赤紫色となった空と幸せな結婚を果たしていた。
黄昏時。あるいは、北欧における白夜にも似ている気がした。
一番の驚きポイントは、雲一つないのに雪が降っているところだが。……さて。
「なあ、君。三つほど質問していいかな?」
目の前の少女に向かって問いかける。
「ス、スリーサイズですか?」
「はは、一部分につき一問か。それも悪くはないけど、やめておくよ」
面白い女の子だ。そんなに好色そうな外見かな?
「よし、じゃあ早速。ちょっとファンタジーが入っているけど、ここは俺がふだん住んでいる有架島で間違いないかな? 場所は、北端の時計塔だ」
黄昏の色に染まる空と海と時計塔を再度見渡して、手のひらに雪を迎えながら言った。
「あ、はいっ。その通りです。場所はあってるんですけど。えーっと、何と言いましょう……」
「現実ベースの異空間、って感じなのかな?」
「あ、そーですそーです! それ! 冴えてます! そういう感じでお願いします!」
女の子は片手に持ってる鎌を一瞬放して、ぱちんと両手を叩いてから、「それ!」みたいな感じで右手で指差して来た。何だこの子。
「そういう感じとは、また仕事がずさんだね。まあ、親近感は湧くけどさ」
とりあえず、5W1Hで言うところのWhereは確定したということで。
有架島。
左が欠けた三日月のような形をしたこの島を、本土の人間は月島と呼んだりもする。
島は人口三千人程の小さなもので、自転車を十時間ほど漕げば一周できるほど。また、島は比較的緯度の高い位置にある。そのせいで、今のような真冬の時期ともなると、島は平気な顔して氷点下を連発してくる。えげつない。
「OK。じゃあ残りの二つだ。今度は、二つ同時に聞こうかな」
「はいっ。どうぞ」
そう言うと、目の前の女の子は、身体と同じくらい大きな三日月の銀の鎌を、真っ直ぐな身体に対し、鋭角四十度くらいの斜めの位置に両手で構えて、少し笑った。
鎌を持つ下の手は素手で、上の右手だけに真っ黒な指出し手袋をはめている。
そんな彼女の装束は、同じく闇を集めたような漆黒のローブだ。
触らなくてもわかる、きめ細やかで柔らかそうな紫の長髪は一つに纏められている。
彼女は、ローブに付いてるフードを着ていない。だから、顔立ちがよく見えた。
瞳に髪と同じ紫を宿した双眼は丸く、ころっとしたアメジストをはめ込んだみたいだ。
顔立ちから受ける印象は幼い。身長も低めだ。推定十四、五歳といったところだろうか。
俺に対する会話の受け答えも、あどけない少女の印象を補強する。
俗に言う、『おそろしい』のイメージからは程遠い。
ただ、だからといって、彼女が放つただならぬ存在感が消えるわけでもない。
僅かにつり上がった幼い唇には、確かな魔性が混じっていた。
小さな魔女。あるいは。
「君、何者だい?」
「………………」
「そして三つ目。俺の記憶が確かならさ」
確かに決まっているのに、わかりきっていることを口にした。
「俺、ついさっき、死んだはずだよね?」
「はい。……誠に申し訳ないんですけど、その通りです」
力強く頷く小顔に、悲壮に類するものは見受けられない。
代わりに、輝くような紫の瞳がある。まるで、使命に燃えるような。
彼女は手袋のついた右手で拳を作り、自分の心臓に押し当てて、言った。
「それじゃあ、遅くなりましたけど自己紹介を。……わたしは、レイ」
「あなたの、死神です」
不思議とその言葉に違和感はない。地球って丸いんですよねと言われた気分だ。
それぐらい、彼女の特異な存在感には説得力がある。
「なるほど、信じよう。それにしても、死後の世界があるとはね。ということは、魂もあるのかな? デカルト歓喜だね。教えてあげたい。あ、でも死んでしまったら教えられないか」
「……あ、あのー? 落ち着いてますね?」
「まあね。それより、地獄ってあるの? あるとしたら和風なの? 西洋風なの? 死後も国籍って絡むのかな? エジプト人の量刑判断ってやっぱり秤? それとも現代はアプリで?」
「え、えっと。黙秘します! 天界のことは、死者に教えちゃダメなんですっ」
「まさに死人に口なしだ。コンプライアンス、しっかりしてるんだね。君は公務員? サラリーマン? あ、でも手際の悪さが派遣っぽいね。交通費はもらったかい?」
「う、うるさいです! 六文銭あげるんで、一回黙ってもらえませんかね!」
「俺はもう、死んでいる……」
北斗風に呟くと、鎌がテイクバックを取っていたのでさすがに黙った。
「あーもう! 本っ当面倒くさい人ですね! こんなの、予想外です……」
レイと名乗った少女は、なぜか疲弊している。
「人の迷惑とかあんまり考えられなくてね。仲良くしようよ」
「……もしかして、生前もずっとそんな調子だったんですか? そりゃ撃たれますよ!」
「そんなことよりこの状況の説明、まだ? 時給泥棒はダメじゃない?」
「誰のせいだと思ってんですかあっ! あなたがぺらぺら喋るからですっ!」
今度は半泣きになっている。喜怒哀楽がはっきりしている子らしい。羨ましくて、黙った。
「ふう……。では、一緒に見ていきますね。あれ、見てください」
そう言って、彼女は自分の背後にある時計塔を指さした。
黄昏に立つ、消しゴムのように真っ白な時計塔は、チェスのポーンみたいな形をしている。
時計を飾る頂点の球の部分は、満月の形を意識しているようにも見える。
その裏から三枚の羽根が生えて、反時計回りに回っていた。
風向きとは逆だ。雪の件とあわせて、かなりファンタジー。あと、時計も変だ。
「0、1、2、3、4……。数字は四つ、ですね。だったら、スタートは四日前ですね」
そう、数が違う。北端の時計塔は、円型のオーソドックスな時計だったはずだ。
だというのに、この時計には数字が五つしかない。
ゼロを頂点として、四までの数字が正五角形を描くように、バランスよく配置されていた。
短針はない。古ぼけた数字のゼロを、黒曜で出来たような長針だけがハッキリ示している。
「雪白一人さん。あなたに、提案があるんです」
「……へえ。まずは、聞くだけ聞いてみようかな」
そう言うと、彼女は「ありがとうございます」と言って、うやうやしく頭を下げた。
「あの、生き還ってもらえませんか?」
唐突。反射で「なぜ?」と応える。
「過去を、変えたいんです。だから。わたし、あなたを利用しに来ました」
「……へえ」
こういう直球な言い回しは、比較的好みだ。だから、黙って聞いてみよう。
「まずは一緒に見てください。そして、思い出してください。あなたの運命の五日間を」
彼女は紫の髪の毛を揺らして、右の拳を天にかざした。
世界は曖昧の化粧をするみたいに、視界の隅から白くモヤがかかっていく。
「取り戻してください。あなたの、心を」
俺の意識は、その声と共に、何かを俯瞰するように浮かび上がっていった。