F1201号室 林さん>>Scene.08
「よう、ボーズ」
突然背後から低い声をかけられたコータは、思わず隣の看護師にしがみついた。谷脇は看護師に軽く頭を下げた。じゃあまたね、と立ち上がった看護師にコータが話しかけようとしたが、谷脇が突然隣に座った事で阻まれてしまう。コータは俯いたまま、ズボンをぎゅっと握り締めた。
「随分綺麗になってっけど、お前が片付けたのか?」
谷脇はそう言うと、カツカツと靴で床を鳴らしてみせた。数秒間を置いて、コータはこくりと頷いた。
「……お店の人と一緒にやった」
おどおどしつつも返事をした相手に、谷脇はそうかそうか、と大袈裟に喜んでみせた。やるじゃねーかボーズ。そう言ってコーヒーとケーキをオーダーする。
目の前に置かれたケーキにどうして良いか分からないコータ。谷脇はほんの少し前に自分に向けられた威勢の良さを思い出した。そして今、隣に座る色の無い瞳と縮まった体。二つを重ね、ひたすら笑いを堪えた。
「あそうそう、このケーキ、お前の父ちゃんからだぞ」
「えっ?」
父ちゃん、と聞いてふっと活力の戻って来た子供の手に、谷脇はすかさずスプーンを握らせた。コータはおずおずと食べ始めた。
「……ねぇ」
「ん?」
「ママ、何で呼ばれたの?」
「さぁ何だろな。父ちゃんに聞いたけど、俺にはナイショだってよ」
「パパ、ここに来る?」
「んー……父ちゃんはこの後反省室だ」
「ハンセイシツ?」
「悪い事した人が入る部屋の事」
コータの顔がみるみるうちに曇る。
「ぼくのせい?」
「いんや。お前の父ちゃんのせいだよ」
「……」
「ジョーシの約束を守らなかったんだ」
「……パパ、怒られる?」
「誰に?」
「……」
「俺は谷脇って名前だけど」
「……たにわきジョーシ、パパの事怒る?」
「おぅ。もう怒った」
コータの目から今にも涙が落ちそうになる。
「でもさ、お前だって約束破られたら怒るだろ」
「そだけど」
「だから俺も怒ったの。怒ったけどさ、」
谷脇はそう言うと、コーヒーをテーブルに置いた。
「お前の父ちゃんが嫌いだからとか意地悪しようとかで怒ったんじゃないぞ」
「……」
「父ちゃんと俺は、バイキンをやっつける薬を毎日毎日一生懸命作ってるんだ」
「……」
「すっごく大変で、辛くて、逃げたくなるような怖い事もやらねーとだけど、すっごくすっごく大事な薬だから、どうしても作らないといけないんだ」
「……」
「父ちゃんはな、ボーズとママの事すっごくすっごくすっごく大事だから、バイキンに意地悪されたら悲しいから、やっつける薬が作れるまでは逃げないって言ってたぞ」
「……」
「でもな、それもあと少しだ。父ちゃんが作ってる薬、もうすぐ出来る。だから、もうちっとだけ父ちゃんに頑張らせろ。そんで、もうちっとだけ、ボーズも父ちゃんを応援しろ」
懸命に堪えても音無く落ちた小さな雫。
大柄な男が、これまた大袈裟なジェスチャーでケーキをもう一つオーダーした。
◇◇◇◇◇