F1201号室 林さん>>Scene.07
「過度の負荷はまずいと言ってありましたよ?林さん」
ベッドに横たわっている男に向かい、谷脇は穏やかに話し掛けた。すみません、と起き上がろうとする動作をそっと制止する。
「製薬会社の社員、だったんですね?」
「それは……」
「初めて聞きました。看護師連中は知ってるみたいでしたけど」
「本当に、すみません」
「遠慮せず教えてくれてれば良かったのに。不本意な事に私、息子さんの中で貴方を家に帰さない鬼上司になってました」
「コータがそんな事を……?!」
「幼稚園のお友達ですかね?仕方ないです。あれ位の子供はどんどん知恵を付けますから」
はい、と小さく浅い呼吸を一つ。林は目を閉じた。
「だから、コータに、息子には言えなかったんです」
「そうでしょうねぇ」
「本当に、申し訳ありません」
「子供の言った事ですよ。不問です」
谷脇はうんうん、と頷くと、青白い顔を一瞥してため息をついた。
病気と言う単語は、『死ぬ』と『治る』、と。真逆の意味を持つ言葉がセットになっている。
子供と言うものは、大抵が無邪気で残酷な生き物だ。意味の分からない言葉を吸収し、その意味の重さを知る前に吐き出す。
コータの父親が病気だと言う事実も、谷脇がかつて幾度となく接して来たそれに重なった。
事実を知った周囲の人間は大半が同じ事を言う。『かわいそう』『大変だわ』『治ってほしいわね』……『治るのかしら』
残酷な疑問が飛び出す。『治らなかったらどうなるの』と。聞かれた方は言い淀むだろうが、その先にある答えは当然、『死』だ。
『死』に癒着している様々な重さは、子供の手では掬いきれない。子供は塵ほどの悪意も見せずに言う。
『ねぇコータ?コータのパパって、病気で死んじゃうの?』
「大人にだったら『空気読め!』位言えるんですけどね」
ただの風邪の人にも言うだろうし、本当にそうなるかもしれない人にも言ってしまう。その無邪気さが空恐ろしい。
「林さん、私はね。中途半端に騙すのは良くないと思ってるんです。特に我が子はね」
「…………」
「これは、私の経験上の、独断と偏見に満ちた独り言です」
「え?」
「最後まで製薬会社社員を貫き通しなさい」
穏やかだが、異論を認めない重い響きに、はい、と林はか細い声で返した。我が子の声が耳について離れない。『ママの嘘つき』。閉じた瞼がじわり熱くなった。逃れるかのように、救いを求めるかのように、林は声を絞り出した。
「……先生、私、治りますか」
「いきなり話題を変えましたね」
「…………」
「まぁ無理ないか。さっきのあれは、過去に無い激痛だったでしょうから」
「私が死んだら、妻は一生嘘つきになってしまいます……」
「まぁ、そうなりますね」
「…………」
「でもまぁ、そうそう死なないですけどね」
林は耳を疑った。慌てて目を開け、言葉の主を捉える。谷脇がカチリと、ボールペンをノックした。
「おーっと雑談は此処までです。今数値を記録しました。ざっと見た感じですけど、リハビリ開始が数日伸びた位じゃないですか?」
「で、でも、」
「ですから痛いのは、私の言いつけを守らなかったからです。言い方悪いですけど、切り刻まれてるんですよ身体を。」
「…………」
「それじゃ、奥様呼びますね。時間外ですけど気にしないで。ももたろ……じゃなくてコータ君は手の空いてる誰かとカフェで待っててもらいますから、じっくり話して下さい」
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