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F1201号室 林さん>>Scene.05



「コータ!パパに無理言わないの!」

「やだ!」

「コータ!」

「やだ!ママの嘘つき!昨日はパパ帰って来るって言ったじゃん!」

「だからそれは、」

「嘘つき!」


母親は言葉に詰まった。騙そうとか、その場限りの言い訳などではなかった。強いて言えば、自身の強い願い。それがつい出てしまったのだろう。


「ママの嘘つき!!」


子供は全身を使って怒りを表現する。巻き込まれた水筒が、派手な音と共に転がり跳ねた。栓が緩んでいたのか残っていた中身が飛び散る。


「いい加減にしろコータ!」


父親が堪り兼ねて大声で制した。滅多に見せない、父親の怖い一面。それに久方ぶりに触れた子供の体がびくん、と竦んだ。


「ママに謝るんだコータ」

「……」

「コータ、」


子の名を呼ぶ男の声は掠れ、ゼイ、と呼吸に不協和音が混ざった。あなた?と妻の唇が震える。


「何やってるんですか林さん?」


咳き込み、口元を拭った男の背後から白衣の男が声をかけた。谷脇先生。声を受け取った男はそう返した。……その言葉は息子には聞こえない微かなものだったが。


「大声を出して良いとは言ってなかった筈ですよ」


谷脇は汚れた床を一瞥した後、林に難しい顔を向けた。当人とその妻が頭を下げる。その様子を、子供は眼を大きく開けて見ていた。


「取り敢えず林さんはすぐ戻って下さい。あぁ済まないがそこのキミ、F棟の12階まで付き添ってやってくれ。至急だ」


近くにいた看護師にテキパキと指示を出し、谷脇は林に後からすぐ向かうと伝えた。林は手を添えようとする看護師を柔らかに断り、気丈にも妻に笑顔を向けた。だが、妻の方は動揺を隠せない。

落ち着いて。大丈夫です。そう言葉をかけようと一歩踏み出した谷脇。その、白衣の裾を引っ張るものがあった。


「ん?」


感触に目をやると、小さな男の子が首をこれでもかと上に向けて立っていた。睨んでいる。


「お前か?此処を汚したの。店の人と一緒に片付けるんだぞ」

「オマエ、ジョーシだな?」

「じょし?」

「パパのジョーシだな?!」

「コータ何言って、」


母親の制止も一歩遅く、子供は小さなグーを谷脇に向けて振り上げた。


「あ痛っ」

「コータっっ!!」

「お前が悪いんだ!」

「話が見えねーぞこのボーズ!……って痛ぇ!おいこら、痛ぇって言ってんだ!」


母親が両腕を掴んで引き離すまで、子供は何度も何度も渾身の力で両拳を振り上げた。羽交い締めにされても尚、足をバタつかせて暴れるコータと、言われも無い子供の怒りに戸惑い気味の谷脇。


「コータ、謝りなさい!コータ!!」

「やだ!だってこいつパパのジョーシなんだ!」

「さっきからジョーシジョーシって、ひょっとして『上司』ってか?」


谷脇から発せられた単語に戸惑う母親。そうなの?と上ずった声で抱えている子供を問い質す。


「そうだよジョーシだよ!てっちゃんが言ってた!パパが仕事から帰って来ないのは『意地悪なジョーシがいるからだ』って!!」


谷脇はほんの少し前、林と妻の二人が自分に頭を下げたのを思い出した。自分は林の担当医だ。患者とその身内に頭を下げられても医者として普通にある光景なのだと疑わなかったが……


「パパに意地悪ばっかしてるんだろ!パパが可哀想だ!もう意地悪すんな!」

「するなと言われてもなぁ……」


谷脇は考えあぐねて母親を見た。だが、驚きに加えて息子への怒り、戸惑い、罪悪感。色々な物が入り混じった涙目に模範回答など望めない。


「奥さん、事情は取り敢えず後にして良いですかね?ご主人、大丈夫ですから。私は上に戻らせて頂きますね」


大丈夫と言ったがそうのんびりもできない。それ以上に暴れる子供の面倒など見たくも無い。ふいと右手で挨拶をし、そそくさと背を向けて歩き出す。


「逃げんな!パパを返せ!この鬼!鬼ジョーシ!!」


おおお鬼ときたか!思わず谷脇から笑いが零れた。母親の制止の声以上の大音響で、自身の新しい『役職』が連呼される。バカバカしくて相手にしていられない反面、フロア中に聞こえているであろう大声と、打たれた腕の痛みがジワジワと響いてきた。

谷脇は振り返った。恐ろしい形相で。


「鬼で悪かったなこのボーズが!俺の仕事が終わるまでそこで待ってろ!それまで掃除してるんだ、良いな?!」


言ってしまったが最後。周囲への気まずさに慌てて踵を返す。そんな谷脇の背中に、数秒遅れて子供の泣く轟音が覆い被さった。



◇◇◇◇◇


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