F1201号室 林さん>>Scene.04
「林さん、手術の前後は『外国でお勉強』、それ以外は此処で『お薬を作るお仕事』なんです、って笑ってたんですよ」
難波の問いに、看護師長が淡々と答える。
「ご自宅も遠いでしょう?林さんは当然帰れないし、ご家族だって月一回会いに来られれば良い方で。それで林さん、コータ君には『パパは会社の建物の中に住んでるから、パパの会社に会いにおいで』、って言ってるらしいんです」
「そうなんですか……」
難波は納得した。
「此処は、コータ君にとって『パパの会社』なんですね……」
最先端医療を行うこの病院は、一見では病院である事が分からない構造となっていた。
従来の暗く重苦しい雰囲気のそれでは、患者自身の自然治癒力を向上させる事はおろか、望む事すら難しい。患者に治療を施す事は、我々とこの建物にとっては最低限の使命でしかない。だからこそ私は、此処に訪れる全ての人の心を満たす空間、寛げる空間、心に残る空間、笑顔の生まれる空間を、最先端医療と密接した形で確立する。創設者の言葉だそうだ。
事実、併設施設としてレストランやコンビニ、郵便局、図書館、医療品以外の店舗も多数存在する。入院施設と診察施設の入る本棟エリアを城の本丸に例えるなら、誰でも利用可能なそれらは城下町と表せよう。そしてその城下町の発展ぶりは他の城を大きく引き離していた。
テナント以外にも細部まで手が入った徹底ぶりだ。通路の至る所に絵画や観葉植物、休憩用の椅子も置いてあり、窓から見える場所には季節の花を咲かせている。階下のカフェは連峰をぐるりと見渡せるよう全面ガラスの壁面となっており、ボランティア団体などによるイベントも多数執り行う。入り口に至っては都内のホテルをいくつも設計してきたデザイナーに依頼しており、二階まで吹き抜けとなった開放感に、常時ピアノやオルゴールの音楽が流れていた。ロビーに備え付けられた椅子とテーブルは、ホテルのそれと同じ物だ。まるでホテルへのチェックインを待っているような風景だった。
難波は自身が初めて此処に訪れた日を思い出した。自分はホテルに就職したのだと錯覚を覚える位、病院らしくない病院。今難波が着ている衣服も、白衣の下は医療従事者として面食らうようなカラフルかつデザインが登用されていた。
「白衣も『薬を作る仕事』なら問題無いですね」
「本当に、私もよくここまで辻褄を合わせたと思いましたよ」
子を持つ親は大変。だけどその分強いものよね、と師長は一人納得した。
設備云々だけでなく、林さん自身の成り切りっぷりも驚きだ。
林さんは二人が来る日は病衣ではなく、普段着に着替える。一時的に点滴を外し、身なりを整え、『入院患者』でなく『会社員のお父さん』に戻るのだ。万が一に備えてスーツまで用意している徹底ぶりだ。
そして林さんの奥さんも凄い。月一回が限界の面会ペースにコータ君がパパを恋しがらないよう、週末はコータ君と二人、地元で様々な事にチャレンジしているとか。夫に気苦労をかけまいと、常に笑顔で留守を守っている。そして面会の日には、たとえ月一回でも家族で団欒を。手料理を食べてもらいたいと、いつも以上に腕を振るった料理を持って来る。
そんな二人の頑張る姿は実を結んでいた。コータ君は初めて此処に来た時、病院の外の景色と母親の作ったお重に『パパの会社にピクニックに来た!』と言ったそうだが、それは一年過ぎた今も変わらない。
「でも師長?それなら何の問題も無いじゃないですか」
「それは今までの話。肝心な話はこれからですよ」
「それは……?」
「ですから、さっきの、」
「あ、『鬼上司』?!」
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