F1201号室 林さん>>Scene.11
「……今だから言いますけど、いきなり当日に退院と転院って……無茶すぎやしませんか?」
とある休憩時。新米医師が、中堅医師を冷ややかな目で見つつボヤいた。対してボヤかれた先輩の方は意に介せず、ふん、と鼻を鳴らす。
「無茶じゃねーよ。俺は一月前からそう決めてたの」
「決めてたって」
「あの日、朝っぱらに検査しただろ?」
「レントゲンと、採血?」
「そー。その結果で今日転院させるか否か決める、ってな」
「マジですか」
「疑うな。言っとくけど、俺はウソはつかないからな」
谷脇は缶コーヒーに口をつけた。
「前から当たりは付けてたんだよ。林さんの家から無理なく通える病院をさ。そしたら条件に合った病院に知り合いがいて、話がトントンと」
「はぁ」
「もっとも、林さんが回復に向かってたから実現できた話だぞ」
「でもあの強行っぷりは……ぶっちゃけ僕は二度とごめんです」
「やかましい。ちったぁ精進しろ若造が」
「そう言う問題じゃ無いですよアレは」
休日は院内の全てが機能している訳では無い。にも関わらず、退院に必要な書類に転院への準備、カルテの開示に薬の処方、入院費の精算。更には、林さんの荷物の整理と発送手配まで。それらを急に『意地でもやりきれ』と指示された当直の人間たちは、谷脇を今だに『鬼上司』と呼んでいるくらいだ。
「だったらお前、『もう一回来て下さい』って言えるのか?来る方だって大変なんだぞ?時間も金も湧いて出るもんじゃねーんだ」
「まぁそうですけど」
「良いか難波。真の医師とは、患者目線で考えてナンボだ。」
「はぁ」
「もっと言えば患者の子供目線、かな?」
「……」
「……」
「…………」
「……悪ぃ。子供に毛が生えた程度のお前には難し過ぎたな」
「今さらっと酷い事言いませんでした!?」
眉間にシワを寄せて詰め寄る難波を上手く交わし、谷脇は飲み終わった缶を回収BOXにそら、と投げ入れた。
今日の谷脇はすこぶる機嫌が良い。その理由が、彼に今朝届いた郵便の一つにあると難波は知っていた。ちらり、自分の目の前を過ったそのハガキには、絵なのか文字なのか、一目では理解できない何かがびっしり書かれていた。谷脇の同僚の医師が覗き込んで茶化す。『何だお前、いつの間に子供こさえてたんだ』と。
谷脇は阿呆か、と笑う。
『部下の子だよ。桃から生まれた、な』
今朝の一幕を頭に浮かべながら、難波は軽い気持ちで頭に浮かんだ事を口にしてみた。
「本当は怖かったんじゃないですか?」
「あ?」
「次は桃太郎に退治されるかも、なんて」
谷脇が一瞬答えに詰まった沈黙の後。難波の胸にめがけて鬼の拳が炸裂していた。
「しかしだ難波よ。俺は未だに解せぬ事が有る」
「何がですか?」
「仮にも『鬼上司』と呼ばれた俺だぞ。なのにだ。このハガキ見てみろ。ほら此処、『たにわきかちょお』って」
「谷脇課長…良い響きじゃないですか」
「俺は『部長が呼んでるって伝えてくれ』って言ったんだがなぁ……」
「…………」
「言った筈なんだがなぁ……」
谷脇はそう呟くと、看護師長の背中を恨めしそうに眺めていた。
あとがき
うっかり忙しい日常から離れると、いつもはスルーしてしまうようなものにまで目がいってしまうのです。
一人気ままな入院ライフで、たまたま目に入った、ご家族連れの姿。
一人だけ自分と同じ服を着たその食事風景に、この場所でしか出逢えない『何か』に触れることができた、そんな感じです。
書いて行くうちに、寡黙で重要時にしか出てこない設定だった大柄医師がしゃべくりまくってて主役クラスになっているではありませんか。と言うよりもこの人、かなーりワタシの理想なんですけど?的な。
決して自分のリアル担当医が不満だったわけではありません ←←←