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F1201号室 林さん>>Scene.10


時間にすると、それはほんの『ひととき』だった。

いつもならあっという間の30分が、不安の中待つ二人には先の見えない長い長い時間となっていた。

子供は父親の戻りを今か今かと気にして、キョロキョロと辺りを見回していた。パクリ。口の中に、大きなブロッコリーが消える。だってあの日、たにわきジョーシは、パパに意地悪してないって言った。パパは頑張ってるからって褒めてた。それから、応援。ぼくにパパを応援しろって言った。

ぼくが応援しなかったら、きっとパパも頑張れなくなっちゃう。そしたら、たにわきジョーシに怒られて、パパはまたハンセイシツ?そんなのイヤだ!

幼い子供の、小さくて純朴な答え。コータは次のもう一つをフォークに刺した。

母親は、息子があれほど食べられなかった野菜を既に幾つも食べている事に驚きを隠せなかった。そしてそれと並行して、夫の事が幾度となく頭を過る。一体何だろう。看護師長が伝達に来るなんて、余程の事なのではないか。でも。でも本当に重大事項なら、私も同席を求められる筈。かつて、初めて此処を訪れた時のように。何事も無ければ良い。あの時のような絶望は二度と味わいたくない。どうか。……どうか。

息子の前では出せない心細さが、彼女の目をぎゅっと強く閉じさせた。


と、


「パパ!」


肩が跳ね上がった。目を見開いた先に声の主は無い。子供は既に走り出していた。行く先は、いつもいつも父親が出迎えてくれる場所。視線をずっと先に向けると、まさにその場所に待ち続けていた姿が在った。『走ってはダメ』。常に口にしていた言葉が、突然異国の言葉に変わる。彼女も走り出していた。夫の元へ。

息子とほぼ同じタイミングで到着した先に、待っていた人物が静かに立っていた。その横にもう一人、大柄の白衣。

その男の『学生時代は陸上でも?』と言うジョークに返事は返って来なかった。彼女も、その子供も。戻って来た人物が初めて見せる泣き顔に茫然と立ちつくす。


「……あなた?」


妻が訊く。


「パパ?……」


子供が一歩近寄る。



…………どうしたの?









「……パパな、」


男はゆるゆるとしゃがみこんだ。目の前の子供と同じ背丈となり、目を合わす。そして、子供の肩に覆い被さるようにして、大きく息を吸った。


「……お仕事、クビになった」


肩を震わせて、静かに涙を落とした男に、妻も駆け寄った。


「クビって?」

「何だ、ボーズ知らないのか?クビってのは『会社にもう来なくて良い』、って事だ」

「もう仕事しなくて良いの?」

「まぁそう言う事になるかな。だ、け、ど。ボーズの父ちゃんは違うぞ?」


眉をひそめた子供と顔を上げた夫婦の目線に合わすべく、谷脇は膝を曲げた。


「林さん、子供にウソ教えないで下さいよ。私は『此処には来なくて良い』って言ったんです」


林は涙も忘れて、ぽかんとした面持ちで谷脇を見た。


「来なくて良いとは言いましたが、仕事を辞めろとは言ってません。続けてもらうんです。さっき渡したじゃないですか。次の職場の」


地図ですよ、と言われて林は胸に手を当てた。内ポケットから封筒が覗いている。……他病院あての紹介状だった。


「良いかボーズ、父ちゃんはクビじゃなくて転勤だ。」

「テンキン?」

「そう。転勤ってのは、お引っ越しみたいなもんだ。父ちゃんは、別の場所で新しい薬を作る事が決まったんだ」

「……どこ?」

「確か、ボーズの家から車で一時間くらいだったかな?」


母子の顔が次第に嬉しさで染まっていった。本当なのあなた?掠れた声で聞いたその答えは、一粒の嬉し涙だ。


「林さん、あっちでも忙しい時は泊まりがけで頑張って下さいよ?そうじゃない時はとっとと家に帰って、美味しいご飯を食べて、ゆっくり休んで。さっき伝えた通りです。あと、たまにこっちの仕事も手伝いに来て下さい。約束ですよ?……って聞いてます林さん?…………」



◇◇◇◇◇


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