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昭和三十四年、本間綾子は中学校を卒業した。歳の離れた兄姉はすでに家を出ており、自然と綾子が母親の面倒をみることになっていた。
戦後から十四年、日本の復興は目覚しい進化を遂げ、折りしも翌年からの十年間は高度経済成長期と呼ばれ、世界における日本経済の発展を大きく印象付けることになる。
綾子は進学をせず、家の近くの農家で畑仕事の手伝いをしながら母親と二人暮らしをしていた。当時はまだ、中学を卒業して高等学校へ進学する者も少なく、働きながら家計を助ける子供も多かった時代。決して裕福ではなかったが、特に文句を言うでもなく、綾子は母と二人の生活を楽しんでいた。
そんな生活を二ヶ月ほどしていた頃、綾子のもとへ一人の人物が訪れてきた。彼は大阪に本社を構える生糸製作所の人事担当者だった。事業拡大に伴う人手の確保という名目で全国各地を渡り歩きながら、若い女性を人材としてスカウトしているという。畑仕事では得られない給料を提示され、綾子は二つ返事でこの話を承諾した。採用となれば名古屋の工場へ配属されることになり、母親とは離ればなれになってしまう。当然のことながら凄まじい不安と寂しさを覚えていたが、何より少しでも多く稼いで母に仕送りをし、楽な生活をさせてあげたいと思う気持ちの方が強く、そんな自分を誇らしくも感じていた。
「くれぐれも身体には気いつけるんだよ。無理は絶対にせんでええから」
母はこの日のために綾子へワンピースを新調してくれていた。
「うん。分かった」
こうして綾子は梅雨入りを前に、十五で長野の親元を離れ独立して生活することとなった。